第282話 追いつきたい背中
~キュルラリオ視点~
大規模解放戦から三日が経過した。
だが僕の日常は大きく変わらない。初級ダンジョンへ離脱石を集めに行き、集め終えれば上級ダンジョンの人気のない場所でレベル上げをする。
……ただ、胸の奥に燻る「このままでは駄目だ」という不安は消えてくれなかった。
「師匠たちに追いつくには、竜の塔に潜るしかない。でも最上級ともなれば、ソロで敵を倒し続けるなんて無理だよな……」
この数カ月での成長は、自分でも奇跡だと思うほどだ。
けれど、それは師匠たちが居てくれたからであり、永遠に続く保証などない。
誰から見ても、あの五人は規格外。戦闘力だけじゃない。思考そのものが凡人の及ばぬ領域にあって、そこに辿り着かない限り見えない景色がある。
だからこそ、師匠達は止まらない。ウィスロに留まり続けるはずがないと分かってしまう。
「僕も……付いていけるのかな」
今の僕は確かに、ソロでここまでやってきた。でも、冷静になって考えるとその先が見えてしまう。毒や麻痺が無効化されるような怪物の前で、どれだけ尻尾を突き立てても皮膚一枚傷つけられず、最後には握り潰される未来が。
ぞっとするくらい、はっきりと……。
どうするべきか。どうしたいのか。考えが堂々巡りする。
「いや……今は迷っている場合じゃない。教わったことを全部吸収しなきゃ! レベルだってまだまだ足りてない」
孤児院の自室で装備を磨きながら気持ちを奮い立たせていると、不意にドアをノックする音が響いた。
返事をすると、幼馴染の二人――シエルとハイルが立っていた。
「珍しいね、二人して急に帰ってくるなんて」
「まぁなー。今日はキュルを見込んでお願いに来たんや」
そう言ってシエルが切り出した言葉は、思いもしないものだった。
「キュル、ウチのパーティーに入らへんか?」
「……え?」
「正直僕たちも、最上級の攻略に行き詰ってる。でもキュルが入ってくれたら攻略階層を更新する事も現実的になってくる」
「で、でも……、僕の実力は隠さなきゃだし……」
「何言っとるん? 解放戦が終わった今、もう実力を隠す必要あらへんやん?」
「あっ……」
確かに。切り札であるための理由は、もう無くなった。
だがそれでも、胸の奥に迷いは残る。
「でも、師匠たちの考えもあるだろうし……」
「その事なんやけどな。実は阿吽さんから言伝を預かっとるんよ。『今晩、いつもの平原に来い』って」
「し、師匠から!?」
「うん。僕とハイルも同じ時間に来るように言われてる」
――それを聞いた時、今僕は人生の岐路に立っている。そう感じた。
◇ ◇ ◇ ◇
~ウィスロ郊外 平原~
沈んだ太陽の代わりに、冷たい月光が夜の平原を照らす。
そこに佇む師匠の姿は、僕の知るものとは変わっていた。
額から伸びる角は太く捻じれて、鋭く天を指す。前髪の隙間から覗く目の周囲には雷を模した紋様が走り、存在そのものが帯電しているかのように周囲の空気を震わせていた。どこか美しいまでに異質で、凶暴な神像のようにすら見える。
ただ、何よりも印象的だったのは――その瞳だ。
この場ではない、遥か遠くの何かを見据えているように思えた。
乾いた喉から言葉を絞り出す。
「師匠、話というのは……?」
「俺たちは一度、ウィスロを離れることにした」
「やはり……、そんな気がしてました。ぼ、僕もっ……付いていきたいです!」
「それは自分で決めていい。ただ、最初に言っていた“強くなりたい理由”を覚えてるか?」
「……みんなを守るため、それとシエルやハイルの隣に立つため」
「その目標はもう果たせたのか?」
「それは……」
言葉に詰まった。
結局のところ僕は、一足飛びに答えを求めていただけなのだ。
「まぁ、俺たちがプレンヌヴェルトに戻るのも今すぐじゃないからな。それまで考える時間はある。一度しっかり自分の気持ちを整理してみるといい。……っと、シエル準備できたか?」
「うん。僕のワガママに付き合ってくれてありがと」
「喧嘩の続きをするって約束だったからな。俺もその約束を果たさずウィスロを離れたら、モヤモヤして夜も眠れねぇよ。それで、ルールはどうする? どうせなら思いっきりやりたいだろ?」
「そうだね」
初級ダンジョンで僕が暗殺ギルドに命を狙われた日、シエルが勘違いして阿吽師匠と戦闘になったのは後日聞いた。
だが、カルヴァドスという強大な敵を前にして大規模解放戦を共に戦った今、初対面の時とは関係性が大きく変わっている。それに互いにクランマスターという立場や体裁など色々な柵もある。それは二人にとって大きな壁であり……容易く崩せるものでも、崩していいものでもない。
……そう思っていた。でも、それは大きな間違いだったようだ。
二人の目を見ていると、ただ純粋に力を追い求めているだけであり、どちらが強いのかハッキリさせたいだけにしか思えない。
阿吽師匠やシエルにとっては、立場や体裁など路上の石と変わらないほど、ちっぽけな障害に過ぎないらしい。
――それに気付かされた時、心の底から湧き出てきた感情は、憧れと興奮。
二人の戦いを目の前で見られるという、途方もない幸運に自然と魂が震えた。
「ちょい待ち! ここはダンジョンやないんよ? 二人が身体強化や魔法攻撃を使えば大事になってしまうわ。喧嘩自体は容認したんやから、ルールくらいは決めさせてもらうで」
慌てて間に入るハイル。
僕の正直な気持ちとしては全力でぶつかる二人を見てみたい。でも、この二人が本気を出したらどんな内容なのかサッパリ分からないのも、また事実……。非常に贅沢な悩みだ。
口を挟むべきか悩んでいるとハイルが続けて提案した。
「そんなら――強化スキルと直接攻撃魔法、武器の使用は禁止。それ以外はアリ、ってことでどうや?」
「俺は構わねぇよ。とにかく地形吹っ飛ばしたりしなけりゃいいんだよな?」
「僕もそれで良い」
決まった瞬間、張り詰めた空気が平原に流れた。その空気に反しゆっくりと動く雲影と微かな風。
月光に照らされた二人が、互いに間合いを測り視線が交差する。
(は、始まる……!)
――ここからの数分間。それは僕の理解を超えた領域であり、衝撃的で悦楽的な時間だった。
次話は10/17(金)投稿予定です♪