幼馴染の片思い
「よっ! 田中っ! 久しぶりっ!」
二本指を揃えておでこからピッと離す敬礼のような挨拶をして、表参道にある西日の強いオープンカフェに、美咲はやって来た。約束の時間よりも三十分も早い。もっとも、僕は二時間も前からこのテーブルでアイスコーヒーを何杯も呑み続けているが。
「おいこら。田中。一年ぶりに会った幼馴染を、そんなしかめっ面で見るんじゃないよ」
夕日を背にして僕の前に立つ美咲は、まるで後光が差しているように眩しかった。
「しかめっ面? 違うよ。逆光でよく見えなくて。てか、突っ立っていないで、ほら、座れよ。何を飲む? おごるよ。飲みたいもの、注文して」
「サンキュ。あ、ウエイトレスさん、すみません。香ばし茶、アイスで。いや~、それにしても、驚いたわ。田中のほうから私をお茶に誘うだなんて、はじめてじゃね?」
「ごめんな、突然呼び出して。今日は、美咲に、大事な話があって」
失礼しま~す。香ばし茶でございま~す。ウエイトレスが、涼やかな薄緑の飲み物を、美咲の背後からテーブルに置く。栗色の長い髪を後ろで束ね、タイトなビジネススーツに身を包んだ美咲が、グラスの中の氷をストローでカラカラと揺らし、それを飲む。
「見違えたね、美咲。そっか~、あのオテンバだったお前が、今では銀行員だもんな~。感慨深いものがあるな~」
「そうまじまじと見ないでよ。照れるわ。田中は最近どう? 仕事は順調?」
「まあね。自動車の部品工場での単調な作業だけど、なんとか続けている。退屈でたまらないけれど、仕方がないよ。新入社員は、みんな製造現場からのスタートだから。あと三年もすれば、管理に回されると思う。それまでの辛抱さ」
僕と美咲は小学生からずっと一緒。半年前に同じ大学を卒業するまで、毎日顔を合わせては、このように気兼ねなく話をする関係だった。
「は~~~」
美咲が、香ばし茶を半分ほど飲んだところで、深い溜息をついた。
「どうしたの? いかにも悩みがありますって感じの、分かりやすい溜息をついちゃって。」
「ごめん。気にしないで。さあ、田中の大事な話ってなあに?」
「いやいや、気になるっしょ。美咲、なんかぜんぜん元気ないし。悩みがあるなら話せよ。相談にのるぜ」
「聞いてくれる?」
「聞くさ。僕と美咲の仲じゃん」
「そうね。じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言うと美咲は堰を切ったように話し始めた。
「実は私、今の銀行に入行をしてから、直属の上司に、ずっと片思いをしているの」
「……ほう、片思いを」
「私、この性格だから。自分の気持ちは、入社してすぐに相手に伝えたよ。でも『今は仕事のことで頭がいっぱいで、恋愛をする気になれない』って断られちゃった。すっごい仕事が出来る男でさ。働いているところがすんげーカッコいいのよ」
「要するにその上司を諦めきれないってことだね?」
「うん。でもでもでもさ。私、この性格だから。それから半年後に、懲りずにまた上司に告白をしたの。お願いですから、お友達の関係でもよいから、お付き合をして下さいって。ぶっちゃけ、体だけの関係でもよいからって言いたい、うん、それぐらいの気持ちだったのだけれど」
「おいおい」
「それでも、返事はノー。今度は『済まないが、君を恋愛対象としては見ることが出来ない』とはっきり言われちゃった。それから私は、やけになって、自分に言い寄ってくる男と、試しにお付き合いをしてみた。幾つかの恋愛をしたの。でも心から好きでもない男に抱かれる度に、なんだか惨めな気持ちになった」
「もっと自分を大切にしな、美咲」
「挙句の果てに、今日、最悪の噂を耳にしたの。私の上司ったら、私と同期の別部署の女性とお付き合いをしているのだって」
「噂は、あくまで噂だろうが」
「違う。たぶん本当だよ。二人がラブラブで歩いているところを町で目撃した行員がいるから。――田中あああ。やっぱり、敵わぬ恋だったかなああ。私、諦めたほうがいいのかなああ。あの人を忘れるために、退職をしたほうがいいのかなああ」
感情をこらえきれなくなった美咲が、テーブルに肘をつき、両手で髪の毛をグシャグシャにして嘆いている。
「諦める必要はないさ」
「え?」
「なぜ諦めるの? 好きならば思い続けていればいいじゃん。思い続けていれば、いつかこちらを振り向いてくれるかもしれないだろう? 今は他の恋に夢中でも、その恋が終わった時に、こちらの一途な気持ちに寄り添ってくれるかもしれないだろう? たとえそれが万に一つの確率であっても、相手を好きでいる限り、その可能性はゼロではないさ」
「でも、こうなってくると、同じ職場で一緒に働くのは、結構しんどいな」
「銀行を辞めちゃ駄目だ。好きな人と離れるのは辛いぜ。好きな人が毎日近くにいる環境は幸せだよ。離れてからそれに気が付いては遅いんだ。今の環境に感謝しなよ」
「かなあ」
「だよ」
「だね。思い続けていれば、奇跡が起きるかもだよね」
「うん、起きるよ、とんでもない奇跡が、いつかきっと」
「よっしゃああ! 田中に話しを聞いてもらったら、なんか恋の炎が、こうメラメラと燃え上がってきたああ! よ~し、こうなったら、私の上司、まだ残業をしている時間だから、いまから私、職場に戻って、あらためて彼に、自分の気持ちを伝えてくるわ!」
「おお、いいぞ、その意気だ」
「ずっと好きです。もしも今の彼女さんとの恋が終わったら、その時は、私を彼女候補にして下さい。それまで待っています。そう伝えてくるわ!」
「さあ、善は急げだ。行けよ、美咲。これからも悩み事があれば言ってくれ。いつでも相談にのるぜ」
よっしゃああ。と再度気合を入れ、美咲は立ち上がった。
「田中。今度美味しいパンケーキをおごるからな。次はその店で集合な」
「美味しいパンケーキのお店? どこだよ?」
「知らない。悪いけど、そっちで探しといて」
そう言って、美咲は足早に店を出て行った。まったくもう、相変わらずの性格だな。夕暮れのオープンカフェに一人残された僕は、薄くなったアイスコーヒーを飲み干し、スマートフォンで美味しいパンケーキの店を検索し始める。
「つか、田中、大事な話って何?」
すると、いまさら本日の要件を思い出した美咲が、息を切らせて店に戻って来た。
「ああ。その件ならもういいよ。自分の気持ちは、およそ伝えたし」
「はあ? どゆこと?」
「ほら、行けよ。行けってば。 もたもたしていると、好きな人がどこかへ行っちゃうぞ」
「ありがとうな、田中。やっぱアレだな、持つべきものは友達だな」
来た時と同じように、二本指を揃えておでこからピッと離す敬礼のような挨拶をして、美咲がオレンジ色に染まる町に消えて行く。そう、自分の気持ちは、およそ伝えた。ずっと好きだった、僕と付き合ってくれ、という言葉以外は。