第287話 名を得るもの
~???視点~
――終わりのない、闇があった。
ここは自分と同じような曖昧な存在が、ただ流されていく。そんな場所。
どれほど昔からここにいるのか、もう覚えてすらいない。
自分という存在は、名も形もなく、永劫の流れに漂うだけだった。
光も、音も、痛覚や触覚すらもない。
ただ無限に溶けていく時間だけが、静かに……緩やかに……押し寄せていた。
けれど、ある時――誰かの声が、その流れの底からボクを掬い上げてくれた。
まるで、永い夜に差した一筋の陽光のように。
『星より出でて、星へと還る――その永劫の流れに捕らわれし巨獣。今こそ、数奇の運命から解き放たれよ』
遠い、遠い響き。
けれど確かに、ボクに届いた。
ボクのために紡がれた言葉、ボクだけのために練り上げられた魔力。
それはとても暖かく、やさしい声と力だった。
その言葉に触れ、散り散りになっていた“自分”のかけらがゆっくりと集まってくる。
意識が形を持ち始め、出来上がったばかりの胸の奥に鼓動を感じる。
(――誰かが、呼んでる)
炎のように赤く、雷のようにまぶしい光。
それが何なのかは分からない。けれど、心はぐっと引き寄せられた。
不思議な温もりと、心地よい震えが、ボクを包む。
やがて、闇は殻に変わった。
黒い卵の中で、ボクは再び眠りに就く。
ただ、これは永遠の眠りではない。
外から流れ込むぬくもりが、眠りの奥を優しく揺さぶる。
(……あたたかい)
そよ風のような声、笑いのような小さな震え。
それぞれが、ボクの心をそっと形作っていく。
(この感じ……なんて言うんだろう? ……もしかして、“しあわせ”っていうのかな?)
外の気配を感じる。
チラチラと光が見えはじめる。
音が近付いてくる。
知らないはずなのに、懐かしい。
まるで、ずっと探していた場所に戻ってきたようだ。
殻の内側が熱を帯び、鼓動が強く胸を打つ。
(もっと、外へ――)
バキリ、と音がして、時間が止まったかのように光が溢れ出す。
その光がまぶしくて、少し目を細めた。
炎が流れ、雷が弾け、初めての息が喉を抜ける。
(まぶしい……でも、きれい……)
見上げた先に、二人。
一人は内に雷を宿し、もう一人は心に炎を抱いていた。
(この人たちが……、ボクを呼んでくれたんだ)
立ち上がろうとするけれど、足はまだ不安定。
毛を揺らす柔らかな風。
踏み出す度に足元から伝わる冷たさ。
そして胸をくすぐる、ワクワクする匂い。
まるで世界が生きているみたいだった。
これから何が起こるのか……少し怖くて、でも知りたい気持ちが勝る。
鼻先を伸ばすと、目の前の二人がそっと手を差し出してくれる。
(触れたらどうなるんだろう……、温かい? 痛い? でも、触れたい)
雷の匂いと火のぬくもり。
指先が頬に触れるたび、心がふわっと軽くなり不思議な感覚が穏やかに広がる。
(……パパと、ママ?)
「この子……私たちの魔力を知ってるみたい。名前、つけてあげないとね」
言葉は分からないけれど、嬉しそうなのは伝わってきた。
そして、少し間をおいて再びパパの手がボクに触れ――
「……お前の名前は――夕雷だ」
『夕雷』という音が空気を震わせた瞬間、背中に電流のような震えが走り、全身の毛が逆立つ。
鼓動が耳の奥まで響き、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
(名、前……?)
呼ばれた瞬間、ボクは自分の形が完成したのを感じた。
(そっか……。これが、“うまれる”ってことなんだ)
パパもママも、ボクを見ながら目を細めて微笑む。
それを見ると、心がポカポカと温かくなった。
「キュウッ!」
自然と声が溢れ出る。
体が小さく震え、心が跳ねる。
ボクの物語は、ここから始まるのだ。
――ベヒーモス。
かつて星を揺るがした巨獣は、いま小さな命としてこの地に立つ。
【天災】と呼ばれるほどの力を内包しながらも、その心はただ一つの名を喜びとして抱いていた。
両親の温もりを知ったその小さな胸の中は、未来への希望と、未知への好奇心が大きく膨らむ。
そんな“小さな巨獣”が、やがて新たな災いと奇跡を呼ぶことを、今はまだ誰も知らない。
次話は11/28(金)投稿予定です♪




