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黒き鋼の請負人  作者: 一夜
-序章-
5/11

【#4】心は口ほどに物を言う

 俺は暫くの間、檻の中の少女の姿に見惚れて呆然としていた。

 そのまま運び出せる様に作られているその檻には椅子が設置されており、彼女はそこに座ってこちらを見ている。

 年の頃は、俺と同じくらいだろうか。


 綺麗に手入れされた銀髪は、時折幌馬車の中を通り抜ける風に揺れ、差しこんできた月の光で静かに輝く。

 よく見ると、ただの銀髪ではなく、ほんの少しだけ淡い紫が入っているようにも見える。

 不思議な色合いなのだが、人形の様に整った彼女の顔立ちと合わせると全く不自然さは感じない。むしろ完全に調和している。


 そして、その髪から少しだけ見え隠れする彼女の耳は、先程のエルフと思われる女性程の長さではないが、やや尖った形をしていた。

 きっと彼女も。俺の知る普通の人間ではないのだろう。

 だが、そんな事はどうでも良いと思えるくらい、目の前の少女は美しかった。

 顔立ちだけではなく体型もグラマーで整っており、本当に一部の隙も無い。


 そのまま、どのくらい彼女の事を見ていたのだろうか。

 動かなくなった俺を見て、彼女の方から口を開いた。


「あの……如何なされましたか? 先程から黙り込んでしまわれておりますが」

「――え!? あ、いや……ご、ゴメン! 何でもないんだ、ちょっとボーっとしてただけで……」


 彼女の言葉を聞いて我に返った俺は真っ赤になり、慌てて謝罪する。


「(初対面の女性に対してなんて失礼な態度を取ってるんだ、俺は!)」


 続けて目を瞑りながら心の中で自分自身を叱責し、頭を左右に振った。

 そして一度大きく深呼吸をし、呼吸を整えてから改めて彼女の方へと視線を向ける。


「そ、その……まさかこんな所に人が居るなんて思いもしなかったから、ちょっと驚いたというか」

「そうでしたか……無理もありません。自分の事ではありますが、この様な扱いを受ける方は他には居ないでしょうから」


 不躾な視線を向けてしまったにも拘らず、檻の中の少女は気にも留めた様子も無かった。

 彼女にしてみれば、この様な視線を向けられるのは珍しい事ではないのかもしれない。

 これほど美人なのであれば当然なのだろうか。


「えっと、それも含めて色々気になる事だらけなんだけど……とりあえず、まず一つ質問しても良いかな?」

「構いません。御聞き致しましょう」


 こうして、快く返事をしてくれた彼女に、俺は最大の疑問を投げかけた。



「その、君は一体どうして日本語が分かるんだ? 此処にいる他の人達には全く通じないのに、どうして君だけ……」

「貴方様が扱う言葉は日本語というのですね。残念ながら、私は日本語という言葉は存じ上げておらず、勿論、理解も出来ておりません」

「え? いや、でも現にこうして話して……」

「私は今、『日本語』で話していないのです。他の皆様と同じ、この大陸で共通言語として使用されている『レドリア語』で御話させて頂いています」

「いやいやいや、そんな馬鹿な! 何処からどう聞いても日本語にしか……!」


 話しているのは共通言語と言っているが、外に居る人達が話していた言葉と同じという事だろうか。

 とても同じ言葉を話している様には聞こえない。何度聞いても彼女の言葉は日本語である。

 丸一日聞いていなかっただけだが、その響きはもはや懐かしさすら感じる程だ。


「そう聞こえる様にしているだけ、と言いましょうか。私は今、どんな言葉を使う相手とでも会話が成立する言語翻訳魔法を併用しております。私の声を聞いた方は必ずその意味を理解して頂けますし、逆に私はどんな言語でも意味を理解する事が出来るのです」

「翻訳、魔法……そんな物があるのか」

「必要あって個人的に創作した物ですので、一般的ではありませんが」


 魔法。

 ファンタジーの代名詞ともいえるその一言がついに出てきてしまった。

 しかも、彼女は魔法を使う事や作り出す事すら可能だという。


「(所謂、魔法使いとか魔術師ってやつか。これはまた、ファンタジーな存在が出てきたな……。それにエルフに獣人達、加えてあの洞窟の光る謎の石――これはもう、言い逃れ出来ないかもなぁ……)」


 ずっと現実を受け入れられずにいたが、これだけファンタジー要素が積み重なれば諦めがつく。


 此処はきっと異世界なのだ。

 もはや認めざるを得ないだろう。


 そう結論付けながら、俺は目の前の檻の中の女性との会話に戻る。

 こうなれば、彼女から色々情報を聞き出さなければならない。


「でも、聞いた事も無い言語の翻訳なんて普通に考えれば不可能なんじゃ? 言葉を変換するにしたって、予めその言葉を把握していないと……」

「いいえ、問題ありません。実際には変換しているわけではなく、言葉に込められた相手の気持ちや想いを直接感じ取れる様にしている、というものですので」

「気持ちや想いを?」

「えぇ。言葉とは、他人に伝えたい気持ちや想いを抱いて口にするものですから、意識していなくても紡がれた言葉には必ずその伝えたい想いが宿ります。それを伝達する事が、この翻訳魔法の効果となります」


 非科学的な話ではあるが、納得は出来る。

 言われてみれば、何も考えずに言葉を発する人間なんて居ないと思う。

 相手と意思疎通する事を前提にしないで言葉を話すだなんて、よっぽどおかしな人間かロボットくらいなものだ。


「私の声には、読み解きやすい形に調整した想いを込めてあります。そうする事で、私の声を聴き取った方は、どなたでもまるで自分の扱う言語で聴いているかの様に、その意味が伝わるのです」

「じゃあ逆に、君が他の言語を聴いている時は、声の主が無意識に込めた想いってやつをなんとか読み解いて理解している……って事なのか?」

「その通りです。どんな言葉でも、同じ意味であればそこに込められた想いは万人に共通する物ですから、それさえ理解出来れば意志疎通する事が可能となります」


 確かにその通りだ。

 地球上にも様々な言葉があり発音も文法も違うが、『人間』という同じ種族が使う以上、伝えたい内容はほぼ共通している。

 国々の独自の文化や歴史等に纏わる事柄は流石に無理だが、それを除けば基本的に何も変わらない。


 だから言葉が分からなくても、その内容だけでも伝え合う手段さえあれば、意思疎通は出来るわけだ。

 ジェスチャーやボディランゲージでも同じ様な事は可能だが、この魔法はもっと扱い易く、且つ確実に意思疎通を可能としている。

 非現実な魔法という存在がこれほどまでに便利な物だという事に驚愕するが、それ以上にこんな凄い魔法を創り出したという彼女にも心底驚いた。


「なるほど、仕組みは理解出来た。ちなみに一般的ではないって言ってたけど、その魔法って君以外の人がすんなり使えたりなんて事は……」

「難しいでしょうね。よほど魔法に精通された方ならまだしも、そうでない方が習得するにはかなりの時間を要するかと」

「だよね……。という事は、こうして会話が出来るのは君とだけか」


 話を聞いた限り、翻訳魔法はあくまで使用者を基点にして言語を問わずにやり取りが出来る様になる物だ。周りの人間には基本的に影響が無い。

 俺が使えれば誰とでも話せる様にはなるわけだが、彼女の反応を見る限り、それは難しそうである。

 もしも、少し習練すれば使える程度の物だったとしても、魔法なんて存在しない世界で生きてきた俺には到底使えるとも思えない。


「御期待に沿えず、申し訳ありません」

「いやいや、一人でも話が出来る人が居るだけでも有難いよ。誰にも何も聞けない状態だったわけだし」


 そんな簡単に事が運ぶわけがないというのは分かっていたし、彼女には一切の非は無い。

 むしろ、偶然話が通じる人と出逢えただけでも都合が良すぎるくらいである。


「言葉の通じない程、遠い所から御一人でいらっしゃったようでしたが、何か目的があっての事でしょうか」

「その、どうも知らない間にこの辺りまで来ちゃったみたいでさ……言葉が通じないのもその所為で」

「知らない内に、ですか?」



 俺は彼女にこれまでの経緯を説明した。


 いつも通り家で過ごしていた筈が急に気を失った事。

 気が付いたら一人で洞窟の中に居て、外に出てみれば見知らぬ高原に居た事。

 下山して此処まで辿り着いたが、下手を打って捕まってしまった事……等々。


 当然だが、地震や元の世界の話は伏せておく。

 そして、俺の話を一通り聞いた彼女は、少しの間考え込む様な仕草をした後、静かに口を開いた。


「それは……とても不可解ですね。何らかの目的で拉致被害に遭われた、というのが一番ありうる話とも思われますが、拘束されていなかった事や付近に誰も居なか5った事が不自然ですし……」


「(う、うーん。俺が居た世界の話を伏せると、そういう捉え方になっちゃうか)」


 詳しい事情を話せないのが歯痒いが、どうしようもない。

 「異世界から来たかもしれない」なんて言われても信じて貰えないだろうし、頭のおかしい人間だと思われて距離を取られかねないからだ。

 魔法なんて物が存在する世界の住人なら、そういう話をしても受け入れて貰える可能性はある気はするが、いきなり現れた不審者の言葉では難しいだろう。

 真実を話すとしても、ある程度親しくなった相手でなければならない。

 俺は、せめて嘘は吐かない形となる様にだけ注意しつつ、彼女の言葉に合わせて会話を続ける。


「わざわざ拉致する様な価値なんて、俺には無いと思うんだけどな。とにかく、そんな感じで自分でもホント何が何やらサッパリで。というか拉致って言ったけど……この辺りは、そういった犯罪が横行してるの?」

「少なからず、ですね。その多くは違法奴隷売買の為の奴隷狩りとなりますが、身代金や脅迫目的の誘拐も珍しい話では――」

「――ちょっと待った。奴隷だって?」


 急に嫌な言葉が飛び出してきて少し動揺してしまった。


「この辺りの国では奴隷なんてのが当たり前だったりするのか?」

「? えぇ、レドリア大陸内ではほぼ全ての国で奴隷制度が整っております。ただし、合法となる正規の奴隷の場合は、一部例外を除き破産して自ら身を売った方や、犯罪を犯した方でなければ成り得ませんが。その御様子ですと、貴方様の祖国では奴隷制度は……」

「……うん、無いよ。少なくとも俺が住んでいた国ではどんな事があろうと人身売買は重犯罪扱いだからさ。公然と奴隷の売買が行われているって聞くとちょっと抵抗があるかもしれない」


 文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、やはり人身売買が当たり前だというのはあまり良い気分ではない。

 そして、此処は自分が思っていた以上に治安が悪いというか、物騒な世界なのかもしれないと思うと気が滅入ってしまう。


「そうですか……。擁護するわけではありませんが、各国にて制定されている奴隷制度では、生活が立ち行かなくなった方々等への援助を目的とした保護奴隷と、重犯罪者に対する刑罰を目的とした囚人奴隷の二つの枠組みを設けております。保護奴隷の売買に関しては、資産等に余裕の有る方からの資金提供という面が強く、基本的人権等も国が保証していますので」

「えーっと……つまりは、生活の保障や仕事の斡旋を、資金力のある個人に任せてるって事? 金持ちが借金の肩代わりや衣食住の保証をする代わりに、住み込み且つ低賃金で働いてもらうとか、そういう……?」

「はい、仰る通りです。かつてはそういった制度が無く、人権の保証もされずに売りに出され、道具の様に扱われる方々が多く居た時代があったそうですが、それを鑑みて今日こんにちの奴隷制度の基となる制度が作られ、貧困層の保護と悪質な奴隷商人の排除を行った、と聞き及んでおります」

「なるほどね。そういう制度なら、目くじら立てて批判するわけにもいかないのかな」


 公的にこういった援助を行うには、どうしても多額の費用や人員を要する。

 この世界の国の規模がどの様なものか分からないが、民間に任せているという状況をを見るに、地球の現代に存在する国家程の発展はしていないのではないだろうか。

 だとすれば、こういう形で奴隷が現存しているのは、きっと仕方がない事なのだろうと、俺は自分に言い聞かせる。


「というか、もしかしてこの馬車乗せられている人達って……」

「御察しの通り、此処に居る皆様は保護奴隷となられた方々となります。この馬車は国から認可を受けた奴隷商人の方が所有しており、今は買い付けた保護奴隷の方々の移送を行っている最中ですね」

「やっぱりそうなのか。なら、君も?」

「……いいえ、私も身分としては奴隷ではありますが、他の皆様とは少し事情が異なります。囚人奴隷というわけではありませんが、この檻を見て頂ければ分かる通り外に出る事は叶わない身ですから」


 自分の事を聞かれて、少し困った様な表情をした彼女は、自身を捕らえている檻の格子に向かって手を差し出す。

 格子の合間は、彼女の腕くらいならすり抜けられるくらいの間隔で開いており、このまま前に突き出せば簡単に手が外に出る筈である。

 だが、差し出した彼女の手が檻の外に出る事は無かった。


 彼女がその手を格子の合間まで伸ばした所で、何もない筈の空間に僅かな波紋の様な歪みが発生する。

 そして、それ以上はどれだけ手を押し出そうとも、手をその先に伸ばす事は出来なくなっていたのだ。

 まるで見えない壁があるかの様に、その空間は彼女を阻んでいた。


「それはまさか……結界、なのか? どうしてそんな厳重に――」


 実際に結界なんて物なんて見た事があるわけなかったが、見えない空間の壁に触れる彼女の様子を見た俺は、即座にそれが結界だと判断する。

 見た所この檻は鉄製のかなり堅牢そうな作りで、人間はおろか、猛獣でも外に出る事は難しいだろう。

 そんな所に女性を閉じ込めているだけでも異常だというのに、それに加えて小さな隙間ですら結界で埋めてしまい、完全に外と隔絶するだなんて常軌を逸している。

 保護奴隷とも囚人奴隷とも異なる立場だと言っていたが、そこに彼女がここまでの扱いを受ける理由があるのだろうか。



『――おい、そろそろ食事の時間だぞ』

「アンタは、さっき俺を捕まえた……」

『……? おいおい、勝手に何をしてるんだ』


 檻に囚われた彼女の事を考えていると、馬車の外から先程俺を追いかけてきた渋い顔立ちの男が何か言いながら入って来た。

 相変わらず何を言っているのかは分からなかったが、俺達の方を見て話し掛けてきている様子から、檻に掛かっていた布を退けた事を呆れた口調で咎めている様に思える。


「申し訳ありません。私の方から御願いして少し御話をさせて頂いたのです。その際に、布越しのままというのは少々失礼かと思いまして」

『話をしただと? 何を言っているんだ。コイツはレドリア語を話せないんだぞ?』

「えぇ、存じております。ですが、私にはこの方の話している言葉を理解するすべがありますので、問題御座いません」

『……ちょっと、詳しく聞かせて貰えるか? コイツ、素性も何も分からないから今後の対応に困っていた所なんだ。その話がもし本当なら色々助かるんだが』

「分かりました、事情を説明させて頂きます。ですが、まずは皆さまに御食事を。私達が会話をしている間、お待たせするわけには参りませんから」

『分かった。すぐに配るから少し待ってくれ。――おい、2つづつ寄こしてくれ

!』


 言葉の通じない渋い顔立ちの男にどう対処したものかと困っていたのだが、その間に彼女が淡々と話を進めていってしまう。

 勿論、俺には彼女の言葉しか分からないのだが、彼女の言葉は、それだけでもどういう会話なのか分かる文脈となっている。

 多分だが、話している内容が分かる様に意識して言葉を選んでくれているのではないだろうか。


 そしてどうやら食事の配膳を済ませた後、先程俺が話したこれまでの経緯を彼に伝えてくれるらしい。

 それを了承したらしい渋い顔立ちの男は頷いた後、外で準備していた仲間に声を掛けて配膳を進めていく。

 俺は邪魔にならない様に座る位置を檻の正面から隣へ変える。

 重りの付いた足枷が邪魔だったが、移動できない程ではない。

 そうして場所を移してから、先程までのやり取りについて彼女に尋ねようとした。


「えーっと……」

「此処は私に御任せを。先に御食事を済ませてゆっくりお待ち頂ければと」


 彼女は俺の言葉を制してそう言った。


「ゴメン、正直凄く助かる。本当にありがとう、こんな何処の馬の骨かも分からない奴の為に――って、そういえば自分の名前すらまだ名乗ってなかったな」


 話をしながらその事実に気が付く。この短時間で色々な出来事がありすぎたので完全に忘れていた。

 彼女の姿に見惚れてボーっとしてしまった事といい、立て続けに失礼な態度を取ってしまった事を恥じながら、俺は彼女に向き直る。


「その、今更だけど改めて。俺の名前は勇悟。良ければ君の名前も教えて貰えると嬉しいんだけど……」

「ユーゴ様、ですね。私は……この様な立場上、名乗れる名がありません。ですので、奴隷としての呼び名で恐れ入りますが『紫銀しぎん』とでも御呼び下さい」


 彼女がそう名乗った直後、馬車の中へ微かに吹き込んできた軟風に揺られ、彼女の淡く紫がかった銀髪が静かに靡いた。

 『紫銀』という呼び名の由来は、きっとここから来ているのだろう。

 色々助けて貰った彼女の事を、ちゃんとした名前で呼べないのは少々残念ではあるのだが、色々事情があるのは明らかだし仕方がない。


「紫銀さんか。分かった、そう呼ばせてもらうよ――って、うおっ?」

『ほらよ、お前さんの分だ。咄嗟に捕まえる事になっちまったが、飢えさせるわけにもいかないからな……なんて言っても、俺の言葉は分からんだろうが』


 キリの良いタイミングを見計らったかの様に、小さなトレイに乗せられた食事が目の前に突き出される。


「捕縛したとはいえ飢えさせるわけにはいかない、と仰っています」

「そうか……えっと、『迷惑掛けてしまってすまない』とだけでも伝えて貰えるかな?」

「はい。ジェラルド様、こちらの方――ユーゴ様は『迷惑を掛けてしまってすまない』と伝えて欲しいと」

『……本当にアンタはコイツと意志疎通出来ているんだな。ほら、そっちの分も檻の中に入れるぞ』

「有難う御座います」


 紫銀さんと話をしながら、渋い顔立ちの男改めジェラルドと呼ばれた男が、もう片方の手に持っていた彼女の分の食事を檻の中に入れる。

 檻の正面中段、彼女にとっては膝より少し上くらいの高さの部分は開閉式となっている様で、開いた状態であれば先程の様に物体が結界に阻まれたりはしないらしい。

 ただ、トレイが通り抜ける時に空間に歪みは発生していた様に見えたので、もしかしたら何か別の仕掛けがあるのかもしれないが。


 そうして中に入ったトレイは、彼女の膝上で静止する。

 完全に空中に浮いている様に見えるのだが、これはトレイ側に仕掛けがあるのだろうか。


『――あぁ、そうだ。迷惑掛けてすまない、だったか。悪さする奴には見えないとは思ってたが……お前、わざわざ謝るくらいには律儀な奴なんだな』


 配膳を済ませたジェラルドが俺の目の前でしゃがみ込む。

 先程の逃走劇を思い出して一瞬ビクついてしまった俺を見て、軽く頭を掻く様な仕草をした彼は、直後に向き直り、


『まぁ、気にするなよ。早いとこ食っちまえ』


 と、俺に言葉を投げ掛けながら、優し気な表情で軽く肩を叩いた。


『じゃあ、俺も飯を食ってくる。それが済んだら話を聞きに来るからな』

「はい。それでは後ほど宜しく御願い致します」


 そうして仕事を終えた彼は立ち上がり、馬車から降りていく。


「……気にするなって言ったのかな?」

「えぇ、その通りです。ジェラルド様は外部から雇われた護衛の方ですが、信頼の置ける御仁だと思います。事情を話せば、きっとユーゴ様の力になって下さるでしょう」

「そっか。うん、紫銀さんがそう言うなら、信じて待つとしようか」


 言葉は通じずとも、あの人が悪い人間ではないというのは俺にもよく分かる。

 翻訳魔法を使っているわけではなく意味を理解出来たわけではないが、それでも彼の言葉が優しい物だという事だけはしっかりと感じ取れた。


 出逢い方は最悪だったが、きっと彼ならば真摯に向き合って対応してくれるだろう。

 そう信じながら、俺は配膳された硬いパンと薄味のスープに口を付けた。



………………


…………


……



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