31 世界の真実
「……」
現実へと回帰した景色を視覚が認識したと同時に、視線を横たわる希愛に向けた。
先ほどのように声を発することもなく、力なく意識を落とした彼女の頬を優しく手で撫でたのち、茉弘はその華奢な身体を抱えた。
自身の魂が入った少女を抱えて歩いてくる少年が自身の横を通りすぎていくのを、魔女は咎めなかった。標的が既に動けない以上、今でなくてもいいからだと、そう勝手に思い込んだ。
茉弘は、静観する彼女に感謝しながら屋敷の入口前に希愛の身体を寝かせ、首元に脱いだブレザーを枕代わりに添える。
そして、静かに少女に背を向けて少年は魔女の元へと歩み、彼女の前に立った。
「時間にして約一〇秒ほど。彼女と何の話をしたのかな?」
「……色々ですよ。ほんとに色々で、今でも頭の整理ができてないです」
「それはすまないね。でも大丈夫。君の後ろにいる彼女を殺した後に、君から余計な記憶は消すつもりだから悩むことはないよ」
微笑みながら、目の前の彩菜さんは希愛に明確な殺意を向けていた。
鼓動が、跳ねた。
——うるせぇ、黙ってろ。
自分に似つかわしくない言葉を心に吐き捨て、視界の中の光景に色を灯す。
一度目は激情に駆られた憤怒を。そして二度目は愁嘆を。
そして今度は、彼女を想う炎の揺らめきを宿して。
茉弘は再び彩菜と向き合った。見惚れる美しさの双眸を見つめた。
「彩菜さん」
「……なんだい?」
言葉を返すと同時に、彩菜は頭上に浮かべる星紋の段階をひとつ引き上げた。
僕も、静かに二重の星紋に強い光を灯した。
生まれるは世界を殺す力。精霊の力を具現した第二顕現。
身体と心を、強大な負荷が蝕んでいく。
痛い。痛い。痛い。
扱いきれてない力に蝕まれる身体が、命の警告を訴えるように警鐘を鳴らす。
「あの人は——希愛は、殺させない」
それでも、僕はその苦しみに臆することなく声を鳴らした。
ただ漠然と、告げられた少年の確かな意思に、彩菜は星紋の段階の引き上げを以て応じた。
己の身の丈を超えるであろう巨大な杖を掲げ——その先端で地面を叩く。
そして瞬間にして、彩菜を起点とするように闇が世界の一部を侵食し、茉弘を包んでいた景色が様変わりする。
——螺旋上に佇む、巨大都市。
空間の解釈がズレるほどに歪に歪んだ地面に生える無数の建物。重力の概念がないかのように不規則でゆったりとした上下運動をしながら浮かぶ無数の巨大な瓦礫。
無華花彩菜が持つ第三の世界。彼女が奏でる至上の魔術にして魔術師の頂天たる第四顕現が生み出した顕現領域。
「戦う前に聞こう。——希愛から何を訊いた?」
完全な臨戦態勢である彩菜は、これが最後の猶予だと言うように問いかけてきた。
「貴方が未来から来たこと……そして彩菜さんの命を狙っていることを、聞きました」
「目的は訊いたのかい?」
「いいえ。彩菜さんは目的がわからないと言っていました」
「だろうね。それが見通せていたならわたしは、そもそもここにいない」
「希愛は……あなたに直接聞けって。それで決めろって」
「……なにを、聞きたいのか?」
臨戦態勢は解かない。だが、彩菜から敵意はない。
対話の意思、あるいはせめてものお詫びをするかのように、僕を受け入れた。
「あなたの目的は、彩菜さんを殺すこと。――どうして、殺すんですか?」
「そうする必要があるからだ」
「彩菜さんを殺したら、どうなるんですか?」
「世界が救われる」
「世界が救われたら……どうするんですか?」
「……この手で殺した彩菜に代わって、役目を果たすつもりだよ」
嘘はない。
言葉の重みが違う。覚悟が伴っている。
でも、それだけだ。その先が、茉弘には見えない。
彩菜に見えていて茉弘に見えていないものが、明確にある。
「……未来で、なにがあったんですか?」
「……」
「教えてください。あなたが未来から来た、その目的を」
茉弘が問うと、彩菜は一瞬だけ顔を歪めた。
が、すぐに表情を戻して口を開いた。
「わたしの目的はひとつだけ。そこにいる希愛と何ら変わりはない。
――世界と、そこに生きる人々を、救うためさ」
「……どういうことですか?」
眉間に皺を刻みながら返す。
すると彩菜は、静かに目を伏せながら、続けた。
「遠からぬ未来、わたしの世界は『終末』を迎える」
「…………!?」
予想にしなかったその宣告に、茉弘は息を詰まらせた。
しかし彩菜はさしてそれを気にした様子もなく、淡々と言葉を続けた。
「わたしはこの世界を守らなくてはいけない。守る責務が、わたしにはあるんだ。
あの未来を回避するには、あの未来を知るわたしが、過去の『わたし』を殺すことでその空席に立ち、世界の管理権を手に入れ、あの黒き終末が生じる前に対策を講じることだった」
「……過去の、この世界の彩菜さんを殺したら、あなたは存在できないんじゃないですか? その……この時間から彩菜さんがいなくなったら、未来にはあなたがいないことに」
「ああ、だから因果律を狂わせるつもりだ。無論――それなりの準備がいるが、わたしの存在が消える前に狂わせる方法と理論は組み上げてある」
「……本当に、世界が滅ぶんですか?」
「信じられないかもしれないが、世界なんてものは、そんなに強固じゃないんだ。現に――本当の世界は、同じように滅びているんだからね」
「…………、は…………?」
彩菜さんは、なにを言っているんだ?
言われたことが理解できず、茉弘は目を点にした。
「どういうことですか……じゃあ、ここはなんなんですか!?」
「わたしと行動を共にしていたなら、聞いたことはあるんじゃないかい? ここはわたしの世界、だと」
「…………あ」
確かに聞いた。
でも、それは――言葉の綾だと思っていた。
そうじゃない。間違っていた。
だとしたら――そしたら、この世界は……!?
「……あなたが、創り出した場所?」
馬鹿げた答えを、茉弘は茫然と答えた。
魔術なんていう神秘に触れたばかりの茉弘が行き着くはずのない答え。
ただ、無華花彩菜ならそんなことすら出来てしまうのではないかという、妄信的な思考からこぼれ出た言葉だったが、彩菜が悲しげに笑うのをみて事実なのだとだとわかってしまった。
「で、でも……そんなことどうやって――」
「滅びる前の世界で、わたしは魔術の秘奥に触れた。そして研鑽に研鑽を重ねた魔術とこの脳に蓄積された数々の理論の集合。まあ言ってもわからないだろうけど、要するにわたしが動員出来る全てでこの世界を疑似的に再生し直したのさ」
「……」
凄い、なんて言葉で片づけられる所業ではない。
どういった経緯や過程があったにしろ、一人の人間が成し遂げていい領分を、彩菜が為した『世界再生』は遥かに超えている。
魔術の最奥と言わしめる第四顕現ですら、この世界の一部しか侵せないというのに――
「あ、れ?」
第四顕現は、魔術師が到達できる極地。
だが、彩菜のそれは第四顕現の領分すら超えている。
だとしたら――この世界を再生した術式、いや再生という言葉すらただの比喩だとすれば。
「第五、顕現……?」
「……驚いたな。知っていたのかい?」
つける名があるとすればそんな名前だろうと。
思うと同時にうっかりこぼれた言葉だったが、合っていたのか彩菜がほんの少し驚愕の表情を浮かべる。
「第五顕現――『創世』。終わりを迎えた世界を救うための、『世界を始める』魔術さ」
「世界を、始める魔術……」
「『終末因子』は、文字通り世界に終末をもたらす存在。その終末から逃げ延びるには終わっていない世界に移動するしかない。だから私は既に滅びた地球という惑星モデルを触媒に、地球の中に地球を創った。この世界に終末因子がやってくる際に生じる空の罅は、わたしの顕現体が破壊されることで生じていたものというわけだ」
疑問が走るよりも先に、彩菜が補足するようにそれを説明し、続けた。
「聞くだけならとんでもない術式に聞こえるだろうが、発動しているわたしが死ねば創った世界と終わった世界を隔てる蓋が開き、終わった地球をばっこする終末因子がなだれ込んでくる、わたし頼みすぎる欠陥術式だ。
事実、未来ではわたしを死なすまいと多くの魔術師たちが外の終末因子と戦い、わたしと少ない魔術師を残して人類は創り直された世界ですら生存圏を失った。
わたしは二度と同じ未来を見たくない。
もう二度と、誰かがわたしの目の前で死んでいく光景など……!」
「……」
苦面し、血が滲むほど拳を強く握る彩菜の形相は、己の無力と後悔、自責の念に近いものを感じさせるような表情で、茉弘は思わず息を呑んでしまう。
どれだけの思いと覚悟を抱えて、今そこに立っているのだろうか。
そんなことを考え、けれども――納得はできなかった。
「あなたが――彩菜さんがした決断や思いは、なんとなくですけど理解できます。でも、それじゃあ今の彩菜さんの未来はどうなるんですか?」
「わたしの未来など些末なことだろう。世界が滅ぶことに比べればどうということは――」
と、彩菜が言いかけた瞬間。
僕は後先なんて考えることもせずに、彼女めがけて剣を振りぬいていた。
最後の剣から放たれた飛ぶ斬撃は彩菜の横を通過し、大きな溝が生まれる。
「何の真似かな? 当てる気がないなら、それは意味のない不意打ち――」
「ふざけないでください」
茉弘は、彩菜の言葉を遮るようにぴしゃりと言い放った。
「……は?」
「わたしの未来なんてどうでもいい? 世界が滅ぶことに比べたら些末なこと?
そんなわけないだろ……そんなわけがあっていいはずがない!
この世界で誰よりも幸福になってなきゃいけないのは、あなた自身のはずだ!!!
世界を守れなくて、それでも守ろうと必死に足掻いて、今だってあなたを止めるために僕に力を貸して無茶して!
誰よりも報われて幸せにならなきゃいけないのはあなたのはずだ! あなた一人が辛い選択をする必要なんてこれっぽちもない!!!」
怒号にも似た叫びを上げた茉弘に、彩菜はあっけにとられたような顔を作る。
「……何を言っているんだ、茉弘」
「誰よりも未来を想っているあなたがなんで、自分の未来を奪おうとしてるんだよ!
そんなことしなくたってあなたが今の彩菜さんに助言でもなんでもすれば、最悪の未来だって回避できるはずだ!」
「それは絶対にない」
「やってもないのに――」
「やらなくてもわかる。わたしの提案を、『今のわたし』は決して受け入れることはない。――犠牲を前提にした提案ならなおさらだ」
「犠牲って、一体何の――」
「世界を終わらせた張本人――神話級終末因子『黒龍』。
最初の地球を終わらせた黒き終末にして、生ける最悪。絶望の象徴。
あれを滅ぼすために必要となる、全人類の三割以上の犠牲だ」
「…………っ!?」
茉弘は、突如として告げられたそれに言葉を詰まらせた。
「全人類の三割以上って、いったい何億人の人が――」
「少なく見積もっても二〇億人、場合のよっては三〇億人を超えるだろうね」
「な……っ」
「そうでもしなければ、わたしの世界は守れない。
あの黒き終末は、それだけの贄がなければ滅ぼせない」
「あなたは――なにも知らない彩菜さんだけでなく、凛祢や庭園のみんなを傷つけ、あまつさえ何十億もの人々を犠牲にするって、そういうんですか?」
「馬鹿げていると、そう思ってもらって構わない。初めから、誰からも理解を得ようとは考えてない。
だからわたしが一人でやり、全ての罪も罰も、世界を救った後に受けるつもりだ。大勢の犠牲を是とした最悪の魔術師として――」
「させない」
茉弘は明確な意思を以て、彩菜に剣の切っ先をを突き出す。
そして右手を自らの胸に押し当ててた。
「――あなたに、そんなことはさせない。僕が――いや」
そして、決意するように宣言する。
「俺が、あなたを救ってみせる」
「は――」
その堂々たる茉弘の宣言に。
「――ははは、はははははははははは――――ッ!」
彩菜は、堪えきれないといった様子で顔に手を置くと哄笑を上げた。
「なにを言うかと思えば……まさかそれが、君の答えとでも言うのかい?」
顔に置いた指の合間から、鋭い視線を放ってくる。
「……舐められたものだ。たかが精霊の力を取り戻しただけで、碌に扱えもしない分際でよくも吠えたものだ。
言っておくけど――君に勝機なんてないよ?」
「やってみなきゃわからないと思いますよ。なにせ僕は、あなたが負けた終末因子と同じみたいですから」
「は――吠えるなよ、青二才」
彩菜が大仰な仕草で杖を振り上げる。
その動作に合わせるように彼女の頭上に輝いていた星紋の二角目が、より強い光を放つ。
「――第二顕現『那由多の天剣』」
茉弘が目を見開く中、彩菜の頭上に無数の剣が現出し、瞬く間にその数を増やしていく。
数にして一〇〇以上。
「穿て」
彩菜の宣言とともに、無数の剣が一斉に射出。
僕めがけて無数の刃が迫ってくる。
だから迷わず、僕も剣を横なぎに振りぬいた。
剣を振りぬいた剣線が輪郭を帯び、色を灯し、質量を得て、剣群めがけて放たれる。
彩菜の剣を全て破壊し、勢いは止まることなく彩菜の眼前に迫る。
「消えろ」
その一瞥とともに、杖を前に突き出すと茉弘の斬撃は消えた。
瞬間。互いの顔を視認し、二人の視線が交差し。
「彩菜さんのために、あなたを止める」
「わたしの世界のために、わたしを殺す」
精霊と魔女の、最初で最後の戦いが始まる。




