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黒き鋼の請負人  作者: 一夜
-序章-
8/11

【#7】ささやかな約束

 簡易宿泊施設に戻って来た俺は、馬車に立ち寄り紫銀さんに軽く報告を入れてから、ジェラルドさんの案内で炊事場に赴く。

 到着後、すぐに設備を見てみると、大きい4口のコンロと、水が大量に入っているタンクが付いた蛇口とシンク、冷蔵庫がある事を確認した。


「コンロも冷蔵庫も魔道具が仕込まれてるって話だっけ。このタンクに入ってる水もゆっくりだけど自動で生成されてるみたいだし、どれも電気やガスを使ってないのに動くなんて便利なもんだ」


 魔道具として作られたこれらの器具は、電力が必要ない代わりに多少パワー不足だったり、サイズを小さく纏めにくいらしく、スペックの割に大柄なってしまう等の難点はある様だ。

 水も、連続使用しすぎてタンクの中の水が少なくなると、水量が自然に戻るまで暫く待たなければならないという制限はあるらしい。

 そういう点で普段使っていたキッチンとは勝手が違うのは確かだが、このくらいなら全然許容範囲内である。


 必要十分な性能の器具が並ぶ炊事場に感心しつつ、俺はジェラルドさんから預けていた食材や調味料とリュックサックを返して貰う。

 そして、必要な材料を調理台の上に並べると、ついに調理の準備が整うのだった。



「よーし、それじゃあやりますか!」


 買ってきた食材を前にすると、一気にやる気に満ちてくる。

 その勢いのまま早速調理に取り掛かりたい所なのだが、その前にやるべき事があった。


「何を作るか、幾つか候補があるけど……まずは肉の味見をしておかないと。どうも食べた事の無い肉みたいだし」


 2種類の肉を買ってきたのだが、紫銀さん曰く、この肉はどちらも街道から外れた所に生息している魔獣を駆除する事で得られる物だそうだ。

 畜産等も行われてはいるらしいが、富裕層向けの高級な肉以外は牛乳や卵等を得る事が主目的で育てられている為、普段食べる肉というのはもっぱら有り余っている魔獣の肉らしい。


 俺は炊事場に備え付けられていた調理器具からフライパンと包丁を取り出して肉の一部を切り取る。

 それをコンロで熱したフライパンの上に置いて焼き始めると、肉の良い匂いが漂い出してきた。


「(俺からすれば、魔獣なんて食べて大丈夫なのかとも思うけど、こっちでは一般的に食卓に並ぶ物みたいだからなぁ。郷に入っては郷に従え、だ)」


 そんな事を考えながら、焼き終えた肉をフォークで突き刺して口に運ぶ。

 そして、しっかり噛みしめながら一つ一つ味を確かめていく。


「……うん、どっちも普通に食えるな。見た目が牛肉や豚肉なんかに似てたから買ってみたけど、見た目通り同系統の味だ。ただ、肉質は多少筋張ってて硬いし、肉の旨味も少し少なく感じる。処理の仕方の問題なのか肉自体がそういう物なのか分からないけど、ほんの少し獣臭さもあるかな」


 味見を終えた俺は、すぐにそれぞれの肉を小さくぶつ切りにし、ボウルの中に入れた赤ワインの中に漬け込み始めた。

 臭みを取る為に1時間くらい漬け込みたい所だが、時間もかかるし小さめに切って短時間の漬け込みで終わらせるつもりだ。


「このままだと、ステーキみたいに肉そのものを味わうような食べ方には向かなそうだ。こうやって臭みを取りつつ硬い肉を食べやすくするとなると……やっぱりハンバーグか」


 作る物が決まった俺は調理器具が置かれている棚を確認し、必要な物を取り出していく。


「道具は一通り揃ってるけど……流石にミンサーは無いか。すり鉢はあるから、臭みを取った肉を包丁とすり鉢でミンチにするしかないな。手間だけど、それはそれで肉感の強い挽き肉が作れるから良しとしよう」


 肉を漬け込んでいる間に、ミンチと混ぜる為のパン粉の準備を進める。

 パン粉その物は何処にも売っていなかった為、代わりに買ってきたパンをおろし金で削って作る事にした。

 食パンの様な柔らかいパンの場合は冷凍しないと上手くいかないが、元から硬いパンなのでそのままでもおろし金が有効である。


 十分な量のパン粉を作り終えたら、今度は玉ねぎをみじん切りにし、フライパンで炒めておく。

 飴色になるまで炒めた後、漬け込んでいた2種類の肉を取り出し、包丁でさらに細かくみじん切りにしながら混ぜ合わせる。

 大量に出来上がった粗挽き肉をすり鉢に入れ、パン粉、炒めた玉ねぎ、牛乳、溶き卵、塩と胡椒を加えて、すり潰しながら混ぜ合わせ、出来た物を一つづつ成形し、ハンバーグのタネが完成した。


「ふぅ、結構時間掛かっちゃったな。というか作りすぎてミンチが大量に余った。まぁ、この余りの使い道はまた後で考えるとして、とりあえずタネを寝かせてる間に付け合わせを作っておこうか」


 出来上がったハンバーグのタネを全て冷蔵庫に保管し、一旦寝かせながら、空いた時間で付け合わせの副菜を作り始める。

 水・砂糖・バターを入れた鍋で人参を弱火でゆっくり煮てグラッセを作る傍ら、ブロッコリーのガーリックソテー、ベイクドポテトを作り、それぞれ先に皿に盛り付けていった。

 そして最後にもう一つ。

 大きな鍋でお湯を沸騰させ、もう一品作る準備を進めておく。


「ハンバーグと付け合わせの副菜に、元々配られる予定だったパン。隊商の普段の食事を考えればこれだけでも十分かもしれないけど、もう一品くらいあってもいいよな。まぁ、コレの場合、殆ど労力も掛からず片手間で作れちゃうし」


 そう呟きつつ、俺はリュックサックの中から袋ラーメンを取り出した。

 これは昨日、一人で彷徨っている際にそのまま齧った5食入り袋ラーメンの、残っていた4袋である。

 要は、これを小分けにしてスープ代わりに提供しようという腹積もりである。


「(……貴重な保存食って考えると勿体ないかもしれないけど、この街を出たらこうして自由に調理出来る機会なんて暫く無いだろうしなぁ。ここは贅沢に使ってしまおう)」


 まず先に麺を全て茹でた後、伸びない様に別の器に上げておく。

 再び沸かしたお湯で、玉葱と薄めに切った豚肉似の肉を茹で、肉から出た灰汁をしっかり取ってから粉末スープを溶かす。

 その傍ら、おろしニンニクをフライパンで軽く焦がし、手持ちの調味料と共に追加する事で味を整える。

 そして、後で加える為の小葱を刻んで麺と同じく別の器に分けておいた。


 付け合わせを一通り作り終わり、後は冷蔵庫に寝かせたハンバーグを焼いていくだけとなる。

 一つのフライパンで2個同時に焼けそうだったので、コンロ全て使えば一度に6個は焼けそうだった。


「――よし、それじゃあ……ジェラルドさん! お願いします!」


 第一陣が焼きあがったタイミングで、俺は炊事場に隣接する形で併設されている食堂側に待機していたジェラルドさんに向かって名前を叫ぶ。

 キリの良い所まで調理を終えたら彼の名前を呼ぶのを合図に、皆を集めてきてもらうように紫銀さんを通じて頼んであるのだ。


『ん、もう良いのか? じゃ、ちょっと行ってくるから待ってろ』


 俺の合図を受けたジェラルドさんは、暇潰しに読んでいたと思われる本を閉じた後、食堂を出て皆を連れてくる。

 こうしてジェラルドさんに奴隷の皆が6人と、馬車の御者と馬の世話をしていた使用人が3人の、合計10人が食堂に集う事になった。


『まさか、我々がやる筈だった仕事を、この異邦人がやりたがるとは……』

『大丈夫なんですかねぇ? 素人の俺達が言う事じゃないんですが、まともに食える物が出て来るのか心配ですよ』

『まぁ、そう思う気持ちも分かる。だが、市場での食材選びも此処での調理姿も、なかなか手慣れた様子には見えたぞ。それに、この匂いも美味そうじゃないか?』

『ほ、本当ですね。こ、これって期待してもいいんでしょうか?』


 ジェラルドさんに連れて来られた御者達が、口々に何かを話している。

 とはいえ、相変わらず内容を知る術が無い以上は気にしても仕方がない。


 俺は焼きあがった10人分のハンバーグを盛り付け、残った肉汁を一つのフライパンに集めた後、とんかつソースとケチャップを混ぜる。

 別の空いたフライパンに少量の水を入れて火にかけ、砂糖を溶かした物を先程のソースと混ぜ合わせ、完成したソースを掛けたらハンバーグの出来上がりである。

 用意していたラーメンも小さい椀に入れ、配られる予定だった隊商のパンと共に添えて、今日の夕食が完成した。



『こ、これは……なんというか、えらく豪勢な食卓に見えますね』

『そうだな。付き合っていた俺が言うのもなんだが、これほど手の込んだ物が出るとは思わなかった。見た事が無い料理だから、味の想像は付かないが……』


 出された食事を前にした面々が、少し戸惑う様な表情を見せる。

 この様子だと、ハンバーグやラーメンの様な料理は一般的ではないのだろう。


『あ、あのぅ……。これは、奴隷の私達が頂いても良い物なのでしょうか……?』

『アイツが皆に振舞いたいと言って作った物だ。その為に材料も奴が自費で出しているわけだし、有難く食えば良いさ』


 戸惑っている皆に先んじて、ジェラルドさんが料理に手を付け始める。


『………………』


 彼は無言でハンバーグをしっかりと味わった後、こっちに視線を向ける。

 そして、ガタッと椅子の音を立てながら立ち上がり、俺の元まで歩いて近づいてきた。


「(ま、まさか、こっちの人の口に合わなかったのか……!?)」


 圧を感じるくらいの様子で近づく彼の姿にたじろいだ俺の肩をガシッと掴んだ彼は、次の瞬間――。


『――美味いじゃないか! 本当に料理を作り慣れてるんだな! ここまで美味い物が食えるとは思わなかったぞ!』


 掴んだ肩をバシバシ叩きながら、笑顔で話すのだった。


「え、えっと、美味かったって事で良いのかな? それなら良かった……」


 これだけ笑顔になっているのに、不味かったという事は無いだろう。

 俺はホッと一安心し、伝わらない言葉と共に笑顔で返事を返すのだった。


『ほら、お前達も食ってみろ! 冷めてしまうと勿体ないぞ!』


 その後、ジェラルドさんが皆に対して声を掛けると、我慢出来なかったのか真っ先に食べ始めた子供達を筆頭に、全員次々と食事に手を付け始める。


『おいしい! おとーさんおかーさん、これおいしーよ! ね!』

『うん、すっごくおいしい!』

『えぇ……本当にそうね。こんなに美味しい御食事を頂けるなんて……』

『あぁ、有難い事だよ……』

『いやぁ、驚いたなぁ。こりゃあ、そこいらの酒場よりも断然美味いぞ』

『そ、そうですよね……! きょ、今日もまた質素な食事だと思ってたのに、異邦人さん様様ですよ……!』


 家族の奴隷と御者の面々には、どうやら気に入って貰えたらしい。

 皆、始めの戸惑いが嘘の様に食が進んでいる。

 あと気になるのは、種族が違うエルフの女性と獣人の男性の2人はどうなのかという事だけだが――。


『……驚いたわね。身元不明の怪しい人間の作る物なんて、始めは口にするのも抵抗があったけど』

『ハン……まぁ否定はしねぇ。普段食わされてるペットの餌みてぇな飯と比べたら、よっぽど上等だよ』


 他の人達と比べると目に見えて喜んでる様には見えないが、こちらも食が止まる様子も無い。


「(エルフや狼の獣人が、肉や玉ねぎを口にしても大丈夫なのかっていう心配は杞憂だったか。種族が違っても食べる物は基本的に変わらないって事は聞いてはいたけど、やっぱりイメージってもんがあるからなぁ)」


 これについても道中で紫銀さんに確認はしておいたので、問題は無い事は分かっていたのだが、どうしても元の世界で培ったゲームや漫画のイメージが大きくて不安だった。

 その心配も払拭され、俺の作った夕食は無事全員に受け入れて貰えた様である。


「ふぅ……とりあえずは一安心だな。さてと、後は――」


 皆の様子を確認した俺は炊事場に戻り、二人分の食事をトレイの上に用意した。


『用意出来たか。片方は俺が持っていこう』


 一足先に食べ始め、真っ先に食べ終わっていたジェラルドさんがいつの間にか近くにやってきて、片方のトレイを持って食堂を出る。

 それに伴って、俺はもう片方のトレイを持って後に続いた。



「おまたせ、紫銀さん。食事持ってきたよ」


 やって来たのは、建物の外に停められている馬車の中。

 彼女だけは馬車の中の檻から出してもらえない為、俺達が此処まで食事を持ってきたわけである。


「わざわざ申し訳ありません。ジェラルド様も、本日は有難う御座いました」

『片手間で終わる内容だったから気にするな。思っていた以上に良い報酬にありつけたしな』

「どうやら皆様には満足して頂けた御様子ですね。ユーゴ様、御疲れ様でした」

「あぁ、ありがとう。紫銀さんから色々話を聞けてなかったら、こんなに上手くはいかなかったと思う。本当に助かったよ」

「少しでも御力になれたのであれば、何よりです」


 結果の報告と御礼の言葉を済ませたのち、ジェラルドさんが檻の中に物を入れる為の開閉部の鍵を開ける。

 だが、彼は持っていたトレイを檻の中に入れようとはせず、俺の方を見てから檻の方を指示した。


『折角お前さんが作ったんだ。直接渡してやると良い。ユーゴ』

「……あぁ、分かったよ。ありがとう、ジェラルドさん」


 互いに発した言葉の意味は未だに分からない。

 だけど、何となくだが今交わした言葉の意味だけは、お互い明確に通じ合った様に思えた。


「それじゃあ、これ。中に入れるよ」

「はい。開閉部の方も人の手は通さない作りとなっていますので、結界に手をぶつけてしまわない様に御注意下さい」


 俺は注意深く、檻の開閉部から夕食を乗せたトレイを挿入する。

 中に入ったトレイは、昨日の夜見た時と同じく紫銀さんの膝上の辺りで浮かんだまま静止した。


「このトレイが浮かんでるのも魔道具の力とかなの?」

「いえ、これは私の魔法で浮かせています。食事の時、膝上に直接物を置くのは不安定ですし、この檻の大きさではテーブル等は置けませんから」


 彼女はそう言いながら受け取ったトレイを見つめた後、目を閉じて軽く匂いを家具仕草をする。


「これは食欲をそそる良い香りがしますね。それに種類も多くて目移りしそうになります」

「はは、口に合えば良いんだけど……」


 先程、奴隷や使用人の皆に食べてもらった際にも緊張はしていたのだが、今はそれを遥かに超えて緊張している。

 やはり、これまで一番世話になった彼女には、誰よりも満足してもらいたいという想いがあるのだ。


「それではユーゴ様、頂きますね」

「うん。召し上がれ」


 彼女が俺の作った食事に手を付け始めた。

 ハンバーグに各種付け合わせを一つ一つ口に運び、しっかりと味わう様に咀嚼していく。

 彼女の一挙一動は、家庭料理レベルの物を食べているとは思えないくらいに礼儀正しく、俺はその姿に目線が釘付けになる。


「………………」

「(こうして見ると、まるで何処かの御嬢様みたいだ。やっぱり、奴隷って感じには見えないよな……)」


 そんな事を考えているうちに彼女は一通り味わい終え、一息ついてからこちらに向かって微笑んだ。


「――どれもとても美味しいです」

「ホント? 良かったぁ……」


 彼女の一言を聞いて俺はホッと胸を撫で下ろし、一気に緊張の糸が切れる。

 ただただ食事を作っただけでここまで緊張をする日が来るだなんて、少し前までの自分では想像も出来なかっただろう。


『気に入って貰えたみたいだな。ほら、お前の分だ』

「え? あ、あぁ、そうか。自分の事をすっかり忘れてた。ありがとう、ジェラルドさん」

『それじゃ、俺は先に戻ってるからな。何かあったら呼びに来い』


 残った俺の分の食事を手渡したジェラルドさんが手を振りながら戻っていく。

 俺は受け取ったトレイを床に置き、馬車の中で胡坐をかいて座り込む。


「それじゃあ俺も……頂きます!」


 そして、手を合わせてからようやく夕食を食べ始めたのだった。


「……うん、こっちの環境での調理は不安だったけど、思ってたより上手くいったな!」


 味見は逐一行っていた為、失敗している筈は無いのだが、やはり実際にしっかり食べて初めて完成度を実感出来る。

 今回は材料も調理環境も初めて扱う物が多く、未知の部分が多かった為、完成形がどの様な物になっているのか、自分でも早く確認したかったのだ。

 自分の料理が上手く出来ていた事、そして元の世界で扱っていた素材とは僅かに異なる風味を味わっていると、紫銀さんがふと声を掛けてくる。


「……本当にこちらで御食事を召し上がるという事でよろしかったのですか? 折角、馬車の中よりも寛げる場所があるというのに……」


 どうやら、俺が食堂ではなく馬車で夕食を取る事にした件についての様だった。


「確かにそうだけど……向こうで食べた所で、まだ誰ともちゃんと言葉を交わせないしね。こっちで君と話が出来る方がよっぽど居心地が良いしさ。それに、今は他に誰も居ないから場所は広く使えるし、此処でも十分寛げるよ」


 彼女の疑問にそう答える。

 多分、紫銀さんは俺が移動の出来ない自分に気を使って、こっちで食べる事にしたのではないかと考えたのだろう。


 正直な所、その気持ちも少しはある。

 だが8割方は返答した通り、自分にとって都合が良かっただけなのである。


「ユーゴ様……分かりました。世情には疎いこの身ではありますが、せめて暇を持て余さぬ様、話し相手を務めさせて頂きます」


 紫銀さんはそう言うと、一度食器を置き、座ったまま丁寧に御辞儀をした。

 本当に俺がこっちに居たいから居るだけなので、そこまで畏まる必要は無いのだが。


「はは、そんな畏まらず気楽に御願いするよ」


 俺はそう笑って、再び食事に手を付けるのだった。



「――それにしても、まさかこの旅の中でこんなに素敵な夕食を頂けるなんて思いも寄りませんでした。こちらは何という御料理でしょうか」

「メインの肉料理はハンバーグだよ。細かくした肉とパンの粉や玉ねぎなんかを混ぜ合わせた物を焼いて作った食べ物なんだけど、この辺りではこういう料理は無いの?」

「屑肉を有効利用する為に肉団子にしてスープ等の具材として活用する事はあると思いますが、メインの料理としてこの様に調理するというのは聞いた事がありません。肉やパンをわざわざ細かくして混ぜ合わせるなんて、手間も掛かりますし、普通は思い浮かばないと思います」


 他の皆の反応から予想していた通り、やはり少し手の込んだ料理を作る文化は無さそうだ。

 よくよく思い返してみると、市場を見て回っていた時に幾つか食べ物を売っている露店は見掛けたが、大抵は肉や魚に自前のタレやスパイスを掛けて焼いた物だとか、質素なスープやシチューばかりだった。

 その事を踏まえると、この世界では「焼く」と「煮る」以外の調理技法があまり広まっていないのではないだろうか。


「確かに手間がかかるけど、その分美味しい物が出来るし、こうして上手くいった時の事を考えながら作るのは楽しいから苦じゃないんだけどね。って、スープを手抜きした俺が言うのもなんだけど」

「そうなのですか? 確かに、他の御料理とは少し趣きが異なる印象はありましたが……」

「あぁ、それだけは持っていた保存食に少し手を加えただけだからね。ちょっと物足りなく感じて、急遽一品加える事にしたから」

「保存食、ですか。手を加えたとはいえ、こんな味わい深い保存食があるなんて驚きました」


 彼女は小分けにしたラーメンを味わいながら感心する。

 元の世界ですらインスタントラーメンが誕生して5、60年程度しか経っていないのだから、この世界の住人にとっては未知の存在なのは当然である。

 喜んでくれたのは良かったが、自分の力で喜ばせたわけではないと思うと、少し複雑な気持ちだった。


「(……異世界モノ特有のチート行為というか、ちょっとしたズルをするのはコレが初めてだな。それがまさか、インスタントラーメンを使う事だなんて思いもしなかったけど)」


 よくある物語だと、主人公が神様から力を貰うだとかそんな理由で初めから凄い能力を持っていて、その力で大活躍する話が多いだろう。

 あるいは、異世界には存在しない持ち物を使って無双する物語なんかもある。


 だが、残念な事に俺はどれも満足に持ち合わせてはいない。

 身体が強化されたという実感は無いし、特別な能力に覚醒したわけでもなければ、VRゲームの様なステータスウィンドウを開いて情報を確認する事も出来ない。

 偶然持ち込めた食品は消耗品だし、無くなればそれで終わりである。


 唯一消耗品でなく、且つこの世界にはない特殊な機械といえばスマートフォンくらいなものだ。

 コイツが不思議な力を宿してたり――なんて事も勿論なく、通信も出来ない今の状態では無用の長物と言える。

 写真や音声を記録するくらいは出来るが、肝心の充電もままならない今の状態ではそれも長くは持たないだろう。


 異世界転移したといっても、どうやらそんな御都合主義は現実では有り得ないらしい。


「(この世界にはない食品を少し持ってるだけで何の力も無い男子高校生……ホント、ビックリするくらい只の凡人だよなぁ。こんな俺が、元の世界に帰るなんて出来るのか……?)」


 改めて自分の状況を見つめ直すと、不安ばかりが募ってくる。

 此処までなんとかなっているのも結局は運よく協力者が居ただけの事で、今後はそう上手くいくとは限らない。

 いざ一人で何とかしないといけなくなったその時に、俺はその場を凌ぐ事が出来るのだろうか。


「(これから先、取り調べもあるだろうし、いつ解放されるかも分からない。解放された所で、何の力もない俺が元の世界に戻る方法なんてあるのか? それって、次元を超えるって事だぞ? 一体どうやって? ……駄目だ、どう考えても絶望的過ぎる。俺は、きっとこの世界で――)」



「――ユーゴ様? 如何致しましたか?」


 自分のラーメンを見つめながら、そんな事を考えていると紫銀さんが心配そうに声を掛けてくる。


「えっ!? あ、いや、ちょっと考え事をね! この保存食、ラーメンって言うんだけど、俺の暮らしてた国で開発された物でさ……なんか、見てたら色々と思う事があって……」


 我に返った俺は、慌ててそう言い繕ろう。

 相変わらず嘘は吐いていないものの、肝心な部分を誤魔化している事には罪悪感がある。


「そうだったのですね……やはり、祖国の事が気になりますか?」

「まぁ、ね。今の状態じゃあ、いつ帰れるかも分からないし……。このまま身動きがとれない状態がいつまで続くのか、自由になった所で何をどうすればいいやら……」

「どうすれば、とは……?」

「あ~、その……俺には此処が自分の住んでいた国からどれだけ離れているのか、どうすれば帰れるのか分からないからさ。何をするべきなのか分からなくて……。正直、もう帰れないんじゃないかなって……」


 無意識に深く考えない様にしていた「帰還不可」という現実が重くのしかかり、自分でも驚くほど弱気な言葉が口から出てくる。

 色々一段落して、少し気が抜けてしまったのかもしれない。


 俺の言葉を聞いた彼女は、少しだけ逡巡する様な仕草を見せた後、口を開く。


「……どんな事でも、構わないかと」

「どんな事でも?」

「はい。出来る事があるのであれば、何でもやってみるのが宜しいのではないでしょうか。何も行動を起こさなくなってしまえば、それは死んでいるのと同義ですから」


 そう言うと、彼女は馬車の外に目を向けた。


「私は……見ての通り、自由の効かない身です。3年程前までの私は、その現状に絶望していました。それこそ、当時御世話になった女性の方に――『殺して下さい』と、懇願する位には」

「そ、それは――」


 少し懐かしそうな、それでいて辛そうな複雑な表情をしながら彼女はそう語る。

 紫銀さんがどんな過去を過ごしてきたのかは分からないが、決して明るい過去では無いとは思っていた。

 しかし、自ら死を懇願する程の物だとは流石に考えていなかった。


 俺はそれ以上の話を聞く事を憚られ、思わず話を止めようとしかけたが、彼女は静かに首を横に振ってそれを拒否する。


「私の願いを聞いたその方は私の頬を強く叩いて叱咤し、それから肩を掴んで言いました。『私は生きてくてもそれが叶わなかった人を何人も見てきた。老若男女問わず。貴方はそんな人達を目の前にしても、その言葉を言える?』と。彼女は危険請負人でしたから、様々な死に直面してこられた様で……生きる事を放棄するのは許せなかったみたいです」


 俺はまだ見掛けた事は無いが、この世界には魔獣なんてのが当たり前の様に存在している。

 そういった危険な生き物に襲われる様な状況なんて、そう珍しくない筈だ。

 きっと、紫銀さんが世話になったその人も、そうやって亡くなる人を沢山見てきたのだろう。


「『死に至る病や怪我を抱えた人ですら、最後まで生きたいと願う。それなのに、五体満足の貴方が簡単に生きる事を諦めないで』……そう言って、私を優しく抱きしめて下さいました。そんな彼女の言葉と体温が、厳しくも暖かくて――気が付いたら私は泣いていました」


 当時の事をしっかり思い返しているのか、彼女は目を閉じ、胸元に手を当てる。


「だけど、生きていても何も出来ない、誰の役にも立てない。そんな私に価値などあるのでしょうか? ……私にはそれが分からなくて、彼女に問いました」

「その人は、なんて?」

「『誰かの為にじゃなくて、まずは自分の為にやりたい事を探してみなさい。どんなに些細な事でも構わない。それが次へ繋がるきっかけになるから』と。私の頭を撫でながら、そう答えました」


 どこまでも優しい人だと思った。

 俺から見た紫銀さんは、今話した過去の辛さを微塵も感じさせない芯の強さを感じさせる。

 今の心の強さは、その人の優しさがあっての物なのだろう。


「そんな人が居たから、紫銀さんは……」

「はい。こうして今も生きています。そして、檻の中でも出来る事を探し、その過程で本による知識の収集が始まり、魔道具作りに興味を持ち――自己流ですが少しづつ形にしてきました。おかげ様で、こうして少しでも誰かの御役に立つ事が出来る様になったと考えると、あの方の御言葉は間違っていませんでした」


 そう言って彼女は穏やかに微笑んだ。


「その人には俺も御礼を言わなきゃな。おかげで紫銀さんと出逢えたし、こうして助けて貰ってるわけなんだから」

「ふふ、そうですね。私も改めて御礼の言葉を言えたらと……そう思います」


 実際に、紫銀さんとその人が再開出来る可能性は高くないのだろう。

 それを分かっているからか、彼女はまた少し寂しそうな顔をしている。


「ユーゴ様。あの方の受け売りで恐縮ですが、何でも試してみては如何でしょうか。停滞は何も生みません。帰国の手段に直接繋がる事は無くとも、得た物は貴方様の旅路にとって有益な物になる筈です」


 最後に彼女は自信を持って俺にそう告げる。

 彼女の言葉を聞いている内に、いつの間にか悪い思考のループは完全に消え去っていた。


「あぁ、そうだな……そうだった。というか、この料理だって少しでも現状を変えたくて作ったってのに、今更なんでそんな事で悩んでるんだって話だよなぁ」


 頭を掻きながら俺はそう呟いて恥じる。


「ありがとう、とにかく何でもやってみるよ。俺の料理の腕でも皆からそれなりに評価して貰えたんだし、帰る目途が立つまで、いっそ出店してみてもいいかもな。お金も稼げるし、客から色々話も聞けるかもしれない。それが帰国に繋がる可能性だって無いわけじゃない」

「良いと思います。この完成度ならば、悪い結果にはならないと保証します」

「そう言って貰えると心強いよ。……紫銀さんには、いずれちゃんとした形で諸々の御礼をさせて欲しいな。調理器具や食材が揃えば、今よりも色々作れる様になるし、今日の夕食よりも豪華な料理を用意しておくからさ」


 彼女が買い取られれば、それがいつ実現出来るか分からないし、再会する事も叶わないかもしれない。

 彼女の所在を調べる事が出来たとしても、その時の彼女の所有者や管理している奴隷商から面会の許可を得るのは難しいだろう。

 それでも、俺はこの世界で初めて言葉を交わし、助けてくれた彼女との縁を簡単に終わらせたくなかった。

 そんな想いから出た、御礼をしたいという俺の願いを聞いた彼女は――。


「……えぇ。もしその時がくれば、きっと」


 一言そう言って、静かに微笑んだ。



     ◆     ◆     ◆



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