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翌日、ローズはかなり大きめのベッドの上で目を覚ました。
隣で寝ていたはずのケヴィンの姿はない。そっとベッドの端を触ってみたが、冷たい感触が伝わってきて、彼が随分前からここにいないことを知る。
(もしかしたら、ここで寝てないかもしれない)
図太い性格は前世から引き継いだものか、ローズは気がつくと眠りに落ちていた。
(ああ、言ってしまった。でも、すっきりしている。理想のローズを演じる必要もない。とりあえず現時点で離婚は考えていないようでよかった)
ローズは罪悪感に耐えられず、とうとう前世の事を話してしまった。ローズがロイのように振る舞ったお陰か、ケヴィンは彼女の前世がロイである事を疑いなく受け止めた。
(なんだろう。少し胸が痛い)
あんなに愛してる、好きなどを言い、繰り返し蕩けるような笑顔を見せてくれたのに、彼女の前世がロイだとわかると急にケヴィンの態度が変わった。
口調まで変わってしまって、ジェイスそのものだった。
(本当ならばもっと早く言うべきだった。前世の事を知っても、ケヴィン様が変わらず受け入れてくれると期待してしまったのね)
真っ白なシーツの中心に広がる真っ赤な印。
ケヴィンが破瓜の証拠にと、彼の指を傷つけてつけてくれたもの。
すっかり乾いたそれをローズは撫でる。
「ローズ様。起きてらっしゃいますか?」
「ええ、どうぞ」
返事を返すと二人の女性が入ってきた。
一人はローズの母と同じくらいの年齢の侍女長のリズ、もう一人はローズより少し上くらいで彼女付きの侍女マチルダになる。
ローズの家と異なりこの屋敷にはメイドの他に侍女と侍従がいる。メイドが配膳や掃除等をして、侍従と侍女はそれぞれ仕える主人の日々の予定管理、装いなどを担当している。
部屋に入ってきた二人はメイドのように制服ではなく華美ではないがドレスをまとっていた。
二人に急かされ扉で繋がっているローズの部屋に移動する。それから顔を洗ったり準備と整え朝食となった。
「申し訳ありません。遅れてしまいました」
食事の間にはハイゼランド公爵夫人のエリザベスしかおらず、ローズは反射的に詫びを入れた。伯爵とケヴィンの姿がないということは、すでに仕事に出かけているはずだった。
公爵は宰相補佐で、ケヴィンは財務補佐を担当していて、王宮に通っている。妻としては朝食を共にとり、見送りをすべきだったとローズは侯爵夫人に詫びる。けれども彼女は怒る事もなく微笑んだ。
「結婚式の翌日なら当然よ。こんな日にケヴィンが仕事に行くのがおかしいのよ。気にしないで食べましょう」
ケヴィンの母エリザベスに言われるがまま、ローズは着席して朝食を取る。
彼女が朝食を取る間、エリザベスは恐縮するローズの緊張をほぐす様にして話しかけてくれる。
(気を使ってもらって、ただでさえ所謂お飾りの妻になるのだから迷惑をかけないようにしないと)
エリザベスに答えながら、ローズはこれからもっと頑張ろうと心に決めた。
それから彼女は次期公爵夫人として振る舞いを身につけ、領地経営についても学んでいった。
宰相補佐である公爵に代わり領地経営をするのが夫人の役目だ。もちろん王都で社交を疎かにする事はできない。なので領地経営には領内に領主代理を置いている。三ヶ月の一度の割合で領内視察、代理からの報告は週一で、公爵に代わり夫人のエリザベスが確認を行う。視察は夫婦で行う事が多いが、ケヴィンが十六歳になってからはケヴィンを伴いエリザベスが領地に帰っていた。
結婚してから視察はケヴィンとローズに一任するつもりだとエリザベスが宣言し、次の視察は二ヶ月後だった。
結婚から一か月、相変わらず夜は同じ部屋で寝るが白い結婚。ローズはロイとして彼の前で振る舞う。二人の距離は初夜で広まったまま、平行線のまま。けれども二人とも公爵夫妻や屋敷の使用人に夫婦仲を疑われないように仲の良い演技は続けていた。
「疲れないか?」
「変な女に付き纏われるよりはいい」
夜会に共に出席し、馬車で帰る途中、ローズは思わず聞いてしまった。
結婚して以来、二人が甘い関係になることはない。
ローズはロイとして振る舞い、それに釣られたのか、元々からの性質かケヴィンもローズを口説いてた時とは別人のよう、ジェイスそのものの態度で応対した。
「なあ、いいが」
「お前こそ疲れるんじゃないか?」
「うーん。まあ、自分で決めた道だし。淑女として振る舞うのは嫌いじゃないから」
「そうなのか?」
「そうだ。こうしてロイでいるほうがちょっと疲れるかな」
「……そうか」
すらすらと素直に自分の気持ちを口にしてしまい、ローズは過ちに気がつく。
(何を言って。私はロイとしてわざと振る舞っている。それをわざわざ言う事なんて馬鹿じゃないか)
「変な事を言っちゃったな。ごめん。私は、俺は、ロイとしてあんたと話す。そうすればおかしな気分にならないだろう?」
「そ、それはそうだが」
「あ、愛人を持ちたいんだろう?俺に気にせず、一年と言わずすぐに見つけてもいいぞ。ああ、愛人じゃ足りないっていうなら、離婚しても。うちの実家も持ち直したらみたいだから、いつでも帰ってもいいし」
借金を返済して、ウィットリー家の状況は持ち直した。ローズが嫁いだことで使用人を増やす必要もないので、四人の使用人と両親は仲良く暮らしているらしい。
「……俺にはお前が必要だ」
「何?」
彼にしても小さな声でぼそっと言われて、ローズは聞き取れず、聞き返す。
「なんでもない。今の所愛人など必要はない。両親は元気だし、催促もされていない」
(催促……。それは孫ってことだよね)
白い結婚の二人に子が恵まれることはない。
まだ結婚してから一ヶ月、子どもについて言及されることはない。
しかし、一年たてば流石に催促するに決まっている。
元はといえば、跡取りの問題でケヴィンは結婚相手を探していたのだ。
(やっぱり婚約前に本当の事を言うべきだったんだろうな)
「ごめん」
「なんで謝るんだ?」
「俺がもっと早く前世のことを伝えるべきだった」
「それはそうだ」
ケヴィンに即答され、ローズは怯んだが、すぐに口を開く。
「ケヴィン様。やっぱりすぐに離縁して、誰か別の相手を探したほうがいいじゃないか?」
「必要ない。……まだ」
「……誰か気になる相手ができたら教えてくれ」
(突然言われるよりも早めの段階でわかっていたほうがいい)
そう思ってローズはそう言ったのだが、ケヴィンは答えずジェイスであった時のように眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに窓の外に目を向ける。
(……ロイと知られてない時、彼はとても優しかった。あの笑顔。もう二度と見られないんだろうな)
むっつりと黙り込む彼を横目に、ローズは反対側の窓に顔を向けた。