第177話 餌
〜嵐の雲脚 エリア視点〜
「何なの!? ホント何なのよ! この魔物はっ!?」
死屍累々……そんな地獄のような状況が広がる夜の魔城で、わたくしは呆然と立ち尽くしてしまっている。
というのも、最初に発動された魔法の威力に唖然としているうちに、状況は一気に悪い方向へと転がって行ってしまった。
今、わたくしの目には先ほどまで前方で陣を張っていたはずの兵士達が、空から降ってくるという奇怪で摩訶不思議な光景が広がっている。しかも、その後に続いたのは豪雨のように降り注ぐ数多の武器……。
これはあの魔獣が放った魔法が原因であるのは魔術師でなくともわかる……。しかし、魔術師であるからこそ理解できてしまうのは、発動された魔法が恐ろしいほど高い技術でコントロールされたものであったということ。
それら情報の断片を繋ぎ合わせて見えてくる答えは、「これは戦闘などではなく、一方的な処刑なのだ」という理不尽で絶望的なものだった。
(なんでこんな事になっているの? 計画通りなら今頃一方的にプレンヌヴェルト街を攻め立て、優位に立っていたのはわたくし達の方だったはずなのに……)
プレンヌヴェルト近郊に潜伏していた私たち反乱軍が、指揮官の号令と共に侵攻を開始したその時、突然青白い光に包まれた。その光の発生源が転移魔法陣であると分かったのは視界が切り替わった後だった。
転移直後、目に入ってきたのは二つの月に照らされて不気味に輝く黒い魔城。周囲を見渡せばわたくし同様に混乱している兵士や冒険者達。
おそらく反乱軍全員が転移されてきたのだろうということは直感で理解できた。だが3500人という大人数を纏めて飛ばせるだけの大規模転移魔法陣なんて聞いたことが無い……。
自分の身に何が起きているのか、全く正常に機能していない思考を必死に整理していると、ゆっくりと空から降りてきた一つの影に目を奪われた。
ソレは劇場のステージに舞い降りる主役のような存在感を放っていた。
ただ、その存在がわたくしにとっての英雄などではなく、悪役であることが次の一言で分ってしまったのだ。
「黙れ、ウジ虫ども」
決して大きい声ではなかった。しかし、その声は陣形の最後列に居るわたくしまでしっかりと届き、そして今まで感じた事のない威圧感を突き付けた。
一言……、たった一言聞いただけで『生命の格が違う』そんな風に思わされてしまったのだ。あの人外に立ち向かおうなんて気力は、一瞬で奪われた。
その後、魔法が発動された時に最後尾で見ているしかできないという状況が逆に頭をクリアにさせていった。今思えば、この時点でわたくしは生きるのを諦めてしまっていたのだろう。
2発の魔法の後、地上に降り立ち夜風を纏ったソレはものの数秒で三桁の命を刈り取っていく。戦場を夜色の風が駆けるたび、その動線に居た兵士たちの四肢がバラバラに斬り飛ばされていく光景は、夢なのか現実なのかの区別もつかない程。
(もし……“夜の王”が居るとするならば、きっとこんな姿をしているのでしょうね……)
その魔物が、わたくしの目の前に辿り着くまでにかかった時間はいかほどなのだろう? すごく長くも感じるし、一瞬であったようにも感じる……、不思議な感覚だった。
既にわたくしを除いた全ての反乱軍は屍と化している。次は、自分が殺される番……。
「貴様で最後だ。何か言い残す事はあるか?」
そう言われた時、ふと昔の事が脳裏に蘇ってきた。これが走馬灯というものなのだろうか……。
パーティー名【嵐の雲脚】。わたくしの所属していたパーティーだ。
結成した当初から“期待のホープ”なんて言われ、そのまま当時のSランクパーティー昇格の最短記録まで樹立。ブライド達と【デイトナ】というクランを立ち上げ、アルト王国の序列1位にもなった。これ以上にないほど順調に計画は進んでいたはずだった。
——どこで人生の歯車が狂ってしまったのだろうか。
——なぜわたくしは犯罪者として捕まらなければならなかったのだろうか。
——なぜわたくしはここで……殺されなければならないのだろうか。
……あぁ、そういえば過去に一度だけ死にかけた事があった……。Dランクになりたての頃、アルラインダンジョンが発見された時のことだ。ろくな準備もせずにボス部屋まで行き、全滅しそうになったんだった。
当時メンバーに居たアウン。あいつが囮になってくれたお陰で逃げ切る事ができたが、貴族の家庭で産まれたわたくしたちが『メンバーをダンジョンに置き去りにした』なんていうことを公言するわけにはいかなかった。
あれは仕方のないこと……当時はそう割り切ったし、もみ消す事は簡単だった。
……なぜ今になってこんな事を思い出したのだろう。
「最期に、聞かせてください……あなたの主、この幻影城の支配者の名を」
「……よかろう。それでは死とともにその名を脳に刻み付けるが良い。我が主の名は、“百目鬼 阿吽様”だ」
「アウ、ン? っ! ……ゴフッ!」
そっと夜風がわたくしの腹部を撫でたかと思うと、いつの間にか胴体に風穴が空いていた。
地に膝をつき、俯きながらも必死に倒れるのを堪えるも、口や鼻から血が噴き出し、地面を真っ赤に染め上げていく。
そんな状況でも、頭の中は自身の死のことではなく、目の前の魔物が放ったセリフについて考えていた。
『百目鬼 阿吽』……忘れもしない。序列戦の決勝でブライドが戦った星覇のクランマスターだ。まさか、そんな秘密を隠し持っていたなんて……。
それに、アウンという名前。彼と一緒……、っ!? まさか……
……いえ、それを知ったところでもう何もかもが遅すぎる。それに、わたくしはもう何もすることができない。
「食って良いぞ」
徐々に薄れ行く意識の中で、鮮明に聞こえた無慈悲なる言葉。
その数秒後、最後の気力を振り絞り視線を上げた先に見えたのは、いつの間にか周りを取り囲んでいたゾンビたちの口が、ゆっくりと開かれるところだった——
次話は7/28(金)投稿予定です♪