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第1話・戦

戦闘描写に違和感や、こんなうまくいくはずないだろ、と思われる方がいるかと思われます。申し訳ありません、精進します。

大気を裂いて飛来した矢が頬を掠めていった。矢が掠めたその部分にだけ、焼けたような痛みが走る。血も出ているようだが……出血程度で済んだことを感謝しなければならないだろう。それに、この痛みは確かな痛みだ。この痛みすらも――――この世界が確かに存在し、俺が確かにここに居ることの証なのだから。





 俺は今戦場に居る。比喩表現でもなんでもなく、文字通りの「戦場」である。少なくとも昨日の午前中までは、ただの普通の学生だった俺が。

 しかし、それについて今考えても仕方ない。今生き残ることが最優先課題だ。

ここで死んでしまえば、それでおしまいなのだから。



 言い訳も弁解も不要。自分の為に誰かを殺す。生き残りたいから相手を殺す。自分の人生の為に、誰かの人生を終わらせる。だから、振り向くことも止まることもない。その全てを背負わなければならない。 そうやって俺は生きていくと――――そう決めた。




 だが、こんな覚悟は、本当に脆い物だった。上辺だけの覚悟でしかなかった。それを俺が思い知るのにはいま少しの時間を必要とした。そう――――この戦場に敵が居なくなるまで。



















Side:ソフィア


 反乱軍が体勢を立て直し、こちらに攻め込んできました。少しでもこちらの勢いを削ごうとしているのでしょうか? 姫様いわく、あまり賢い戦法ではないらしいですが……相手の中に負傷兵もいるという報告を小耳に挟んだことによって、私も理解できました。

 現在、王国軍と反乱軍が真っ向から衝突しています。戦う力を持たない私は、陣でお留守番です。そもそも、本来ここに私はいるべき人間ではないのですが、つい戦場に出る姫様が心配で、荷物に隠れて付いてきてしまいました。

 その物資が襲われ、そのせいで昨日命を落としかけましたが――――図々しいことを承知で言えば、それによってギンヤと会えたのも事実です。そのギンヤ、私の命を助けてくれた彼は、戦場に出ています。

 まったく助ける義理など無い私を救ってくれた優しい彼は、再び必要の無い危険を冒しています。

 そんな彼に対し私が出来ることは、ただ祈ることだけです。昨日見たあの強さと、そして相反するような弱さ。後者に関しては少々、というかかなり気になっているのですが……。

 ただ、不思議と、彼は生きて帰って来てくれる気がします。それはきっと、彼の持つ「魔法吸収能力」のおかげではなく。その身に内包する、膨大な魔力のおかげでもなく。

 どこか彼自身が、信じられる雰囲気を持っているのです。だから私は彼の帰還を信じますし、また彼が私たちに害をなす存在ではないとも信じています。

 私は彼の過去を知りません。具体的な人柄も、家族構成も、好きなものも嫌いなものも知りません。私はまったく彼について無知です。それなのに、信じられる気がするという理由で信じるなど、馬鹿げた事と言われるかも知れません。あるいは公爵家の者としては軽率だと批判される事もあるでしょう。

 しかし、それは彼も同じなのです。彼だって私のことなど、私たちのことなど何も知らないでしょう。それなのに、命を掛けて私たちの為に戦ってくれている。その信頼に対しては、信頼で答えたいんです。 公爵家の者としては、権力に携わる人間としては、間違っていると思います。けれどきっと、これは悪いことではない。そう信じています。

 正しい選択と良い選択は、必ずしも同じではないはずですから。











Side:シェリス


 本陣にいて指示を出す私は、常にギンヤの動向を確認させていました。

 彼が心配なのもありますが……最大の理由は監視のためです。私個人は彼を信じていますが、王女としてはそれでは駄目なのです。そう軽々と、人を懐に入れるわけにはいかない。

 裏切り以外の最悪の場合も考えなければなりませんしね……。人は傷つくものです。傷つかない人など居ない。例えどれほど、あらゆる意味で強くても、傷つかない人間などいません。それは彼も同様です。いかに彼が強く、類稀な「魔法吸収能力」を持っていたとしても。

 魔法吸収能力とは、文字通り「魔法を吸収する能力」。しかし無敵というわけでなく、「吸収できる魔法には限界がある」のです。彼は、「吸収した魔法を己の魔力に変換できる」のですが、一定以上の魔法は吸収できず、直接ダメージを受けます。

 たとえば、彼の能力の限界を100とします。100の魔法は吸収できても、110の魔法は吸収できない。そして、その場合、10のダメージを受けるのではなく、110のダメージをそのまま受けることになります。

 そして彼は、膨大な魔力を持っていますが、魔法はほとんど使えない。できるのは、自身の身体能力を向上させることと、自身の腕と足に魔力を纏うことです。

 つまり、その点において、やはり彼も無敵ではない。士気向上の為にわざと陣中にソフィアの1件を広めさせたので――――逆に彼が討たれた場合、士気としてはかなり痛手を被ることになるでしょう。

 その彼が……もちろん強いことは分かっているのですが――――戦場の最前線にいます。

 誰に強要されたわけでもなく、ただ私たちや兵士のために。「公爵令嬢を絶体絶命の危機から救い出した英雄と共に戦える」と、兵を鼓舞しながら。

 この時、私は久しぶりに、総大将というものの責務に縛られることを煩わしく思いました。それほどまでにこちらのために尽くしてくれる人を、私自身が身を持って助けることが出来ないのですから。

 そして私は人を疑う、と言う辛さにも慣れなければなりません。いつか遠くない未来に、国を背負う者として。だからこそ、会って間もない、それこそ彼にとって貸しはあっても借りは無い私たちに対して、命すら賭して戦ってくれる彼を疑うのです。

 その責務から目を逸らす訳ではないですが……本当に、ままならないものです。けれど、それでも私はそれを貫く。

 私がするべきは良い選択ではなく、正しい選択なのですから。

















Side:銀也


 さて、俺は自分の能力で、俺無双が出来るかとも思っていたが……。やっぱりそんなに甘くない。上級の魔法攻撃や物理攻撃に対してはまったく耐性が無いのだから。

 とりあえず身体強化で頑張っているが、真剣にさらされたのは初めて――――まあ昨日も槍には晒されたけど――――なので、基本チキンに戦っている。具体的には、戦うと見せかけて距離を開けたり、意味も無く左右にステップしてみたり。

 この俺の行動は、意表をつくという意味で何気なく撹乱には役立っているようだ。良かった良かった。



 そうやって自分なりに必死に戦っていると、突然戦場の一角で轟音と悲鳴が聞こえた。ん、何だ?

 思わずそちらを見ると、やぐらが聳え立っていた。その上にいたのは、ローブを着た男。外見上は魔法使いだ。その男がなにやらぶつぶつ言って杖を振ると、恐らくは先ほどの轟音の正体である雷が、こちら側の兵士たちに落ちた。

 

 (おいおい、あれはないだろ……)


 あれが戦闘用の魔法か、と肝を冷やした。あれは吸収できそうに無い、と俺の理性と本能が同時に警告を発した。理屈で考えても、雷って確か滅茶苦茶な強さのエネルギー持ってるらしいし。だから今でも雷は利用できない……って誰かが言ってたっけ。まあいいや、あれに対抗するにはどうしたらいいんだろう? とりあえず近くの兵隊さんに……。


 そして俺は、自身の状況に驚愕した。



 あれ?


 あれ?


 あれれ?


 中に……じゃなかった、俺の近くに味方が誰もいませんよ?


 なにこれ、皆逃げてるの? 俺は哀れな生贄とされたの? 哀れな子羊なの? こんがり焼けた哀れな子羊の肉が出荷されるよ? 美味しい肉料理になるよ? ジンギスカンだよ? 良いの? それで良いの?


 戸惑う俺と、やぐらの上の魔法使いの目が合った。しかし目と目が合った瞬間に恋に落ちる、なんて事はなく。にやり、と男はこちらに向かい笑うと、再び雷を放とうとした。


 この場合の目標は、当然俺ですよね……って、やばいやばいやばい。あれは死ぬ。軽く死ねる。間違いなくジンギスカンにされる。羊肉は大好物だけど、俺が焼肉になる趣味は無い。

 (武器! 武器! ああえっと、ああもうこれでいいや――――!)

 人生で2回目の命の危険に晒され本気でパニくった俺は、最後の足掻きとばかりに、足元に落ちていた剣を身体強化してぶん投げた。せめて注意をそれに引き付けて狙いを外せればと思ったが……しかし相手のほうが速かった。

 無慈悲にも魔法は発動。ここまでか、と焼肉になることを覚悟した俺の目に映ったのは、迫り来る死ではなく雷が俺の投げた剣に当たる場面。

 そしてその、身体強化によって威力を増した俺の剣は、勢いを殺されること無く相手のやぐらに直撃。

 どういう訳かやぐらは崩れ、魔法使いは戦闘不能になった。


 ……なんで?

 さすがにやぐらを壊せる威力は、なかったと思うんだけど。



 まあ、助かったから良いか……。

 なんにせよ、命あっての物種だからね。


 


 そう……敵の命を奪っても、生き残ればよいのだ。

 そんな事を俺は、自分の周りにいくつも転がるヒトダッタモノを直視せずに心中で呟いた。








Side:とある王国軍兵士



 見たことのない衣服を纏った、俺たちよりも遥かに年下な、姫様と同い年くらいの少年が、戦場を駆ける。彼は昨日、ライトアーシェント公爵令嬢を絶体絶命の危機から、無傷で救い出した英雄らしい。

 その戦いは、見事というほかない。

 相手を変幻自在な動きで翻弄し隙を作り、そして味方に討たせる。お膳立てはしておいて、手柄は譲る。なんとも誇り高い姿に、前線の俺たちは勇気付けられた。

 そして彼の働きでこちらが勢いづいた矢先に、「特務部隊」の魔法使いが現れた。    

 奴は雷を放ち、瞬く間にこちらの兵士を殺して行く。

 戦いが始まる前に、全軍に通達された命令。特務部隊の魔法使いは、普通の人間では勝てない。出てきたら退却せよ。それが、命令で。俺たちは多くの仲間を殺された恨みを抱えながら、撤退した。自身の無力を痛感すると同時に、殺し合いから離れられるという安心感を感じて。


 だというのに。


 あの、黒髪の少年は、退かなかった。


 おい、何をしているんだ! 上位の魔法使いの強さを知らないわけではないだろう!?

 奴らは歩く暴力の塊で、魔法の使えない人間は、魔法使いには絶対に勝てない。それが戦場の、そして世界の常識だ。

 死ぬつもりか、やめろ、退いて下さい、と俺も、俺と共に戦っていた兵も叫ぶ。

 あの英雄を、こんなところで失うわけではいかない。玉砕してでも守り通そうと、俺たちが覚悟を固めたとき。





 ――――俺たちは、ありえないものを見た。

 彼は俺たちで到底測れる人物ではないのだと、彼は戦場に居た全員に見せ付けた。

 雷の魔法を、剣を投げることによって避雷針代わりにして防ぐ。そしてそのまま剣は、やぐらの弱い部分、縄で組んである結び目に衝突。

 身体強化によって、かなりの威力を秘めた剣は、その結び目を容易く切断し――――結果やぐらは崩れ、魔法使いは戦闘不能になった。



 体が震えた。魂が奮えた。あれが英雄かと、戦慄した。その彼の一人舞台に圧倒された俺たちは、しばらくの間、そこから動くことが出来なかった。

 特務魔道師を失い、我先に逃げ出す反乱軍。

 その背を、英雄は、不敵な笑みを浮かべて見送った。背中を向けた相手に向ける拳はない、とその背中で語って。











Side:シェリス


 雷が戦場に落ちた。その威力から、私は特務魔道師が出てきたと判断した。

 こうなることは予測して、全軍にあらかじめ特務魔道師が出てきたら退却するように伝えてある。

 こちらをルーミィが見た。その見つめてくる二つの紅玉に、私は頷いた。近衛隊長のルーミィか、魔道部隊の隊長であるガルフぐらいしか、特務魔道師の相手は出来ない。

 だからこそ前線の兵士達を交代させ、彼女達のどちらかを向かわせる手筈を整えていたのに――――特務魔道師が乗っていたであろうやぐらは、唐突に一瞬で崩壊した。そして最大戦力を失った反乱軍は、一目散に逃げて行く。


「いったい何が…………?」


 ルーミィが眉をひそめる。確かに不可解だ。とにかく状況を把握することが最優先事項だと感じた私は直ぐに、状況を調べさせた。すると、あれをやったのはギンヤだということが判った。それも、聞いたこともない、大胆かつ繊細な戦術で。

 最初私たちは、伝令が何を言っているのか理解できなかった。そして気付いたときには、畏怖を抱いていた。


「姫様、我らは、とんでもない人物に出会ったのかもしれません…………。」


 ルーミィの声が震えていた。私もおそらく声を出せばそうだっただろう。誰が想像できるものか。

 魔法使い、それも最上級の魔法使いに、身体強化のみで人間が勝利を収めるなど。

剣を投擲し、やぐらの小さな弱点を貫く。そのようなことが出来る人間がいるなど、想像したことも無かった。

 震えそうになる手を、拳を作って握り締めることで制御する。頭の中では、その戦力を歓迎する私と、彼が叛旗を翻した場合の抹消手段を考えなければならないと叫ぶ私が戦っていた。






 そんな私の葛藤をよそに、少ししてこちらに向かってギンヤが歩いてきた。前線の兵と共に、笑いあいながら。その無邪気な笑みは、およそこの戦場には似つかわしくないもので、また同時にあれほどの事を行える戦闘能力を持つ人間とは思えない。

 果たしてどれ程の鍛錬と実戦をこなせば、あのようになれるのだろう。私は彼の実力を培わせた、彼の武の経過に思いを馳せた。そして同時に、彼の自由をどうやって縛るかと言うことも、驚くほど冷静に考えはじめていた。











Side:銀也


 いやー、死ぬかと思ったぜ、本当に。

 生の実感をかみ締めながら、俺は味方の兵士さんたちと陣地に帰った。

 あ、ちなみに戻った俺を待ち受けていのは、ソフィアのハグでした。

 泣きながら、良かった、良かった、と言って抱きついてくる絶世の美少女。柔らかい感触と温かい体温、良い匂いがたまりません。

 あー、このためならもう一回戦場に出てもいいかなー、なんて健全な青年である俺は思った。そこ、変態とかいうな。可愛い子に抱きつかれて喜ばない男はいない筈だ! …………と思う。いや、断定は出来ないけどさ。

 それにしても周りの視線が生暖かい。ソフィアは俺の胸に顔をうずめたまま未だ泣いているし、個人的にもこの感触を手放すのは惜しい。というわけで、周りからの情報はシャットアウトすることにした。

 とりあえず、今は生の実感と、この感触を堪能しよう。





 


………………だから。だから止まれよ、俺の体の震え。こんなに震えてちゃ……ソフィアに気付かれるだろ?



















 その後、俺は天幕に戻った。ソフィアはシェリス様のところに行っている。良かった。…………こんな状態を、見せられるものではない。少なくとも、今はまだ。


「はは、は……」


 体が震えている。人を殺した――――間接的になら、数え切れないほどに。そして直接にも、俺は他者に手を下したのだ。

 鮮血と慟哭が溢れかえっていた。日常の喧嘩など生易しいものではなく、戦は人が獣となる瞬間だった。誰も彼もが生き残るために、自身の攻撃性を剥き出しにして傷つけあっていた。俺は生きたい、お前は死ねと。


「っ…………!」


 震える拳。そこに、投げるために握り締めた剣の感触が残っている。そしてその握った剣により、俺は――――1人の人生を終わらせた。もうそれなりの時間がその瞬間からは経っているというのに……その剣を握った感触が拭えない。

 あの人に家族は居たのだろうか? 子供は? 妻は? 大切な人たちが……彼が死んだら悲しむ人たちが、一体どれほど居たのだろうか。

 (お前が死ぬべきだったんじゃないのか?)

 もう一人の俺が、内側から囁いた。

 (そもそも、帰る手段だって存在するか分からないのに……お前は生き残る意味があったのか?)

 うるさい。

 (お前が死んだところで、誰が悲しむんだろうね? こんな――――)

 うるさい。

 (こんな、ヒトゴロシに……)

 うるさい――――!


 地面に拳を叩き付けた。地面が少し陥没した。また振り下ろす。何度も。何度も。何度も。何度も。











 何度叩いたのか。気付けば拳から血が噴出していた。……それがどうした? こんなもの、俺が傷つけた人たちの出血量に比べれば――――。


 そんなことを頭の片隅で考えながら、延々と地面を叩き続けた。理由など分からない。ただ衝動と激情のままに――――俺は拳を振り下ろし続けた。新たにこみ上げてきた吐き気を抑えながら。自分の体から、錆びた鉄の臭いが漂ってくるようにも感じるようになってきた。



 天幕の中には、拳を叩きつける音だけが響いていた。




 ……どれだけ経ったのか? 既に拳は両方とも裂け、鮮血がだくだくと流れ出ていた。

 痛みを感じない。痛いはずなのに……痛みが無い。いくら人殺しでも、神経はある筈なのに。意識せずに笑ってしまう。真っ当な心はおろか、ついに神経まで無くなったか? いよいよ人外染みて来たな……。ああそうだ、もう人間じゃない。人を殺してしまえば、1つの命を背負ってしまえば――――永遠に、解放されることは無い。もうその時点で、人ではいられない。


 …………虚しい。生の実感を得るために、ソフィアを守るために戦おうとしたのに……得られたものは、俺が今までの俺で亡くなる感覚。人を辞めた感覚。結局、そう――――星宮銀也は死んだのだ。


 握りしめた両の拳。これは人を傷つけるためのもの。人を傷つけたもの。流れ出る鮮血は俺の物か。それとも、俺が傷つけた人々の――――――――


「ギンヤ!」


 天幕の中に、今一番聞きたくない声が響いた。遂に見られてしまったかと思うのと同時に、見られないわけが無いと、俺はどこか冷静に受け止めてもいた。


「ギンヤ、こんな……どうしたんですか!?」


 駆け寄って俺の両手にハンカチを当て、必死に止血しようとするソフィア。それでも血は止まらない。 止められない。


 だってそれは俺の血じゃないから。俺が傷つけた人の血だから。どれだけ拭っても拭っても、それが消えるなんてことは有り得ない。あってはいけない。


「良いよ、ソフィア……」

「良くないです! なんで、こんな……!」

「良いんだよ、ソフィア」


 何故ですか、と睨むような涙目でソフィアが俺を見た。


「それは消えないよ……それは俺が殺した人の流した血だ」








 ――――その一言で、聡明な少女は理解してしまった。理解せざるを得なかった。

 少年にとっては自分の存在を守るために、少女にとっては少女やその仲間を守るために。理由はどうあれ、結果的に少女とその仲間を助けた目の前の少年は――――罪を背負ってしまったのだと。罪を自覚してしまったのだと。

 ――――自らが、少年に罪を背負わせてしまったのだと。

 それに気付いたソフィアには、出来ることは一つしかなかった。











「ごめん、なさい……」


 最初は、掠れるようなか細い声。


「……え?」

「ごめん、なさい…………」

「何で……?」

「ごめん、なさい…………!」

「違う、君が泣く必要なんて無い。これは、俺の――――!」

「ごめんなさい――――!!」


 ソフィアは泣いた。泣き続けた。目の前の少年への申し訳なさと、泣かない目の前の少年の代わりに泣いた。

 どうして、こんなにも優しいのか。どうしてこんなにも強いのか。

 彼は、無意識に理解してしまっている。無意識に封じてしまっている。ギンヤは後悔と死者への懺悔の気持ちで、誰よりも泣きたいはずなのに、それを封じてしまっている。

 どんなに辛くても、悲しくても、泣きたくても――――自分にはその資格が無いと、勘違いしているのだ。


 そして、もう一点。彼は生き残るために、そして自分達を守るために戦ったのだ。殺人に快楽を得ているわけでも、好き好んで殺したわけでもない。なのに、自分を許さない。その強さが……ソフィアには酷く気高く、また悲しい強さに感じた。


「ギンヤ……貴方は、後悔していますか?」

「………………それは、何に対して?」

「殺したことです」

「そりゃあね……」

「そうですか」


 それはそうだろう。


「…………では、貴方がその人たちを殺したことを無かったことに出来るとして――――――――


 ――――その代わり私や姫様、こちらの兵士が死ぬとしたら……どうですか?」


 これは、酷く卑怯な問い。そしてある意味では、論点のすり替え。しかしそれを解った上で、ソフィアはそれを口にした。


「それは…………」


 ギンヤは言葉に詰まった。それはそうだ、そんな選択肢を突きつけられてしまったら、答えられないだろう。


「きっと、そういうことなんだと思います」


 そう言ってソフィアは、悲しげに、しかし暖かく微笑んだ。


「論点のすり替えかもしれません。私は人を殺したことが無いから……貴方の苦悩も、きっと完全に理解することは出来ないんだと思います。ですけど……ですけど唯一つの事は確かに言えます」


 ソフィアはその胸に、動けないギンヤを抱き寄せて、


「――――ありがとうございました。貴方のおかげで、私は今生きています」


 そんな言葉を、口にした。


「――――――――っ」


 それは、人殺しに対しての感謝の言葉だった。自分が生き残るために、そして守りたい人を守るためという言い訳によって命を奪った人間に対する――――その身が殺人者であることを全て受け入れた上での、感謝の言葉だった。そんな言葉を掛けられたら、また、その少女の存在を昨日のように実感してしまったら――――


「―――――ッ!!」


 銀也の胸に熱いものが込み上げてきた。感謝の言葉と守り通した存在の実感だけで、人を殺したことへの罪悪感や後悔が消えたわけではない。だけど、それは銀也が自らの心に嵌めた枷に皹を入れるには十分な言葉と、存在感だった。

 体が震え、涙腺が緩む。泣いてはいけない、そう思いはしても……人間は弱い。決意は揺らいでしまうものだ。

 そして銀也の心と体の震えは、それを抱きしめているソフィアにも伝わる。そして人一倍優しく、また繊細で敏感なソフィアがそれに気付かないはずも無く―――――


「泣いてください、ギンヤ」


 ソフィアは優しく――――また暖かく、止めを刺した。

















 全ての葛藤が消えたわけではない。全ての後悔や罪悪感が消えたわけではない。きっとまた人を殺す度、俺は悩むだろう。そして苦しんで、無様な姿を晒すだろう。

 だけど……そう。


 俺は人殺しだ。それは一生消えない罪で、それを背負って生きていかなければならない。それはきっと苦しく辛い道だ。

 だけどそれでも。血に汚れた自分の拳でも、罪に塗れた自分でも――――誰かの笑顔を守ることは出来るのだろう。

 俺は、自分のために人殺しと言う最大の禁忌を犯した、醜悪な人間だ。それは否定しないし、出来ない。けれど――――


 そう、けれど。

 綺麗なままで居ようとして、戦うことから、その罪から逃げて――――







 ――――――――その結果、失ってしまうよりは、良いのではないか。


 覚悟の内容自体は、戦場に立つ前の脆弱なものと一緒だ。誰かを守るためだとか、生き残るためだとか。それ自体は一緒だ、けれど……。

 実際に実感した。自分が血に汚れることで、ソフィアを――――誰かを守れるのだと。そしてそれがどれだけ自分にとって救いになるのかを。それを知ってしまったから――――。


 それを胸に、また立ち上がろう。きっとまた悩んで、苦しんで、折れて……進歩なんて無いのかもしれないけど。

 そしたらまた、何度でも立ち上がろう。

 俺は弱いから。俺たち(人間)は弱いから――――――――折れないことなんて、きっと出来ない。

だけど、折れたらまた立ち直ればいい。膝を付いても、また立ち上がればいい。

 不屈とは、決して屈しないこと。俺にはそれは出来ない。俺は何度でも屈するのだろう。

 だけどそこで屈したままでは絶対に居ない。屈したら立ち上がってみせる。何度でも、何度でも、何度でも何度でも何度でも何度でも繰り返して――――。


 何度でも立ち上がって、また立ち向かって。苦しんで、無様に泣いて。それでも逃げずに立ち向かい、目を逸らさずに正面から罪に挑んで、折れて立ち直って。それを繰り返して――――


 そして必ず守り抜く。そう、それだけは絶対に譲らない。その決意を胸に、俺は戦う。戦って、戦い続けて――――――――守り通す。


 だから……だから。










 ――――ソフィアには、傷一つつけさせない。







 今は泣く少年と。それを抱きしめる少女と。その少年の胸に秘めた決意を……天幕から覗く月明かりだけが見守っていた。


至って普通の人間です、主人公。屈さず曲がらずはできません。

それを理解したうえで、進んでいく子です。うまく書けるよう頑張ります。

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