41 終末領域
「神話級終末因子――至高天。最強と名高いかの魔女が仕留め損ねた人の心の安寧を壊す災禍ですか」
一人の男が、報告書の一文に読みながら薄く笑みをこぼす。
終末因子。人の世に悪逆の限りを尽くす星の癌であり、強大な力を持つ存在。
その最上の厄災たる神話級の一二体目がひと月前に観測され、観測直後にその反応が焼失した。
その処理速度から考えて、最強の魔女に仕留められたのだろうと考えて私兵を送り込み、戦闘サンプルを確保したが……面白いものを拾ってきた。
戦いの場であった無花華彩菜邸には濁った魔力の残滓のほかに、『霊力』が残留していたのだ。
これが男が笑みをこぼした理由であり、興味を抱いた理由。
「『霊力』を持つ存在など、考える思考すら不要なほど存在は限定される。つまり、庭園には精霊がいるということだね」
この場にいるのが彼一人であれば、きっとさぞ笑いこけていただろう。
が、部下の手前。そんな恥さらしはできまい。
「この報告書はかなり興味深い。庭園の調査は続行していい情報を持ち買ってくれ」
「……御意。主がまだここに?」
「さあ……どうだろうねぇ」
そうはぐらかした男は、やはり薄く笑っている。
まるで祭りの前夜。楽しみにそわそわした子供のような様子。
「主。念押しの必要は」
「私を信じていないのかい?」
「はい」
「……少し悲しいねぇ。ま、前科があるから仕方がないか」
庭園の蓋に細工をして壊れないか試したり、管理下にある秘匿情報を盗もうとしたりして苦労を掛けたし、少なくとも今の情報量ではまだ疼くことはない。
ほんの少し、ちょっかいは出そうかなと考えているくらいだ。
「じゃ、次の情報を頼むよ。可憐で強い私の娘よ」
「……冗談は行動だけになさってください」
そう言い残して部屋の暗がりに溶け込むように気配とともに姿を消したのを見届け、
再び報告書に目を通した。
報告書にある一文。それが男の興味を掻き立て続けている。
「『始原の精霊』。旧星の遺物であるあなたは、今どこにいるのかな?」
より一層の笑みを浮かべて、男は名残惜しさのかけらもなく、書を薪にくべ入れた。
(……茉弘。)
懐かしい声が聞こえた。
顔も名前もおぼろげだけど、懐かしさだけはあった。
幼き過去。どんな言葉よりも、どんな音よりも聞いたその声を僕は時より思い出す。
(……いつか、おまえにも来る)
断片的な過去の声。
意味も定かにしか感じ取れず、言葉の順序もばらばらでよくわからない。
けど、覚えている。
あの時――あの人は。
僕に何かを伝え続けていた。
大切な――何かを――
「茉弘。起きてください」
「……うにぁ?」
「は?」
「あ、いや。すみません」
乃愛の物凄い半眼(ゴミを見る目)に思わず謝罪し、目をこすった。
何か懐かしいような、大切なような。
そんな夢を見ていた気がするが、何も思い出せない。
少し伸びをして意識を覚醒させると夢のことはすんなりと頭から消えた。
「どのくらい寝てました?」
「2時間ほどです。座学中に眠られたので起こそうとしたのですが、茉弘の寝顔を撮影したいと懇願する人に阻まれまして」
「え、そんな人がいるんですか?」
「はい。あなたの右隣に」
乃愛に言われて右隣を見ると、そこにはスマホを握りしめたままよだれを垂らし、肩に毛布をかけて気持ちよさそうに日光を浴びながらすやすやしている盗撮犯改め、妹の凛祢。
僕はすまない、妹よ。と心の中で申し訳なさそうに平謝りし、スマホを優しく強奪すると手際よく顔認証を突破しフォルダを開く。
密告通り、僕の寝顔が軽く五〇枚が保存されていて、まとめて一括削除した後に凛祢の寝顔を数枚撮っておいた。
因果応報だぞ、妹。
「そういえば、あとどのくらいで着くんですか? だいぶ走っている気がするんですけど」
「もう目の前です」
「え、でも何も見えないですよ?」
正面を見ても見えるのは大自然に囲まれた山。
とても庭園のような豪奢で壮大な建物がありそうにないのだが。
「大丈夫です。あと数秒で着きます」
乃愛がそういった数秒後、景色が一変した。
大自然に囲まれていた山が消え、辺りを包むは真紅の炎壁。
奥には倒壊した黒城。
まるで厄災に見舞われて滅んだ都市国家の形相だった。
「なんですか……これ」
「先ほど説明したはずです。帝安の煉城は終末因子の爪痕が残る場所だと」
僕が息を呑む横で乃愛が淡々と言う。
「近づけるのはここまでのようですね。あとは徒歩で向かいましょう」
「うぇ……もう着いたの?」
乃愛の言葉を皮切りに寝ていた凛祢がむくりと起きた。
「いいタイミングで起きるな、お前」
「いや起きるでしょ。低濃度とはいえ毒が立ち込めてる『終末領域』なんかで寝てられないわ」
「えっ、毒っ!? 乃愛どういうこと!」
「至高天の力の一つである精神破壊の原因となる毒がこの地一帯に散布しているのです。彩菜様の手で90%の除去がされていますが10%は地と癒着してしまっているのです。第三級魔術師はもちろん、第二級の一部では立ち入ることができず、専用車両でしかこの道は通れません」
「それって、僕は大丈夫なんですか?」
茉弘は現在第三級魔術師(退学寸前)のひよっこ魔術師だ。
乃愛の言葉通り、ここがそんな危険地帯だというのならば危ないどころの話ではない気がするが。
「大丈夫です。茉弘の魔力数値であれば問題なく通過できます」
「えっと、魔力数値っていうのは」
「内在魔力の総量のことよ。基本はE~A段階で分かれててAが一番高いわ。この数値がA基準を超えるとS判定になるんだけど、魔女様の騎士以外でS判定の魔術師はいないわ」
「ということは凛祢はS判定ってこと?」
そう僕が言うと、凛祢はちっちっちと人差し指を左右に振って
「私の魔力判定はSSよ」
「ちなみにイリ―ティア様はSSSですね」
「ちょっと乃愛! なんでイリ―ティアを引き合いに出すのよ! 私がしょぼく見えちゃうじゃない!」
「ちなみに私はA。茉弘は……Bです」
B判定。ということは平均よりも僕の魔力は高いってことか。
といっても正直実感はない。すごいのかどうかもあんまりわかっていない上、今は魔力自体を扱えない状態から余計だった。
「まあ二人とも高いなら確かに問題、というか低かったら魔女様が許可しないわよね」
「そういうことです。では、行きましょうか」
「了解~」
そう言って車を降りる。
それに続くように僕も降りようとすると、背後の乃愛から肩を掴まれた。
「茉弘」
声は乃愛。でも雰囲気が別人のように異なっている。
「彩菜さん……?」
そう、今この瞬間に話しかけてきたのは白波乃愛ではなく、その中にいる無花華彩菜だった。
「ど、どうしたんですか?」
「君にだけは伝えておこうと思ってね」
そう言って、彩菜さんは息がかかるほどの距離まで顔を近づけてきた。
突然の急接近。心拍が早くなり、胸の鼓動がみるみると加速する。
そして頬が赤く染まったタイミングで、彩菜さんが小声でつぶやいた。
「君の魔力数値は測定不能。私と同じだよ」
「…………へ?」
その突然の告白に、呆けた声を上げる。
どういうことなのかと聞こうとするが、
「茉弘。早く出てください。あとがつっかえてます」
もう既に乃愛に戻っていたため、魔女の真意を聞くことは叶わなかったのだった。
【プチ解説】
・測定不能
現存する計測器では確認できない総力の魔力量であることを示している。
だが、魔力ではないものも検知しその潜在能力も加味して計測するため、必ずしも魔力が高いとは限らない。
・終末領域
終末因子の討滅機関を超過し、その爪痕が残ってしまった区域を指す。
世界各地のいたるところに存在し、それぞれに危険度が定まっている。
帝安の煉城は危険度Aの危険領域である。




