第288話 出発①
~阿吽視点~
夕雷が孵化してから、一カ月。
怒涛のように過ぎ去った日々を振り返る間にも、明日の出発という現実がじわじわと近づいてくる。胸の奥に、期待と寂しさが混ざったような妙な重みがあった。
ユラはというと、皆からの愛情を全身で受け止め、完全にワンパク盛り。
今も獣人の子供たちと一緒に、幻影城ダンジョンに新しく作った平原エリアを駆け回り、転げ回り、笑い転げている。
あの光景を見るだけで三日は飯が食えるわ。正直ずっと眺めていたい。
神話に名を残すベヒーモス。
だがユラはまだ幼獣で、実力もようやくBランクに届くか届かないか。
そのギャップが可愛らしさを更に増大させている。
また、獣人の子供達も、とんでもない方向に育ってきていた。
俺と従属契約を結んだ時から、シンクとネルフィー監修の『身体強化プログラム』――もとい、モルフィアダンジョン特攻訓練――に参加している。結果として“全員が高速回避型アタッカー”という無茶苦茶な集団に仕上がった総勢十五名。
コイツ等が両手で小斧を振り回しながらモルフィアダンジョンを縦横無尽に駆け抜ける姿は、一時期冒険者ギルドでも話題になっていたほどだ。まだ冒険者のランクはCランクだが2~3年もすれば相当優秀な斥候集団になるだろう。
そんな子供たちとユラが今やっているのは……鬼ごっこ、だろうか?
捕まえられるものなら捕まえてみろ! と言わんばかりに幼獣が子供達の間を縫って爆速で走り抜けていく。
……うん、今日も平和だ!
そして件のきゃわたん幼獣は、どうやら俺とキヌを親として認識しているらしい。
孵化した日に、【他種族言語理解】持ちのシンクが真顔で「阿吽様とキヌ様のことを“パパ、ママ”と呼んでおります」と報告してきた時、俺は膝から崩れ落ち、喜びで魂が昇天するかと思った。
ただ無邪気に走り回る姿だけで頰がゆるむ。
じゃれつかれた時の破壊力なんか、人類の想定外だ。
あれはもう“モフモフという名の暴力”である。
……本気で思う。俺は、この子のためなら神すら殺せる。
穏やかな風が流れる中、キヌが俺の袖を引いた。
「ねぇ、阿吽。やっぱりユラも武京国に連れてこ?」
「そうだな。危険かもって最初は思ったけど……旅でしか得られないこともある」
「ん。幼獣の今だからこそ吸収できることも多いし、直接教えてあげたい。
愛情だって、注げる時に注ぎたいの。……それに、こんな可愛い時期に置いていけるわけないよ?」
「だよな。俺も同じ事考えてた」
一カ月、この問題は本気で悩んだ。
ユラにとって幻影城ダンジョンほど安全な場所はない。星覇のみんなも全力で面倒を見てくれるし、遊び相手にも困らない。
その環境でゆっくり育てば、とんでもない化け物に育つ未来は確実だ。
――それでも離れたくなかった。
完全に、俺もキヌもユラにメロメロなのだ。
そんな俺たちのもとへ、ユラが全速力で突撃してきた。
気を抜けば胸を小さな角で貫かれかねない勢いだが……、
可愛い我が子が飛び込んでくるなら、全力で受け止めるのが――パパだ!!
「キャウーン!」
「よーしよし! ユラは世界一カワイイなー! ママも世界一カワイイけどなー!」
「っ……もう……阿吽、そういうこと急に言うの、心臓に悪い……」
耳まで真っ赤にしたキヌがユラを撫でる。
尻尾をちぎれそうな勢いで振り回し、こちらを見上げるユラ。
キヌもユラも……可愛すぎる! 尊い! 語彙が死ぬ!!
「キャウ?」
その一声に耐えきれず、キヌが抱きしめた。
「ユラも一緒。ずっと一緒だよー」
俺も柔らかく二つの頭を撫でる。
毛並みの温かさが手のひらに伝わり、胸の奥がじんわり熱を帯びていく。
「阿吽。準備はできてる? 明日の朝には出立だよ」
「まあな。あとは……挨拶回りくらいか」
幻影城ダンジョン――俺たちの“帰る場所”。
ここで過ごす時間にも、すっかり慣れた。星覇のみんなは今日も騒がしく、温かく、頼もしい。
「……実家を出るときって、こんな感じだったのかもな」
「ふふ、わかるよ」
キヌが笑い、ユラが「わふ?」と首をかしげる。
これからの旅路は、きっと楽じゃない。
武京国には祖父がいて、そして想像もしない“何か”が待ち受けている。
ユラもまだ幼いし、危険も山のようにある。
それでも――。
「キヌ。ユラ。三人で行けば、なんとかなるだろ」
「ん。……何があっても、なんとかする」
「キャフ!」
夕焼けの平原に三つの声が溶けていった。
次話は12/5(金)投稿予定です♪




