27 それぞれの過酷と脈動
『魔術師』は移動していた。
自らが成し遂げた騎士の一角の陥落、それによって生じた〈庭園〉の混乱と動揺の渦に生まれた闇に紛れるために。
この〈庭園〉の全容は把握している。
それはここに来てから得た情報も含め、元から手にした情報を掛け合わせたものであり、〈庭園〉の長ですら知り得ないようなセキュリティを数時間、無効化する方法も含まれている。
それこそ裏口を使えば、学園長の屋敷に入り込むことも容易だった。
そしてその裏口を使った今、『魔術師』は庭園が引く膨大で緻密な監視の網から解かれていた。
「……難しいな」
最短で目的地に駆ける『魔術師』は——「彼」の存在を強く感じていた。
距離はまだ遠い。正確な位置はわからない。けど確かに近づいてきている。
静かに息を吐き、緩やかに加速する鼓動に足を速まらせようとした。
だが、早かったのは彼の方だった。
「——【最後の剣】」
声が響いたその直後、闇夜の空から光流が迸った。
「っ!!」
迫りくる光の柱を『魔術師』は身体をひねるようにして緊急回避する。
左脚を進行方向の逆へ切り返して地を蹴って退くと、空より放たれた闇色の光流は、たどり着いた屋敷の前庭の一部を呑み込み、その余波が巻き起こした衝撃波が『魔術師』の身体を打つ。
「——っ」
舞い上がった土煙の中から、ゆっくりと。
既に解放されている力の奔流が生み出す大気の坂巻を引きつれ、黒い髪を揺らし、その魔術師は現れた。
指の音を一つ奏でれば攻撃出来る距離で彼は立ち止まり、私と対峙する。
「——————」
あらかじめ出していた星紋を消失させ、はだけたフードも直さす全ての動きを止めた。
目の前の少年は、今にも泣きそうだった。
辛く、苦悩する表情。
誰よりも彼女を慕い、憧憬を抱くほどに憧れていたからこその、彼にしか理解できない感情の色を覗かせる彼の顔。それに備わった唇が静かに開いた。
「……嘘じゃ、ないんですね」
言って少年——式部茉弘が、魔女が見初めた魔術師の卵は、精霊の証である【天使】を携えて独り言のように続けた。
「確証はなかったんです。でも力を使ってすぐに、繋がりを感じました」
言葉に、覇気はなかった。
今でも信じられない、認めなくないと、彼の心の叫びを如実に示していた。
けれども携えた星紋は消していない。顕現体も。
もう——覚悟だけは決めているかのように。
「だから、聞かせてください。どうしてこんなことをしたのか」
「…………」
「どうして……凛祢や他のみんなを傷つけたのか」
「………………」
「覚悟はしてます。だから答えてください。お願いします」
「………………嫌だと言ったら、どうする?」
「あなたはそんなこと言わない」
茉弘が断言する。
確信があるかのように。自分がどういう人間なのかを知り尽くしているかのように。
「だって——僕の憧れた『憧憬の人』は、嘘を吐く人じゃないから」
そう確信していると言わんばかりに、茉弘はそう答えた。
確証は、なかった。
でも、残していた爪痕が。あの場所に刻まれた戦跡が。
最上の化物と呼ばれる精霊、そしてそれを倒せる可能性を持つ騎士。
その二人が負けたという事実が、馬鹿げた答えを肯定してしまった。
倒すと決めた相手。
報いを受けさせてやると決めた仇。
それが、『最強の魔術師』であると。
「それ、もういらないでしょう?」
茉弘は静かに、今にも崩壊しそうな涙腺を押しとどめながらフードの人物に指を指した。
『魔術師』は、答えるようにローブの紐を静かに解き始めた。
止めを失くしたローブが風に飛び、姿が露わとなる。
月明かりに照らされた金とも銀ともいえない神秘の色に煌めく長い髪が。
様々な彩を映し出す幻想的な双眸が。整った鼻梁と薄桃色の艶やかな唇が。
犯してきた所業を示すかのような、彼女にもっとも似合わない黒いドレスが。
ゆっくりと開かれる口が、茉弘の視界に飛び込んでくる。
「…………」
美しい瞳を向けたまま、彼女はしばしの間黙っていた。
だが、やがて、その喉から微かな吐息が漏れてきたかと思うと——
「———どうして、来てしまったかな」
ニィ、と唇を歪め。
無華花彩菜は、凄絶な笑みを浮かべた。
「…………ッ!」
今までの彩菜からは考えられない表情と冷え切った声音に、ゾクッ、と全身が総毛立つ。
別に、姿形が変貌したわけでもなければ、彼女自身に怯えさえられたわけでもない。
それなのに、茉弘は、目の前にいる彼女が、まるで数時間前に会った時とはまるで別人を見ているような錯覚に陥った。
「——本当に彩菜さんなんですか?」
茉弘は全身に緊張感を張り巡らせると、構えるように腰を低く落とした。
するとそれを見てか、彩菜が面白がるように笑う。
「うん。そうだよ。もっとも、この世界の住人ではないが————ねッ!」
次の瞬間、言葉の途中で彩菜の身体がブレたかと思うと、目の前にその姿が現れていた。
「——っ⁉」
転移魔術——否、単純に地面を蹴って茉弘に肉薄したのだろう。ただ、そのスピードと身のこなしに、茉弘の目が追いつかなかっただけだ。
追いついたの剣だけ。反射的にそれ横薙ぎに振るい、彩菜へ肉薄しようと迫った。
が、既に第二顕現の杖を握っていた彩菜にその一撃を受け止められ、互いの顕現体の衝突によって生じた衝撃波に突き飛ばされた。
「ぐ……っ!」
固い舗装路に背中から激突し、全身に激痛が走る。
が、またしても意識よりも先に身体が反射的に立ち上がり、眼前に迫った第一顕現の風を斬り裂いてみせた。
「——一度の敗戦で、ずいぶんな変わりようだね」
「ギリギリっ、ですけどねッ!」
「なら段階を上げよう。ついてこれたなら、君の質問に答えよう」
「ッッッ——!」
遠のいたはずの距離を一瞬で詰めてきた彩菜の杖を、寸でで弾き返す。
問う間はない。答えが欲しくば証明するしかない。
彼女の前に立ち、戦う資格を。
『魔女』と『精霊』の前哨戦が、始まった。
◇
少年が決意を固め、単独で動き出す一時間前。
イリ―ティアは自身の管轄である病院の地下にある大扉の前にいた。
〈庭園〉内に存在する区画には、その区画を管轄する者たちの移動を円滑にするための移動手段が与えられている。
それがこの扉。魔術によって、〈庭園〉内にある特定の扉同士を繋ぐ術式が組み込まれた開閉式魔術転移装置である。行き先の設定さえしてしまえば、どのタイミングでも扉を繋ぐことが出来るうえ、通過者の魔力を一切使用しないため、誰がどこにどう繋いだかの情報は扉のデータを集積する〈庭園〉のセキュリティAI——ティアにしかわからない。
イリ―ティアがその扉を開くと、その先には薄暗い空間が広がっていた。
ゆっくりとその空間にイリ―ティアが足を踏み入れると、空間内の照明が一挙に灯り、スピーカーから少女の声が響く。
『ようこそいらっしゃいましたわ、騎士イリ―ティア』
「息災のようじゃな、ティアよ」
『ええ、そちらもお元気そうでなによりですわ』
そう言って、イリ―ティアの前に無数の光が収束し、少女の姿を象った。〈庭園〉が誇るセキュリティの要にして騎士たちと同じように〈庭園〉の守護を命じられている人工精霊、ティアがその場所に出現した。
「今現在の〈庭園〉の状況はわかっておるな?」
『ええ、全て見ていましたわ。そして同時に驚きも隠せません。自分に与えられた頭脳で結論を吐き出しておきながら妙なことを口にしていることにも。——あなたもそうではありませんの?』
「驚いてはおる、じゃが動揺はしておらん。本当にあやつなのであればこれまでの行動とも辻褄が合うからのぉ」
「では——やはり、希愛の進言どおりに動くのですね?」
「仕方なかろう。こうなってしまえばもうわしらではどうにも出来ぬ」
「わかりましたわ」
いってティアが上目掛けて両手をかざす。
『管理番号.No001——「無華花彩菜の術式」の持ち出しをここに承認。次いで、管理番号.No010——「式部茉弘の霊力」の持ち出しをここに承認。譲渡先を騎士イリ―ティアに移行します——』
その声に反応するように彼女の両手からそれぞれ違う色をした鍵が出現した。
そしてその二つの鍵が意思を持つかのように浮き上がり、イリ―ティアの側に寄りそった。
『あなたのご指示通り、七日前に現在の彩菜様からお預かりしていたものを、その騎士であるあなたへ譲渡いたしました。』
「うむ、確かに受け取ったぞ」
イリ―ティアが言って、指をパチンと鳴らすと鍵が消える。
これで依頼は果たした。イリ―ティアの役割は、ここで終わりだ。
解放を見届けた後、ティアが再度声を発してきた。
『——それで、問題の彼らは?』
「少年の方は……止めれんじゃろうな。あれはもう気づいておる目じゃった。
十中八九、真実を知ろうと動き出して必ず衝突する。
それが視えていたからこそ、あやつはお主とわしにこんな面倒事を頼んだのだろう」
『では、あの方は既に——』
ティアの言葉に、イリ―ティアは静かにうなずいて上を見上げた。
「——行った。わしに、全て取り戻してくると約束してな」




