23 強襲——【庭園】
「え……っ⁉」
目を閉じ、意識を集中していた茉弘は、突如として響き渡った警報に顔を上げた。
するとそれに合わせるように、錬魔場の上空に、幾つもの黒い靄が噴き出され、周囲に罅が入っていく。
「——茉弘」
「茉弘くんっ!」
「二人とも、これって……!」
側にいた希愛と近くにいた緋咲に、茉弘は慌てて声を上げた。
その音は。そしてその光景は。
茉弘が〈庭園〉編入初日に起こったそれと、酷似していたのである。
茉弘の思考を察したかのように、希愛が険しい顔をしながらうなずく。
「間違いありません。終末因子です。ですが、こんなまた急に——」
希愛の言葉を遮るように、空に生じた靄が晴れ、罅割れが一際大きくなっていき——やがて、その中から巨大な怪物が姿を現す。
鋭い爪。硬質な鱗を並び束ねた体軀。太古の翼竜を思わせる翼。そして、角と牙が並んだ頭部。
それは、まるで神話の物語から飛び出してきたドラゴンのそれであった。
「——終末因子;第二上級種・『ドラゴン』……っ⁉」
「しかも、この数……二〇、いや……まさか三〇以上⁉」
希愛と緋咲から驚愕に満ちた声を上げる。
「な、なにが起きてんだよぉ⁉」
「うそ、あれまさか全部〈庭園〉に向かってきてっ——⁉」
光景を目の当たりにした生徒も、突然のことに状況を吞み込めず、パニックに落ちかける。
と、その瞬間。
「——しゃんとしやがれッ、ガキ共! 終末因子が出現したとき、どうすればいいのか俺が教えてやったはずだァ! 第一顕現を使える奴は使えねえやつの護衛、第二顕現が使える奴は応戦しろ! だが無理はするな! 分かったら動きやがれ!」
怒号に近しい声を上げながら、ガンヴェルトゥが生徒たちに指示を出す。
直後、聖紋を二画出現させ、上空のドラゴンの群れが成す方へと跳躍していく。
「緋咲! うちの馬鹿兄をお願い!」
と、茉弘たちの横を凄まじい速さで駆け抜けながらそう言い残した凛祢も、ドラゴン討伐へと即座に動く。
その背中を見た茉弘は、無意識にそのあとを追うする。
が、後方から肩を掴まれ、振り返ると希愛が首を小さく左右に振る。
「駄目です、今行ってもあなたではどうにもならない」
「で、でもっ……前みたいに第二顕現が出せれば僕も戦力に——」
「出せれば、ということは今は出来ないのですね」
「……っ!」
希愛にあっさりと見破られたことに茉弘は表情を歪める。
あの時のような全能感はなく、立ち向かう意思よりも恐怖が勝ってしまっている。
こんな状態で終末因子に挑むなんて想像ができない。
「二人ともっ、揉めてる場合じゃないよっ⁉」
「っ!」
茉弘たちの側に居た緋咲が慌てるように茉弘たちの肩を掴んで揺らしてきた。
パニック状態でありながらも、彼女は彼女で凛祢から自分のことを頼まれた責任を果たそうとしていた。
そこでようやく、自分の利己的な判断が彼女を危険地帯に置かせてしまっているのだと気づく。
「……っ、ごめんっ!」
「ちょ、ええっ⁉」
「……っ! 茉弘⁉」
突如駆け出した茉弘に、緋咲と希愛が声を上げる。
異常、というほどではないが並々ならぬ速度でその場から疾走した。
「ど、ど、どうしようっ!」
「私が連れ戻して参ります! 緋咲さんは他の生徒の避難誘導への尽力を!」
「わ、わかった! おねがい!」
緋咲に最低限の指示を出し、希愛も駆け出す。
「っ、あの大馬鹿者っ」
加速する背中を負いながらそれに悪態を吐く。
彼が駆けだした経緯など単純。自分がはっきりとしないせいで緋咲の避難や役目を妨げてしまっていたと理解し、考えもまとまっていないまま巻き込むまいとする意志だけが彼を駆けださせている。
魔術師にとって心のバランスは重要不可欠。精神状態が万全であればある程、魔術師の真価は発揮されやすくなる半面、不安定な状態の魔術師ほど陥落しやすい兵はいない。今の茉弘は間違いなく後者に当てはまる。
「……ッ! 茉弘っ! 待ちなさい!」
大声で呼びかけるも疾走は止まらない。どころか加速している。
希愛の身体能力は凡人のそれよりも優れている。にもかかわらず茉弘との距離を離されていく。
「く———っ」
器の昇華。
『精霊』という強大な力を秘める茉弘の身体は、その力に身体を壊されないために肉体が活性し、五感や臓器といった身体機能はもちろん、膂力となる身体能力はもう希愛よりも優れたものになっているのだ。
でもそれは肉体の変化であって、心の成長には結びつかない。だからこそこの事態を招いてしまっているのだ。
「…………っ!」
辺りを見やれば、もう既に何頭かのドラゴンが錬魔場に飛来していた。
「この——」
生徒たちに襲いかかろうとするドラゴンの首を第二顕現で飛ばすガンヴェルトゥの姿が視界の端に映る。さすがい一言に尽きるが、希愛は表情を緩ませることはなかった。
状況が状況なのもそうだが、問題なのは終末因子の物量である。
ガンヴェルトゥは雷光、凛祢は大剣で応戦し、瞬く間にドラゴンたちを光に返しているが、今なお出現し続けるドラゴンの群れの出現量に討伐速度が追いついていない。
彼らの意識をすり抜けるように、生徒たちへとドラゴンが襲いかかる。
そしてそれは、追いかけ合う二人も例外ではない。
「ぐうう……っ!」
「……! く——」
巨大なドラゴンは、上空から茉弘と希愛目掛けて飛来してくる。失速した茉弘に追いついた希愛は自分の身を盾にするように、茉弘の前に進み出た。
「希愛……っ⁉」
驚愕に染まった茉弘の声が、希愛の鼓膜を震わせる。
「あなたを守るのが、私の使命ですっ!」
そう叫んだ希愛を引き裂くまいと、その巨大な爪を持つ腕を振り上げた。
「…………っ!」
——せめて彼だけはっ!
その意志と共に、希愛の手首に光の紋様が一つ描かれる。それは希愛が有する第一顕現の発動を知らせる証だ。けれども、あまりに遅い。
巨大な爪が振り遅されるほうが二歩早く、瞬く間に希愛の眼前に差し迫った。
(間に合わない——)
希愛がそう確信した瞬間だった。
「あああああああああああああああああああああ———ッ!!!」
後方から茉弘の声が響いたかと思うと、目の前のドラゴンの巨大な体軀がかき消えた。
「な——」
半端に残ったドラゴンの部品が力場を失って地面に転がる中、希愛は後方へ振り返った。
そこにいたのは、頭部に王冠を思わせる星紋を二画浮かばせ、闇色を灯したナイフを握った茉弘だった。
「希愛っ! 大丈夫っ⁉」
「え、ええ……茉弘、それは——」
「わ、わかんない……っ、希愛が危ないって思って、助けなきゃって思ってたらいつの間にか……」
そう言った茉弘の表情は、彼の言うとおり困惑の色に満ちていた。
確か目の前の彼が握っている顕現体は、紛れもなく第二顕現から生まれたもの。ただ——以前見た巨大な剣ではなく、既に刃がボロボロな漆黒のナイフだった。
「不完全な顕現……」
第二顕現は基本、同じ第二、もしくは上の段階以外に砕かれることは無い。
だが不完全な顕現体は別。顕現体を生み出す際に込められた魔力が低い、もしくは高すぎた場合のみ物質の耐久が著しく低くなり、一度の行使で砕けてしまう。
茉弘の場合は恐らく後者。込められた力に顕現体が耐えきれず、一撃と共に自壊寸前になったのだ。
「……っ」
末恐ろしい。
自らが出した結論に、希愛は寒気を覚えた。
不完全な顕現で既に名高い騎士たちと同じようにドラゴンを屠った茉弘の将来性とその危険性を如実に感じ取ってしまったのだ。
しかし今はそんな余韻に浸っている暇はない。希愛は頭を左右に振って茉弘の胸ぐらをを掴み上げた。
「助けていただいたことには感謝いたします。ですが勝手なことはしないでください。今回のこれも人為的な出現である可能性があるのですよ」
「で、でも——」
「でも、じゃありません」
希愛が胸ぐらを掴む力を強めながら続けてくる。
「二度と自分から危険に飛び込まないで下さい。いいですね?」
「は、はい……ごめんなさい」
「よろしい」
そう言って胸ぐらから手を離す。
「ひとまず、その第二顕現はもう消して構いません。さすがの一言に尽きますが、彼らの処理速度が出現速度を凌駕し始めています」
そう言って上を見る希愛を追うように、茉弘も上空に目をやった。
希愛の言う通り、上空にまだいるものの出現時に比べて数が激減していた。
「凄い……ガンヴェルトゥ先生もそうですけど……凛祢もあんなに強いなんて。でもこれなら——」
そう息をついたと同時、浮かんでいた星紋がすぅっと消えていき、ボロボロなナイフも完全に砕けていった。
「あ、あれ……勝手に」
「恐らくまだ無意識にしか第二顕現が発動できていないからかと。もしかすればあなたの顕現術式の発動には何かしらの条件の達成が必要なのかもしれませんね」
「条件の達成……ですか?」
「はい。ですが——」
と、希愛が言葉を紡ぎかけると隙に飛びつくかの如く、上空からドラゴンが迫ってきた。
「うわっ⁉」
「……この話は、まずこの窮地を乗り越えてからです。今度は私がやるとしましょう」
そう言って手首に手を添えると、前に突き出した。
「第二顕現——【白鎖扇】」
希愛の手首から光の紋様が二画浮かび上がると、希愛の手に純白の扇が握られていた。
そして次の瞬間、希愛はその扇を開くと。
「【白き風よ、斬り裂け】」
ドラゴンめがけて扇を一閃する。
そこに生まれたのは、白く渦巻く風の奔流。当然扇が届く距離でも無ければ、斬り裂くほどの殺傷性はあるはずもない。
にもかかわらず、その風は距離を殺した。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ——ッ⁉」
瞬間、ドラゴンの痛哭が大気を震わせる。
希愛の生み出した風の一部が、まるで意思を持つかのようにうねり、ドラゴンの巨躯に傷をつけるだけでなく右側の片翼を削いだ。
「ナイスよ」
そこにタイミングを合わせるかのように凛祢の声が響いたかと思うと、ドラゴンの巨大な体軀が、バラバラに切断された。
「な——」
幾つもの肉片へと分解されたドラゴンの死体が宙を舞う中、茉弘の目の前に凛祢が振り立った。
頭部に、三日月を思わせる星紋が二画浮かび上がり、その手には、月明かりのように輝く刃を持った長剣が握られている。
「…………凄い」
その神々しいばかりの威光もうそうだが、二人の連携に茉弘は目を奪われてしまった。
直接的なやり取りを交わしていないのにも関わらず、二人はまるで示し合わせていたかのようなタイミングでドラゴンを瞬く間に屠ってしまったのだ。
だが、凛祢は即座に険しい表情を作ると、そのまま茉弘の胸ぐらを掴み上げてきた。
「……あんた、緋咲たちと避難もせず戦場のど真ん中に駆け出して身を危険に晒して何考えてるの。自分に万が一のことがあったらとか考えてないで行動したなら、あんたに魔術師は務まらない。——わかったら、早く避難して。そして二度と〈庭園〉に関わらないで。ここはあんたみたいな善人がいるところじゃない」
凛祢は一歩的に言うと、ちらと希愛の方を見やった。
「えと、希愛だったかしら。——編入生にいきなりこんなこと頼みたくないんだけど、腕を見込んで一つ頼み事聞いてもらえる?」
「ええ、なんなりと」
「——茉弘を、お願い」
静かな声で告げた凛祢に、希愛は小さく頷く。
それを見て「ありがと」と短く言い、地を蹴り、残るドラゴンの群れに向かって行った。
「……凛祢」
茉弘よりも小さい身体でありながら、勇猛果敢な姿でドラゴンを次々と屠る妹の姿に、茉弘は無力感を感じて無意識に拳を握りしめて俯いた。
凛祢の言う通りだ。自分の取った行動はなにも生まなかった。全部が偶然上手くいったからこういう結果になっただけで、狙ってやったことではない。
自分は精霊。みんなとは違う特別な存在。あのウンディーネも倒せる力をこの身に宿している。だから襲われても大丈夫だと。
手段もないくせに一度の成功談に浸って身勝手に動いた結果がこれだ。自惚れと罵らされてぐうの音が出ないほどの愚行だ。
「……茉弘」
名前を呼ばれ、俯いた顔を上げた。
いつの間にか希愛が茉弘の手を掴み、何かを伝えようとしているかのような表情で見つめてきていた。
何やってるんだ。 ——わかってる。
悟ってるんだろ。 ——そうだよ。
だったら動けよ。 ——わかってる。
式部茉弘の居場所は、この戦場のどこにもありはしない。舞台に上がる資格を持たない自分がいても役者不足だと認識した。
だから無様に、彼女の力を借りてみっともなく逃げよう。留まる理由はもう無いのだから。
この戦場で自分に出来ることなどないのだから。
「……大丈夫です。凛祢の言う通り避難します。だからそれまでお願いします」
「わかりました」
本日1000PV超えました! ありがとうございます!
これからも頑張っていきます!




