第4話 マイのはじめてのおつかい、ふたりで
朝の陽射しがやわらかく差し込む食堂で、サチは少しだけ不安そうに顔をしかめていた。
テーブルの上には、ご主人様から預かった買い物リスト。珍しい食材の名前や街の新しいカフェの位置まで細かく書き込まれている。
「サチ、今日はマイと一緒におつかいに行ってきてくれるかい?」
「……私ひとりでもできますけど……?」
「うん。でも、マイと一緒にね」
アルベルトの目が、ほんの一瞬だけ意味ありげに細められた。
その笑みは、ただのおつかいを頼む顔ではなかった。
(……何か、企んでる? ご主人様……)
サチの胸の奥に、ふと小さな引っかかりが生まれた。
「……わかりました。じゃあ、行ってきますね」
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街の空気は朝露の香りを残しつつ、徐々に活気を帯びはじめていた。
市場では果物の香りが漂い、通りには屋台が並び、にぎやかな声があちこちで響いている。
「……すごい、活気ですね……!」
マイは目をぱちぱちとさせながら、きょろきょろと辺りを見回していた。
そんなマイの様子を見て、サチはくすっと笑った。
「初めてなんですね、こういう場所」
「……はい。ずっと、屋敷の中ばかりで」
「じゃあ今日は特別な日。いっぱい楽しもうね、マイ」
ふたりで並んで歩きながら、サチはリストを見てお目当ての店へと向かう。
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果物屋、調味料専門店、薬草屋――
一軒一軒を回っていくうちに、マイの表情も少しずつほぐれていった。
「このハーブ……変わった香りですね」
「うん。これ、レモングラスって言うんだって。なんか懐かしい匂い……わたしの“過去”にもあった気がします」
「サチさんの……過去?」
「うん。よく思い出せないんだけど、不思議と知ってるものがあるんです。なんでだろうね」
マイはサチの横顔をじっと見つめ、小さく微笑んだ。
「サチさんって……やっぱり特別な人なんですね」
「え? な、なにそれっ!」
照れたように笑うサチの頬が、うっすらと赤くなった。
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昼を過ぎ、ふたりは一息つくためにとあるカフェへ立ち寄った。
そこは、サチの記憶をもとに提案されてできた、“ふわふわパンケーキ”が名物のカフェ。
「……本当に、雲みたいです……」
ふたりで一皿を分け合いながら、マイは夢中になって口いっぱいに頬張っていた。
「マイ、口の端にクリームついてますよ。ほら、じっとして……」
サチがハンカチでマイの口元をぬぐうと、マイはぴたりと動きを止め、ぽーっとした表情を浮かべた。
「……えへへ……サチさん、やさしい……」
「な、なに、急に……もう、変な子ですね」
サチはちょっとだけ耳まで赤くなりながら、そっぽを向いた。
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買い物を終え、屋敷へ帰る馬車の中。
マイは、ぽつりと呟いた。
「……今日、すごく幸せでした。サチさんと一緒で、よかったです」
「……マイ」
「わたし……サチさんのこと、好きです」
「す、好きって!そりゃあ一緒に働くのですから…!」
「そういうことじゃ…なくて…」
思わず見つめ返すと、マイは頬を染めながら真っ直ぐな瞳でサチを見ていた。
サチの心臓がどくん、と高鳴る。
「……そ、それは、あの……」
「明日からも、ずっと一緒がいいです……!」
「…………えっと、はい……よろしくお願いします……」
サチは困ったように笑いながらも、そっとマイの手を握り返した。
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そして次の日――
「サチさ〜ん!次は何をすればいいですか〜?」
「サチさん、重い荷物は持たないでくださいね!私がやりますから!」
「サチさん!お茶、私が運びます!」
「サチさん!」
「……ちょ、マイ……近い、近いから……!」
あまりにべったりなマイの様子に、サチはとうとう大きくため息をついた。
「マイ?あなたはご主人様のメイドなのよ?」
「はい…でもサチさんと一緒がいい」
「もぉ、それじゃ仕事にならないでしょ?私はご主人様のものなんだから」
「そんなぁ…でも私はサチさんがいいよぉ」
マイは今にも泣き出しそうな顔で、サチの袖をぎゅっと握った。
潤んだ瞳で上目づかいに見つめられ、サチは思わず言葉に詰まる。
「……あのね、そういうの、ずるいです……」
ちょっと困ったように笑いながらも、サチの頬はうっすら赤く染まっていた。
だけど、屋敷の仕事は山のようにある。いつまでもこのままではいられない。
「マイ……わたしだって、あなたと一緒にいるのは楽しいですよ。でも――」
一拍置いて、サチは真剣な目で言った。
「それでも、お仕事はちゃんとしなきゃ。ね?」
マイはきゅっと唇を結び、少しだけ考え込んだあと――
「……でも、サチさんと離れるのやだもん!」
その瞬間、マイはちらりとサチの顔を盗み見る。
顔を真っ赤にしてうつむいたサチを見て、いたずらっぽくにやりと笑った。
「ふふっ、照れてるサチさん、かわいい……♪」
「……っ! な……なにそれ……」
サチの顔がさらに赤く染まる。
しかし、その赤みがじわじわと変化していく。
頬が膨らみ、眉がぴくりと上がり、瞳がじとりと細められて――
次の瞬間には、ぷんっとした怒り顔になっていた。
「もぉ……マイ!いい加減にしなさいっ!!」
「はい〜……ごめんなさい〜……」
マイの泣きべそ顔を見ながら、サチは思わず吹き出した。
「もぉ、まったくしょうがない子ですね」
でも、その表情はとてもやさしくて――
まるで、本当の姉妹のようだった。
――その時、ふと視線を感じて顔を上げる。
廊下の奥、柱の影。
そこには、ご主人様・アルベルトが腕を組んで立っていた。
ふたりのやり取りを見守るようにして、どこか満足げな、そしてイタズラっぽい笑みを浮かべている。
「……見てたの……?」
サチが少し目を細めながら小さく呟くと、アルベルトは片目だけでウィンクをして、静かにその場を去っていった。
(……やっぱり、こうなること、最初から分かってたんだ……)
サチはそっと笑って、ため息まじりにひとこと。
「……ほんと、ずるい人…バカ…」