17 余韻の闇に
突如として現れた第一級因子消滅のあと。
初めて精霊の力を行使した茉弘は、〈庭園〉の東区画に位置する医療棟へと運び込まれていた。
学園の医療棟——とはいうが、その規模は茉弘の知る病院に近かった。左右にそれぞれ四階建ての建物を連ね、五階建ての中央棟が病院の規模をより大きくかのように聳えている。
とはいえ、茉弘自身に怪我はなく、空から重力に従って地面に叩きつけられる前に凛祢に受け止めてもらったので診察を受けるほどのことでもないと思っていたのだが。
「——随分な無茶をしたようじゃな。少年よ」
と、診察台の上で寝かされる茉弘の腕に触れながら、ため息混じりにその言葉を口ずさんだのは、〈庭園〉最高峰の治癒魔術師の使い手。凛祢と同じく騎士の名を拝命しているイリ―ティア・ヴェンディである。
ちなみに、茉弘のすぐ横には凛祢が手をぎゅっと握りながら付き添っており、部屋の入口には遅れて入ってきた彩菜は茉弘の診察結果を静かに待っていた。
ガンヴェルトゥもいたのだが、生徒各位に事態の説明を行うために彩菜と入れ違うように部屋を出ていた。今頃はドタバタと動いているのだろうか。
「——イリ―ティア。彼の容態は?」
彩菜が問いかけると、イリ―ティアは「ふむ」とあごを撫でた。
「外傷はない。内傷も。ただ——魔術回路の一部が焼き切れかけておったわ」
「やっぱりか」
「……そうですか」
その言葉に対して、彩菜や凛祢が反応に多少の差異はあれど二人とも眉根を寄せた。
「えと……それってまずいんですか?」
茉弘が寝たまま問うと、凛祢が呆れた顔で口を開いた。
「まずいって言うか、そもそも魔術回路が焼き切れる時ってのは己の身の丈に合わない力を行使した際に生じるもので、簡単に言えば筋肉痛みたいなもんよ」
「筋肉痛みたいなもんならこんな大事にしなくても……」
「わかってないわね。筋肉痛ってのはあくまで比喩的表現。イリ―ティア様が治療できる程度だったからよかったけれど下手したらあんたは二度と魔術が使えなくなってたのよ」
「え⁉」
当然でしょ、と凛祢がふんと鼻を鳴らし、「まあ私はそうしてくれた方が嬉しかったけどね!」とおおらかな声で言うと、なぜか駆け足で部屋から出て行ってしまった。
相変わらずじゃのぉ、と言ってイリ―ティアは見慣れた光景に息を吐くように立ち上がり、仕切りのカーテンを閉めた。
「凛祢の言う通り、お主の治療は既に済んでおる。一日安静にしておれば全快するじゃろう。じゃが……」
と、言葉を止めてイリ―ティアが目を細めながら彩菜を見やる。
その目はまるで主である彩菜を見定めるような、あるいは真意を測るかような眼差しであった。
「言いたいことは分かってるよイリ―ティア。君に彼を診せた時点で『精霊』だと見破られるのは想定していた」
「……! さ、彩菜さん⁉」
「であろうな。でなければ説明がつかん事象じゃ」
何の包み隠しもなく、流れるように彩菜が茉弘の正体を明かしたことに声が上擦ってしまった。
更に言えば、サラッとその事実を受け止めたイリ―ティアにも驚愕していた。
「わしがこれまで見てきた魔術回路破損の症例のどれにも当てはまらん型。まるで魔術回路の内と外から同時に攻撃されたかのような損傷だった。仮設に過ぎんが、恐らく内在魔力と外在魔力だけでなく、『精霊』固有のエネルギーである『霊力』が同調したのでないのか?」
「それについては現場で既に調べた。残留魔力から見てその予測で正しいと私も見ている。——それにしても糾弾しないのかい? 私が隠し事をしていたことを」
「頭痛はするが追及はせぬよ。お主にも考えがあってのことだろう。それにこの子は形はどうであれ〈庭園〉を危機から救ったのじゃ。恩を仇で返すのは恩知らずであろう」
「苦労をかけるようですまないね」
「別に今に始まった事ではないであろう。凛祢の時も似たようなことはあったのだから」
なにやら難しい話を繰り広げる二人から完全に置いてきぼりになり、呆然と白い天井を見つめながら自分の右手を見つめた。
——感覚がまだ薄っすらとだけどある。
自分の身の丈に合わないような巨大な剣を握っていた感触が。
そしてそれを振り上げ、怪物を一閃した感覚が。鮮明ではなくとも確かに感触として残っていた。
あの瞬間、あの場で式部茉弘は彩菜たちと同じ、世界を救う魔術師の一人になっていた。
それと同時に、『精霊』の存在も感じることが出来た。御しきれていたかどうかは何と言えないが大きな前進である。
と、感傷に浸っていた時だった。
『——学園長、並びに式部茉弘君へ。
〈庭園〉中央区画の管理AI『TIER』より此度の討滅作戦についての招集依頼の申し出がございます。至急、中央区画の第二下層までお越しください。繰り返します———』
「この放送って……」
そう疑問を発する前に彩菜が続けて言った。
「〈庭園〉が誇る最高の頭脳からのお呼び出しのようだ。——動けるかい、茉弘?」
「え、はい……多分」
肩を回してみたり身体を伸ばして確認しながら答えると、微笑を浮かべながら彩菜が手を出し、
「じゃあイリ―ティア、またあとで」
「うむ」
彩菜に手を引かれながらイリ―ティアさんに軽く挨拶とお礼をし、茉弘と彩菜は部屋を後にした。
「…………」
イリ―ティアは何も言わず、ただその背中を見届けた。
居なくなった後も。遠ざかった後も。
気配が消えても。それが数十秒だったか数分だったかはわからないが待った。
そして——
「…………ふう」
幾ばくかの時が過ぎた後、イリ―ティアは天井を見上げながら息をついた。
「もう出てきてよいぞ」
誰もいない部屋の隅に言葉を向ける。
いや、正確には『精霊の少年』を担いできた『騎士』よりも先に。
戦いが終わった直後に自分の元に訪れた『彼女』がいる場所に向けてそう発した。
「……随分と、ご警戒されていましたね」
その言葉を呼びの合図とするように、彩菜にも気取られないほどに気配を消していた侍従の少女がゆっくりと溶け込んでいた陰から姿を晒す。
「当然じゃろうに。あやつの底は長年共におったわしですら測れん規格外の女じゃ。それはお主の方がわかっておるだろう」
「はい。恐らく貴方よりも、いえ……世界で誰よりも私は彼女を知っております。故にあなたの的確な警戒には尊敬の念を禁じません」
「馬鹿を言うでない。警戒をしたのはわしの為だ。……で、何の用じゃ?」
「私からの独断でのお願いごとをしに参りました」
「——それは『命令』か?」
「『私情』です。私に残された選択肢は限られてくる。ここからはあなたのお力をお借りしたのです。〈庭園〉の全てのエリアに入れるあなたのお力が」
イリ―ティアは目を見開き、彼女の瞳が灯す瞋恚の炎を見た。
全てを察せずとも理解をしてくれると確信し、その上で抑制しきれていない感情を瞳の奥に押し殺す少女が、そこには立っている。
「まったく……なんという顔をしておるか」
「みっともない顔でしょう。でも、私はやらなければならないのです」
折れる気配のない少女の様子を見、程なくして諦めるようにイリ―ティアは息をつく。
「一つ聞こう。お主は何のために立ち、誰のためにその身を危険に晒しておる?」
「——決まっています」
少女は息を吸い、一拍置いて答えた。
その時、医療棟を通りかかった者とそこにいた者が聞いた。
愉快そうにお腹を押さえて笑う声と、それに怒る少女の声を。




