第286話 孵化
――夜が、揺れていた。
幻影城の第5階層。
多くの星覇メンバーが集まっているにもかかわらず、場の空気は張り詰め誰ひとり言葉を発しようとしない。
そんな静寂の中でも唯一響く己の心音が、儀式の幕開けを告げる鐘のように各々の胸に迫る。
台座に据えられた漆黒の卵が淡い光を脈動させるたび、床に魔力の波紋が広がっていく。
それは、生命を感じさせる鼓動のようだった。
「や、やっぱり動いてるっ! 小さな罅から光が漏れてるのっ!!」
ウルスが興奮したように長い耳を揺らす。
その声音は喜びと不安が混ざり合い、胸の奥から溢れたように震えていた。
卵が召喚されたあの日から、ウルスはずっと卵の傍にいた。
期待と楽しみ、不安や俺たちに託された重圧さえも背負っていただろう。
そんな中で見守り続けた長い時間が、今ようやく報われようとしている。
だが、隣に立つアルスとイルスの表情は険しいままだ。
その目に宿る動揺と肌に刺さるような緊迫感は、この現象がただ事ではないことを言葉以上に物語っていた。
「うぅむ……、魔力の波長がかなり大きく感じるのじゃ」
「これは、普通ではないでござる……。何か、もっと“根源的”な存在が目覚めようとしているでござるな」
根源的――その言葉が響いた瞬間、俺の胸中にも微かなざわめきが生まれた。
それと同時、あの召喚の詠唱が脳裏に蘇る。
『星より出でて、星へと還る――その永劫の流れに捕らわれし巨獣。今こそ、数奇の運命から解き放たれよ』
数奇な運命。
永劫の流れ。
あの呼びかけの意味が、いま確かな形を持とうとしている。
「ん。産まれる……」
キヌの声に、全員の視線が再び卵へと集まった。
漆黒の殻を裂くように、大きな亀裂が走る。
その隙間から溢れた光は、雷と炎が混ざり合う渦となり、回転しながら空間を満たしていく。
響く雷鳴。
空気が震え、床を這う光の筋が弾ける。
それは破壊音ではなく、祝福。
まるで世界そのものが、その誕生を待ち望んでいたかのよう。
次の瞬間、殻が静かに砕け散る。
音のない閃光が階層を包み込み、烈火の羽が宙に舞った。
そして、光の渦の中から現れたのは――
“巨獣”と言うにはほど遠い、小さな魔獣だった。
漆黒の毛並みの上を、黄と紅の模様が流れるように走る。
背には淡く輝く鬣が揺れ、二本の小さな角の先端からは真っ赤な火花が散る。
――それはまるで黄昏時の夕立のようだった。
夜の黒に、落陽の赤と雷光の黄が滲み合う。
静寂の奥に、刹那の咆哮を宿したその姿は、息を呑むほど壮大で美しい。
誰もが瞬きを忘れる中、雷の閃光と焔の揺らめきが形を変えながら、徐々に静まっていくと……
「キュイ?」
全ての視線を一身に受ける幼獣が、パチリと瞳を開き、小さく一鳴きした。
その声はあまりにも無垢で、ただの音であるはずなのに、聴いた者の胸に温かな熱を灯す。
「かっ……、かわいい……」
キヌが小さく呟いた。
ウルスは目を丸くし、アルスとイルスの口からは感嘆の声が溢れ出る。
「この魔力密度……まるで、自然現象そのものを圧縮したようでござる」
「雷と炎の波長が互いを壊さず、完全に調和しておるのぉ……」
幼獣はまだ覚束ない足取りで立ち上がる。その瞳は雷光と紅蓮――金と紅それぞれの輝きを宿している。
俺とキヌが持つ主属性、その両方を受け継ぐような光だった。
小さな体はふらつきながらも、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
そして、ゆっくりと鼻先を俺の手にすり寄せると、微かな火花が散り、温もりが伝わった。
キヌはその様子を見つめながら呟く。
「この子……私たちの魔力を知ってるみたい」
これは、偶然などではないのだろう。
俺とキヌの願いに、この命が、魂が、ランダム召喚という媒体を通じて応えた……。
そう。コイツは“呼び出した”のではなく、“応えた”者。
ちょこんと座る幼獣は、再び小さく鳴き、まるで「おはよう」とでも告げるように俺達を見上げた。それを見たキヌがそっと微笑み、口を開く。
「名前……つけてあげないとね」
その声に反応するように幼獣の尻尾がゆっくりと左右に揺れる。
名を与えるというのは、この世界に「存在」を刻むこと。
まだ呼び名も知らぬこの子に、どんな名を与えればいいのか――。
だがその思索と同時、淡い光が俺の掌から幼獣へと流れると、頭の中に情報が降りてきた。
<ステータス>
【種族】ベヒーモス(幼体)
【属性】雷・火
【称号】天災
「っ! ベヒー、モス……」
その一言で、場の空気が再び張り詰め、誰もが言葉を失う。
この小さな身体の奥に潜むのは、まさに純然たる暴威。
――今この瞬間、夜は完全に目を覚ました。
雷と炎が交わる奇跡の果てに生まれた命。それは、星の運命すらも揺るがす“天災の魔獣”だった。
次話は11/21(金)投稿予定です♪




