36 それは世界を救う誓いの約束
次に茉弘が意識を取り戻したとき、目の前に広がっていたのは、茉弘が〈庭園〉に来てから見慣れつつあった光景だった。
「——あ——」
広い部屋。大きな一人用ベット。現代的な加工の施された家具類。毛布仕立てのカーペット。まるで何事もなかったかのように、穏やかな朝日が見慣れた線を引く。
間違いない。僕の部屋だ。一瞬、長い夢でも見ていたのかと錯覚した茉弘だった。
だが、違う。ベットの上で身を起こした茉弘は、決定的な証拠を目にしていた。
茉弘の身体は今、全身のありとあらゆる箇所を包帯に巻かれ、右手に至っては動かすなと言わんばかりに器具でがちがちに固定され、体の胴にビタリとつけられていた。
そして、意識がはっきりとしていくにつれ、朧気であった記憶が段々と色と形を取り戻していく。
自分の置かれた状況。未来の彩菜との戦い。そして——
「……っ、未来の彩菜さんは——」
と、茉弘が慌ててベットから下りようとしたところで。
「——おや、目覚められましたか」
ベットの右方から、そんな声が響いてきた。
「あ——」
突然のことに目を丸くし、そちらを向く。
するとそこに、椅子に腰を掛けた希愛の姿があることがわかった。
「…………!」
それを見て、茉弘は目を見開くと、急に視界がガクンと下に落ちた。
あ、やばい。倒れる。
そうすぐに思い立ち、しかし片腕が使い物にならないので受け身も取れないので床との激突後に来る痛みへの覚悟を決めたその時——
「おっと」
床にぶつかる直前に、希愛が茉弘の身体を抑えた。
「そう慌てなくとも、私は逃げたりなどしませんよ」
言って、希愛は冷や汗をかくことなく肩をすくめてくる。
「…………」
そんな様子を見ながら、希愛の手でゆっくりとベットに戻されて布団をかけなおされると、茉弘は希愛の手を掴んだ。
そう。まるで、何十年ぶりの再会を果たしたかのように。
「どうされましたか。起きてすぐに、いたいげな少女の手を握りしめるなんて」
希愛が、不思議そうに首を傾げながら問うてくる。
茉弘は、その姿をまっすぐ見つめて、口を開いた。
「——無事でよかったです。彩菜さん」
「……………………ほう?」
茉弘はその名を呼ぶと、希愛は特に驚くことなく少しだけ眉を上げた。
証拠は、記憶が持っている。間違いようのない確信であった。
「不思議なことを仰いますね。なぜ、私をみて彩菜様の名を呼んだのですか?」
「なぜって……あなたが彩菜さんだからです」
「ふ……はは、あはははははっ——」
希愛は、可笑しくてたまらないといった様子で笑い出した。
「なるほど、なるほど……それもそうだったね」
そしてひとしきり笑ったあと、優しげな微笑みと共に希愛はその姿を大きく変容させ、茉弘の知る無花華彩菜へと形を変えた。
「初めましてと言ったほうがいいのかな?
——改めて。〈極彩の庭園〉学園長、無花華彩菜だ。よくやってくれたね、茉弘」
「はい。でも――なんでまだ希愛の姿を?」
「消耗が酷くてね。分離しようにも魔力が足りないんだ」
「それって、大丈夫なんですか?」
「希愛の身体を借りているこの状態を無事と呼んでいいものかは定かではないが、まあ大丈夫かな」
いって肩をすくめる彩菜をみて、とあることを思い出し、右手に触れた。
「腕、もう動かしてもいいんですか?」
「心配無用さ。キミの治療ついででイリ―ティアに治してもらってる。嫌な顔を少しされたけれどね」
茉弘の手を握り返しながら、彩菜が軽口で返してくる。
そこで、自分の状態に対してやっと疑念を抱いた。
ミイラ男は言いすぎだが、それに近い量の包帯を全身に身に着けていたのである。
「今の僕って、いったいどういう状態なんですか? ものすごくグルグル巻きにされてるんですけど……」
「見ての通り、重症だよ。度重なる精霊の力の行使。発現したキミの術式。
その両方の負荷で身体はボロボロ。限界に限界を重ねた結果、身体の内と外に甚大なダメージを負っている。
魔力回路も焼き切れていて、イリーティア的には「普通なら死んでいるぞ」、だそうだ」
「そうですか……」
茉弘が呆然と呟くと、彩菜は続けて口を開く。
「精霊として目覚め、魔術師としても目覚めたキミだから、今こうして無事というわけだ。
本当に……とんでもない無茶をしてくれたよ」
「怒ってますか?」
「いや、感謝している。この身を捧げていいと思うくらいには感謝しているよ」
「え、じゃあ付き合ってください」
と、唐突に告白した。
彩菜は数秒ほど固まったが、すぐに口角を緩ませて。
「ぷ……あはははははっ——!
急に何を言ったかと思えばいきなり告白とはね。君、ほんとにわたしのことが好きなんだね」
「好きじゃなかったら言いませんよ」
「それもそうだね。だが、残念ながらまだその誘いを受けるのは難しいね。なにせ最悪の危機は去ったが、未来の「わたし」が残した最悪の置き土産——遠からぬ未来にこの世界が滅びる、という確定した予言がある。しかも、具体的な情報が黒龍によるもののみ。
勝手ですまないが、それらの問題が片付くまでキミという一人の男の子に献身することはできない」
尊大な調子で、しかしどこか申し訳なさそうに、彩菜が言う。
茉弘は小さく首を振った。
「約束したんです。未来の彩菜さんと。この世界と、あなたのことを守るって。——それに、どのみち、今のままじゃ元の世界には戻れないですし」
「茉弘——」
精霊としても魔術師としても目覚めた今、茉弘が現代の人間社会に戻るのはあまりにも危険がありすぎる。あの戦いだって力を使いこなしたのではなく、出し惜しみなど考えずにがむしゃらに力を使い尽くしただけで、制御できてたわけじゃない。
少なくとも完全に制御できるようになるまで戻るわけにはいかない。
「それに、これだけのことに巻き込んでおいて、今更お役御免なんて言われたら僕は頑張って暴れます」
「それは少々困ってしまうね。今のキミを止めるのはほんの少し骨が折れそうだ」
「なら——最後まで付き合わせてください。絶対に足だけは引っ張りませんから」
迷いのない茉弘の言葉に、彩菜は一瞬迷うようなかをしたが、すぐに思い直すように目を伏せ、首を横に振る。
「ああ……これは何を言っても無駄だね。キミは一度決めたら頑固そうだ。まったく——もう少し自分の人生を大切にしたらどうかな?」
「大切にした結果がこれなので、言いつけ守ってますよ? 彩菜さんも自分をいたわってくださいね」
軽口でいう茉弘に彩菜は肩をすくめ、目を開いた。
そして茉弘の目を見据え、続けてくる。
「——ならば、命じよう。式部茉弘」
「はい」
「キミは庭園の魔術師として、〈極彩の庭園〉学園長とともに、世界を救え」
「えっ、それは嫌です」
「…………」
さらりと返した茉弘に、彩菜が汗を滲ませる。
「……今の流れで受けないなんでこと、ある?」
「庭園の魔術師、っていう括りが嫌です」
茉弘が言うと、彩菜は「……ほう?」と眉を揺らした。
「なるほど。そこまで覚悟が決まっているのなら、妙な配慮は恩人に対する侮辱になるかな」
言って彩菜は、再度茉弘の目を見つめ、手を差し出した。
「庭園の——いや、わたしの騎士として、ともに世界を救え」
「喜んで」
茉弘は迷いなくそう答えると、彩菜の手を取った。
「あ、お願いというか今回の件の褒賞代わりに聞いてもらいたいことが一つあるんですが、聞いてもらえますか?」
「構わないよ。言ってごらん」
彩菜が興味深そうに目を細めながら問うてくる。
茉弘はそれを真っすぐ見返しながら言葉を続けた。
「——諸々全部片付いたら、僕の告白をまた受けてください」
茉弘の言葉に。
「……何を言うのかと思えば」
彩菜は目を丸くしたのち、ふっと微笑みを浮かべた。
「——いいだろう。ただ、その道は険しいよ?」
「構いません。むしろやる気が出ます」
「そうか。なら——世界を救った後の楽しみとして待っていよう」




