第304話 掟の重み
~阿吽視点~
天狗谷の最奥。岩棚から円形にくり貫かれた谷底へと飛び降りた瞬間、空気の密度が変化した。
空気が重い。
まるで頭を上から風に押さえつけられているようだ。
奥で仁王立ちする天狗族の長、天刑。
ヤツは一歩も動いていない。
それなのに、この谷全体があいつの呼吸に合わせて脈打っている。
(……なるほどな、コイツは強ぇ)
単純な魔力量だけじゃない。長年この谷を背負ってきた奴の“圧”が、天刑の身体から溢れ出ている。
「武器は持たぬのか?」
威圧ではない静かな問い。
「まぁな。今は散歩の途中なんだよ」
皮肉交じりに短く返す。
ただ、白鵺丸があれば……そう思わせる程の強敵なのは確かだ。
しかし、今はそれを嘆いても仕方ない。
(國光にも大見栄切っちまったしな。「武鋼は持ち帰れなかった」なんてカッコ悪くて死んでも言えねぇわ)
「そうか。なれば、この地に足を踏み入れた事……後悔しながら、死ね」
次の瞬間、周辺の地面が沈み込んだ。
足が地面に食い込み、肺が圧縮され、全身の血流が滞る。
(……こいつ、俺と同じ重力を操るのか)
しかも雑じゃない。
周囲にかける圧を強く、中心にかける圧を弱くする事で、逃げ場を無くしている。
「この谷は、軽い覚悟で立ち入れる場所ではない」
その言葉と同時に、重力がさらに増す。
地面に亀裂が走り、骨が軋む。
……最初から本気だな。
ならこっちも、遠慮しねぇ。
「【雷鼓】、【疾風迅雷】。……【雷動】っ!!」
初手から二重の強化スキルを重ね掛け、切り札の一つである雷動を使う。
脱力できない状況からの発動だが、無理やり筋繊維を稼働させる。
重力で全身に負荷をかけられているが、閻魔羅王へと進化した事でステータスは大きく向上している今なら耐えられる。
(ちょっと位の無理は、許容範囲だ)
爆発的な推進力を得た身体が、地面を踏み抜く。
だが――横から視認できない程の速度で風刃が飛び、掠った左頬が浅く裂けた。
さらに上空から、不可視の気圧の塊が降ってくる。
谷底の地面がボコボコと押し潰されるほどの圧力。
反応が一瞬遅れていたら、内臓が潰れていてもおかしくは無かった。
「めんどくせぇ攻撃してきやがんなっ!」
風の流れを読みながら四方八方から襲い掛かる風刃と、頭上から降ってくる風弾を【空舞】を駆使して避け続ける。
着地を一度挟んでからの四歩目、上から押しつぶすような過重力がさらに一段階上がった。
体が沈み、周囲の空気が鉛のように重く感じる。
「どれだけ足掻こうが、私の“技巧の中”では無駄な努力だ」
これは、ウィスロの頂上対決でシエルやガルシアが使っていた『範囲環境支配型の技巧』ってわけか。
天刑は鋼扇をわずかに開く動作だけで、周囲の空間を従えている。
しかもこれは単なる重力魔法じゃない。風と重力を融合させた二属性混合魔法の、更に応用。
ヤツは、ここの地形を完璧に把握し、天狗谷での防衛戦に特化した戦い方をしている。
完全に支配された領域と言っても過言ではない。
(上にも横にも、逃げ場がねぇ)
そう感じた数瞬後、衝撃が幾重にも重なり周囲の岩が砕け、肺の中の空気が無理やり外へ吐き出された。
――強い。
素直にそう思う。
俺が今まで出会ってきた中でも上位だ。
強者が蔓延るこの武京国で、一地域を危険地帯認定させるだけの事はある。
「谷を守るのは、感情ではない。――規律だ」
天刑はさも当然かのように言葉を紡ぐ。
しかし、そこで声のトーンが少しだけ下がった。
「……だがな。若き日の私は、お前のようだった」
その間にも風の勢いは激しさを増し、俺の身体からは軋んだ音が聞こえてくる。
「掟を緩め、谷を開いた」
さらに重力が増す。
まるで後悔という感情を、押し付けるように。
「結果、侵略されたのだ。……若き者が大勢死んだ」
声に、重みと激情が混ざっていく。
これは、守れなかった奴の静かなる叫びだ。
「一度崩れた秩序は、すぐには戻らぬ。何より……亡くした者は、永久に戻らぬのだ」
だから閉ざした。
だから疑問を折った。
だから、真鴉の翼を奪った。
そういうことか。
気持ちは理解できる。
俺だって、人間だった頃は大切なものを守れず、多くを失った。
――でもな、それは到底納得できるモンじゃねぇ。
「……だからって、一族の自由を全て縛ったのか?」
俺はゆっくり立ち上がる。
風刃が装備を貫通し、身体に傷を付けていくが、そんな事は関係ねぇ。
天刑に触発されたわけじゃない。だが、この感情の高ぶりはどうにも抑えられそうにない。
――俺はいつも仲間に「好きに戦え」と言っている。
今ドレイクやシンク、ネルフィーが……各々の壁を越えようと努力しているのも、「自由に決めろ」と言った俺の一言が切っ掛けだ。
あいつらが不器用ながらも、前を向こうと足掻く姿を見てきた。
俺は……俺の好きな奴らが、不安なく未来に向けて一歩を踏み出せる、そんな場所を作りたい。
何者にも奪われない。何者にも邪魔されない。そんな力を……“我儘を押し通す力”を得るために武京に来た。
そんな俺がここで折れるのは、【星覇】を否定するのと同義だ。
自分の吐いた言葉のケツも拭けねぇで、何がクランマスターだ!!
「【祭囃子】」
身体全体を流れる血液が沸騰したように熱くなり、心臓が大太鼓を叩くように強く拍動する。
「縛るために作った掟はな……」
地面が砕ける中、力強く一歩踏み出す。
「――“檻”って言うんだよっ!!」
「……何とでも言うが良い。私は、己の思想を曲げぬ。我を通したいのならば、私を越えることだ」
「なら、見せてやんよ。俺の“我儘”ってやつをな!」
次話は3/27(金)投稿予定です♪




