【#6】商人達の宿事情
『――そろそろ出発するぞ』
朝食が一段落してから暫く経った後、馬車は次の目的地に向かって走り出した。
走り出したと言っても馬車を引く都合上、速度は徒歩と変わらない程度のもので、非常にゆったりとした旅路である。
「……これは、今日も何処かの道端で野宿になる感じかな……?」
「いえ、本日は夕刻前までに交易都市クロナムーガに到着する予定です。ですので、商業組合が提供している簡易宿泊施設での寝泊りとなるかと」
半分以上独り言のつもりで呟いたのだが、傍の檻の中に居る紫銀さんが丁寧に答えてくれた。
ちなみに、昨日の夜とは異なり、今日は今朝からずっと布を掛けたままの状態でやり取りをしている。
初めて話をした時に布を外させたのは、中に人が居る事を知らない俺が「得体の知れない相手と話す」という警戒心を抱かないように配慮しての事だったらしく、普段はこうしてあまり人目に付かない様に檻を隠す様にしているようだ。
それが何故なのかは分からないが、やはり現状は深く追求するわけにもいかず、今は素直に布越しでの会話を続けている。
「簡易宿泊施設? そんなのがあるんだ」
「それなりに大きな街に設立されている商業組合支部では、組合員に限り低価格で宿泊出来る部屋が用意されております。交易都市ともなれば人々の行き来も盛んですから、運が悪ければ宿を取れない事もありますので」
「随分手厚い組合なんだな。でも、わざわざそんな所を作るくらいなら、宿を取れなかった商人達には街の外とか周辺で野宿する様に協力して貰えば建設費を節約出来そうな気がするけど、それは無理なの?」
俺が抱いていた異世界のイメージは、門限までに街に入れなかった人達や、お金の無い人が街の入口近くで野宿をして凌ぐ光景だった。
この世界の街に門限が定められているのかは分からないが、金銭面の方で野宿をせざるを得ない人なら居てもおかしくはない。
「それも可能ですし、商人に限らず様々な事情から野宿を選ぶ方は珍しくありません。ただ、そうした方の中には、素行の悪い方も紛れ込んでいる事も少なからずありますから、そこに隊商が野営するとなれば……」
「あぁ、金品強奪目的で襲われる可能性がある、と。そりゃあ、そういう輩からしたら鴨が葱を背負ってやって来た様なもんだよなぁ」
「はい。奴隷も違法な裏取引で高額売買されておりますので、奴隷商も狙われる対象になり得ます。私も数回、その様な方々に連れ去られた経験がありますし」
彼女の口から、サラッととんでもない発言が飛び出し、俺は驚く。
「いやいやいや! そんなアッサリ話せる様な話題じゃないよね!?」
「私が此処で平然としている事から御分かりの事とは思いますが、怪我を負う事も無く無事に解放されておりますので。当時の隊商には、残念ながら助かった方は居りませんでしたが」
俺からすれば重大な事件に複数回も巻き込まれているというのに、彼女は淡々と当時の事を話す。
一体、この人はこれまでどんな人生を歩んできて、どうすればここまで冷静で居られるのだろうか。
「紫銀さんの身に何事もなかったのであれば良かったけど……ホント、よく無事だったね。余程救助が早かったとか?」
「それは……単に、私を攫った方々が私に対する知識が少なく、持て余しただけ、という所でしょうか」
「持て余した……?」
彼女は助かった理由に関しては少し言葉を濁す様に話す。
「(何だろう、この檻に閉じ込められている事と何か関係しているのか?)」
恐らく彼女が他の奴隷とは異なる立場だという事にも繋がっている話だとは思うのだが、言葉を濁す様子を見るに、これも深入り出来る内容の話ではなさそうだ。
元の話から少し脱線しつつある事だし、今は詳しく聞かず、俺は話を本筋に戻す様に務める事にした。
「……ま、まぁ、何にしても、そんな野蛮な奴も居るから、注意しなきゃいけないって事はよく分かったよ」
「えぇ。中には組織的にそういった犯行に及ぶ集団も居ますので、野宿という選択はあまり勧められません。頻繁に発生する様な事例ではありませんが、用心するに越した事はないでしょう」
夜の街の外じゃ警備も手薄だろうし、いくら護衛が居るとはいっても集団で来られたら全く被害無く済ませられるとは限らない。
現に、彼女が攫われた時の隊商は全滅しているわけだし、まだまだ先が長いであろう旅の途中でそんなリスクを背負うわけにはいかないだろう。
「なるほどね。で、そうした被害から商人や品物を守る為に、多少コストが掛かっても宿泊施設を用意しているって事なんだな」
「もっとも、施設には最低限の寝床や炊事場くらいしかありませんし、裕福な商人は護衛を連れて質の良い宿酒場等で過ごされる事が殆どです。部屋が確保出来ない場合を除いて、普段施設を利用されるのは使用人や奴隷の他、駆け出しで金銭に余裕の無い商人の方ばかりですね」
「だから俺達も今日泊まるのは施設の方ってわけなのか。そうする事で、商人達は快適に過ごしつつ宿泊費を浮かせられる、と。まぁ、連れて来られてるだけの身だし、俺からは文句なんて言えないんだけど、設備が最低限となると食事には期待は出来ないよなぁ……」
俺は先程食べた朝食を思い返しながらそうぼやいた。
配膳されたメニューは昨夜と同じく、味気の無いスープと硬いパン。
食事が貰えるだけ有難いとは思うが、こればかりが毎日続くのであれば、流石に参ってしまいそうな物である。
街に滞在している間なら多少はマシな食事にありつけるかもしれないと思っていたのだが、どうやらそうもいかなさそうだ。
「簡易宿泊施設には飲食店等は併設されておりませんから、いつも通り使用人の方々による自炊という事になるでしょうね」
「タダで食わせて貰っておいてこう言うのは気が引けるんだけど、流石にアレはちょっとね……。実際、そこの獣人とエルフの人はあまり良い顔してなかったし、子供達も物足りなさそうな顔してたしさ」
「毎回暖かいスープがあるだけまともではありますよ? 私の経験では、計算力に難のある商人が率いる隊商が次の街に辿り着く前に食料が少なくなり、数日間干し肉数切れで済ませる事もありましたし」
「計算力に難って、商人に向いてなさすぎるな! はぁ……もういっその事、俺に食事当番させろって言いたいくらいだよ」
「ユーゴ様が、ですか? 調理には慣れていらっしゃるのでしょうか?」
「まぁ、それなりにはね。自炊もしてたし、バイトでも調理場で仕事してたから」
そう話しながら、俺は喫茶店Percheでのバイトの日々を思い浮かべる。
あの店は喫茶店と名乗りながらも、実はかなり多数の料理も提供していて、半分洋食屋と言っても良いくらいのメニューを誇っていた。
元々家で料理を作っていた俺は調理場で店長の補助をしつつ、色々と作ったものである。
たまに時間がある時には、メニューに無い料理を彼から教わる事もあった。
そんなわけで、少なくともこの隊商の人達よりはまともな料理を作る自信はあるわけだ。
「……とはいえ、こんな状況じゃあどうしようもないんだけどなぁ」
食事に対する愚痴を溢した後は、彼女から今居る地域の話や周囲の国の事聞いたり当たり障りのない雑談をしながら時間を潰していく。
そうして、気が付けば昼を過ぎていた。
昼はわざわざ火を起こして煮炊きする手間暇を掛けたくないらしく、休憩時間中に硬いパンと先程話に出てきた干し肉を手渡され移動しながらの食事となる。
予想はしていたが、干し肉は最低限の量の塩くらいしか使っていなさそうな物で、御世辞にも美味いとは言えない上にとても硬い。
「(マズい……とまでは言わないけど、やっぱり香辛料も何も付いてないからイマイチだな。乾燥させた割には旨味も少ないし。肉自体も安価な物が使われていのかもしれない)」
多分、スープの出汁にもコレが使われてるのではないだろうか。
旨味の少ない安価な干し肉で出汁を取り、同じく安く仕入れた屑野菜を適当に放り込んで煮詰めた物――きっとそれがあの味の薄いスープの正体なんだと俺は推察した。
出来るだけ節約したいと考えているのだろうが、味だけでなく、これでは健康にも良くなさそうだ。
「……ん?」
そんな事を考えていると、ふと奴隷の子供二人の姿が目に入った。
やはり決して量が多いとは言えない食事に満足出来ないらしく、しょんぼりとした顔をしている。
「(う~ん……。子供があんな悲しそうにしているのは見てられないよなぁ)」
俺はまだ手を付けていない自分のパンに目を向けた後、パンを手に子供達の方へ近づいた。
急に見知らぬ男が近付いてきた事に対して両親は警戒する様な素振りを見せるが、俺は気にせず彼らの前でパンを二つに分け、それぞれ子供達に差し出す。
突然の事で驚いた彼らは、始めはどうしたらいいのか迷っていたが、俺が二人の頭を撫でてやると意図が伝わり、喜んでパンに噛り付き始めた。
そのまま元の位置に戻ろうとする俺に対して、御両親は深く頭を下げてくる。
俺は気にしないでくれという気持ちを込めて軽く手を振って答えた。
「御優しいのですね、ユーゴ様」
「え、俺が何をしたのか分かったの?」
「えぇ。視覚に頼らなくても、ある程度は」
檻に掛けられた布で、周囲の様子は見えない筈だというのに、紫銀さんは俺が子供達にパンを分け与えた事に気が付いたらしい。
魔法的な何かの力で見えたりしているのだろうか。
「……実は紫銀さんって、周囲の気配を察知出来る様な、何かの達人だったりする?」
「ふふ、どうでしょうね」
「ははは……冗談だよね?」
心なしか、紫銀さんの声が今まで話をした中でも一段と穏やかに聞こえる。
彼女も子供達が喜んでいる事が嬉しいのだろうか。
「この子達、瘦せてるしさ……家族で奴隷になったって事は、きっと経済的に困窮したからでしょ? となると、この子達はこの馬車に乗せられるよりかなり前から満足に食事も摂れなかったんじゃないかと思って」
「そうでしょうね。残念ながら、そういう家庭は珍しくありません」
「そっか……子供には辛いだろうに」
どれくらいの間、まともな食事にありつけていないのかは分からないが、本当に辛い日々を過ごしてきたのだと思う。
それを想像すると胸が苦しくなる。
「――あのさ、さっき話してた宿泊所の炊事場、なんとか俺にも使わせてもらえないかな?」
無理難題だとは思いつつも、俺はそんな希望を口にする。
「もしかして、本当に御食事を?」
「うん。皆に出来る限り美味しくて栄養のある食事を用意してあげたくて。根本的な解決にはならないのは分かってるけど、少しでも気分が晴れてくれれば、前向きな気持ちになれるかもしれないし」
俺は先程の家族や、傍に居る獣人の男、エルフの女性を見ながらそう伝える。
この馬車に乗せられて半日程経過するが、此処に居る人達の雰囲気は暗い。
保護という名目ではあるが、やはり奴隷という身分に落ちてしまった事によるショックは計り知れないのだろう。
そんな皆が、少しでも前を向いて行ける様になるきっかけになったら良いなと、俺は考えていた。
「――使用するだけであれば、問題無いかと」
「え? 本当に?」
「はい。クロナムーガに滞在している間、ユーゴ様はある程度自由に行動出来る筈ですので」
まさかの返答を聞いて、俺は一瞬戸惑う。
しかし、本当に自由に炊事場を利用できるのであれば、話は変わってくる。
「ですが、食材はどうするのですか? 流石に、食費までは自由に使わせて貰えないと思いますが」
「まぁね。でも、ちょっと当てがあって」
「……あぁ、なるほど。そういう事ですか」
俺が言うまでも無く、彼女は『当て』について察してくれたらしい。
「ホント、察しが良すぎないか? まぁいいや、アレって使えるよね?」
「えぇ。ジェラルド様の御協力があれば、そちらも問題無いでしょう」
「よし! じゃあ、後で彼にも協力を仰ごう。それで、具体的にどうするかなんだけど――」
紫銀さんの御墨付きを得た俺は、彼女に計画内容について相談していく。
大それた計画ではないのだが、それでも幾つか懸念点や、事前に確認しておきたい事がある。
それらを一つづつ確認していき、問題点を全て潰していった。
そうして一通りの相談を終えた頃、突然馬車が停車する。
また休憩の時間になったのかと思ったのだが、どうもそうではないらしく、ゆっくり進んでは止まるというのを繰り返している様子だった。
「どうやら到着した様ですね。恐らく今は、街へ入場する為の順番待ちでしょう」
馬車の動きから察したのか、紫銀さんがそう教えてくれる。
確かに、よく耳を澄ませば外から薄っすらと多数の声が聞こえてきた。
きっと俺達と同じ様に、順番待ちの列に並ぶ他の集団の人達の話し声だろう。
俺は馬車の後方から身を乗り出し、落ちない様に気を付けながら前方を確認してみた。
「おぉ~本当だ! 大きな外壁が見えるよ!」
初めて見る異世界の街の姿に興奮した俺はそう叫んだ。
傍から見ればまるで子供の様な反応に見えるだろうが、元の世界では外国に残されているかつての城塞都市等でしか見る事が出来ない貴重な光景である。
それを見て興奮するなという方が難しいだろう。
「でも、交易都市という割には物々しい雰囲気の壁に見えるなぁ」
「この辺りはそれほどではないとはいえ、突発的に増殖した魔獣や魔物による街への侵攻が全く無いわけではありませんから」
彼女の口から「魔獣や魔物」という言葉が出てきたが、この世界にはそういった生物が居る様だ。
此処に至るまでの間には襲われる様な事は無かったが、いつ襲われてもおかしくなかったのかもしれない。
ジェラルドさん達は、主にそういった事態への対処の為に護衛の契約を交わしているのだろう。
見える範囲で順番待ちをしている他の人達の様子を確認してみると、やはりどの集団も同様に護衛と思われる人達が同行している姿が見られ、この世界での旅の過酷さが伝わってくる。
「確か、今居る国の首都側からと、隣接した2ヶ国側から人が集まってくる街なんだよね。交通の要所だろうし、警戒するのは当然か」
「仰る通りです。現在地のトランボルメス共和国に加え、北北東の大国・エルドニフ連邦と南東のリアーロンド王国から伸びる街道の接続点が此処、クロナムーガとなりますね。この街の重要度の高さを考えれば備えは幾らあっても良いという事なのでしょう。建築に掛かった費用も、人が集まれば容易に賄えるでしょうし」
彼女の言う通り、先程外の様子を窺った際に確認したが待機列はかなり長く、想像していた以上に賑わっている。
これだけの規模で交易が行われているのであれば、街の収益は相当な物だろう。
「でも、その所為でこの長蛇の列か……。これは、宿に辿り着くまでにまだまだ時間がかかりそうだなぁ」
「御心配には及びません。少し混み合う頃合いですので多少は待つ必要がありますが、入場手続きも効率化が進んでおりますので、それほど時間は掛からない筈ですから」
彼女の言った通り、順番待ちの列は意外と早く進んでいき、一時間も掛からず門まで辿り着く。
どうやら門はかなり大きく、複数の場所で同時に手続きが行われている様だ。
勿論、こっそり侵入出来ない様に、警備兵らしき人達が目を光らせている。
「なるほど。なんとなく一つの入り口で一団体づつ手続きしてるイメージがあったけど、違うんだな」
「この街は、特に効率化を図っている街だそうです。此処ほどの規模で手続きを行っている街は、なかなか無いかと」
「三ヶ国を繋ぐ交易都市だもんなぁ。そりゃあ人も沢山来るし、こうなるのも当然か」
そうこうしている内に、俺達も検問所に辿り着く。
手続きの際に、積み荷の確認の為か、係員と思われる男性が荷台までやって来た。
俺の方を指差しながらジェラルドさんと何か話をしていたが、多分、昨日の出来事を説明していたのだと思う。
そうして一通りの確認が終わり、俺達は交易都市・クロナムーガに足を踏み入れたのだった。
街に入った後は今日の目的地である商業組合の支部に直行し、件の簡易宿泊施設まで辿り着く。
ガチャガチャ……ガチャリ。
そして着いた途端、護衛や使用人達がやって来たと思ったら俺達の手錠と足枷を外し始めたのだった。
「街に滞在している間はある程度自由行動が許される――とは聞いてたけど、本当にその通りになったなぁ」
「街の出入りには住民証か滞在証の提示が必要になりますので、どちらも持たない奴隷が万が一逃亡したとしても外へ出る事は叶いません。ですから、拘束具が無くても不都合は無いのです」
実際に拘束具を外されて驚いている俺に、彼女は補足説明をしてくれる。
街に入る時に隊商の人達が何か紙の様な物を受け取っていた気がしたが、多分、それが滞在証なのだろう。
確かに、それを持たない俺達は街の出入り口で止められてしまう筈だが、それでもまだ疑問は残る。
「外に出られないとしても、逃げ出して街の中で隠れちゃうくらいは出来るんじゃ?」
「奴隷には追跡首輪が付けられていますから、すぐに居場所が特定されてしまいます。簡単には取り外せない作りとなっていますので、潜伏するのは難しいかと」
「あぁ……そういえば皆、細い革っぽい素材の首輪みたいなのを付けてるな。あれはそういう代物だったのか」
紫銀さんを含めて全員同じ首輪を着けている事から、あれにも何かしらの意図があるのだろうとは思っていた。
しかし、どうやら俺が考えていたよりも手の込んだ道具だったらしい。
「って、俺はそんなの付けられてないんだけど……」
「奴隷以外の人物に対して、正当な理由なく追跡首輪を着けるのは違法となりますから。かといって、罪人でもないユーゴ様一人だけを拘束したままにするわけにもいきませんし、拘束具を外して監視を付ける対応となったようですね」
『そのおかげで、俺までこっちで過ごす羽目になったんだがな』
俺達の会話に割り込む形で何かぼやく様な言葉を発しながら馬車の中に入ってくる人影。
現状、通訳さえあれば俺が紫銀さん以外に唯一まともにやり取りが出来る相手であろう、ジェラルドさんの姿がそこにあった。
「ジェラルド様……という事は、貴方様がユーゴ様の監視を?」
『あぁ。保護に関してはお前の仕事なんだから、責任を持って面倒見ろとさ。正論ではあるから文句は言えんが』
どうやら、彼が俺の監視役としてこちらの簡易宿泊施設で待機するらしい。
しかし、本来であれば彼も護衛の一人として宿酒場で過ごす筈だったのだろう。
「えっと……多分、俺を捕まえた所為で損な役回りに立たされたんだよね? だとしたら申し訳ないな」
「ユーゴ様が気に病む必要はありません。ジェラルド様にとっては、被保護者の身の回りの世話も職務の内の一つですから」
『その通りではあるんだがな。まぁ、寝床に関しては諦めるが、飯くらいはまともな物を食いたい所だ』
「あら、美味しい御食事を御所望なのですね。それでしたら、ジェラルド様の御助力さえあれば、御希望に沿えるかと」
異なる言語の相手二人の間を繋ぐ様に会話をしながら、彼女は自然に協力を要請する流れに持ち込んでいく。
『協力? コイツに何か手を貸せってか? まぁ、話くらいは聞いてやってもいいが、その前に他の奴隷達を部屋に連れて行かなければならないんでな。とりあえずコイツ以外は一旦連れて行くから、少し待って貰いたいんだが……』
「畏まりました。それでは、私達は此処で御待ちしておりますので」
『あぁ。すぐに戻る』
本格的に相談を始める前に、ジェラルドさんは奴隷の皆を連れて何処かへ行ってしまった。
彼の言葉が分からない俺は一瞬どうした事かと戸惑ったが、紫銀さんの説明によれば、奴隷の皆の部屋への移動を先導しに行ったらしい。
俺達は馬車の中で彼が戻るのを待ってから、計画についての相談を持ちかけるのだった。
『――あの魔素結晶を売却したいだと?』
「えぇ。ユーゴ様は調理の御仕事をされていた様で、炊事場さえ使えるのであれば皆様に夕食を提供したいと仰っています。しかしながら、流石にこの隊商の食費や食材を使用する許可までは下りないでしょうし、余った魔素結晶を売った資金で食材を購入したい、と。あれほどの結晶であれば良い値段で引き取って頂けると思いますから」
奴隷達が居なくなり、檻に掛けていた目隠しの布を取り外された状態の紫銀さんが戻って来たジェラルドさんに俺の希望を伝える。
『ちなみに、大体どのくらいの値が付きそうか、アンタには分かるのか? あの品質の結晶はあまり見掛けないし、俺にはサッパリでな』
「素人に毛が生えた程度の見立てですが、5000Ruは下らないかと」
「(10Ruあれば食事の時に渡されたあのパンが一つ買えるくらいらしいから、5000Ruだとパン500個分。こっちの物価がどのくらいか分からないけど、それだけあれば十分すぎる筈だ)」
この世界の貨幣である「ルムニア」の価値については彼女から事前に聞いてあるので大体把握済みである。
魔道具を作る為に必要な結晶は一つで十分らしいので、結晶の余剰分には余裕があるし、万が一、彼女の見立てが間違っていても全く値が付かない事はないらしいし、複数個売れば事足りるだろう。
『話は分かった。それで、俺に頼みたい事っていうのが、コイツを連れて魔素結晶の売却と、食材の購入の代行をしろってところか』
「その通りです」
『結晶の売却は問題無いとして、食材を買うのは難しくないか? 俺にはコイツの言葉は理解出来ないし、何が欲しいかも分からんぞ』
「その点に関しましては、予め簡単な合図でのやり取りを決めておけば問題は無い筈です」
『ふむ……』
その問題点については、既に道中で紫銀さんと相談済みである。
俺が自由に市場を見て回って、気になる物があれば予め決めておいた簡単なサインで「これが欲しい」と伝えれば良いだけだ。
そして、そのサインも既に一通り決めてあるので、あとでジェラルドさんに教えればいい。
「手伝って頂いた代わりに、手間賃として魔素結晶の売上から2000Ruの謝礼を御支払いし、本日の夕食を提供する――と。如何でしょうか?」
『まぁ、元々コイツを連れて此処の請負人協会支部にも顔を出して話を通しておこうとは思っていたから、ついでで良ければ構わん。というか、その程度で2000Ruなんて額を提示するもんじゃない。簡単な仕事の依頼料より高いだろうが』
「私もそう思います。しかしながら、謝礼は出すべきだとユーゴ様が仰いましたので」
彼は「ハァ……」と大きくため息を吐いて、呆れた様子を見せる。
紫銀さんの言葉から予想するに、謝礼金を払うと言った事に対してだろうか。
俺も普通ならそこまで労力の必要な事でもないとは思うのだが、相手は言葉の通じない人間である。
連れて歩くだけでも面倒だと思うし、少しくらいはお金を支払うべきだと考えたのだが。
『金は要らん、飯だけで良い。さっきも言ったが、協会に引き渡すまでは被保護者の面倒を見るのは俺の仕事の内だからな。だが、本当にまともな料理が作れるのか? タダとはいえ、不味い物を食わされでもしたら敵わんからな』
「その辺りは、ユーゴ様の腕前を信じる他ありませんね」
『出逢って一日足らず且つ、何処から来たかも分からない人間の腕を、か』
一通りの話を終えて、ジェラルドさんは俺の方を一瞥しながら考え込む。
今度は、俺の調理の腕が分からないから不安に思っているのだろうか。
正直な所、こっち世界の人間がどんな味を好むのかが分からない以上、俺の作った料理が気に入ってもらえるかどうかは分からない。
とはいえ、食べる物は基本的に変わらない様だし、あの質素な食事よりは確実に美味いと思える物は用意出来るつもりだ。
『……仕方がないな。さして問題が起こる様な話でもないだろうし、お前達に付き合ってやる』
「有難う御座います。ユーゴ様、御協力頂ける様です」
「本当か! ジェラルドさん、ありがとう! 助かるよ!」
『お、おい、よせって! ……ったく、そこまで喜ぶもんかね?』
俺は喜びのあまり、ジェラルドさんの手を取り礼を述べる。
突然の事に彼は驚いていた様子だったが、苦笑いをしながらも礼を受け入れてくれたようだ。
「ふふ、それでは御二人の夕食までの予定について、具体的に話し合いましょうか。意志疎通の為の合図についても、今の内に御伝えしておいた方が良いでしょう」
そして紫銀さんにそう促され、俺達は三人で細かく予定を立てていくのだった。
………………
…………
……
『――では、そちらの異邦人の方は、翻訳の魔道具が完成するまではジェラルドさんが面倒を見ると』
『そうなるな。一応、首都の方にもその旨の連絡をしておいて貰えると助かる』
『分かりました。伝えておきます』
馬車の中でのやり取りの後、俺はジェラルドさんに連れられて「請負人協会・クロナムーガ支部」という所に来ていた。
簡単に説明は受けたが、彼は「危険請負人」という仕事をしており、此処はその請負人達を纏める協会の支部らしい。
請負人の仕事は様々で、ジェラルドさんの様に隊商の護衛をする事もあれば、貴重な資材の調達や、魔物の討伐、危険と思われる地域の調査等があり、文字通り他人のリスクを請け負うというわけである。
元の世界のゲームや漫画の話に照らし合わせると「冒険者」なんて呼ばれる様な立ち位置の職業と考えると分かり易いだろうか。
創作とはいえ、常に冒険をするわけでもない「何でも屋」の様な「冒険者」という存在には違和感があった俺には、「危険請負人」の呼び名の方がしっくりくる。
『待たせたな。そら、買取額と代金だ』
そんな事を考えながら、部屋の壁際に置かれていたソファーに腰を掛けていると、ジェラルドさんが小袋と紙切れを手にこちらに戻ってくる。
昨夜の一件と俺の事についての報告に加え、受付に隣接されている買取カウンターでの魔素結晶の売却が終わったようだ。
「6400Ru……少なく見積もっていたとはいえ、紫銀さんの見立てよりもかなり多い。相当貴重な物だったんだな」
紙に書かれているこの世界の数字を確認してそう呟く。
中身を確認すると、大きい八角形で中央に宝石の様な物が埋め込まれている大銀貨が6枚と、小さな円形の小銀貨が4枚入っている。
小銀貨が1枚100Ru、大銀貨は1枚1000Ruらしく、大銀貨1枚でパンが100個買える程の価値だ。
「(仮にパンの値段を日本円で百円としたら、この大銀貨1枚で一万円の価値か。そう考えると結構な額だし、無くさない様に気を付けないとな)」
受け取った小袋をズボンのポケットにしまい、ジェラルドさんに向かって片手で
サムズアップをして見せる。
どうやら、こういった簡単なサインはこちらの世界でも同じような意味の物が多いらしく、サムズアップも「〇、良い、問題ない」等の意味合いの様である。
『よし、問題が無い様なら、次は買い出しだな。市場に行くぞ』
俺のサムズアップを確認したジェラルドさんは頷き、手招きの仕草を行う。言わずもがな、「付いて来い」の合図だ。
この様に、簡素なハンドサインやジェスチャー、記号類に関しては、紫銀さんを通じて元の世界とこの世界で共通の意味となっている事を一通り確認してある。
逆に「OKサイン」の様な物は、アルファベット表記が無いこの世界では上手く伝わらない等、使えない物も確認済みの為、彼とはそれらを省いた物を用いて交流しているというわけだ。
(※「OKサイン」に関しては、そもそも地球でも国によって意味合いが違うが)
こうして、言葉が通じないながらも簡単なやり取りが出来る様になったジェラルドさんに連れられ、俺はクロナムーガの市場へとやって来た。
「此処が市場か~。思ってた以上に活気があるなぁ」
大きな通りには大小様々な露店を始め、周囲の店舗にも色々な品が所狭しと並んでいる。流石は交易で栄えた街と言った所だろうか。
此処から先は買う物を選ぶ為に俺が前を進み、必要な事があればジェラルドさんに頼る手筈となっている。
俺は紫銀さんに教えてもらった数字の読み方を思い出しながら、品物と値段を確認していく。
「肉の種類が凄く多いな……しかもどれも安い。逆に野菜類は少し高いのか。あぁ、そういえば塩は手持ちに無かったから欲しいし、お酢もあれば良いんだけど」
元の世界からこちらに来る前に買っておいた調味料が幾つかある。
だが、あくまで家の足りない物を買い足しただけであり、手持ちの調味料だけでは作れる料理が限られる。
この街には明後日まで滞在する予定だと聞いているので、料理を作るチャンスは複数ある。
それなら、皆には毎回異なる食事を用意して楽しませてあげたいと思うし、足りない調味料の確保は重要だろう。
そう思って露店を見ていると、運よく塩や香辛料を販売する露店を見つけた。
「おっ、丁度良い所に! しかもニンニクや生姜なんかも置いてるじゃないか!」
値段を見てみると、元の世界よりも若干割高ではあったが、どれも恐ろしく高いという程でもない。
俺は、ジェラルドさんに向かって舌を出し、塩と舌をそれぞれ指差す様な仕草を取る。「味見させて欲しい」という合図だ。
『すまない、そこの塩を味見させて貰えるだろうか』
『ハイハイ、大丈夫ですよぉ。じゃ、ちょっと手のひらを出して貰えますか?』
『あぁ、俺では無くてコイツの方に頼む』
俺の合図でジェラルドさんが店主に掛け合い、俺が味見用の塩を少し貰う。
舐めてみると、塩気の中にほんのり甘みが感じられる様なまろやかな風味が舌の上に広がった。
「(精製された物とは違って、やっぱりミネラルが含まれてるからか複雑な味がするな。美味いけど、食材によっては相性の良し悪しが分かれそうだ)」
その店では幾つか味見をさせて貰い、味わいの違う塩を2種類と一緒に売られていたニンニクや生姜を買い込んだ。
その後も引き続き店を見回り、肉類や野菜等を始め、料理酒代わりにワインと、共に売られていた白ワインビネガー等、使えそうな物は手当たり次第に買い揃えていく。
荷物が凄い量になってしまったが、ジェラルドさんが自身の持つ小さなウェストバッグの中に全て収納してくれた為、苦労する事は無かった。
気が付けば夕暮れが近付いており、一通り必要な物を買い終えた俺は拳を手のひらで軽くポンポンと叩く様な合図をジェラルドさんに送る。「終わり、打ち止め」の意味である。
『終わりか。随分買い込んだもんだ。よし、それじゃ宿に戻るとするか』
彼は合図を見て頷き、俺達は紫銀さんや奴隷の皆の待つ簡易宿泊施設へと戻る事にした。
これで後は、皆が満足出来る夕食を作るだけである。