第293話 迷子
無事に武京国へ入国し、その玄関口である港町へ足を踏み入れてから、しばらくが経った。
近海で水揚げされたばかりと思しき海産物を並べた店、食事処や土産物屋など、通りの両脇には様々な商店が軒を連ねている。
中には『つけもの』と呼ばれる、鼻を突く独特な匂いを漂わせる食材を売る店や、見慣れない形状の武具をずらりと並べた店もあり、武京特有の文化は港町に入った瞬間から目に飛び込んできた。
和服を身に纏った老若男女が、それぞれの店先で声を張り上げて客寄せをする。
活気に満ちたその光景は、異国に来たのだという実感を否応なく突きつけてくるものだ。
そんな喧騒を抜け、少し人通りが落ち着いた場所まで歩いてきたところで――俺は、早くも小さく首を傾げていた。
最初の目的地は、決まっている。
水月道場。禅が居るであろう場所だ。
だが、ここまで歩いてきて、ようやく気付いた。
「……そういえば、水月道場ってどこにあるんだ?」
思わず、独り言が零れる。
「詰所じゃ場所を言われなかったから、この港町のどこかにあるもんだと思ってたけど……。それに、話してた役人の雰囲気からすると、かなり有名なんだよな? だったら、看板の一つくらい立っててもよさそうなもんだけど」
どう考えても、目的地へ向かっている感覚がない。
道を一本間違えた、というより――最初から当てずっぽうで歩いていたと言った方が正確だった。
(……これ、完全に迷子だな)
港町は広く、人も多い。
和服姿の者に、武具を帯びた者。他国からの冒険者らしき装備を身に付けた者など行き交う人々の装いは様々だが、それでも「水月道場」の名は、これだけ探しても表に出てこない。
少し離れた場所では、キヌが辺りを見渡しながら、静かに考え込んでいた。
「うーん……、もしかすると武京では、有名な道場ほど自分からは目立たせない文化なのかも。“強さはあからさまに誇るものじゃない”って感じかな?」
「なるほど……武京国らしいっちゃ、らしいか」
とはいえ、分からないものは分からない。
人に聞くのが一番手っ取り早いが、港の喧騒に紛れて聞きそびれてしまった。こんな時ドレイクが居ればサラッと聞いてきてくれるのだろうが、俺やキヌは初めて会う人間に話しかけるのがどうも苦手だ。
そうこうしているうちに、気づけば人通りは徐々に減り、町の外へと出てしまっているようだった。どうやらここは、魔物から町を守る外壁や柵すらないらしい。魔物と人間の住み分けがハッキリしているのか、それとも入ってきたところで問題なく対処できる程度の魔物しかいないという判断なのか。
そんな事を話しているうちにも、石畳はいつの間にか土の道へと変わっており、潮や魚の匂いが薄れ、代わりに草と土の匂いが濃くなる。
「……すでに、町から外れてるよな?」
「一回、戻る?」
「その方が良さそう――」
そう言いかけた時だった。
鋭い風切り音とともに、探知スキルに魔物の気配が引っかかる。
それと同時に、前方で和服を着た子供が立ち止まっているのが目に入った。
その子は木刀を両手で握り、こちらに背を向けている。
「……っ!」
反射的に走り出しながら周囲を確認する。
すると、道の脇の地面に、まるで刃物で抉られたような小さな裂け目がいくつもあるのに気が付く。
「これは……」
「ん。風魔法で土が抉られてるみたい」
空気に妙な流れがある。
草がなぎ倒され、前に進むほど地面には無数の浅い切り傷が増えていく。
「……おい!」
声を掛けた瞬間、子供の前で“何か”が跳ねた。
姿を現したのは、鋭い鎌のような前脚を持っている小さな魔物だった。
すかさず【鑑定眼】を発動する。
<ステータス>
【種族】鎌鼬
【状態】――
【属性】風
鎌鼬:周囲の風を身に纏い、縦横無尽に駆けまわる小型の魔物。両前足が鎌状になっており、風魔法だけでなく物理的な攻撃も得意。警戒心が強く、子供や老人など自身よりも弱い者を狙う習性がある。
「何だコイツ。初めて見る魔物だぞ」
「ん、武京は島国。魔物もこの地特有の進化をしてるのかも」
ランクは分からないが、見た感じそれほど強い魔物ではないようにも見える。
だが、Dランク程度の魔物であっても子供一人では恐らくどうにもならないだろう。
「くそっ……! 来るなら来いっ!!」
子供は鎌鼬を前に歯を食いしばり、木刀を構える。
だが、その足ははっきりと震えており、近付くにつれ腕や体に複数の切り傷があるのが見えだした。
「危ねぇぞ! 逃げろ!!」
「うるせぇ!」
俺の叫びに対し、子供は予想外にも振り返りもせず怒鳴り返す。
「オレは、ここで引くわけにいかねぇんだ!!」
次の瞬間、風の刃が走った。
「――っ、【雷動】!!」
俺は魔法障壁を張ると同時に一気に踏み込み、子供と鎌鼬の間に割って入り、風属性の魔法を受け止める。
「死にてぇのか!?」
「でもっ、逃げたらまた馬鹿にされる……。『どうせ口だけだ』って!」
震えながらも魔物へと立ち向かい、何とかしようとする胆力は認める。……だが、実力が伴っていない。
“勇気”と“無謀”をはき違えているのだろうが、それを今この子に言ったところで分からないだろう。
「キヌ」
「大丈夫、回復する」
背後で、キヌが子供の元へと駆け寄る気配。
「じっとしてて」
淡い光が溢れ、傷が塞がっていく。
「あ、あったけぇ……」
子供の声から、張り詰めていたものが抜けたのが分かった。
自分より格上の魔物であるというのは理解できていたらしい。ヘナヘナと道へと座り込み、力強く握りこんでいた木刀が手から離れる。
「んじゃ、あとは鎌鼬を倒すだけ――」
と言いかけたその時――、
「キャゥン♪」
弾けるような声と共に、ユラが飛び出した。
「お、おいユラ!?」
だが止める間もない。
ユラは風の刃を爪で弾き、そのまま鎌鼬へと飛びかかる。悲鳴にもならない鎌鼬の断末魔が木霊したかと思ったら、ユラは絶命している鎌鼬を咥えてトコトコと歩いて戻ってきた。
「一撃かよ。まぁ、ワイバーン倒せるくらいだし、当然か……」
「キャン、キャン♪」
ユラにしたら、この程度の魔物はオモチャのようなものなのかもしれない。「褒めて!」っていう雰囲気を全身から溢れさせているが、その一部始終を見ていた子供は呆然と口を開けている。
「……なに、あれ……」
「ウチの子、ユラっていうの」
キヌがそう言うと、子供は苦笑しながら立ち上がった。
「……くそ。ビビってたの、バレちゃったな」
「最初からな」
「……うるせぇ」
少し間を置いて、子供は一歩さがると、顔を上げた。
その表情は、さっきまでの勝気な態度が、少しだけ柔らいでいた。
「……助けてくれて、ありがと。オレ、水月道場に入りたくてさ。今から入門試験を受けにいくつもりだったんだ……」
「……へぇ。やっぱり水月道場って有名なんだな」
「あんたら、余所者か? この辺じゃ水月道場を知らないヤツなんていないぞ」
俺とキヌは、顔を見合わせる。
「……なぁ」
「ん?」
「ソコに案内してもらってもいいか?」
子供は一瞬きょとんとした後、ニカッと笑った。
「いいぜ! 助けてもらった礼だ! ばっちり道案内してやるよっ!!」
この子は勝気な性格の中に向上心と素直さが混同している。見たところまだ十歳程度の子供であるにもかかわらず、自分より格上の魔物を倒そうという気概もあった。
もちろん、勇気があるだけじゃ強くなれない。
だが、勇気がなければ――始まりにすら立てない。
(しっかりした指導者に教えてもらえば、コイツは――)
そう考えていると、隣のキヌも微笑みながら無言で頷いていた。
次話は1/16(金)投稿予定です♪




