26 激情と決意の炎
誰も悪くない。それでも譲れないものために。
『世界』と『彼女』を賭けた決戦が始まる——
第一章 終章『憧憬決戦』開幕です。
その日の夜。
〈庭園〉東区画の大病院に位置する集中治療室の待機室で、茉弘は祈るように両の手でリボンを握りしめ、うつむいたまま凛祢たち重症者の容態に関するイリ―ティアからの報告を彩菜、ガンヴェルトゥと共に受けていた。
「……以上じゃ。出血は多いものの、幸いにも命に別状はない。——彩菜の治療があったとはいえ、それすらも見越して追ったかのように生死ギリギリで調整されておった」
手にした端末に軽く触れながら、イリ―ティアが報告を終える。
その報告を受けて、ガンヴェルトゥが力を抜くように椅子に座り込み、彩菜は小さく安堵の息を吐いた。
ローブの魔術師からの襲撃のあと、ガンヴェルトゥが抑えていた因子を駆け付けた彩菜が掃討し、即座に茉弘たち避難生徒の元に降り立つと重軽傷者全てをその場で治癒してみせたが、あまりにも傷が深い三人は、彩菜の力をもってしても辛うじて息を吹き返すところまでしか治療できず、医療棟に緊急搬送となった。ここに三人で待機していたのは、それぞれの想いで彼らの無事を一刻も早く知りたかったからだ。だから、この報告には全員が安堵した。
「敵の目星は?」
「――わからねぇ。だがタイミングを考えれば、そこのガキとてめえの侍従が対峙したローブ野郎しか考えられねえ。俺の方に群がってきた竜どもは、たぶん足止めだ」
「終末因子を使役するか。にわかには信じがたいが、できぬわけではないな」
三人の練達した魔術師である彩菜、イリ―ティア、ガンヴェルトのそれぞれが思考する中、茉弘はそんな会話を小耳にも入れず、険しい表情を作って握りこぶしをつくってあの言葉を思い返していた。
(——次で、おわりにしよう)
次で終わりにする。
あいつはまだ次があると言っていた。そしてそれで終わりにすると。
目的は全くわからない。ただ明確なのは、あれが『敵』であるという事。
妹を傷つけた畜生だ。
「ババァ、あいつらは何日で目を覚ます?」
「最短で二日……長くて一週間弱といったところじゃろう」
「…………そうか」
多くは紡がず、ガンヴェルトゥは安堵の息を漏らす。
そしてすぐに椅子から立ち上がると、凄まじい勢いで彩菜の方へと向かい、胸ぐらを掴み上げた。
「……っ⁉ ガンヴェルトゥ、お主何を——」
「黙ってろォババア!」
ガンヴェルトゥの怒号に、イリ―ティアの肩がビクリと揺れる。
「無華花……っ! てめぇなんですぐに駆け付けなかったァ! 俺の方よりもこのガキや生徒、凛祢の方がヤベぇってことぐらい現着した時点で分かっただろうがァ……なのになんでそっちに行かなかったんだ、答えろォッ!」
「……私が〈弧峰の霊厳〉から〈庭園〉に到着した時点で感知していた『敵』は消えていた。だから被害の拡大を阻止するためにドラゴンの群れの掃討を優先したまでだ。責めたいなら責めればいい。全ては庭園を空けた私の責任だ」
「……ッッッ! っざっけんなッ! これは〈庭園〉の守護を任されてた俺らの責任だ、てめえのじゃねえ!」
「それでも……すまない」
「ッッッ!」
怒りが頂点に達したガンヴェルトゥが拳を振り上げ、彩菜の頬めがけて一撃を叩きこむ。
吹き飛びはせず、その場でよろめきながら口から血を少し吐き出して、彩菜はガンヴェルトゥを見つめた。
その視線に当たられたガンヴェルトゥは顔を引きつらせながら、静かに彩菜の胸ぐらから手を離した。
「なんか……言えよ。俺たちを、責めろよ……ッ」
「…………私に、その資格はないよ。ただ、やるべきことはある」
そう言ってガンヴェルトの頭をポンと触れる。
「よく、頑張った——」
「…………っ、ぅあああああああああああ——ッッッ——」
膝から崩れ落ちて泣き崩れるガンヴェルトを、うつむいたまま茉弘は光景を目に焼き付けた。
そしてその先にあるのものを瞳に映して、それを燃やし尽くさんとするほどの業火の如き瞋恚の炎を静かに、その瞳に灯らせた。
◇
寮の自室へと戻った茉弘は、ベットに横たわったまま〈庭園〉での日々を思い返していた。
思えば物凄い日々だった。まだほんの一週間しか経ってないのに、茉弘の世界はそれはもう劇的に変化した。いや、させられてしまった。
前の生活が充実していなかったわけではないが、この〈庭園〉での暮らしは十分すぎるほどに充実したものだった。まあ、自分が人間じゃないっていうのがあまりにも衝撃すぎたからかもしれないなと少し苦笑する。
——本当に、色々あった。
彩菜が保護してくれて、彩菜が色々なことを教えてくれて、皆になんだかんだよくしてもらって、自分の正体を知った茉弘が今も人と同じように生きれる世界を作ってくれた。
でも今——その世界は脅かされている。茉弘が知らなかった世界の裏側、そこで戦い続けている魔術師たちの居場所が壊されようとしている。
守ると誓った。あの時、ウンディーネと戦った瞬間。
式部茉弘は世界を守る〈庭園〉の魔術師になると。
父と母が自分に残していった世界を殺す『精霊の力』と世界を救う『魔術師の力』を使って、あの人たちの役に立ちたいと願った。
だが、その結果がこれだ。
最初から、上手くいくなんて思ってはいなかった。辛い道になることは理解出来ていた。
けれど、頭の片隅にほんの少しだけ、楽観があったのだろう。日に日にこの手に馴染んでいく『精霊』と『魔術』という未知の力の実感に、その万能を超える力に心が高揚していた。この力があれば、きっと他の魔術師よりも多くを救えて、どんな敵もやっつけて、幼い頃に妹と読んだ絵本の中の英雄のようになれるんじゃないかという、根拠のない幼稚な考えと自信がどこかにあったのだ。
茉弘は今、途方もない無力感と自己嫌悪に苛まれていた。
何のことはない。茉弘は生きていれば誰しもが一度は体験する失意の底にいた。
——僕は、弱い。
——僕は、惨めだ。
……。
…………。
………………けど、それがどうした。
そんなんで歩みを止める気はない。憧憬の前で強くなると決めた。恐怖も後悔も、負けて何も救えなかったあの瞬間に全て捨てた。
身体は既に全快。身体には十分すぎるほどの黒い衝動が溜まっている。
——大切な物を傷つけた『敵』を絶対に殺すという、妄執染みた復讐心が。
「……ああ……」
心に薪をくべろ。
灯った炎で意思を燃やせ。
立ち上がれ。ここで立てないなら、式部茉弘に価値なんてない——
「……行かなきゃ……」
ウンディーネと対した時とは、今は違う。
初めて『敵』を認識し、凛祢を傷つけられ、初めての激情と決意の炎が灯った。
全てを終わらせるために。もう誰も傷つかせないために。
……勝機はない。
……確証もない。
……信じたくもない。
それでも相対してしまった。この身体は、瞳は、心は——もう『敵』と定めてしまった。
茉弘は制服に袖を通し、凛祢のリボンを静かにおでこに当てる。
「——凛祢。お兄ちゃん、行ってくるよ」
茉弘は決意とともにそう言うと、机にリボンを置く。
そして静かに、誰にも気取られないよう、頭上に二つの星紋を浮かべた。




