21 無自覚な不意打ち
「……」
茉弘はゆっくりと目を開けた。
青い空が見える。涼しげな風を肌で感じながら、抜けるような蒼穹をぼうっと眺めた。
脳天がズキズキと痛むのを自覚しつつ、最後に途絶えた記憶を辿ってみると……思い出されるのは、凄まじい速度で落とされた妹の一撃だった。
見事に、彼女の噴火を受け止めたらしい。
錬魔場で取り組んでいる、彩菜との訓練。
日に日に厳しさが増していく彼女の戦闘指導に、茉弘は意識を手放してしまうことがたまにある。今の感覚はそれに近しい。
どれくらい気を失っていたんだろうと、頭の裏の柔らかい感触に受け止められながらぼんやりと考えていると……不意に、ひょいと。
仰向けになっている茉弘の視界に、透明な瞳が覗き込んできた。
「起きましたか?」
「……ほふぁ⁉」
視界の真ん中に現れた希愛の顔に、茉弘は奇声を上げて起き上がる。
逃げるようにしてその場を離れ、ようとしたが。
「待ちなさい」
「ギエッ⁉」
制服の襟を掴まれて喉が詰まり、変な声が発される。
「何故逃げたのですか」
「な、なんでって……っ、……何で逃げたんだ、僕」
「聞きたいのはこっちなのですが、まあいいでしょう。体は平気ですか?」
「……はい、多分。まだちょっと痛いですけど」
「あの式守凛祢の一撃ですから、残るのは当然かと」
それで済ませられるものなのだろうか、と思いつつもそれは飲み込み、茉弘は辺りを見渡した。
周りを高い柵が囲んでおり、所々にベンチや自動販売機が配置されていた。
「ここって……」
「〈庭園〉学舎の屋上です。殴られて気絶したあなたに再度殴りかかろうとした凛祢さんからあなたを守るため、勝手ながら背中に背負ってここまで運ばせてもらいました」
「な、なるほど。その、なんか、すみません」
「いえ、と言いたいところですが正直労ってほしいです。怒り狂った彼女を振り切るのにどれだけ苦労したことか……」
そう言いながら、まるで今もなお追いかけられてるのではないかという不安の汗が額に滲むのを拭って希愛はため息をつく。
「……なんか、ほんとにすみません。うちの妹がやばいやつで……」
「彼女が凄まじい存在なのは前々から理解していましたのでいいです。が、よもや彩菜様関係以外でもああなるとは思いませんでした」
「え、どういうことですか。前にも似たようなことがあったんですか?」
「ええ、その時はキッカケである騎士ガンヴェルトゥが色んな意味で死にかけ、彩菜様が全力で止めなければ大事になっていたでしょう」
「彩菜さんが全力を出すレベルって、その時の凛祢どれだけやばかったんですか……」
「彩菜様の第四顕現で一発KOさせないと止まらなかった、といえばその脅威はおのずと測れるかと」
第四顕現。〈庭園〉に来てから何度か聞くようになった単語である。
茉弘も〈庭園〉の講義を受ける中で知ったのだが、この〈庭園〉で教えられている魔術は『顕現術式』というもので、計四種の型が存在している。
世界に存在するあらゆる〈現象〉を顕現させる魔術:『第一顕現』。
世界に存在するあらゆる〈物質〉を顕現させる魔術:『第二顕現』。
そして二つの権限術式の〈同調〉を顕現させる魔術:『第三顕現』。
そしてこれら三つの権限術式を用いて世界に術者の心象世界——己の〈領域〉を顕現させる魔術。
それが『第四顕現』。類まれない才能を持つ魔術師のみが扱る魔術であり、同じ第四顕現は存在せず、その者だけにだけ扱える唯一無二の魔術である。
そんな代物で迎撃しなければ止まらなかった凛祢と、そんな凛祢を一発KOさせた彩菜の第四顕現とは、どれほどの威力だったのかはもう茉弘の常識ではきっと測れないだろう。
なんて妹ととんでもない憧憬なんだと、茉弘は心の中で頭を抱えた。
「あ、あの、希愛さんは、どうして急に庭園に編入してきたんですか?」
話題を変えるように茉弘は別の話題を振る。
「……先にも言いましたが、彩菜様の命です」
「それってやっぱり、僕と関係あるんですよね?」
「まあ無いと言えば嘘になりますが、本命は別にあります。——三日前の事件のことです」
「そ、それって、人為的な出現因子の出現のことですか?」
「やはりご存じでしたか。ちなみに誰かに話したりなどは……」
「し、してませんよっ、こんなこと話したら大変な騒ぎになりますし……なによりこんな話、彩菜さんの許可なく話せないですよ」
「ならば構いません。そのまま心のうちに秘めておいてください」
希愛は注意を促すようにそういい、膝に付いた汚れを掃いながら静かに立ち上がる。
「もう一限には間に合わないでしょうが次の実技には間に合うでしょう。少ししたら戻りましょう」
「あ、はい、でもサボった後に戻ったら変な目で見られないですかね」
「普通ならそうでしょうが、今回はあの式守凛祢に追いかけられたという事実がありますので問題は無いかと」
「顔パスみたいな扱い」
〈庭園〉内での妹の変な扱われ方を心配しつつ、まあそのおかげで変な目で見られないのなら遠慮なくそれを利用させてもらうことにしよう。こんな状況に置かれた原因は彼女にもあるのだから。
「では戻りましょう」
「あ、はい、あと希愛さん、その、ありがとうございます」
「? 特にお礼を言われるようなことはしていませんが」
「起きるまで待っててくれたじゃないですか、その、膝枕、して……」
歯切れ悪く、照れながらも笑ってお礼を言う茉弘の顔を見つめ、数度瞬きをしたところで。
「…………」
希愛はその場にしゃがみ込むと、自身の髪をくしゃくしゃした。
「え、ど、どうしたんですかっ?」
「…………お気になさらず、少し疲れが出て立ちくらみしただけですので」
「で、でも、それにしては顔が赤くなって、まさか熱があるんじゃ……」
「ありません、むしろピンピンしてます、だからお気になさる必要は一切ありません」
「で、でも……」
煮え切らならずとも気にかけてくる茉弘の姿に耐え兼ね、希愛は振り切るように勢いよく立ち上がって自分は大丈夫だと主張する。
「ほ、ほら……この通り万全ですっ!」
「なんだ、突然しゃがんだから何かあったんじゃって思って、びっくりしましたよ……」
「気にしすぎです。それと、その……学舎にいるときは『希愛』と呼んでください。私もあなたのことをこれからは『茉弘』と呼びますので」
「え、なんでです?」
「私は学舎内でもあなたの面倒をみるよう、彩菜様に申しつけらています。互いに何かあったとき、名前で呼び合っておけば親しい間柄という名目で接触もしやすいでしょう。まあ式守凛祢への警戒はいるでしょうが……」
「なるほど、わかりました」
茉弘がうなずくと、希愛は小さく微笑む。
それと同時に、気取られぬように小さく息を吐くとおでこに手を当てながら出口の扉へと振り返る。
——まるで、今も残る熱を隠すかのように。
「…………まったく、不意打ちがすぎるよ……」
そして、茉弘に聞こえないくらいの小さな声でぽつりと呟く。
しかし、数秒後。
「……では、戻ると致しましょう」
いつもの無表情に戻った希愛はさっと茉弘に手を伸ばし、茉弘も何事も無かったかのようにその手を取り、学舎の中へと戻っていった。




