29 魔女の饗宴
〈庭園〉西区画。学園長の屋敷の前庭。
一部の草木が倒木され、滅茶苦茶になった魔女の庭で、先の衝突の勝敗が決していた。
「……ふん」
勝者は彩菜。敗者は希愛。
同質の顕現が衝突したとき、勝敗を決めるのは顕現体に込められた魔力量で決まる。
無華花彩菜の身体ではなく、侍従の白波希愛の身体では押し合いに勝てないことを彼女は理解している。そも、あれが決まるとは思ってすらいない。
「なら、この手合いはどうかな?」
彩菜の足元に、無数の模様が浮かび上がる。
瞬く間に光が強まる様子を目にし、反射的に半歩下がろうとする彩菜。
「遅い」
光が最大になった瞬間、数百に及ぶ矢じりが彩菜めがけて放たれた。
「かき消せ」
彩菜が右手を横に薙ぐと、突風が吹き荒れて矢じりもろとも希愛を軽々と吹き飛ばした。
が、即座に態勢を立て直されたために追撃はできず、希愛は軽やかに地面におり、彩菜はそれを見届けた。
衝突後からの一瞬の攻防劇を前に、茉弘は目を見開いていた。
力に寄りかかって競おうとした自分とは違う。
互いに最大の警戒を払い、「技」を以て戦い、「駆け引き」を以て危機をいなす。
これが、本物の魔術師同士の戦いなのだと、茉弘は直感した。
「いやはや。まるで嵐そのものだね。客観的に自分を見つめる機会は何度もあったが、よもや自分と対面して自分の凄まじさに息を呑む日が来るとは思ってもみなかったよ」
「それはこちらもさ。仮初の器で現れたにしては、中々やってくれる。自分の性悪さに思わず関心してしまったくらいだ。さすがは私の術式の複製といったところかな」
同じ形状の第二顕現を構えたまま、互いに不敵に笑いあう。
「そんな器、過去の私は用意していなかったはずだが、どこから取り寄せたのかな?」
「借り受けただけさ。問題があるのかい?」
「いや? ただ可哀そうだなと思っただけさ」
「っ!?」
彩菜が杖をかざした瞬間、希愛の左手が破裂した。
正確には、内側から何かが暴発したかのように弾けて、おびただしい量の血を噴出したのだ。
「希愛!?」
唐突なその光景に茉弘が声をあげ、希愛は左手を抑えて片膝をついた。
「……いやはや、しくじったね。いや、この場合は君が上手だったというべきかな。いつ触れたんだい?」
「初撃でだよ」
「なるほど……さすがに、強いね……」
そんな言葉を最後に、力が抜け落ちたように希愛は地面めがけて倒れた。
「希愛!」
慌てて側に駆け寄った茉弘が倒れた彼女の身体をかかえると、彼女の手首から浮き上がっていた星紋がすうっと消失していくのが見えた。
まだ息はあるが、腕の出血が酷い。原型は保っているが、まるで外の圧力に耐えかねて内側から破裂したように中身の一部がくっきりとでてしまっている状態。一刻も早く処置をしないと命が危ない。
だが、それをさせてくれる余裕を彼女は与えてはくれなかった。
「凍滅せよ、不霊の餓狼」
詠唱が、響く。
もう次が来る。頭の整理が追いついてこない。
目の前の危機よりも目の前で起きたことの整理に脳のリソースが削がれ、反応が遅れた。
「第二顕現【霊狼】」
彩菜の声に応じて、なにもない空間から狼のような風貌を象った顕現体が四体出現した。
そこから一秒もかからず駆け出した狼が口から蒼い蒸気を漏らしながら迫ってくる。
反応が遅れていた茉弘にとってその速度の詰めは、あまりに無慈悲な攻撃だった。
全てが隙だらけ。希愛も、自分も無防備に戦場に立ってしまっていた。
——にもかからず、動いた。
「な——⁉」
先ほどとは明らかに激変した少年の身のこなしに、過酷の開始から涼しい顔で茉弘を追い込んでいた彩菜が初めて驚愕の声を上げた。
少年がしたのは、彩菜の放った第二顕現が届く直に地面を蹴った。ただそれだけの行動が最強の魔女が下していた少年への現状評価を改めた。
それと同時に、超加速の回避した茉弘に抱えられた侍従の少女を見つめて、「やってくれたね」とうわ言のように呟いた。
「なんだ、今の……感覚……」
瞬間的かつ最高速の回避で浮いた身体を捻って希愛を抱えながら、負荷を強いないように地面に着地してすぐに自分の手を茉弘は見つめた。
——確実に、間に合わなかったはずなのに回避が追いついた……?
先までの茉弘なら出来るはずのない動きをしたことに、茉弘は困惑した。
だがすぐに、その答えは出た。理由はわからないけれど、五感が研ぎ澄まされているという実感が全身を巡っていた。
どんなことでも出来てしまいそうなほどの強い全能感が全身に満ちていたのである。
「まさか……」
彩菜が困惑したように半眼を作り、茉弘を見つめる。
今の動きは、表すとすれば第一級魔術師のそれに近いもの。
いや、下手すれば彼らよりも早かった。
魔術による強化でもここまではならない。とすれば、彩菜が考えられることは一つだった。
「『霊力』と『魔力』が融合した…?」
式部茉弘は、精霊と魔術師。
二つの力を持っており、体内には二つのエネルギーが宿っている。
現に二度、霊力と魔力が混ざり合う形で不完全な第二顕現が出たこともあるが、その理由はエネルギーの割合を調節できていなかったからだ。
いや、そもそも今の彼にはその調整はおろか、同じ総量にすることなどできない。
そうならないように、彩菜自身が手を打っていたのだから。
だが、今の事象は。
力を取り戻していなければできない。
「ティアか、あるいはイリ―ティアか。そこの『私』が協力を仰いでいたというわけか」
「ご、名答……だ」
腕に抱えていた希愛がうっすらと瞼を開き、瞳を覗かせた。
「希愛っ! 大丈夫ですか!」
「……は、ぼんやりしてる、けど……まあ、大丈夫さ。……それよりも、無事に、返せた……よう、だね……」
そう言って頬を撫でてくる希愛に、茉弘は困惑の表情を強めた。
二人が何を言っているのかがわからない――。
状況がちっとも呑み込めない……っ!
僕にいったい、何が起きて……!
「いつから気づいていたんだい? 私が茉弘から精霊の力を切除してティアに封印させていたことを」
「庭園に……終末因子をけしかけて、茉弘に倒させたあとさ。君なら、きっと覚醒した茉弘を放置しないだろうと踏んでいた。あんなのを目の当たりにすれば、どれだけ薄くても危険因子は排除する、とね」
「ティアとイリ―ティアが、協力者かい?」
「ああ、最も正体を明かす前に、彼女にはバレてしまっていたがね」
「主、彩菜であろう?」
三日前。茉弘がはじめて終末因子を倒した直後に彩菜は、自分が知りうる情報を開示しようとイリ―ティアと短時間の接触を試みた。
そして接触したあとすぐに、自分が無華花彩菜であることを語るよりも前にイリ―ティアはそう言ったのだ。
「主とどれだけ過ごしていると思っている。所作や目線、口元を見ておれば些細な癖から主であると断定するのはたやすいぞ」
「……君、ちょっと私のこと好きすぎないかい?」
「勘違いするでない。主が特徴的すぎるだけじゃ」
そんなにわかりやすいのか、と彩菜はひそかに反省した。
イリ―ティアにバレるレベルとなれば、彩菜に近しい人間(特に熱烈な視線と態度を示している凛祢とか)にもバレる可能性があるということで、時が来るまで正体を隠したい彩菜からするとかなりの死活問題だからだ。
「では、慣らすためにもこちらの口調でお話しさせていただいてもよいでしょうか?」
修正を試みるべく、彩菜は侍従――白波希愛になりきって話すことを決めた。
イリ―ティアは構わぬといい、腕を組んだ。
「時間がありませんので端的に。数日以内に、彩菜様の命を狙う彩菜様が現れます」
「……どういうことじゃ?」
「言葉通りです。未来の彩菜様がこちらにやってきて、彩菜様を殺します」
「なぜじゃ?」
「……わかりません。ただ言えるのは、その未来の彩菜様が終末因子に該する者であるということ」
「――特級因子No.007『来訪者』に該当すると?」
「恐らくは」
『来訪者』。
それは過去、あるいは未来から歴史を捻じ曲げる者の別称であり、不可能とされた時間に干渉する存在の総称
過去に二度、歴史改変が起こりかけ、彩菜はそれを対処したことがある。
確定した歴史と、これから訪れる歴史を捻じ曲げることは、因果律に変調をもたらすとされ、因果が大きく揺らげば、その揺り戻しとして世界に多大な異常が起きる。
例えば、とある大噴火が起きるとして、それを止めたとしよう。
エネルギーの吐き出し口を失い、放出する機会を逃した膨大なエネルギーは次の機会にまとめて暴発し、単純に二倍の質量で噴火を起こし、災害で済んでいたものを大災害に変えてしまうのだ。
「目的の目星はつかめておるのか?」
「いえ……わかっているのは、既に彩菜様がこちらの時間軸にいることです」
「……つまり、これからやってくる彩菜は、主とすげ変わった彩菜というわけじゃな」
「はい。イリ―ティア様にお願いをしたいのは、その彩菜様の命に従ってもらうこと。それとあなたの得意とする阻害術式を病室にいる間、私にかけてほしい。最後は、時が来た際に私のご指示に従い、ティアさんと協力して私の術式の複製を秘匿区画から持ち出してほしいのです」
「それで、対処できるのか?」
「わかりません。ただ、最低でもそれだけはやっておかなければ、出し抜かれる可能性があります。何せ相手はあの彩菜様です。やれることはやっておきたいのです」
「わかった。では、来る日まではわしは普通にするとしよう。事の解決はすべて任せていいのだな?」
「はい」
そうして、二人の魔女の間に密約が生まれたのだった。
「イリ―ティアは、本当に優秀な親友だよ」
「それで? 現状は私に完敗。茉弘が力を取り戻してるとはいえ、私の第四顕現の前では無力だ。
ここからどうやって覆す気なのかな?」
「……っ」
そう。
茉弘の【最後の剣】は、彩菜の領域内では無力化される。
それは、茉弘も希愛もわかっている。
「君の言う通り……現状は詰みだよ。だから少し、荒療治をする」
次の瞬間、希愛の手首から四重の星紋が浮かび上がる。
「っ、第四顕現? いったい何を――」
「覚悟を研ぐ。そのための儀式さ」
希愛の手首が淡く光る。
第四顕現の発動。
彩菜が術式を発動し、雷撃と暴風を生み出し、希愛めがけて放つ。
だが、それよりも早くに。
その名を、所有者が紡いだ。
「第四顕現【別離する世界】」
彩菜の顕現体が到達するよりも早く詠唱されたそれは、顕現した極小の領域を生みだして二人を包み込んだ。




