第292話 武京、入国
島国である武京国へと入国するため、イブルディア帝国の北端から大型船に乗り5日間が経過した頃、およそ一カ月に及ぶ旅の目的地である島影が見えてきた。
少し荒れる波に揺られながら進む船の甲板から空を見上げると、昇り始めた太陽の光を反射する入道雲がゆっくりと立ち上がり、生き物のように形を変えていっている。
それは、これまで見てきたどの空とも違いこの先に待つ武京国という未知の国を、空そのものが静かに語っているようだった。
そんなのんびりとした景色の中、これまでの旅路を少し思い返す。
ワイバーンの群れに襲撃を受けてからも、今日までに二度ほど同様の事が起きている。これは何かの前兆なのか……原因はさっぱり分からないが、胸の奥に巣食う漠然とした嫌な感覚が、皮膚に刺さった棘のように、微かな違和感として残っている。
もっとも、悪い事ばかりではない。
被害が出たわけでもなく、撃退するたびにユラのレベルはゴリゴリと上がっていった。それに、遊びの中だけでは得られない“命のやり取り”を、実戦を通して学べているのも、ユラにとっては大きな収穫と言っていい。
「キャゥン!」
無邪気なユラの声に視線を前方へと戻す。
水平線の手前にある山々の連なりが、徐々にその輪郭を大きくしていく。海霧をまとった稜線の奥には、確かに人の営みの気配があった。
「……あれが、武京か」
島全体を包む独特な雰囲気に、思わず感嘆の声が漏れる。
ほどなく船が港へと入る頃には霧も自然と晴れ、町並みや人影がはっきりと見えるようになっていった。
建物はどれも独特な建築様式で、鱗のように組まれた屋根や、木材をふんだんに使った造りが目立つ。何より、港を歩く人々のほとんどが和服を身に纏っている。それに腰に刀を下げた者、背に和槍を背負った者など武器を持つ者も少なくない。
一目で『武の都』と呼ばれる理由が、伝わってくる景色だ。
下船を促され、桟橋を渡る。
その先に立っていたのは、巨大な鳥居だった。
派手な装飾はない。古い木と石だけで組まれた、無骨な門。だが、これが単なる目印や象徴ではない事は、一歩踏み出す前から肌で理解できた。
「一人ずつ、鳥居をくぐれ」
淡々とした番兵の声に反応し、鳥居の下に足を踏み入れた。その瞬間、全身が薄い膜に包まれたような感覚に覆われる。
音が消えたわけじゃない。
ただ波の音も、人の気配も、雑多なものが全て背景へと溶けていくような不思議な感覚。代わりに、胸の奥へと視線が突き刺さるような感覚があった。
覗かれている。いや、問いかけられている……のか。
――お前は、この国に何をしに来た?
そう聞かれている気がした。
抗おうとすれば、それも出来ただろう。だが、抗う理由がなかった。
俺はこの国に害を及ぼそうとしているわけではない。
ただ、爺ちゃんに会いに来ただけなのだ。
次の瞬間、何事もなかったかのように空気が元に戻る。
「……」
番兵は何も言わない。問題なし、という事なのだろう。
続いてキヌが鳥居をくぐる。
一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに何事もなかったかのように通り抜けた。
「精神干渉……。随分と警戒心が強い国みたいだね」
隣まで来たキヌが、小声でそう呟く。
最後に、ユラが鳥居の下へ足を踏み出した。
通り抜ける、その瞬間――鈴の音が、微かに鳴った。
空気が揺れ、結界そのものが息を呑んだような感覚。番兵たちの視線が、一斉にユラへと集まる。
「……竜? いや、幻獣の類か……?」
役人の一人が小さく呟いたが、それ以上の追及はなかった。
そのまま鳥居を抜け詰所へと誘導された後、冒険者カードを提示し入国審査の問答が始まる。
「登録名は阿吽で間違いないな? 武京国に来た目的を述べよ」
俺は少しだけ考えてから、正直に答えた。
「爺ちゃんに、会いに来た」
「……その者の名は?」
「百目鬼 大獄」
答えた瞬間、役人の持つ筆が止まった。
それだけではない。詰所全体が、息を潜めたように静まり返る。
それと同時に、役人の背後に控える番兵たちの肩が、目に見えて強張った。
「……確認を取る。その場から動くな」
低くそう告げると、役人は足早に去っていく。
待つ間は、誰一人口を開かなかった。
やがて現れたのは、明らかに上官と分かる身なりをした中年の男だった。
無精髭を蓄え、伸びきった髪を後ろで結び、面倒くさそうに頭をぼりぼりと掻きながらも、その歩みには隙がない。身体は着物の上からでも分かるほど鍛え上げられ、どこか不思議な圧を纏っているようにすら感じる。
「……あー。百目鬼 阿吽と、その一行か」
気だるげな口調でそう言った後、一拍置いて言葉を続ける。
「将軍様から直々の御達しだ。――入国を許可する」
将軍?
スフィン七ヶ国協議会の時の約束を覚えてくれていて、話を通してくれていたって事か。つまりは……『一度、顔を出せ』という事だろう。
その言葉をきっかけに、番兵たちが小声でざわつき始める。
「将軍様から直々って……何者だ?」
「“百目鬼 大獄”って、あの【闘神】の名だろ?」
「でも見るからに亜人族だぞ……血は繋がってないのか?」
「闘神に孫がいるなんて話、聞いた事ないが……」
ざわめきが大きくなりかけたところで、上官の男が口を開いた。
「お前ら、静かにしとけ。……でだ、百目鬼 阿吽。伝言を一つ預かってる」
「伝言? 誰からだ?」
「水月家の神童からだ。『一度、道場に来てほしい』だとよ」
「水月家の……神童? それって禅の事か?」
「それ以外に誰がいる。ヤツは齢十四で【剣王】の称号を得た男だ。それに最近修行から戻ってきてからは、屈強そうな幻獣まで連れていやがる。何をどうしたら剣士が幻獣を使役できるんだか……」
「やっぱ禅か! その水月道場に行けば会えるんだな?」
「そういうこった。ほら、さっさと行け。お前らがここに居ると、騒ぎが収まらねぇ」
片手をひらひらと振られ、退出を促される。
まずは水月道場。その後、武京国の都――“天音京”で神楽国綱将軍に会う事になるだろう。国の上層部なら、爺ちゃんの居場所も分かるはず。
入国早々、先々の目途が立ったのは良い流れだな。
……それでも、胸の奥に残る違和感はまだ消えていない。
「なんにせよ……これで無事、武京国入りだな!」
あけましておめでとうございます♪
今年もノリノリで執筆していきますので、引き続き応援よろしくお願いします★
次話は1/9(金)投稿予定です♪




