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不遇


せめて非通知でもいいから「もう無理だ、終わりだ」と言って欲しかった。終わらせて欲しかった。

(自分は居ても居なくてもどうでもいいと扱われるのが嫌だ)と言ったくせにと思った。

まるで、彼にこの世に私が存在しないみたいで今までのこと全て全部無かったことにされているようで、ひたすら辛かった。私も居ても居なくてもどうでもいいと扱われるのが本当に嫌な人間だった。

うん。誰だってそうだよね。当たり前だよ。


見なくていいと言われていたネットの掲示板を見たら地獄に落とされた気持ちになった。自分の温かく感じていた全てが全否定されてるようだった。

何が嘘で何が本当かわからなくなった。人はネットで死ぬというけれど、あれは本当だなと思った。ただ嘘か本当かわからないもののために死ぬのは馬鹿らしいと思えるぐらいにはまだ頭はかろうじてまともだった。


皮肉な話だが彼が前に見に行きたいと言ってたバンドに私は通うようになった。ボーカルさんが物腰が柔らかくて優しくてライブ後に話しかけるととても癒やされた。

彼の握手会に行ってから、私はますます派手というか何とも言えない危なかっしい服を着るようになった。そんな格好をしてライブ後にそのボーカルさんに話しかけに行ったある日。ボーカルさんが帰り際に「気をつけて帰るんだよ」と穏やかにしみじみとゆっくり伝わるように言ってくれた。ボーカルさんの真意はわからないけれど私は(自分を大事にするんだよ)と言われたような気がした。ずっーと色んなバンドを見て色んな人に話しかけて来たけど心配というか気遣ってもらったのは、初めての経験だった。その日以来、派手な服や危なかっしい格好はしなくなった。


もう彼と終わるということを自分に認識させるために自分で髪を切った。男ウケする女性らしさを無くしたかった。髪を切ればもうあの私はいないから、もう会えなくなるから。結局、私が欲しかったのは何だかわからないけど、自分の存在を認めてくれるこの温かさだったんだと思った。


彼のバンドが解散するのだと雑誌で知った。最後にアルバムを出して終わるという記事とともにファンレターの連絡先が何故か、また地元になっていた。最後に電話で話してから2年が経とうとしてた。

「もう髪切っちゃったよ」ともうみっともなくて会えない自分が辛くて嘆いて泣いた。

手紙を送るか悩んだ。無視されるのが怖かった。東京まで行って必死に手紙を渡してそれでも、まるで無かったかのように扱われたことに深く傷ついていた。最後に握手会で会ってから1年半くらい経っていた。バンドが大変なのは雑誌を見ていたから知っていた。だけど、自分の扱われ方に私は怒りがわいていた。

見に行ってたボーカルさんのバンドが楽しかったのと、人として扱われたことによって私は自尊心のような感覚を取り戻していた。

アルバムの曲を聞いた。恋愛の曲だった。好きな人が恋しいという曲だった。自分ではなく別の相手だとしか思えなくて聞くのが辛かった。でも自分だと思いたい気持ちが出てきて、そう思うこと自体が愚かしくて醜く無様に感じて苦しかった。もう一曲を聞いた。傷つけてしまった自分の弱さを歌っているように感じた。まだ、こっちの方が聞くことができた。


何となくもう解放してあげたい気持ちになった。いや、私のことなど忘れているのだろうけど、もう終わろうと思った。仮にまた元に戻っても、また大切にされない、自分自身も大切に出来ない苦しい日々がくるのはわかっていたし、この2年で彼と関わっていないと幸せを感じれないという洗脳がだんだん解けていた。


また元通りに戻ったとしても優しく接してくれたボーカルさんのライブに行けなくなるのは嫌だなと思った。(ちなみにそのあと売れていったのでボーカルさんも遠い存在になりました)


彼に「ずっと待っていたけどあまり待ちすぎても気持ち悪いと思うので諦めますね」と手紙を書いた。彼の個人のHPがあったがそれも見ないようにした。HPは期間限定のようだった。もうバンドはやらないようなので、これが無くなれば彼とは完全に縁が切れるようだった。


何年かしてだったかHPを見たらあの後、彼宛にメールが送れるようになっていた。手紙を書いてからHPは見てなかったから知らなかった。メールを送ってみた。アドレスはもう使われていなかった。私はまた泣いた。


なんで私ばかりが好きなんだろう?どうしてこんなに酷い扱いを受けているのに何年も忘れられないんだろう?と辛くて泣いた。出会わなければ良かったと心から泣いた。

でも忘れたくない、あの温かい何かを忘れたくないとまた泣いた。引きちぎれそうな気持ちの引き合いに気が狂いそうだった。


元々、最初から私はドロドロと渦を巻いていた。この感情がバレればきっと嫌われてしまうだろうとずっと隠していた。だからけしてバレたくはなかった。醜い自分だと彼にバレるのが恐ろしかった。

だから結局、人形みたいな付き合いしか出来なかった。


私はいつしか自分は彼に気持ち悪がられていると思い込むようになった。好きでいることすら罪のような私ごときが彼を好きでいたら気色悪いのだと思うようになった。


今にして思えば、そうでもしなければ気持ちの収集がつかなったのだと思う。

今は当時の私に心からごめんねと言いたい。ちゃんと守ってあげれなくてごめんね。そんな冷たい息もできないような牢獄に押し込んで出ることも許さず息も絶え絶えに生かしてごめんねと。


それから徐々に私は記憶から彼を消して彷徨うように生きるようになった。歌を習ったりだとか前向きなこともしてみた。恋愛もしてみた。でも彼のことで強烈に植え付けられた劣等感や孤独や人間不信、自己嫌悪が幸せになることを邪魔をした。

デリケートな親との関係も悪く割と地獄を見た。這いつくばるように生きてきたように思う。

のたうち回った末に色んな人に出会って病院にも行ってカウンセリングも受けた。欲しかった私だけを愛して大切にしてくれるというものではなかったけど私は救われていった。


あれから彼は所在不明だった。それに救われたしそれに苦しめられた。

初めて一人暮らししたとき「今なら一人暮らし出来てるのにな」と、ふと思って胸が痛んだ。


私は結婚した。旦那は私をたくさん笑かしてくれる人だ。心から安心できるとはこのことなのかと思った。デリケートな旦那の性格が彼にハマるような私のやり場のない母性本能か何かを満たすような感覚があった。大切な人に全力で大切にされ自分も大切にしたいと思っていいことに人生で初めて安心することができた。どんなにやらかしても許してくれる存在に出会えたことに感謝した。


ここまで自分目線で書いてきたけど、これはあくまで私の目線で、実際に彼がどう思っていたのかはわからない。

ただ、今にして思えば文字には表せない確かに感じた温もりを彼からもらっていたような感覚がある。

それがたとえ、私の妄想や勘違いだったとしても私の人生は私のものなので「勘違いで結構!ここは私の世界なんで!」と今は思ってる。それを当時の私に言ってあげたかった。

結果的に彼との出会いで今まで向き合うことから逃げてきたドロドロとした自分の感情に向き合うことが私が生きる上で必要だったのだと思った。でなければ私は親に殉じて消えてしまおうと思っていたし結婚なんてする気もなかった(いなくなるから)

彼と関わるには人形の自分のままではいられなかった。

あの件で母への同情が怒りと恨みに変わり「なんで一緒に死ななあかんねん!」と思うようにもなった。

今思えば私にとって彼は生きる上で必要な存在だったのだろうと思う。






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