34 鐘の音
「…………」
彩菜はか細く息を吐くと、発現していた第四顕現を解除した。
頭上から四画目の星紋が搔き消えると同時、今し方茉弘を呑み込んだ光の奔流の余波が消え、辺りに夜の前園の景色が戻ってくる。
しかし、三画までの星紋は未だに残したままだ。第四顕現に吞み込んだとはいえ、仮にも彼は彼女の子で継承者だ。精霊の力の発現状態が解除されているのを確認するまでは、彩菜とて油断は出来ない。
だが、あくまでそれは用心のための措置だ。
確かな手応え。間違いなく、式部茉弘は第四顕現の奔流を全身で受けた。
最後のあの一撃が放たれていたのなら、まだ結末は違ったものを迎えていただろうが。
「……最後まで、キミはキミだったね」
彩菜は、どこか懐かしむようにぽつりと呟いた。
が、すぐに振り切った。——失敗した過去への未練はもう断ち切ったのだ。今の自分は未来を変えるために、この手を汚すと決めた時から。だから自分にその感情を抱く資格はない。
とはいえ、それでも心にずきっと刺さる痛みは抑えられない。
彼は元々、彩菜が庇護すべき魔術師。そして世界と同じくらいの愛情を抱ける唯一の存在なのだ。
「……いや、今のわたしに愛情を抱く資格はないな」
彩菜が自虐気味にそう言って視線を下げ、数秒後に戻した。
「……さて——」
と。
彩菜が、屋敷前で寝かされている希愛を視界に捉えた——まさにその瞬間だった。
「————」
邸宅の前園。そこに一陣の風が吹き抜けたかと思うと。
その中心に、一つの人影が現れたのである。
一瞬、懐かしさを思わせる姿だったが——違う。
そこにいたのは、ボロボロの少年だった。
その姿に、彩菜は胸が痛むような感覚を覚えた。
ボロボロになった制服から剥き出た傷だらけの肌。度重なる【天使】の行使で壊れた左腕を抱えてまだ立つ。
「……どうして——」
彼にとって、無華花彩菜という存在はまだ深くないはずなのに。
何が彼を立たせているのか。どうして立ち上がるのか。彩菜は、何もわからず妄執にも近いその姿を嫌悪した。
「……っ!」
気づけば手に持っていた杖を天に掲げ、再び領域が世界を侵食した。
突き抜けるような蒼穹。無窮の夜天に広がる無限の星々。宇宙の如き空間。
無限の景色を作り出せる彩菜の第四顕現の中でも、最も異端な空間の一つ。——世界が生まれる地。
とはいえ、こんな景色は副産物でしかない。
彩菜の魔術の神髄は——無限を用いた創造と具現。
一度見た魔術、物質、元素の完全な具現化と、まだ見ぬ物、はたまた存在しえないものを想像する力。
その元となる魔力に無限によって枷が外れており、際限はない。
この領域内において、もっと言えば彩菜が作る世界で彩菜に勝る者などいないのだ。
「第四顕現——【星の庭園】」
彩菜の声とともに。
空の星々が輝いたかと思うと、無数の光が茉弘めがけて放たれた。
茉弘は、動かない。否、動けないといった方が正しいのだろうか。ただ静かに、上空から迫る光の雨を受け入れていく。
やがて、強烈な光に照らされ、茉弘を完全に呑み込むように包んでいった。
が——
リン、リン——
「………………っ?」
次の瞬間。彩菜はどこからか響いてきたか細い音に眉を揺らした。
目標目掛けて落とされた無数の光。その中心からまるで鐘を鳴らすような音が聞こえたかと思うと、注いだ光が搔き消された。
「何……?」
このような現象は初めてだった。一瞬何が起きたのかわからず、目を見開く。
すると、その掻き消えた光の中心から——
「————」
先ほどと全く変わらない茉弘が、ゆらりと姿を現した。
「な……」
それを見て、彩菜は思わず声を詰まらせた。
しかし、それも当然だ。
茉弘の頭上には今、先ほどとは形の異なる、角か棘のような形状をした、白銀のような星紋が一画、発言していたのだから。
「————」
——細く、細く。
自分が研ぎ澄まされていくような感覚。
——広く、深く。
世界に溶け込んでいくような感覚。
精霊の力を使い切ったボロボロの茉弘は、自分を覆った光が消える中で、ただ真っすぐに、未来の彩菜を見据えていた。
それは、なんとも不思議な感覚だった。
精霊の力を発現させていた時とは違うけど、似ている——確かで奇妙な全能感。
とはいえ、今の茉弘は精霊の力を纏っていない。【最後の剣】も顕現していない。
そう。今の茉弘が纏っているのは——
茉弘自身の魔力そのものだった。
「ああ————」
無論そんなものは一度も使ったことがない。
訓練の時ですら、ほとんど精霊の力に頼り、魔力なんてほぼ使っていなかった。
それがどんなものなのか。どんな権能を備えているのか。どのような修練の果てに至るものなのか——その一切が、想像すら付かなかった。
けれど。
嗚呼、けれど。
茉弘には。この初心者魔術師の身体には、身の丈に余り余る力を振った経験があった。
不安定で不思議な力を放出する感覚が、存在していた。
——世界を殺す怪物・精霊。
誰から託されたものなのかも、どんな危険を秘めているのかも計り知れない力を不格好ながらに操った実感が、全身に握られていた。
なら、それをなぞるだけでいい。
たったそれだけで——
それまで表に出ることのなかった式部茉弘の顕現術式が、産声を上げたのだ。
「——精霊の力を使いつくし、魔術師の力が湧きだしたか」
空を舞う彩菜が、動揺に目を細めながら言ってくる。
「けど、それでどうするんだい? 片腕は使い物にならず、全身ボロボロのキミに何ができる?」
そんなの、僕が教えて欲しいくらいだ。今まさに生まれたばかりの茉弘の術式。それがどんなものなのかは、茉弘自身にもまるで把握できていなかったのだからだ。
だが、彩菜の問いに返す言葉は——すぐにでた。
「——あなたを、救える」
「…………っ」
真っすぐな茉弘の視線に、彩菜は視線を鋭く歪ませた。
「キミは——まだそんな戯言を言うのかい。わたしは救いなんて求めてない。世界さえ守れればそれで——」
「そんなの、嫌です」
茉弘はゆっくりと彩菜を見上げた。
「……彩菜さん。あなたの目的は、『今』の彩菜さんを殺すことじゃなくて、世界の危機を未然に防ぐこと……そうですよね?」
「……それが、なんだと言うんだい?」
彩菜の言葉に、茉弘は、己の胸に指を指し示した。
「なら——その最悪の未来に対抗さえできるなら、そんな策さえあれば今の彩菜さんを殺す必要はなくなるはずです」
「……無理だ。あれはそんな簡単に変わるものじゃない。だからわたしはここにいる。矜持も意地も捨て去って、最善の運命を手にするためにここに来たんだ」
「……ええ、わかってます。でも——その最悪の未来に『今』の僕はいなかったんじゃないですか?」
「……何?」
彩菜が訝しげに問うてくる。茉弘はその顔をまっすぐ見据えながら答えた。
「——俺は今、魔術師としても精霊としても目覚めています。
あなたとの訓練があったから、僕はあなたと曲がりなりに張り合えた。
あなたとの戦いがあったから、僕は二つの力を目覚めさせた。
だったら——今の僕の存在は、その最悪の未来を打ち破る異分子になれるはずです。
だから——あなたはもうそんな顔をしなくていい。辛い選択は、僕が選ばせない……!」
その言葉とともに。
リン、リンと鳴る、鐘の音が強まった。




