表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/20

第2話 使者は微笑まない

「もうすぐ、王都からの馬車が着くそうです!」


屋敷の門番の報告に、緊張が一気に走った。


朝食を終えたばかりの領主館は、普段とは違う空気に包まれていた。

食堂のカーテンを取り換えるメイド、玄関に飾る花の位置を整える使用人、庭の掃除を念入りにやり直す庭師。

皆が今日の“お客様”に備えて動き回っていた。


「クレアさん、テーブルクロスにシワがあります。アイロンを入れ直してください。エマさん、茶器は銀縁の方を使いましょう」


朝の支度を終えたサチは、落ち着いた声で次々と指示を出していく。

使用人たちはその声に従い、テキパキと持ち場を整えていった。


まるでこの屋敷の心臓のように、サチは中枢で働いている。

けれど、彼女の心はずっと、今朝の最後に見た“未来”の光景に引っかかったままだった。


(ご主人様の隣に立っていた、あの……女の人)


誰なのかも、何者なのかもわからない。

でも確かに、自分ではない“誰か”が、ご主人様と肩を並べていた。

その光景だけが、胸に小さな棘のように残っている。


「……集中しないと。今は目の前のことをしっかりやらなきゃ」


自分に言い聞かせるように、サチはもう一度、茶器の並びを確かめた。



正午前。

一台の馬車が砂利道を静かに走り抜け、館の前で止まった。

漆黒に銀の紋章――王都監察局の印が刻まれている。


「いらっしゃいませ。遠路お疲れ様でございます」


サチが先頭に立ち、深く礼をする。


馬車の扉が開き、まず降りてきたのは、40代ほどの無表情な男だった。

冷たい眼差しの奥に、何かを測るような知性を感じる。


「王都監察局・オルステッド。領主殿への視察の命を受けてまいりました」


その後ろから、もう一人、少女が姿を現した。

粗末なワンピースを着たその子は、年齢こそサチと近いが、立ち居振る舞いはどこか怯えたようだった。


「ようこそお越しくださいました。アルベルト・リュグナーです。拙い領地ではありますが、どうぞごゆっくりお過ごしください」


ご主人様は穏やかな笑顔で頭を下げる。

その横に立つサチの視線は、無意識に“その少女”に吸い寄せられていた。


(……この子)


その瞬間だった。

サチの視界に、ふわりと光の粒が舞った。


そして――未来が視えた。


屋敷の廊下。

使用人服を身にまとい、笑顔でバケツを運ぶその少女。

他のメイドと笑い合い、サチの背を追いかける姿。


(この子、ここで働く……?)


サチは唇をかすかに引き結ぶ。

未来は確定ではない。けれど、こうすれば、こうなるという“可能性の光”が確かに見えていた。



応接間には、香ばしい紅茶の香りが満ちていた。

サチが淹れたダージリンに、ミントを一枚浮かべてある。

焼き菓子の皿には、今朝早く焼き上げたレモンタルト。


「非常に整った屋敷ですね。そして……領内の納税率が極めて高いと記録にありました」


オルステッドが紅茶に口をつけながら、目だけでご主人様を見据える。


「ありがたいことに、領民の皆様が協力的でして」


「ですが、通常は“協力的”という理由では、ここまで高い数値は出ません。

特にこの二年での急激な改善……その裏には何か“新しい手法”があるのでは?」


ご主人様は一瞬だけ表情を止め、すぐに柔らかな笑顔で答えた。


「いくつか、小さな見直しをした程度です。たとえば、収穫高に応じた変動制への切り替えや、税務報告の簡略化など」


「……なるほど。定額制の撤廃、ですか。反発は?」


「最初はありましたが、制度を“見える化”したことで、納得してもらえるようになりました」


その言葉に、オルステッドは静かに眉を上げた。

サチは横で、お茶の温度を確かめながら、内心でご主人様を称賛していた。


(あんな言い方、してなかったですよ……。やっぱりご主人様って、すごい)


でも同時に、未来視で知っている。

この領地の経済を支える新しい流通ルート、税制の見直し、そして徴税人の選抜――

そのすべての土台には、サチの“視える力”があった。


けれど、それは誰にも知られてはならない。

ましてや、王都の使者には。


サチは静かに、ティーポットを傾けながら、使者の背後に立つ少女を見やった。



午後、来訪者の応対を終えたご主人様が、中庭のベンチに座っていた。

その隣に、サチが紅茶を載せたトレイを手に、そっと現れる。


「お疲れ様でした、ご主人様。……お茶、淹れてきました」


「ありがとう、サチ。……なんだか、今日はすごく長く感じたよ」


「……お上手ですね。まだ午後二時です」


ご主人様が苦笑し、サチはティーカップを手渡す。


「オルステッド殿は、どう見ても“探って”いましたね」


「うん。視察じゃなくて、査問に来たみたいだった」


「それでも、うまくかわしてました。さすがご主人様です」


「いや、それは……君のおかげだよ。サチがいてくれるから、僕は安心して話せる」


その一言に、サチの胸が、ぽっ……と温かくなる。


(私が……いて、よかったんだ)


ふと、ご主人様がカップを置き、遠くを見た。


「ねえ、サチ。……あの少女、マイって名前らしい」


「……はい」


「王都で孤児として育てられたけど、身分も職もなくて、今はオルステッドの随行にくっついているだけだとか。

でも彼女、“ここで働きたい”って言ってたよ」


サチは視えた未来を思い出す。

笑顔でメイド服を着る、あのまっすぐな目をした少女。


「……ご主人様の判断に、お任せします」


「違うよ。君に任せたい。君の見る未来は、誰よりも正しいから」


目を見開くサチに、ご主人様は真っすぐ視線を送る。

そのまなざしに、心がじんわりと温まっていく。


「……わかりました。もう少し、彼女のこと……見てみます」


「ありがとう」


ご主人様が優しく微笑む。

サチも、それに応えるように、小さく頷いた。


風が、ふたりの間をやさしく通り抜ける。

サチの胸の中で、“何か”が変わり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ