【#5】言葉の壁を超える為に
『――事情は分かった。だが、これは思った以上に面倒な案件だな……』
渋い顔立ちがより一層渋くなる様な表情で溜息を吐きながら、ジェラルドさんが呟く。
この反応は、恐らく思っていたよりも面倒な事態だという事を知って困っているのだろう。
「……なんか、今の言葉の内容がハッキリ分かる気がしちゃうんだけど、これも翻訳魔法の影響かな?」
「いいえ。その様な事は有り得ませんので、只の気のせいでしょう」
「あ、はい」
俺の発言を紫銀さんはキッパリと否定する。
口調は丁寧で物腰は柔らかく、物静かで落ち着いた人だと思っていたが、言う事はハッキリ言うクールな面も彼女は持ち合わせている様である。
『何らかの事件に巻き込まれたのは確かだろうが、手掛かりが無さすぎる』
「手掛かりが無いと仰る割りには、事件に巻き込まれたと断定出来るのですね」
『武器も持たずに、見た事の無い目立つ服装でノコノコ近づいて来た上、ドジ踏んで即座に隠れている事がバレる様な間の抜けたヤツが悪党には見えんからな。だったら被害者側と見る方が正しいだろう』
「確かに、悪意のある考えを御持ちの方とは私にも思えませんが」
そして、さりげなく二人掛かりで貶された様な気がするのだが、それも気のせいなのだろうか。
ジェラルドさんの話す内容が分からない事が非常にもどかしい。
『何にせよ、すぐに片付く問題でもなさそうだからな……直接会話が出来ないのがネックだ。護衛期間中であれば、アンタを経由して話を聞けるだろうが、そんな短い時間で済みそうにないし……どうにかしてその翻訳魔法とやらを俺かコイツだけでも使える様にはならないか?』
「そうですね。私はすぐにこの商会を離れる事が決まっておりますから、可能であれば翻訳魔法を御教えしたい所です。しかし、それまでに習得となると難しいでしょう」
「(そうか……目的地に着いたら、多分、俺はジェラルドさんに連れられて何処かで保護なり取り調べなりされるんだろうけど、その頃には紫銀さんとはもう気軽に会えなくなる。このままだとまた意志疎通が難しくなるんだな)」
紫銀さんの言葉からどういう会話をしているのか察したが、これは由々しき事態である。
彼女のおかげでジェラルドさんに事情を伝える事は出来たが、結局このままでは何の解決にもならない。
「……ですが、代替案であれば無くはありません」
『本当か?』
「はい。ただ、少々難しい問題が幾つか御座いますので、こちらも簡単に実現出来る物ではないのですが……」
『今は少しでも可能性を模索したい。それでと構わないから教えてくれ』
「私の翻訳魔法の効果を付与した魔道具さえ製作出来れば、魔法の習得はせずとも意思疎通は可能になるかと」
「魔道具……」
言葉の壁の高さを改めて実感していると、習得難度が高い翻訳魔法習得の代わりに「魔道具」という代替案が提示された。
文字通り、魔法が使える道具という事なのだろう。
そんな便利な物があれば一件落着ではあるが、そう簡単に作れるような物なのだろうか。
『魔道具か。詳しくはないが、相性の都合だかで簡単な魔法ですら付与出来る物と出来ない物があるとは聞いた事がある。その翻訳魔法とやらは大丈夫なのか?』
「独学の知識による推測ではありますが、付与自体は問題無い筈です。この魔法の詳細を知るのは私だけですので根幹部は私でなければ作る事は出来ませんが、それも、さほど時間は掛かりません。下準備を私の方で進めておき、残りを他の方に引き継ぐ事が出来さえすれば、この旅程を終えた後でもユーゴ様との意志疎通が可能となるでしょう」
ここまでの彼女の話を聞く限り、代替案なら魔法を習得するよりも遥かに実現し易そうに思える。
しかし、先程彼女が言っていた「少々難しい問題」という部分がまだ残っている事を忘れてはならない。
俺はそれを確認する為に、彼女に説明を促す。
「聞いた限りだと大分現実的な様に思えたけど、どういう問題が?」
「問題としては、この場に材料及び作製道具が無い為、現状は下準備が進められない事と、私が直接、魔道具製作に長けた技師の方に引き継ぎを行わなくてはならない事です」
「紫銀さんが、直接?」
すぐに下準備が進められないのは分かりきっていた事だが、直接の引き継ぎが必要な理由は何なのだろうか。
『そりゃあ、材料や道具が無いのは当たり前だが、引き継ぎを直接しなければならない理由はなんだ? メモを残すなりすれば良いんじゃないのか?』
そんな疑問を抱えていると、彼女の話を聞いていたジェラルドさんが何かを話しかけてくる。
このタイミングという事を考えると、彼にも俺と同じ疑問が湧いてきたのかもしれない。
「いいえ、初めて製作する魔道具ですので一から設計しなければなりませんが、残念ながら私は本職の技師では御座いません。ですので、細かい手直しはどうしても必要になるでしょう。ですが――」
「――あ! もしかして、技師の人は直さなければいけない点を指摘する事は出来ても、翻訳魔法を作った本人じゃないから直せない……?」
「その通りです。根幹部に関しましては翻訳魔法の詳細を知らない方には調整する事が出来ませんので、私の方で指摘された箇所に手を加える必要があります」
彼女の言葉を聞いて納得した。
つまり、元の世界の事柄で例えるならば、システムのブラックボックス化だ。
長年続くオンラインゲームの開発話等で聞いた事があるが、初期のプログラマーが居なくなった為に根幹部が弄れなくなり、修正が不可能となるケースはよくあるという。
仕組みは全然違うだろうが、魔道具がその力を発揮する為のプログラムの様な物があるとすれば、同じ様な事が起きても不思議ではない。
それが、まだこの世に出回っていない、他に類を見ない道具であれば尚の事だ。
「なるほど……そうなると、下準備だけ済ませて後は完全に丸投げってわけにはいかないし、出来るだけ早く技師を見つけないといけないのか」
「はい。相談する時間を確保する事を考えると、早急に魔道具技師の方を見つけなければなりません」
技師というからには、きっと希少な存在なのだと思う。
専門家というのは、普通に生きていれば学ばないであろう事を自ら進んで勉強したプロフェッショナルだ。
俺の身近な人物で言えば鈴姉なんかがまさにその最たるものだが、医師にしろ技師にしろ、専門分野で活躍出来る人材は貴重である。
この世界の教育形態がどうなっているのかは分からないが、義務教育等の環境が整っていないとしたら、尚の事、各分野で勉強をする人も少ないだろう。
そんな数少ない技師を、道すがら探し出すというのは至難の業だ。
『そりゃあ、確かに難しい話だな……。魔道具技師なんてそこらの街で簡単に見つかる様な存在じゃないぞ』
「えぇ、魔道具技師になる為には魔術と錬金術の知識が必要ですが、どちらも学ばれている方は希少ですから。それに材料も。殆どは一般流通されている物で問題御座いませんが、一つだけ、どうしても入手が困難な物が含まれておりますので……」
『何が入手困難なんだ?』
「魔素結晶です。こちらは一般的な物ではなく、高濃度且つ、それなりの量が必要となります。下準備を進めようにも、こちらを含めた材料が揃わなければどうしようもありません」
『魔素結晶か。確かに、良い物は専門の店でなければ手に入らないし、必ずしも置いている様な物でもないな。どうにかならんものか……』
紫銀さんの提示した材料が余程手に入りづらい物だったのか、ジェラルドさんが難しい顔をして押し黙ってしまう。
そのまま暫くの間沈黙が続き、その空気の重さに耐えきれなくなった俺は、紫銀さんに声を掛ける。
「紫銀さん、その魔素結晶っていうのはどんな物なの? あまり馴染みが無いもんで……」
「魔素結晶とは、魔力の素となるエネルギーが結晶化した物です。濃度の高い石からは一度に大量の、大きい石からは長時間に渡ってエネルギーが得られる為、魔道具作製においては無くてはならない存在ですね」
「なるほど、魔法の力の塊か……」
「(魔法版の電池みたいな物なのかな。……って、あれ? 石といえば……)」
魔素結晶について話を聞いている内に、洞窟で見かけたあの光る石の事をふと思い出した。
あんな物は元の世界には存在しない。この世界特有の物質の一つだろう。
もしかしたら、あれが件の魔素結晶だったりしないだろうか。
「それって鉱石みたいに発掘される物?」
「大半はそうですね。人工的に生成も可能ですが、天然の物と比較すると品質に難があり、生産出来る量も多くはありませんので、出回るのは天然の物が中心となります」
「……薄い青緑色で光ってたりする?」
「えぇ、ほんの僅かですが」
やはりそうだ。紫銀さんの話と俺の拾った石の特徴が類似している。
気になるのは、拾った石はかなりの光量だったのに対し、彼女の話では、ほんの僅かしか発光しないという相違点がある事くらいだろうか。
何にしても、一度実物を詳しく検分してもらった方が良さそうだ。
「あのさ、洞窟を彷徨ってた時にそんな感じの石を拾ってライト代わりに使ってたんだけど、それが魔素結晶だったりしないかなって……」
「光源として、ですか? そこまでの光を放つ魔素結晶となれば、かなり魔素濃度の高い結晶という事になりますが……」
『なんだなんだ、お前ら急に騒ぎだしてどうしたんだ?』
考え込んでいたジェラルドさんが、俺達の会話に気が付いて反応を示す。
俺は紫銀さんにアイコンタクトし、今の話を彼にも伝えてもらうように促した。
「ジェラルド様。ユーゴ様が所持していらした荷物は何処に?」
『それなら俺が預かっている。変わった鞄で開け方もよく分からなかったし、そもそも保護対象になるかもしれない人間の鞄を許可なく勝手に調べるわけにもいかんだろう? だから、まだ中身の確認もしていない状態だ』
「その中に、倒れていた洞窟で拾った高濃度の魔素結晶らしき石があるそうです」
『本当か? ちょっと待ってろ』
紫銀さんの話を聞いたジェラルドさんは、自分の腰に付けていた革製の小さなウェストバッグを探り始める。
そして、一瞬口の部分が僅かに光ったかと思うと、中から俺のリュックサックが彼の手元に現れた。
「(あんな小さなバッグの中から……!? どこぞの猫型ロボットかよ!)」
そんな小さな鞄の中に、登山用のリュックサックが入るわけがない。
おそらく、あのウェストバッグも魔道具の一種なのだろう。
その様子に驚きを隠せないでいると、ジェラルドさんがこちらに向かって何か話しかけてきた。
『鞄の中を検めさせてもらうが、良いんだな?』
「ユーゴ様、拝見しても問題ないか、と」
「あ、あぁ、構わないよ。どうせ中身はインスタントめ――保存食と調味料くらいしか入ってないから」
俺の許可を紫銀さんづてに受け取った彼は、リュックサックを開けて中を確認しようとする。
どうもファスナーの開き方が分からなかった様だが、俺がジェスチャーで教えると、リュックはすんなりと開いた。
『なんだ、よく分からん変な包みだらけだな……っと、コレか? なんか、俺が知ってるやつより数倍光ってるんだが……』
鞄の中からあの光る石が現れ、馬車の中を照らす。
その光に反応して、奴隷の人達は珍しい物を見たような顔でこちらを見てくる。
特に、子供達は綺麗な光に感動して目を輝かせている様子だ。
皆がひとしきりその輝きを堪能したのち、ジェラルドさんが檻の近くまで石を持っていく。
そして、紫銀さんはそれに顔を近づけてまじまじと見つめ、確認を行った。
「これは……間違いなく魔素結晶です。これ程の物は初めて見ました」
「良かった、やっぱりそうだったんだ。まだ使い道があるかもしれないと思って、持ってきておいて良かったよ」
彼女の検分により、洞窟で拾った石は魔素結晶なるものだという事が判明した。
問題は、これが材料として使えるかという事だが――。
『ふむ。それで、どうなんだ。使えそうか?』
「えぇ。大きさも十分すぎる程ですし、これなら材料として申し分ないでしょう」
どうやら、そちらも大丈夫の様だ。
これで、後は魔道具技師と作製環境さえ整えばどうにかなりそうである。
『そうか。これ以外の材料や作製道具は今後立ち寄る街で買い集めれば良いし、技師の件だけは問題だが、翻訳魔道具を製作するという方向で進めたい。引き続き、協力を頼めるだろうか? 勿論、報酬は渡そう』
「元よりそのつもりですので構いません。それに報酬も不要です。金銭を持っていても、使い道がありませんから」
報酬という言葉を聞いて察するに、ジェラルドさんは魔道具製作に関する協力を紫銀さんに正式に申し込んだのだろう。
しかし、彼女は協力する事には二つ返事で了承したものの、報酬は不要だと言い、辞退の姿勢を見せる。
「そんな、何も報酬を辞退する事は無いじゃないか。出来る事なら、俺の方から礼がしたいくらいなのに……」
「お気遣い有難う御座います。ですが、本当に私は持っていても意味が無い物ですので」
そう言って彼女は方針を曲げる事は無い。
助けて貰っている俺としては、やっぱり彼女には報酬を受け取って貰いたい。
しかし、彼女が頑なに拒むのであれば、無理強いするわけにもいかない。
『……アンタの事情は知っているが、こちらも仕事なんでな。協力者の事は協会に報告しなければならないし、報酬は経費から出る事になっている。受け取って貰わなければ、俺が着服したと思われてしまうんだよ』
「でしたら、素直に受け取ったという事にしますので、ジェラルド様に譲渡致しますが」
『馬鹿な事を言うんじゃない。まぁ、報告する時にアンタの意思も伝えて、どう処理するか決めておく。良いな?』
「御任せ致します」
『あぁ。さてと……もう時間も遅いし、詳しい話はまた明日する事にしよう。お前達も早めに寝ておけ。それじゃあな』
「御疲れ様です。御足労頂き、有難う御座いました」
二人の会話が一段落し、ジェラルドさんは馬車の外へ出ていく。
言葉が通じない俺は、挨拶として軽く手を上げてみると、彼も同じ様に返してくれる。
初めは威圧感すら感じた相手だったが、紫銀さんの言う通り、信頼出来る良い人だと思う。
最後の方だけはあまり二人の会話内容が分からなかったが、紫銀さんが「譲渡する」といった後のジェラルドさんの態度を見るに、それは却下されたのだと思う。
何にせよ、報酬に関しては俺から出せる物でもないし、その辺りはジェラルドさんに任せるしかないだろう。
「ユーゴ様。夜も更けて参りましたし、そろそろ御休みになられた方がよろしいかと」
静かになった馬車の中で、紫銀さんがそう声を掛けてくる。
洞窟を出た直後、スマートフォンで時間を確認したあの時に、太陽の位置を目安に大体の時間を設定し直しておいたのだが、電力温存の為、電源を切った状態でリュックサックの中に入れており、今は手元には無い。
その為、時間の確認は出来ないのだが、日が落ちてから二人と話をした時間や食事の時間、ジェラルドさんの手が空くまで待った時間等を考慮すると、大体21~22時くらいではないだろうか。
「夜が更ける」というにはまだ少し早い時間な気もするが、テレビもパソコンも無い世界だとしたら、この時間でも十分深夜なのかもしれない。
「うん、もう他に出来る事も無いし、明日に備えて寝ておかなきゃね。こんな時間まで付き合わせてゴメン」
「いえ、私の方から御声掛けした結果ですし、お気になさらないで下さい。大した事もしておりませんし」
彼女はそう言うが、孤立無援の状態だった俺にとってそれがどれだけ有難かった事か。
報酬すら辞退した彼女ではあるが、どうにかして御礼がしたい所である。
「申し訳ありませんが、御休みになられる前にそちらの布を掛け直して頂けますでしょうか」
「あぁ、そうか、元に戻さないといけないのか。ちょっと待って」
俺は檻の傍に置いておいた布を手に取り、埃や塵を落とす為に一度馬車の外に向かって振るってから元通りに掛け直していく。
手錠を付けられている為、少しやりづらくはあったが、何とか綺麗に戻せそうだった。
そうして作業していると、手や布が格子の間の空間に触れ、先程見た結界の波紋が浮かび上がる。
「(布は多分目隠しなんだろうけど……檻に結界に目隠しって、とことん彼女を外界と隔離しようとしてるよな。本当に、この人は一体何者なんだろう)」
気にはなるが、見るからに重い事情を抱えていそうな彼女に、直接詳しい事を尋ねる気にはなれない。
少なくとも、彼女が他の人とは異なる奴隷であるという事が関係しているのだとは思うが、奴隷絡みの話という時点で気軽に話せる内容ではないだろう。
出逢ったばかりの俺が、深入りするべきじゃない。
「――よし、これで綺麗に戻せたかな?」
「有難うございます。御手数お掛け致しました」
「助けて貰ってるのはこっちなんだから、このくらいは当然だよ。こんな状態だし出来る事は少ないだろうけど、何か手伝える事があれば言って欲しい」
「ふふ、その時は宜しくお願い致しますね」
「あぁ、任せてくれ。……それじゃあ、今日は本当にありがとう。おやすみ」
「はい、ごゆっくり御休み下さいませ」
こうして紫銀さんとの会話が終わった。
周囲を確認すると、狼の獣人やエルフは静かに目を瞑り、子連れの家族は既に子供が寝付ついた様子である。
自分の事で手一杯であまり実感していなかったが、彼らも全員奴隷で、此処は奴隷商の所有する馬車の中なのだ。
昨日まで普通に学生生活を送っていた自分が、まさかそんな所で一夜を過ごすだなんて誰が予想出来ただろうか。
「(……異世界、か。まさか、翔真達とあんな話をした直後に来る事になるなんてな)」
俺がもし、夢の中で異世界を旅したとかいう件の動画投稿者だったとしたら、この状況に泣いて喜んでいたかもしれないが、残念ながらそうではなく、これからの事を考えると不安が尽きない。
だが、こうして協力者を得る事が出来たのは奇跡と言えるくらい幸運だった。
言葉の壁さえ乗り越えられれば、今後はこんなアクシデントに遭う事も無くなるだろう。
「(言葉が通じるようになったら、帰る方法を探すのは勿論、この世界で生きる術も身に付けなきゃいけない……でも、折角なら色々見てみたい気持ちもあるよな。存在する筈が無いと思ってた異種族や魔法なんて物が、本当に目の前に現れたんだし」
むしろ、意思疏通の心配無く未知の世界に触れられると考えれば、少しだけ期待感も湧いてくる。
今の自分の立場を考えたら不謹慎かもしれないが、こんな経験が出来る機会なんて他には無いだろう。
そんな不安と期待が入り交じった気持ちを抱きながら、見知らぬ世界で迎えた最初の夜が過ぎて行くのだった。
◆ ◆ ◆
「――ぅ……ん…………ふぁ~あ……。もう、朝か……」
幌馬車の外から柔らかい光が差し込み、朝の訪れを告げる。
「(……やっぱり、いつもの俺の部屋じゃないんだな。というか、慣れない寝方したからか身体が痛い……)」
寝て起きれば、もしかしたら元の世界に戻っていた――そんな夢落ちみたいなパターンもあるのではないかと思っていたが、どうやら今まで起きた事は全て現実らしい。
そして、寝慣れたベッドではなく硬い床と壁にもたれ掛かる形で就寝した所為で、熟睡出来なかった上に、身体も痛む。
外から微かに焚火や物音が聴こえる事から察するに、既に隊商の人達は起きて朝の支度を進めている様だ。
俺は、まだ寝ている奴隷の皆を起こさない様に注意しつつ、痛む身体が少しでもマシになる様に解しながら時間を潰す。
「――ユーゴ様、おはようございます。昨夜はゆっくり御休みになられたでしょうか」
そうしていると、俺の起きた気配を感じ取ったのか、目の前の布が掛けられた檻の中から小さく声が聴こえてくる。
「紫銀さん、起きてたのか」
「はい。寝起きは良い方ですので。ユーゴ様も御早い御目覚めですね」
「はは、まぁ、普段から朝は結構早かったから。学校も行かなきゃいけなかったし、鈴姉……一緒に住んでいた従姉の姉さんと朝食の準備とかしてたし」
思い掛けず朝から挨拶と雑談を交わす相手が現れ、俺は普段の生活について話をした。
まだ朝日が昇ってそれほど時間が経ってないと思われるので、実際には普段よりも少し早い起床だったのだが、熟睡出来なかった事や身体が少し痛む事を悟られない為に、いつも通りである様に振舞う。
「学校、ですか。通うには多額の入学金や授業料が必要ですし、試験も難しいと聞いた事がありますが、ユーゴ様はそんな所に通ってらっしゃったのですか」
「あー、いや、俺の住んでいた国では基本的に皆、学校に通うんだよ。俺くらいの歳になると義務ではなくなるんだけど、殆どの人が18歳くらいまでは通い続けるかな」
「そこまで勉学に力を入れる国があるという事は存じ上げませんでした。レドリア大陸の外には、その様な国も存在するのですね」
「大陸の外」という言葉を聞いて、少しだけ罪悪感が芽生えてくる。
日本の事を「この世界にある国」とは言っていない為、嘘を付いているわけではないのだが、それでも事実を隠している事に違いは無い。
しかし、今彼女に不信感を与えるわけにもいかない。
真実を伝えたい気持ちをグッと堪えつつ、俺は彼女との会話を続ける。
「うん。でも、昨日から感じていたけど、やっぱりこの大陸の国とは大分文化が違うみたいだし、なんというか……やっぱり心配だな」
「心中、お察し致します。ですが、きっと問題御座いません。知らない土地に放り出されるという困難の中でも、ユーゴ様は此処まで辿り着いたのですから」
「紫銀さん……」
「どれだけ歩みが遅くとも諦めずに進み続ければ、いずれ何処かに辿り着きます。ユーゴ様が諦めさえしなければ、きっと全て上手くいくでしょう」
布に覆われた檻の中に居る彼女の様子は分からないが、その言葉からは彼女が自信を持った表情で語る様が見て取れる。
「……ちょっと意外だな。紫銀さんは理知的な印象を受けていたから、そんな熱意のある言葉を聞けるなんて」
「昔、御世話になった方からの受け売りですので。似合わない言葉だという事は重々理解しております」
「い、いやいや! そんな事は無いって! 為になる話をしてくれたその人と紫銀さんには感謝だよ!」
怒らせてしまったかと思い俺が慌ててフォローしようとすると。
「ふふ、冗談ですので、慌てる必要は御座いません」
彼女はそう言って穏やかな声で笑いかけるのだった。
昨日の夜もそうだったが、ひょっとして弄ばれてるのだろうか。
「少々悪ふざけが過ぎましたが、あまり騒がしくしてしまうと皆様の御迷惑になりますね」
「おっと……そうだった。そろそろ皆起きる頃だろうけど静かにしないとね……」
そんな風に紫銀さんと話しているうちに、周りの人達も徐々に目を覚まし、外からも声が聞こえ始めてきた。
相変わらず、聞こえてくる言葉の内容を理解する事は出来ず、モヤモヤした気持ちだけが募る。
まだ話が出来る相手が居るだけマシではあるのだが、やはり一刻も早く言葉が分かる様になりたい。
「(魔道具技師、ねぇ。すんなり見つかってくれないもんかな……)」
外の景色を見つめながら、俺はそう願っていた。