表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

おばちゃんから昔の自分へ


そして現在に戻る。


自分を粗末にする人は人からも環境からも粗末にされると心理学のメソッドで習った。

そして相手から大事にされようと粗末にされようと自分の価値は1ミリも上がりもしなければ下がりもしない。

そもそも自分(人類、動植物)は尊極でこの世の全てから愛される存在。

努力なんかしなくても赤子のようにその身そのまんまで生きてるだけで尊い価値のある存在なのだ。もし相手が自分を粗末にするとしたらそれは自分のせいではなく相手が人を粗末にしないと生きれない生命状態なだけで粗末にされたからといって自分に責任はなくただ相手の問題なのだ。


ただ一つ自分が粗末に扱われる理由があるとすれば「私は粗末に扱われても仕方ない価値の人間だ」と思い込んでいることだ。

自分は何も悪くないのに理不尽にいじめられたり粗末にされることがあるが、

世の中は本当によく出来ていて、本当は価値のある尊極で極上で世界の全てから愛されて当たり前の自分を

粗末にして否定しながら生き続けていることへの間違いに気づかせるために、

間違った思い込みを具現化するような人が現れ痛いところを突いて「ここに問題があるよ?そうじゃないよ?間違っているよ?」とお知らせしてくるのだと習った。

だから嫌なことが起きたときそれが影響が大きければ大きいほど脱皮して軽やかな自分に生まれ変わるチャンスなのだと教えてもらった。


今、私は人生で一番、自己嫌悪から解放されている。別に金持ちになったとかではない。ただ、この世の全てから嫌われているという思い込みは無くなり、ケセラセラなるようになる、うまくいくさ、大丈夫。と思って生きれている。

息苦しさに向き合い続けた結果、不思議と私のもとに色んなヒントが舞い降りてきたのだ。

「まあ、こんなもんでいいかー」と思っていたら冒頭の彼の夢を見たのである。通常ならスルーするのだけど結局、モヤモヤするということは解決してないのだなと思い、向き合うことにした。


なぜなら、13年前にも似たようなかんじで彼を思い出し情報を捜したりして嘘か本当か当時は知らなかった情報を見聞きし地獄のような苦しみを味わったからだ。愛情は憎しみや恨みに変わり思い出してはパニックになるという状態に陥ったのだ。一番しんどかったのは何が本当で何が嘘かわからないし過去のことは確かめようもなかったことだった。


そもそも、なんで13年前に思い出したかというと、その年はとてつもない天変地異が起きて今まで当たり前に思っていた安全がくつがえされたからだった。不安と恐怖に苛まれていく中で、ふと「彼は無事かな?」と思い出したのである。


今回については、世界的な疫病が発端だったんだと思う。


つまり何か価値観がガラリと変わるたびに彼を思い出しているのだ。てことは、この先一生何か価値観が変わるたびにこの苦しみに向き合うのか?と思うとゾッとしたので今回、古傷に向き合うことにした。

これを書くまで2ヶ月間、彼とのことに向き合い続けた。

寝れない食べれない、ほんまに続けて大丈夫?と思いながら自分を信じて向き合うことにした。もうこんな思いは二度としたくなかった。


「向き合えるときが来たら子供の自分が出してくれる」と聞いていたので出たなら向き合うというスタンスで淡々と向き合うことを続けた。

思えば13年前は私は結婚していた。夫がいたのでメンタルがガタ落ちしてもこの世を儚んで消えるという選択肢はなかった。

つまり向き合える状況になったから出てきたのだと思う。


今回もわりと向き合う時間が取れる時期に出てきたので、やはり「今なら大丈夫」という時期に子供の自分というものが「これまだ解決してなくて痛みを発してるから向き合ってね、今なら出来そうだから」と出してきたのだろう。


彼との思い出を通して自分は価値がない人間だという思い込みを外していくと見えてなかった世界が見えるようになってきた。

自分は価値がないと思い込んでるとその闇に覆われてしまって相手のことが見えなくなるということに気付いた。


例えば彼は本当に極悪人だったのか?ということだ。思い出を辿りながら当時の思い込みと向き合う中で、なんとなくそう思った。なぜならその瞬間の心は自分しかわからないからだ。つまり彼の心も彼にしかわからないのだ。


私は自分には価値がなく気持ち悪くうっとおしい存在だからバレないようにしないとと思い込んでいたが、その思い込みゆえに相手の声や気持ちを汲み取ることが出来なかったように思う。自分の醜さを隠すのに必死で本音で話したことは一度も無かったように思う。本音を話したからといって彼が、どういう反応をするかは彼の自由なのだが、結局、そうやって建前で人形の自分を作り上げて演じてきた代償として未だに傷が癒えないのだと思った。素直な良い人形でいることが正しいと思っていたし正解だと思っていた。当時の彼が私にどういう感情を抱いていたかは不明だが少なくとも自分嫌い人間嫌いの私が懐いていたのだから何かしら温かい何かを発してくれていたのかもしれない。

なぜならデリケート家族を抱えた当時の私が人に入れ込むのは相当、珍しいことだったからだ。言い寄られても怖さが勝って受け入れることが出来ないと拒否ばかりしていた私にあそこまで踏み込んだのは間違いなく彼が人類で始めてだった。そのあと、私の拒否感を超えたのは夫だけだった。


そう考えると彼が善人か悪人かはどうでも良くて私の人生において、どういう役割を果たしかということになる。

最終的に彼がどのような人間であれ結果として今の私を作った一人であるわけだから、人類愛の対象になるのかな?と思った。


彼が善人だとは思っていない。でも悪人かもわからない。金を引っ張りたければいくらでも出来たはずなのに私にそれをしなかった理由はわからない。ただ単に不器用だったのかもしれない。


私にはデリケート家族を捨てて、いっぱい金を引っ張り出されて「それでも愛してるんだ、お前しかいないんだ」と言われ自分は特別なんだと思うことで空虚感を埋めて生きてく道もあった。

そして別れのときに嘆きたくなくて次の宿り先(空虚感を埋めてくれる人)を見つけては、またそこにすがっていく未来があった。


当時の私はそこまで私を詰めない彼に愛情を感じていた。(今となってはそれを愛情と解釈するのは間違ってるけど)


でもきっとそれは彼が優しいとか私に愛情があったからという問題ではなく、私がえらかったのだ。そこまでしないと愛してもらえないと思い込まなかった私が素晴らしかったのだ。自分を卑下しながらもちゃんと自分の価値を認めていたのだと思う。

そして友達に心配されながらも私は彼を全力で愛したのだ。うまくは出来なかったけれど持てる全ての愛情を出し切ったのだ。だからもう精根尽き果てて次の宿り先はいらないと思ったのだ(しんどすぎるから)そこまでやったから次の人生の展開が見えてきたのだと思う。


人は自分を粗末にしていると人からも粗末にされるという流れがあるならば、私には自分は醜くくて価値がなく粗末にされても仕方ないという業があったのだと思う。

それはひた隠しにされてたけれど、彼に出会い揺り動かれることで向き合わずにはいられなかったのだと思う。


13年前にのたうちまった彼の当時やその後の情報に向き合ってみた。13年前に彼を思い出したのは、粗末にされたのに怒りもせず蓋をして傷を癒していない自分からの「向き合え」のメッセージだったんだと思う


最初は当時を思い出しては発狂しそうになっていたが、ここにきて「まあ、真実はわからないし更に悪い状況だったんだとしても今のこの私になるために必要だったんなら、やはり出会うべくして出会ったのだろう」というフラットな気持ちでいる。そして一緒に過ごした柔らかい時間を思い出しては彼を気の毒に思う気持ちもある。


というわけで

人類愛ということでなんとか終わりを迎えれそうである。

なんとか終わりにしたい


まだ彼と個人的に関わる前の2人の写真

これから起こる未来など知らずとても良い笑顔で写る写真を今はただ見つめている



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ