第290話 深淵への扉
~禅視点~
スフィン7ヶ国協議会終了後、阿吽と別れてからもう一年以上が経つ。
魔族という存在やそれを退けた阿吽達を間近で見て、心の底から自分の力不足を痛感した。
「まだ……足りない。私の武は、まだ“頂”に届かない」
阿吽の強さは眩しく、どこまでも真っ直ぐで……遥か遠い。
私の得た【四霊獣召喚】という力も、まだ白虎1体を召喚する事しかできずにいる。
私は弱い。
そして、このままでは終われない。
……だから、私は旅に出た。
“武”とは何か。
“義”とは何か。
“己”とは何か。
“モフモフ”とは……何か。
その命題の先に、新たなる世界が広がっていると確信して。
この一年は決して平坦な道のりではなかった。
私はまず武の鍛錬をひたすら積んだ。
魔力の練度、呼吸、武術。
剣の振り方や間合いの取り方も一から見直し、時には危険地帯にも足を踏み入れた。
命を掛けて戦い、己を磨き上げる日々。
そんな厳しい鍛錬に耐えきる事ができたのは、間違いなく“ミーちゃん”という存在のお陰だ。
様々な経験を共にし、ミーちゃんとの絆は以前より深まった。
一緒に狩りに行き、魔物の巣を掃討し、時には盗賊の相手もした。
もちろん新たな四霊獣召喚の挑戦も続けていた。
……しかし、その成果は本当に酷かった。
魔法陣を制御しきれず暴発し、時には周囲の魔物を呼び寄せ、ミーちゃんに叱られる日常。
それでも諦めずに続け、自問自答を繰り返した。
――私は、真にモフモフを理解できていないのではないか。
――モフモフ愛が足らないのかもしれない。
――足らないのは、私の力量……。つまりレベル……?
――それにしても、ミーちゃんに叱られるのはご褒美だ。……もっと叱られたい。
雑念とも欲望とも捉えられる思考。
だが、これでいい。モフモフは全てを許容してくれる。
私は、阿吽のような天性の才があるわけではない。
奇才と呼ばれる思考を有してもいない。
変人というわけでもない。
ならば、“ただの凡人”として少しずつでも積み上げていくしかない。
敗走も、失敗も、全てを積み上げろ。
反省し、改善し、挑み、研ぎ澄ませ。
失敗しても、転んでも、折れずに次の一歩を踏み出すのだ。
そうして迎えた、ある日のことだ。
朝の冷たい空気を吸い込みながら瞑想していると、精神の奥で“何か”が揺らめいた。
――深く。
――より深く。
――もっと深く。
唯々自らと向き合うだけの、そんな時間。
どれ程の時間、潜っていただろう……。
呼吸すらも忘れるほどの集中の果て、思考の海の遥か深くで、深淵へと繋がる扉に触れた。
(今なら、できる)
そう確信し、【四霊獣召喚】のスキルを発動した。
召喚陣が淡く脈動し始める。
胸の鼓動と共鳴するように、魔力が光の線になって地面を走り、円環を描いていく。
目で、耳で、肌で、心で己の魔力を感じながら、思い出す。
召喚とは荒業のようでいて、本質は“呼びかける”という穏やかな行為だったと。
――呼び、応え、繋がる。
ミーちゃんを初めて召喚したとき、私は世界の理を知った。
『モフモフこそ真理』である、と。
あの“極上触感”に触れた瞬間、心が浄化され、価値観が生まれ変わった。
……しかし、どこかミーちゃんの居る日々が、“当たり前”になってしまっていたのではないか……。
初めてミーちゃんと出会った、あの時の熱い気持ちが鮮明に蘇る。
召喚陣が赤い光を帯び始め、それが宙へと浮き上がり出したとき、私は直感した。
この召喚は、私の予想を遥かに上回ってくると。
空気が震える。周囲の草がわずかに揺れ、光が反射して赤金に染まる。
まるで、世界が私を祝福しているようだった。
魔法陣を中心に空気が柔らかく変形し、光が揺らめく。その中心から、赤い羽根が一本ふわりと舞い落ちた。
その羽根は『燃えている』と錯覚させるような “赤”。
自然と視線がその羽根の持ち主に移っていくと、私の目に映ったのは火を体現したかのような、神秘的な鳥だった。
――朱雀。
召喚した主だからか、私の頭にはその情報が降りてくる。
だが、この瞬間の私にはそんな肩書きなど、どうでも良かった。
「ふっ……、ふわっふわだぁ……」
羽根の1本1本が炎のように揺れながらも、どこか布団の中に潜り込む時のような優しい空気をまとっている。
そう想像したのが早いか、私は既に言葉を発し終えていた。
「触らせて頂いても、よろしいでしょうか」
自分でも驚くほどに真剣な声だった。
その瞬間の私は、間違いなく見紛う事なき紳士であっただろう。
朱雀は不思議そうに首を傾げ、低い鳴き声で「ピィ」と応えた。
――許された。
私は少し震えながらもそっと手を伸ばす。
触れた瞬間、指先がじんわりと温まる。
火鳥のような姿だからだろうか。心のどこかで“熱い”と思い込んでいた。
だが違う。痛くも熱くもない。癒しすら感じる不思議な熱。
これは……肌を包む優しいぬくもりだ。
思わず息が漏れた。
「……これは、……反則では?」
温かい。柔らかい。
胸元の羽毛に触れた瞬間、ふわりと膨らむような軽やかな感触が返ってくる。そして、自然とフワフワの奥に吸い込まれたかと思えば、指が溶けて羽毛と一体になったような錯覚に陥った。
ミーちゃんのモフモフが『癒し』だとするのなら、朱雀の“フワフワ”は『赦し』だ。
癒され、赦される――もしそれを同時に味わったら、人間はどうなるのだろう。
その問いに対する答えを理解する前に、私の頭がふわっと軽くなった。
――ああ、そうか。
私は今、またひとつ世界の真理に触れてしまったのか。
モフモフだけが頂ではなかった。
フワフワこそ、もうひとつの理だったのだ。
脳がとろける。
ふわふわ、ぬくぬく、ぽかぽか……。
語彙力が、思考が、幸福の波で押し流される。
危険だ。
これは本当に危険だ。
モフモフに続く“第二の真理”が、私を完全に虜にしようとしている。
それでも触れるのを止められない。止めたくない。
……いや、止める理由はどこにもない!!
「世界はこんなにも、優しくてあたたかい」
ミーちゃんが穏やかに見つめる中、朱雀はまるで母のように私を翼で包み込む。
朱雀……いや、これからは相応しい名前で呼ぶべきだろう。
「君の名は、ピィちゃんだ」
――そうだ、今夜は野宿をしよう。
満天の星空の下、芝生の上でミーちゃんに添い寝をしてもらい、ピィちゃんに覆いかぶさってもらって眠るのだ。
フワフワの中で、モフモフ――
「おっふ……」
ヤバい。
想像しただけで気絶しかけた。
……これはさすがに、思考を戻さねば。
世界はきっと、もっと広い。
そして私は、次の霊獣を召喚できるように、もっと精進せねばならぬのだ。
全ての霊獣を召喚したその時、真に『水月 禅』という存在は完成する。
「待っていてください、父上。
あなたの息子は――深淵への扉を、ブチ壊します!!」
この二か月後、禅は武京国へと帰郷する。
奇しくもそれは、阿吽達が武京へと向けて出発した日の事であった。
次話は12/19(金)投稿予定です♪




