休みの日の事件 2
母が見張っているので、シークはカレンの頭を撫でて武道場に向かう。板張りの長い渡り廊下を歩いていると、向こうの別棟の方から兄のアレスと会った。
「お、シーク帰ったか。」
「はい。兄上、ただいま戻りました。」
アレスは長男で三十一歳。アレスの娘のテラはカレンの一つ下の七歳だ。叔母と姪が一歳の差しかないので、姉妹のように仲が良い。
「教官の仕事は順調か?」
「昨年ほどではありませんが、問題児というか…児ではないか。問題のある者達はいますが、なんとかなっています。とりあえず、休み前になんとか動きがつきました。」
シークの答えにアレスは苦笑した。
「なあ、シーク。私はお前と十歳は離れているが兄弟なんだから、上司でもあるまいし、丁寧すぎだ。」
そう言われても、長男は長男である。跡継ぎの力は大きいのだ。しかも、アレスはシークが十一歳の時に二十一歳で結婚し、カレンが十三歳の時に生まれて、十四歳の時にテラが生まれた。
兄と言っても半分、父のような感じだ。父は総領でヴァドサ家全体を総括しているので、半分父であって父でないような感じだ。
「…まあ、そう困った顔をするな。」
アレスはシークの肩を叩いた。
「あ、そうだ。父上はお前に厳しい。この間みたいに、言い間違うな。他の奴だったら、言い直して許されるが、お前には許されないからな。“総領”って言えよ。」
「はい。気をつけます。…父上は、なぜ私にだけ厳しいんでしょうか。なぜ、認めて頂けないのか、私にはよく分かりません。」
シークの言葉にアレスが困った表情になった。
「…知ってるか、シーク。父上はお前に一番、期待しているんだぞ。」
アレスの言葉にシークはうつむいていた顔を上げた。
「嘘じゃない。本当だ。お前はもっと上に行けると思っているんだ。だから、言葉遣いから全てに厳しい。」
「……。そうだといいんですが。」
シークには兄の言うことが本当だと思えなかった。
「本当だ。だから、お前のいないところで、自慢してるんだぞ。たった二十歳で教官になったって。」
シークは目を丸くした。
「父上が…?」
信じられないでいるシークを見て、アレスは笑った。
「今、話さない方が良かったか。まあ、いい。とにかく言葉使い、気をつけろ。他の奴だったら、言い直して許されるが、お前には厳しいからな。」
アレスは笑って一緒に行こうと促した。
「総領、アレスです。それと、シークが戻って参りました。」
武道場の入り口で大きな声でアレスが名乗る。
「総領、皆々様、シークです。ただいま戻りました。」
訓練が終わり、会議をする体勢で車座布団に座って、それぞれ談笑していた場が一気に静まりかえった。まず、次期総領で長男のアレスが来たからだ。そして、シークも帰ってきたからである。
ヴァドサ家だけでなく、代々ヴァドサ流を受け継いできた道場持ちの長老達、その一族の者、また免許皆伝している一般の弟子達、そして、ヴァドサ家一族の十五歳以上の子息達。まだ、未婚の十五歳以上の娘達もその場に入る。ざっと二、三百人。彼らが一斉に武道場の入り口を見る。その圧力は凄まじい。
「入れ。」
総領で父ビレスの許可があり、二人は頭を下げる。おそらくシーク一人だと入りにくいだろうと思ったアレスが、気を利かせて待っていたのだろう。
「失礼致します。」
アレスは次期総領の席に進んで上座の方に歩いて行く。シークは静かに父である総領の正面に胡座で座った。胡座が正式な座り方だ。しかも、国王軍の制服を着ているので、正座はしない。そして、正面といっても末席で物凄く遠い。目が悪かったら、父の顔が見えないだろう。
「総領、皆々様、お久しぶりでございます。」
深く頭を下げて挨拶をする。
「近くに来なさい。」
「はい。」
この場合、後ろから回って行ってはいけなかった。一族がずらっと並んで座っている正面を、まっすぐ歩いて行く。
「そこでいい。」
父が許可した場所で黙礼して座る。
「息災にしていたか?」
「はい。変わりありません。」
「…そうか。教官の仕事はどうだ?」
どう、と聞かれてシークは考えた。父は何を知りたいのだろうか。父の真意を測りかねて戸惑う。親の心子知らず、単純に父は寮暮らしをしている、息子の様子を知りたいだけだった。
「……指導の難しい者もおりますが、なんとかやっています。」
「…指導が難しいか。どういう者が難しいのだ?」
今日に限って、なぜこんなに仕事の具合を聞いてくるのだろう。シークは上司に対面する時よりも緊張して口を開く。
「おおよそ…名のある家の子息達です。」
シークの答えに父のビレスだけでなく、長老達、多くの年上の弟子達などが、ふむ、と頷いた。
「…名家の子らか。お前達、ヴァドサ家の名を笠に着て、横暴なことをしてはおるまいな?」
父のビレスは突然、ヴァドサ家の子供らに尋ねる。父がシークの後ろの方の末席に座っている子供達に向かって聞くので、シークは思わず身を縮めた。
「そのようなことはありません。」
後ろの方からギークをはじめとした子供達の答えがあったので、ビレスは頷いたがふと小さくなっているシークを見やる。
「シーク、お前がなぜ、びくついている?堂々としろ。」
やはり、厳しい声で父に叱られるので、シークはますます緊張してしまった。怖いと有名な上司よりも父の方が怖かった。
「父上。厳しすぎです。可哀想ですよ。こんなに大勢の前に座らせておいて。」
アレスの父をたしなめる声に、シークは心からほっとする。全員の視線が自分に注がれているのだ。
「…シーク。お前は国王軍の兵士である上に、国王軍の兵士を指導する立場にある。だから、どんな者の前にあっても、常に堂々としていなさい。」
「…はい、承知致しました。」
「よいか、どのような者の前でもだ…!」
かっと目を見開いて厳しい口調で言われるので、小さい頃のように思わずびくつきそうになるのを、必死で堪えた。つまり、たとえ父親の前であっても、国王軍の制服を着ている以上、国王の名に恥じぬよう行動せよ、その名を貶めるような行為をしてはならないと言っているのだ。
「はい…!」
とりあえず、必死に背筋を伸ばして答える。
「それから、下手な遠慮はするな。指導官という立場で下手に遠慮すれば、そこから組織は腐るものだ。気配りと遠慮は違うのだ。よく覚えておくように。気配りは水を田畑に引くようにするもの。遠慮は、そこから離れてしまうのだ。お前の気持ちがな。その者達の側にはいない。」
「はい。」
父の今の話は大事なので、素直に頷く。総領としての苦労があるのだろう。
「分かったなら下がって休みなさい。お前が一番忙しかっただろう。」
「はい。お気遣い感謝致します。」
これが親子の会話か?というような会話をしてシークは武道場を後にした。ただ、途中でヴァドサ家の会議に出席すらさせて貰えないことに、チクリと心が痛むのも事実だった。