15 目覚めの声
「——————あれ?」
いつの間にか。
茉弘は教室で、椅子に座っていた。
〈庭園〉の教室にあるようなそれではない。もっと一般的な、普通の学校の教室だ。
いや、普通——というのは少し違う。窓の外の景色は真っ白で、奥行きがはっきりとしない。その先があるのかもよく分からず、まるでこの教室のような空間だけが存在しているような様子だった。
「ここは……いや、それより……」
一拍置いて、直前のことの記憶を思い返す。茉弘は自分の手に視線を落とした。
「宝石が……ない」
先ほどまで握っていた宝石がない。それどころか側に居たはずの希愛の姿も見当たらない。
「何が……どうなって……」
と、茉弘がぼやいた。
その瞬間だった。
「——どこをみてるんだい? 茉弘」
「………………!」
次の瞬間響いた声音に、茉弘はハッと顔を上げた。
驚きで、心臓が収縮する。けれどそれは、いきなり声をかけられたからとかではなかった。
——その声に、聞き覚えがあったのである。
「——彩菜……さん?」
茉弘が目を見開いてみた教室の前方。
そこには、左右に広がった黒板と教壇、教卓とそこに積み重なっている本が見受けられる。
そしてその教卓の上に——無華花彩菜が、一冊の本を片手に悠然と腰掛けていたのである。
「な、なにしてるんですか——」
思いがけない待ち人の貌を見て。茉弘は、困惑した。
「君を待っていたんだ」
「僕を待ってたって……」
「時間もないから手短に話そう。——君の精霊の力、その行使を庭園内でのみ許す」
「へ……?」
唐突な話に、理解が追いついてこなかった。
「——もう一度言おう。精霊の力の行使を許す。だから──」
彩菜が、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
「あの怪物を──倒してくれ」
「シャらくせぇッ!」
肉体での回避が無理であることを即座に察したガンヴェルトゥは、極限まで鍛え上げられた肉体と経験則を以て迫る斬撃を雷鳴を纏った手刀で受け流す。
その遠心の余力で即座に攻撃範囲まで接近し、強烈な拳を叩きこむ。
魔術師と呼ばれる存在の大半が遠距離型であることを毛嫌いしたガンヴェルトゥが、唯一無二の魔術師となるべく独学で体得した『技と駆け引き』による超近接型魔術。
ガンヴェルトゥを騎士へと押し上げたこれらを以てしても、目の前の怪物は傷一つ負っていなかった。
「はあああああああああああああああ——————ッ!」
ガンヴェルトゥの一撃に後退した怪物を、合流した凛祢が追撃する。
が、捉えるもののこれも通らない。
〈庭園〉の最高戦力の一角である騎士が二人いてこの始末か——などと責められる者はいない。
「アアアァァァァァァァァァァ—————ッッッ!」
「——るっっっせぇぇぇぇぇぞツ!」
再び、強烈な剛拳を叩きこむ。
が、やはり浅い。攻撃はいくらでも叩き込める。その程度にこの怪物の動きは遅く、ガンヴェルトゥや凛祢からすればいいサンドバッグだった。
けれども二人が叩きこむ攻撃の全てが決定打に成り得ないのは、二人の攻撃が半減させられているからだった。
——終末因子:第一級種『ウンディーネ』。
世界に存在する四大元素の一つ『水』を司る精霊——彼らが相手取っているのはその亜種だった。
互いに星紋を二画浮かばせ、凛祢は手に持つ巨大な剣を強く握りしめ、ガンヴェルトゥは雷光を纏う剛拳を幾度となくその貧相な身体に叩きつけた。
だが、半歩届いていない。
「おい式守! 無華花の現着まであと何分だ!」
「知らないわよ! んなこと気にする暇があるなら魔女様が来るまでこいつに何もさせないようにひたすら叩き込みなさい!」
「んなこと聞いてんじゃねえ! クソムカつくがあいつが着く前にこっちの攻撃が通らなくなる方が早ェから訊いてんだよ!」
「……っ」
彩菜から認められた聡明な騎士たる魔術師二人は、数分でこの戦いが時間稼ぎで終わることを予見した。
ウンディーネの亜種は通常種とは異なり、魔術耐性と物理耐性が極めて高い反面で動きが通常種よりも拙い。だが魔術や打撃で攻撃を加えれば加えるほどその強度が増していく特性を有している。
ガンヴェルトゥと凛祢であれば、その強度の上からでもウンディーネを殺すことは出来るが、それをやるには全力を出さねばならない。彼らの全力とは、魔女も認めし必殺。それも余波で〈庭園〉に被害をもたらす可能性を持ったもの、そして時には戦いの盤面そのものを覆しうるものが大半を占める。
故に彩菜の許可なしの〈庭園〉内での全開戦闘は、騎士団の禁止事項とされている。
情けない話だが、その制限下にある凛祢とガンヴェルトゥにはこのウンディーネを押しとどめることは造作もないが倒す手段がないのである。
この怪物を葬るには、この怪物が持ちえない耐性の穴——つまり初見の一撃を叩きこんで再起不能にするしかない。
そしてそれが出来るのは彩菜しかいないと。凛祢は確信し、ガンヴェルトゥは心底苛立ちながらも、騎士の使命を全うすることだけを考えて攻撃を続けた。
「—————」
そんな凛祢たちの意思を嘲笑するかのように、ウンディーネが手を空にかざした。
ウンディーネが纏っていた水が生き物のように蠢き出し、凍結した。
これまで倒してきたウンディーネにない動きに二人が警戒を強めたのに反して、まったく別の方向からそれは放たれた。
——氷結の矢。
何十本という鋭利な投擲物が、背後から凄まじい勢いで射出されたのだ。
「なっ!?」
「ちぃッ!」
動じながらも凛祢は剣、ガンヴェルトゥは雷槍で瞬時に自身に突き刺さる矢だけを選別して迎撃。しかし、それは本命にあらず。悪辣な怪物の狙いは、彼らの頭上に用意されていた千の氷槍である。
——鯖きれない……っ!
氷槍が射出される前に全てを斬り落とせないと察した凛祢は、別の第二顕現へと切り替えを試みるが。射出の方が半歩早かった。
放たれた氷槍が頭上から降り注ぐ。凛祢はその七割の迎撃に挑もうとし、ガンヴェルトゥは己の最速で範囲外から退去して凛祢の援護を行おうとしてそれぞれが最善を尽くした。
それと——同時だった。
「凛祢ぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ—————ッ!!」
空から。
氷槍のもっと上から。
そんな叫び声が聞こえてきた。
「え———?」
凛祢は、身の危険が迫っているというのに、そんな呆然とした声を発していた。
だってその裂帛が、ついさっきまで、避難できていないのではないかと思っていた愛しい兄のものだったから。




