12 裏側の真実
寮舎のある南区画を出た茉弘は、そのまま希愛に連れられて、どういう訳か中央学舎の屋上へとやってきた。
「——ここが、中央学舎の屋上……」
屋上の周囲を覆う、背の高いフェンスの側へと歩いた茉弘は、強い風に押されそうになるのを踏ん張りながら、眼下に広がる景色を見下ろし、小さく声を漏らした。
地上にいるときは目に出来なかった周囲の様子が一望出来たことと、校舎の周りに、いくつもの施設に内包した庭園が有する広大な敷地、そしてそれら全てを囲う高い壁があり、その向こうには、見慣れた街の風景が広がっていた。
「あれ……桜城市ですか?」
「はい。彩菜様からご説明を受けているかと思いますが、この《庭園》は、住所で言え桜城市南西地区に当たります」
「南西……」
茉弘が暮らしていた式守家もちょうど南西側だが……改めて驚かされる。
「ほんとに、ここのことを誰も認識できてないんですね」
「はい。彩菜様の施した認識阻害は、外界に《庭園》を認知させず、許可なき侵入も阻みます。——まあ、今はそんなのより、上に注目した方が良いかと」
「え?」
希愛に言われて、茉弘は顔を空に向けた。
まさに、その瞬間だ。
——雲一つない澄み渡る穏やかな空に、『それ』が姿を現したのは。
「……? なんだ……あれ」
『それ』は、角だった。
巨大な角が一つ、何もない虚空から、顔を出していたのである。
否、何もない——というのは正確ではなかった。
正しく言うならば、その角の周囲の空間に黒い靄が噴き出しており、まるで罅割れのような亀裂が走っていたのである。
そして、徐々に靄の範囲と亀裂が大きくなっていったかと思うと——
次の瞬間、とてつもない衝撃波と共に空を突き破ったそれが、あまりに巨大な影として姿を現した。
「は——」
それを見て、茉弘は目を見開いた。
正しく言えば——目を疑う光景に絶句していた。
分厚い体毛に覆われた巨大な体軀。手足に備わったいくつもの爪。そして口に当たる箇所から伸びる嘴と、背から生えた一対の翼。
その姿は、まるで獅子と鷲が混じり合ったような——あるいは、神話の世界から飛び出してきた獣を思わせた。
「——終末因子:第四上級種・『グリフォン』」
茉弘が問う前に、希愛がその名を発する。
「圧倒的な機動力と走力、そして獰猛さを備え、生半可な攻撃はまず当たらない。一度翼を羽ばたかせれば巨大な暴風の渦を生み、強靭な爪は一振りで大地を引き裂く。比較的発現例の多い——世界を殺す『怪物』です」
淡々とした調子で、希愛が続けてくる。
すると、まるでそれを実演するかのように、グリフォンが翼を広げたかと思うと、それを地上めがけて振り下ろした。
「な……っ⁉」
大気が、荒れ狂う。かなりの距離があるというのに、その強烈な風は、茉弘の身体を吹き飛ばしかねない勢いで襲いかかった。あまりの風に、思わず腕で顔を覆う。
まるで颶風を思わせる、凄絶な風の渦巻。
そんなものが突如街に襲いかかったなら、一体どうなるのか。
数秒先で起きる絶望的な光景を想像した茉弘はすぐに、その答えを一面に示されることになった。
「…………っ!」
眼下に広がった景色の一部が、一瞬にして抉り取られる。
見慣れた街並みが、数日前まで生活していた世界が、瞬きの間に崩壊を始める。
道に沿うようにあらゆるものを呑み砕いた颶風が街を舐め尽くし、そこにあったものを片っ端から破壊していく。
あらゆる悲鳴と破壊音。街中に響く警報。あらゆるものはない交ぜになった阿鼻叫喚が桜城市中に響き渡る。
その唐突過ぎる地獄の光景に、茉弘はしばしの間理解が追いつかず、ただただ逸る心音と息苦しさに胸を抑え、唖然としてしまった。
「な……、は——」
数瞬。茫然と目の前の地獄を見やることに大半の意識を割いていた脳がようやく現状を認識し、停止していた呼吸や瞬き、手足に指令を発する。
バッと後ろを振り返った勢いのまま、茉弘はその場から駆けだそうとする。
が、その瞬間に希愛の手が茉弘の右手を掴まれた。
「どこに行くおつもりですか?」
「決まってます! あそこには凛祢の、妹と俺が過ごした家があるんです! だから行かないと——」
「もう遅いですよ。貴方よりも、彼の方がずっと速い」
「……え?」
そう言って希愛が静かに指を指した先を追うように、上空に目を向ける。
すると、まさにその先に。
一人の青年が、その身に雷光を纏って空の上に立っているのが見えた。
「あ——」
その青年の姿に、茉弘の視線は一瞬で奪われた。
もっと言えば、あの怪物を見下ろすように上に立つ姿に見惚れていた。
——ウヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!
グリフォンの凄まじい咆哮が、空気をビリビリと震わせる。
だがそれは、敵を威嚇しているようなものでは無く、恐怖から己を奮い立たせるための叫びのように思われた。
「はッ、吼えてんじゃねえよ鳥風情が——」
グリフォンと相対する青年が、片腕を天へと掲げる。
すると、それに従うように纏っていた雷光が、その輝きを増していった。
「この光で死ねることを光栄に思え。そんで——無様に焼き消えろ」
次の瞬間。
落雷を思わせる轟音が鳴り響いたかと思うと、一瞬視界が眩い輝きに包まれた。
遅れてその眩しさに反応した茉弘は、思わず目を瞑ってしまう。
「…………っ!」
そして、次に茉弘が目を開けたときには、巨大なグリフォンの姿はなく、空には『勝者』である青年が一仕事終えたかのように一息ついていた。
「あ、あれは……」
「騎士ガンヴェルトゥ・アルフリッグ。彩菜様直轄組織〈庭園の騎士団〉の一角であり、この〈庭園〉でも最上位の魔術師に位置する第一級魔術師です。あれくらいの終末因子であれば、彼一人が出撃するだけでも過剰な討滅になるでしょう」
茉弘の声に応えるように、希愛が空を見上げたまま言ってくる。
「じゃあつまり凛祢と同じくらい凄い魔術師ってことですか?」
「いえ、現在の序列だけを考慮するなら実力は魔術師として完成しつつある彼の方が上です」
「……はえー、……ってそんな事より街が——」
と、嵐でめちゃくちゃにされた街並みを見て——茉弘は言葉を止めた。
「……え?」
理由は単純。
つい先ほどまでグリフォンの生み出した暴風によって何もかもがめちゃくちゃにされ、悲鳴と崩壊の音で渦巻いていた眼下の街並みが、みるみるとその姿を取り戻していったからだ。
「え……これ、何がどうなって……」
「ちなみに申しておきますが、先の光景も今の光景も幻覚ではありません。全て事実です」
「で、でも希愛さん……街がひとりでに再生するなんてそんな……」
「はい。ご認識の通り、街がひとりでに再生して元に戻るなどという奇怪な現象はあり得ません。これは『事実の消失』による修正です」
「じ、事実の消失……?」
「簡単に申しますと、終末因子がもたらした外界の『終末』が初めから無かったことになったのです。終末因子とは、文字通り世界に『終末』をもたらす災厄ですが、彼らがそれをもたらすには一定の期間を要するのです」
「一定の期間……」
と、希愛の言葉を訊いた茉弘は、ここに来る前に耳にした放送の内容を思い出した。
「二四時間以内の討滅……」
「正解です。個体規模、因子階位、保有魔力にもよりますが、終末因子の大半は二四時間の制約を超えなければ世界に『終末』をもたらすことは出来ないのです。今回のグリフォンはLV.2の上級因子ですので大体二〇~二四時間以内に討滅できれば何の支障もありません」
茉弘が聞くよりも前に、希愛が知りたかったことを事も無げに答えてくる。
そして、ここまで聞いてきた話の数々が、頭の中で少しずつ繋がっていく。
「もしかして、これが彩菜さん達が……魔術師たちが世界の裏側でしてきたことなんですか?」
「はい。彩菜様から伺っているかもしれませんが、数にして約二五〇〇〇回。終末因子が世界に生まれるようになってから一〇〇〇年間、魔術師たちは世界を救っています」
「……! そんなに……⁉」
「おや、初耳でしたか。
——この世界は、一〇〇〇年前を境に平均で三五〇時間に一度、滅亡するようになっており、魔術師は一〇〇〇年間その理不尽から世界を守っているのです」




