30 真実を告げる邂逅
「え…………?」
目を開けると、そこは教室の中だった。
前に一度見た事のある世界と同じ様を描いた空間の真ん中にぽつりとある椅子に、茉弘は座っていた。
「ここは——」
「わたしの顕現領域の中だよ」
正面から聞こえたその声に、茉弘は目を向けた。そこにいたのは見慣れつつあった〈庭園〉の制服に身を包んだ彩菜だった。
一瞬、茉弘は身体を強張らせて身構える。が、先ほどまで対面していた彼女とはあまりに異なる雰囲気に包まれた微笑をみて、肩の力を抜いた。
「彩菜さん?」
「初めまして……というのも奇妙な話かな?」
いたずらっぽく笑う見覚えのある彼女の表情に、茉弘は一瞬涙腺が緩みそうになり、溢れそうになった色々な感情をどうにか押し殺して、目線を向けた。
「これ、なにがどうなってるんですか。希愛はどこに……」
「どこって……ここにいるだろう?」
言って、彩菜は自身の胸に手を当てた。
「なにを言ってるんですか。どこからどう見ても彩菜さんにしか——」
「やれやれ。先ほどの私たちのやり取りを見てもなお、そんなことを言うとはね。もはや鈍感を通り越しているとしか言えないかな」
「……し、信じられるわけないですっ! だって、それを認めたら俺は!」
「落ち着きたまえ。突然のことに混乱しているのはわかって――」
「庭園で迷子になったところを助けてくれたのが彩菜さんで、凛祢に追いかけられた後に膝枕してくれてたのも彩菜さんってことになるじゃないですかっ!!!」
茉弘が今にも噴火しそうな火山のように、頬を赤く染めて叫ぶと、彩菜が少し困惑した顔をした。
「……えっと、何か問題が?」
「ありますよ! ええ、それはもう大いに! まず恥ずかしい! 意中の女性の膝の上で眠りこけたり、迷子になって手を引かれたり、ちっとも男らしくないじゃないですか!」
「…………嫌だったのかい?」
「いえ、光栄です。でもあれは希愛だから許容できてたのであって、彩菜さんだと分かった今は……ぁぁぁあああああああああああ恥ずかしいぃぃぃいいいいいいっ!!!」
膝を折ってかがむと、茉弘はこれでもかというほどに身体を丸めて縮こまった。
うううっ……などとすすり泣く声まで聞こえ、彩菜は困惑を通り越した理解しがたい光景を目の当たりにして、
「ぷっ、はは、あははははははははは!」
あろうことか、笑ってしまった。
「さ、彩菜さん! 笑うのはずるいですよ!」
「いやっ、ごめんむりっ! そんな面白くていじめたくなるような顔してるんだもん! あはは!」
「さ、彩菜さん……っ! ドS!」
茉弘の顔がより一層赤くなっていき、もっと笑いそうになる。
楽しいなと感じる時間に浸りたいなんて、らしくない感情に身を任せたくなる。
でも、今はここまでにしないといけない。
「ひとまず私が無華花彩菜であることは、認めてくれるのかな?」
「……」
まだバツが悪いのか、茉弘は頬を染めたまま頷いた。
「なら、時間もないしサクサク話そう。君や私が戦った『私』は、未来から来た私。そして今君の前にいる『私』はこの時間軸で生きている無華花彩菜だ」
「み、未来から来たって――」
「できない話ではないんだ。時間に触れるために必要な代償と時を渡るために必要となる途方もない魔力があれば、魔術師は自らの意思で時間を渡ることができる。実例は私を含めて三人いる」
さ、三人……!?
そんなことができる魔術師が三人もいるの!?
「で、でもっ、いったい彩菜さんは何をしにここに――」
「理由の検討はつかないが、狙いは恐らく私の命だろうね」
「……え?」
彩菜さんが、過去の彩菜さんを殺しに来た?
なんで。何のために?
「混乱するのも無理はない。私だって訳が分からないんだ。理由さえわかれば交渉の余地はあっただろうし、事情を私に話してくれればここまでの面倒ごとにはならなかっただろうね」
「どういう意味ですか?」
「簡単さ。彼女は――私たちに話す気も頼る気もない。一人で何かを成し遂げようとしている。庭園全土を巻き込み、私の命を狙って」
彩菜が抑揚なく、知りうる事実を開示した。
いくら彩菜であっても、未来の自分が何を考えているのかは推測しかできない。
だから今知ることだけを話し、そして――
「だから、殺してくれ。君の手で未来の私を」
彼に力を返した最大の理由も、彩菜は残酷なまでに開示した。
「――は? え、いや……今、なんて?」
聞き間違いだ。
そう感じた茉弘は、途切れ途切れに返すと、彩菜は再度口を開いた。
「今の私では、彼女を殺せない。だから君に殺してほしいんだ」
時が止まった。
心臓が鼓動を忘れ、ただの置物に成り下がる。
何を言われたのかわからない。――耳に入れたくない。
どうしそんな馬鹿げた『冗談』を言うのか、まったく理解できない。
「なにを…………なにを、言ってるんですか……? 僕がっ、僕が彩菜さんを殺す……? で、出来ません!」
動転しながら叫ぶと、彩菜が目を細めた。
「出来ない? おかしなことを言うね。君は彼女と戦ったじゃないか」
「あ、あれは……あの人が、なんであんなことをしたのか知りたくて……止めたくて……ただ、それだけでっ!」
「なら、もう君が知りたいことは言ったはずだ。彼女の正体は、『未来の無華花彩菜』。目的は私の命で、手段は選ばない」
「……っ!?」
「やることは、もう一つしかない。和解は、あり得ない」
彩菜は、はっきりと断言してみせた。
「戦う理由が必要なら、その理由を与えよう。凛祢を死に体にしたのは彼女。君の級友を傷つけたのも彼女。君はそれを――許せないはずだろう?」
心臓の鼓動が、跳ねる。
忘れていた感情が、鮮烈な情景とともに膨れ上がる。
ぐつぐつと、炎が煮えたぎる。
「っ、そう、だとしても……無理です……っ」
「それは――なぜ?」
「……っ、出来ないから、です」
「なぜ?」
冷めた声音で、彩菜は問う。
茉弘はそれに答えられない。――答えたくない。
答えを出してしまうことが怖い。――後戻り出来なくなる。
彼女の思いに応えたくても、応えることが恐ろしい。
「僕は……僕には、出来ません……たとえ、あの人が正しくなくても……」
「なら、言葉を変えよう」
うつむこうとした茉弘の顔を鷲掴み、様々な色を映す彼女の双眸と視線が交差する。
互いの息が届こうかという距離に、心拍が早まるのを感じると同時に。
「彼女を、救ってくれ」
彩菜は、全く逆の言葉を紡いだ。
「わたしじゃあ、彼女は救えない」
「……なにを、なにを……言ってるんですか……?」
「未来から過去に渡るのに、代償があることは理解しているかい?」
代償……さっき、彩菜さんが言っていた時間軸に干渉する際に生じるもの。
「私が、代償を払ってでも現在に来たということは、それなりの理由があるはず。出なければ<世界>を捨ててまでここに来るはずがない」
<世界>を捨てた……?
茉弘では理解もその言葉の意味を汲み取ることはできず、その言葉の真意がわからない。
「だから、それを聞くんだ。耳を傾けて、それからどうするかは君が選べばいい。私は――それを、尊重する」
触れていた手のぬくもりが無くなり、彩菜の身体が重力に逆らえなくなったかのように膝から崩れ落ちた。
「彩菜さんっ!?」
突然のことに、茉弘はとっさに彩菜の腰に触れ、力の抜けた彼女の身体を支えた。
「……は、は。すま、ない……ね。時間切れの、ようだ」
「な、なにを……っ」
「この空間は、第四顕現で形成されている……だから、ずっと魔力を、削られていた。もう少し、もたせ、たかったけどね……」
彩菜のその言葉を引き金にしてか、天井に罅に似た亀裂が走った。
亀裂が加速度的に広がっていき、それに同調するようにして、彩菜の瞼が緩やかに閉じようとしていく。
「安心、したまえ。……別に、死ぬ、わけじゃ、ない……さっきの、言葉……を、忘れないで、くれれば、いい」
「彩菜さん……僕は、俺は……!」
「やりたいようにやりたまえ。それが……君には、合っている」
その言葉を最後に、空間は完全に崩壊し、彩菜の瞼は閉じた。




