【#1】崩壊する日常
ピピピッ、ピピピッ――
「――ん……うぅん…………」
枕元に置いていたスマートフォンのアラームが、けたたましく鳴り響く。
寝起きの良さには自信があったのだが、今日はかなり目覚めが悪い。
それでもなんとか手を伸ばし、アラームをオフにしてから、俺は半身だけでも起き上がろうとする。
「ふあぁぁ……もう朝、か……。なんか、頭がスッキリしないな……」
夜中に目が覚めた覚えもないし、睡眠時間はしっかりと確保出来ていたと思うのだが、どうにも頭が回らない。
寝ぼけ眼のまま重い頭を2、3度振りかぶり、眠気を振り払っていると、部屋の外から同居人の声が聞こえてくる。
「――勇悟、起きたの?」
「あぁ……今起きたとこ」
「そう。いつもより起きるのが遅かったからどうしたのかと思ったわ」
「……え? あれ、嘘だろ? ――うっわ、マジか……!」
そう言われて慌ててスマートフォンを確認するが、いつもよりも10分遅い時間だった。
どうやら1回目のアラームで起きられず、スヌーズ機能により再度鳴り出したアラームでようやく目を覚ましたらしい。
目覚ましの音に全く気が付かないなんて事は初めてではないだろうか。
寝起きの良さには自信があったのだが。
「とにかく、早く顔洗ってらっしゃいな。朝ご飯の準備はしとくから」
「あ、うん。わかった」
そう促された俺、「天城 勇悟」はベッドから這い出て洗面所へと向かった。
「(……なんか、変な夢を見たような……寝過ごしたのはその所為か?)」
濡れた顔をタオルで拭きながら、俺はそんな事を考えていた。
夢の内容については殆ど覚えておらず、思い返そうとしてもどうにも思い出せない。
普段なら、起きた直後に思い出そうとすればしっかり記憶に残せるのだが、今日に限ってはそれが出来なかった。
「(駄目だ、思い出せない。なんというか、ちょっとファンタジーな世界観の夢だった様な気がしなくもないんだけど、細かい部分は全然だな……)」
夢の中身は思い出せないのだが、最後は心が落ち着く後味の良い終わり方だったという感覚はある。
だが、その所為で逆にどんな内容だったのか気になってしょうがない。
たかが夢の話で、現実の大事な事柄でも何でもないのだが、こうして思い出したくても思い出せないとなるとモヤモヤしてしまう。
「……って、そんな事考えてる暇は無かった。ボサッとしてないで俺も朝飯の準備を手伝わないと」
気にはなるものの、もう時間も押してしまっている。いつまでもこうしてグダグダやっているわけにはいかない。
そう思い、気持ちを切り替えた俺は、洗顔を終えてリビングへと向かったのだった。
「――なんだかまだボーっとしてるみたいね? 寝起き悪かったみたいだけど、昨夜は夜更かしでもしてた?」
朝食のパンを齧っていた俺に向かって、目の前に座っている従姉であり家主の女性がそう問いかける。
実際、しっかり顔は洗ったのだが、まだ少しだけ眠気が残っている。
「いや、むしろ早めに寝た筈なんだけど……」
「ふうん。熱があるってわけでもないのね?」
「身体自体は健康というか、調子が良いくらいだよ」
「そう、それならいいんだけど。体調が悪くなったら早めに言いなさい。研修医とはいえ、あんたの目の前に医者が居るんだから」
そう言って彼女――「柳川 鈴華」は、少し胸を張る様な仕草をする。
そう、彼女は医者なのである。
医者を志した彼女が、医科大学卒業と同時に実家を出て低層マンションの一室を借りたのが一年と二ヶ月程前。
丁度同じタイミングで中学を卒業し、実家から離れた高校へと進学する事になった俺は彼女の家に居候する事になり、以来こうして二人で暮らしている。
「鈴姉って、専門は外科じゃなかったっけ? 研修中は色んな科を回ってるって聞いてはいるけど、専門分野以外でも仕事が出来るくらいに勉強するもんなの?」
「医者は自分の専門以外もしっかり勉強しておかないと出来ない仕事だしね。場合によっては転科する人も居るくらいよ。少なくとも、間違った家庭医学なんかよりはよっぽど適切な処置をしてあげられるから、安心しなさいな」
普通の医者がどの程度まで勉強しているのかは分からないが、この人は平均よりも遥かに高い水準に至るまで努力をする人である。
学生時代から勤勉家で運動神経も悪くなく、文武両道を地で行く人だった。それは今も変わらない。
そんな鈴姉がそう言うからには、本当にしっかりとした内科的療法を施してくれるのだろう。
とはいえ、流石にただ眠気が取れにくい程度の事で世話になるわけにもいかないと思うが。
「そりゃ頼もしいもんだ。まぁ、本当につらい時はちゃんと言うから、その時はよろしく頼むよ」
俺は軽くそう返し、残った眠気を洗い流す様にコーヒーを飲み干した。
朝食を終えた俺達は後片付けを済ませ、それぞれ出かける準備を整えていく。
鈴姉の勤務先の病院は家から徒歩10分程度とかなり近い。
出勤時間はギリギリでも問題ないらしいので、こうして朝も一緒に食事を摂る事にしているが、流石に医者の朝は早い為、俺よりも少し早めに家を出る。
もう既に支度が整い家を出る数分前となった彼女だが、ふと思い出したかの様に声を掛けてきた。
「――あ、今日は帰ってくるのが遅くなるから」
余っていたコーヒーを片手に、彼女はそう告げる。
「ん、そういえば勉強会の日だっけ?」
「そそ。あと、それが終わったら交流会という名の飲み会ね。私は勉強会が終わったらさっさと帰りたいところなんだけど」
研修医の人達は、月に数回、勤務時間終了後に集まって勉強会を開いている。
勤勉な鈴姉にとっては勉強会に参加するのは問題なさそうだが、どうやら交流会の方は面倒な様だ。
そういえば、昔から余程仲の良い人としか遊びに出かけたりもしかなった気がする。
かといって、社交性が皆無というわけでもなく、表向きは誰にでもちゃんと応対するのだが。
「病院内での連携がしっかりとれるように、普段から親交を深めようって事だろ? 大事な集まりだと思うけど」
「そんなのは方便よ。皆、忙しい医師生活で溜まったストレスを解消する為の口実が欲しいだけ。あと、他の看護師さん達も来るから、合コン気分で参加してる人も居るわね」
身も蓋もない言い方である。
きっと本当に仕事の為に交流しようとしている人だって、俺は居ると思う。
「じゃあ、鈴姉も相手を見つけるのに丁度良いな」
「冗談言わないでよ。仕事し辛くなるし、職場恋愛なんて御免だわ」
「言うと思った」
冗談で言った俺の言葉に心底嫌そうな反応を見せる鈴姉。
従弟の俺が言うのもなんだが、この人はスレンダーな美人で、中学・高校時代はかなりモテていた。
それこそ、外堀を埋める為に俺と仲良くしようとする男子が現れるくらいには。
……男子どころか、彼女に憧れる後輩の女子まで同じ様にやって来た時にはどうしようかと思ったものだ。
だが、問題の本人がこの有様である。当然、これまで誰とも付き合った試しは無い。
俺としては、結婚適齢期も近い事だし、そろそろ頼りになる彼氏でも見つけて身を固める準備をして欲しいという気持ちがあるが、無理強いも出来ないし悩ましい所である。
「……まぁそれはともかく、晩飯は適当に済ませるよ。夕方、買い物に行ってくるけど何か買っておいた方が良い物ってある?」
「う~ん。病院のデスクに常備してるカップ麺が少なくなってきてたから、幾つか適当に買っておいてもらえる? 味は任せるわ」
「了解。余ったら家に置いておけばいいし、ちょっと多めに見繕っておくから」
「ありがと。よろしく頼むわね」
話終えた鈴姉は残りのコーヒーを飲み干すと、鞄を手に玄関へと向かう。
そして俺もそれに続いて玄関まで同行した。
「それじゃあ、体調には気を付けるのよ」
「あぁ、鈴姉もな。いってらっしゃい」
いつも通りの、朝の見送りを終えた俺は居間に戻り、鈴姉が流し台に置いていったコーヒーカップを片付けてから自室に戻る。
時間は7時40分を過ぎたところ。
「さて……俺も、もう少ししたら出ないとな」
そう呟いた俺は、まだ少し鈍ったままの思考を振り払うべく頬を軽く叩いて気合いを入れ直すのだった。
………………
…………
……
「――だからさ、もし今後ああいうのが沢山作られたら、金持ちでなくても宇宙旅行とか出来そうじゃん? 夢があるよなぁ」
「でも今回長期滞在テストの為に作られたのって、費用も時間も恐ろしいくらい掛かったらしいし、民間でも利用出来る様な大型宇宙ステーションなんていつになるか分からないよ?」
「いやいや、時間が経つほど技術力は向上してる筈だし、俺達が良い歳になった頃にはきっと誰かしらがパパッと作ってくれるって!」
「他力本願だなぁ……」
始業のチャイムが鳴る少し前の教室。
窓際の俺の席に集まってきた二人の友人が雑談を交わしている。
今日の話題は、今朝のニュースで報道されていた大型宇宙ステーションの話らしい。
結構大きく取り上げられていたし、民間で宇宙旅行に行く人まで現れた昨今、こういう物に注目する人は多いのだろう。
「ふぁ~……ぁ…………」
そんな二人の話を聞きながら、俺は大きな欠伸を一つ。
寝起きから続いていた眠気は大分収まってきたのだが、まだほんの少し尾を引いていた。
先程気合を入れ直した筈だというのに、情けない限りである。
「なんだ勇悟、大欠伸なんかして。そんなに興味の無い話だったかよ?」
「あ、いや、そういうわけじゃなくてさ。ちょっと今日は朝から眠くて」
「珍しいね。夜遅くまで起きて何かしてたの?」
「鈴姉にも同じ事聞かれたよ。そんな事はなかったんだけどなぁ」
寝すぎた所為で、という事もあるかもしれないが、流石に異常な時間寝たわけでもない。
となると眠りが浅かったとか、そういう感じなのかもしれない。
「まぁ、大分マシにはなってきてるから気にしないでくれ」
「そう言って倒れたりしないでよね。僕らがお姉さんに怒られそうだし」
「そんな理不尽に怒る人じゃないし、本当に大丈夫だからさ。……んで、話の続きだけど、翔真は宇宙旅行に関心なんてあったんだな」
この程度で変に心配を掛けるのは悪いと思った俺は、若干無理矢理二人を話の本筋に戻す。
すると俺の問い掛けに、ガタイとノリの良さに定評のある友人は二カッと笑いながら答えてくれた。
「あぁ。宇宙に限った話じゃねぇけど、なんつーか、前人未到の世界ってのにはやっぱ憧れがあるんだよな」
「透も?」
「うーん……興味はあるけど、自分で行ってみたいとまでは思わないかな。記録映像でも見れれば満足だから、ネットに投稿された動画とかは見てるよ」
その隣に居る小柄で真面目な、もう一人の友人がそう答える。
自ら行動しようとは思わなくとも、同じ様に興味はあるらしい。
「あ~、そういうのって再生数多いよな。大気圏からスカイダイビングするヤツとかは俺も見た事あるけど」
「あったあった! 俺は他にも深海探査映像とか、エベレストの写真を集めたヤツなんか見てるぞ。あと、当事者や関係者のインタビューなんかもな」
「へぇ、結構色々、熱心に見てるんだね」
「やっぱ、純粋にスゲェって思うし、話を聞いても面白いんだよ」
「そういう経験談は貴重だからな。気持ちは分かるよ」
翔真の言葉に俺達は同意する。
「動画といえば、中にはとんでもない事を経験談として語る人も居るよね。夢の中でそういう所に行って来た、とか」
「居るよな~、夢の中で有名人と一夜を共にしたとかな~。殆どネタなんだとは思うけど、中にはガチっぽいのも居るし」
「ガチっぽいの? 例えばどんなの?」
「俺が見たのは、夢の中で異世界を旅してきたって人だな」
俺の問いに答えた翔真の言葉を聞いて、少しギクリとしてしまう。
今朝見た夢。
内容は殆ど思い出せなかったが、何となくそういうのと同種の夢だった事だけは分かっている。
となると、なんだか自分の事を言われている様な気がして、少し恥ずかしい。
「悪い意味で結構有名な投稿者のやつじゃなかったっけ、それ。異世界とか魔法の存在を本気で信じてる人の」
「……そういうキャラを演じてるってだけじゃないのか? 広告収入目的でさ」
「俺もそう思ってたんだけどさ、その人の知人の証言で、昔からずっとそういう発言を繰り返してたらしいんだよな」
「しかも、動画投稿をする様になってから、視聴者や他のちょっと危ない思考の人を巻き込んで、勢力を広げてるとかいう話だよね」
「もう一種のカルトじゃないか……」
普段なら軽く流して済む話なのだが、今日に限っては違う。
「(共感性羞恥ってやつだな……。俺は別に本気でそんなのを信じちゃいないのに……タイミングが悪い)」
心の中でそう思い、げんなりしていると、ふいに翔真が話を切り出す。
「まぁでも、もしも本当にそういう異世界なんてものがあったら、見てみたい気持ちはあるけどな」
この流れから、翔真は突然そんな事を言い出した。
「翔真……まさか、君もそういう……」
「いや、ちげぇって! 流石にちゃんと現実を見てるっての! でも、ガキの頃からゲームとか漫画に触れてりゃ、そりゃもし実在するなら行ってみたいって気持ちはあるだろ」
「まぁ、確かにな。冒険したいとまでは言わないけど、旅行気分で旅したいとは思うかもしれないかもな」
「だろ? それこそ、宇宙旅行とかと同じ様な感じでよ」
彼の言っている事も理解は出来る。
ゲームや漫画の主人公の様な活躍をしたいとは思わないが、自分が見た事の無い世界があるなら、ただ純粋に見てみたい。
「なんというか、翔真も勇悟も意外とロマンチストだったんだね……」
「うるせぇ! いいだろ別に、ちゃんとIFの話で済ませてるんだからよ」
「はは……」
そうこうしている内に、あっという間に時間は過ぎてゆき――。
キーンコーンカーンコーン……
――と、始業のチャイムが鳴り響く。
「おっと、もうこんな時間になっちまったか。そういや、今日は放課後にゲーセン行く予定だったけど、勇悟は大丈夫か?」
「うん。寝不足とかじゃないとはいえ、どうしても気分が優れないようなら日を改めても良いと思うけど……」
チャイムに反応した二人がそう尋ねてくる。
今日は皆で出かける約束をしていたのだが、やはり先程眠たそうにしていた件で心配させてしまったようだ。
透は勿論、翔真も見た目はちょっとチャラそうに見えて、その実、凄く良い奴なのである。
「平気平気、体調不良ってわけじゃないし問題ないよ」
俺はそんな二人を安心させる為に、気丈に振る舞ってそう告げる。
というか、実際ただ眠気が取れきっていないだけなので本当に何の問題も無いのだ。
断る理由など無いし、この程度で予定を狂わせたくない。
「ただ、その後そのまま買い物に行きたいから、向かう前に一旦家に鞄を置いて着替えておきたいんだけど」
「おう、それぐらい構わねぇよ」
「オッケー、勇悟の家に寄ってから向かうって事で。それじゃあ、二人共また後でね」
「あぁ。またな」
こうして予定を確認し終えた二人はそれぞれ自分の席へ戻っていった。
「(……帰るまでには完全に調子を取り戻しておかないとなぁ)」
心の中でそう思うが、窓から降り注ぐ日光に身体を暖められ、折角振り払いつつあった眠気は再び俺を襲い始めている。
今日ばかりは窓際の席である事を悔やみつつ、俺も授業の準備をし始めるのだった。
◆ ◆ ◆
「――だあぁぁッ!! なんだよあのクソキャラ! 対空技の判定強すぎんだろ!」
「はいはい、お店の中なんだから落ち着こうね、翔真」
先日稼働したばかりの格闘ゲームのキャラクターに文句を言いながらテーブルに突っ伏す翔真と、それを宥める透。
放課後、予定通り出かけた俺達はゲームセンターで気になっていたゲームを一通り遊んだ後、近くにある喫茶店に立ち寄っていた。
随分ご立腹の様子の翔真だが、要は強キャラ相手にボロボロに負けまくったわけである。
「くっそー……どいつもこいつも強キャラばっか使いやがって……」
「そんなに悔しいなら他のキャラも試せば良かっただろ? お前の使ってたキャラ、強キャラ相手だと軒並み7:3か8:2で不利って話だぞ」
「いーや! まだ稼働したばかりなんだから、今後の研究次第でその辺は変わる筈だ! 俺は持ちキャラを変えるつもりはない!」
「研究が進んだ結果、9:1で不利とか言われなきゃ良いんだけどね……」
透のトドメの言葉を聞いて、一度起き上がった上半身がまたテーブルに突っ伏す翔真。
大人しい性格の割に、友人に対して意外と無慈悲な男である。
「でも、翔真ってホント使うキャラに拘るよね。どれだけ使い難くても見た目や能力で惚れ込んだキャラなら使うし、ぶっ壊れの強キャラなら使わないし」
「だってよぉ……一度惚れ込んだキャラ以外を使うのはなんか罪悪感あるじゃん? それに弱くても使い込んで強キャラ倒せたら、スッゲェ気分良いしさ……」
「気持ちは分かるけどね。僕も初めから強いキャラで無双したいとは思わないから」
「まぁ、そこの所は俺も同意するけどな」
三人とも、対戦ゲームに置いて極端に有利となる環境はあまり好まないという点は共通している。
勝つ事も大事だが、それ以上に自分の腕前が上がっていく事を実感出来る方が良いと考えているのだ。
だからといって圧倒的に不利だったり、あえて自分に合わないキャラクターを使い続けるという程の事はしないのだが。
「大体、勇悟の持ちキャラだって弱キャラって話だろ? 俺と変わんねぇじゃん」
「俺の持ちキャラの自己強化技には可能性があるんだよ。使用直後の一瞬に無敵が付くしデメリットも少な目だから、上手くいけばダイヤブレイカーにも成り得る」
「こっちはこっちで、そういうネタ技になりかねないヤツを使いがちだし……」
「ロマンと言え、ロマンと。なんかこう、特定条件下で強いキャラって惹かれるんだよ」
「一度心惹かれたキャラを使い続けるってんなら、やっぱ俺の考え方と大差ねぇじゃん!」
「ははは」
………………
…………
……
「あら、勇悟君たち。もうお帰り?」
「えぇ。なんか長々と席を占領してすみません、愛理さん。おまけに、ケーキのサービスまでして貰っちゃって……」
レジに立つ顔見知りの女性に一声掛けられた俺は、そう言って詫びる。
軽く立ち寄って帰るつもりだったのだが、すっかり居座ってしまった。
しかも、初めに頼んだ食べ物が無くなった後、サービスで一人一つづつメニューに無いケーキを御馳走になったのだ。
「ふふ、良いのよ。アレは店長の試作品だったんだから。有望なバイト君や常連客さんから感想も聞けたわけだしね」
そう言って笑う愛理さん。
彼女はこの個人経営の喫茶店「Perche」で働く、店長の娘さんである。
そして、俺はこの店で土日限定だがバイトをさせて貰っているのだ。
さらに言えば、愛理さんは鈴姉と同い年であり、鈴姉は自身が働く病院から近いこの喫茶店に足繫く通っている。
その結果、いつの間にやら二人は仲の良い友人関係を築いていた。
そういった事情もあり、俺は店長親子からかなり目を掛けて貰っている。
今日のサービスのケーキも試供品だから大丈夫と言っているが、普通ならここまでしてくれる事は無いだろう。
「いやぁ、御馳走様でした! ホント美味かったっスよ!」
「うん。あれはまた食べたいよね。本当に有難う御座いました」
「こちらこそ。正式にメニューに加わったら、是非また食べに来てね。それから、良ければお友達に新作の宣伝もよろしく」
「はい、勿論です」
言われなくとも、そうさせて貰いたいと思う。
手ごろな値段で味の良いケーキを提供するこの店は、ウチの学校の生徒を始め、若い人達を中心にかなり人気がある。
今日もかなり盛況で、同じ制服を着た男女のカップルと思われる二人組や、真面目そうな女子が飲食をしながらモバイルPCで何か調べ物をしている姿等、様々な人がやって来ていた。
中には数人、同じクラスの人達も居た筈だ。
まだクラス替えしてそんなに経っていない為、あまり話した事が無い人も居るが、この機会に宣伝を兼ねてこの店の話題を振ってみても良いだろう。
「それじゃあ、愛理さん。御馳走様でした。また土曜日に」
「はーい。お姉さんにも宜しく言っておいてね~」
最後にもう一度お礼の言葉を言いつつ、俺達は喫茶店を後にした。
「じゃあ、勇悟。僕達は此処で」
「あぁ。二人共、今日はお疲れさん」
「おう! また明日、学校でな~」
喫茶店を出て地下鉄の駅まで辿り着いた俺達は、そこで解散となった。
もうすっかり日も暮れ、そろそろ夕食時が近付きつつある。
遊び疲れたし、さっさと帰って寝たい気持ちもあるが、今日はまだやる事――鈴姉から頼まれた物を含む、食料品の買い出しをしなければならない。
駅のホームへ向かう二人を見送った俺は、そのまま駅からほど近いスーパーマーケットに向かった。
「(鈴姉に頼まれたカップ麺と、家のストックに袋麺。レトルトやフリーズドライ食品も幾つか買っとくか。後は、調味料も色々少なくなってたっけ。切れる前に一通り買っておこう。で、今日の晩飯は……弁当でいいかな)」
スーパーに辿り着いた俺は手早く買い物を済ませていく。
鈴姉から頼まれていたカップ麺は、急な仕事によりしっかりと食事を取る時間が無い時の為にデスクに常備している物である。
家主であり稼ぎ頭の彼女の為に、少しでも飽きない様に色々な味のカップ麺を見繕わなければならない。
一通り買い物カゴに放り込んだ俺は、最後に夕食用の弁当とペットボトルのお茶を追加する。
予定よりも帰るのが遅くなったし、鈴姉の分の夕食を作る必要も無いのだから、今日くらいは楽しても許されるだろう。
そして会計を済ませ、買い物袋代わりに家から持ってきていた登山用のリュックサックに荷物を詰め込んでいく。
ちなみにこのリュックサックは、去年の夏休みに三人でキャンプに行った時に使った物である。
翔真から勧められて見たアニメの影響を受けて、膨れ上がったアウトドア欲を満たす為に行ったキャンプだったが、少ない所持金でかき集めた安物の道具では不具合も多く、割と散々な目に遭ったものだった。
とはいえその苦労も楽しく、終わってみればいい思い出になったのだが。
しかし、それ以降はシーズン的にも日程的にも再度キャンプに行ける機会が無く、このリュックサックも物置の肥やしになる所だった。
だが、よくよく考えてみればトートバッグよりも物が入り、尚且つ背負えるというのは買い物袋より便利ではないかと思い当たり、以来こうして買い物に利用しているのである。
そんな買い物袋と化したリュックサックに全ての荷物を詰め終わった俺は店を後にして、やっと帰路に就いたのであった。
「――ふぅ。ちょっと疲れたし、荷物片づけるのは後にして、先に飯食っちゃうか」
荷物を背に、弁当の入ったビニール袋を片手に自宅へと戻ってきた俺は、誰に言うでもなくそう呟く。
買ってきた物を収納棚に仕舞わなければならないが、今日買ったのは全て日持ちのする物ばかり。
急いで冷蔵庫等に仕舞う必要が無いのであれば、後回しにしてしまっても問題は無いだろう。
そう考えた俺は、一旦居間のテーブルの上に荷物を全て置き、キッチンに箸とコップを取りに行く。
――カタカタ……
「……ん? もしかして、少し揺れてる?」
コップと箸を手にした俺は、ふと棚に積み上げた食器類が小さく揺れ、音を出している事に気が付いた。
とはいえ、小さな地震なんて珍しい物でもない。
俺は気にせずテーブルまで戻ったのだが、そこまで来て様子がおかしい事に気が付く。
――カタカタ……
「(小さい……けど、なんかやたら長くないか?)」
長すぎる。
普通ならほんの数秒で収まるくらいの揺れが、今日はもう30秒は続いている。
遠くで余程大きな地震でも起きたのだろうかと不思議に思っていたその時、事件は起こった。
――ドンッッッ!!!
「なっ!? あぶな……ッ!!」
途轍もなく大きな、下から突き上げる様な衝撃が足元から伝わってくる。
その衝撃で体勢を崩した俺は、床に尻餅をついてしまった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
初めの大きな衝撃の後、今度は継続的に大きな揺れが続く。
しかもその揺れは徐々に大きくなっていき、収まる気配が無い。
「ちょ、ヤバい……! これはマジで洒落になってないぞ!?」
俺は慌ててテーブルの下に潜り込み、テーブルの足をしっかり押さえる。
そうこうしている間にも揺れは大きくなり、次第に近くの戸棚が倒れだす。
先程小さく音を立てていた食器類が乱雑に飛び出し割れていき、辺りは見るも無残な状態になっていく。
勿論、テーブルの上に置いていた荷物も、あまりの衝撃に俺の目の前に落ちてくる始末である。
ドンッ! ドンッッ!!
さらには先程と同じ様な単発の大きな衝撃が、断続的に何度も発生する。
明らかな異常事態に俺は混乱し、ただただ早くこの災害が収まる事を祈り続けるしか出来なくなってしまった。
「くそっ、どうなってるんだよ、コレ……! 頼むから早く収まってくれ……!!」
そうして、どのくらい時間が経っただろうか。
ドゴーーンッッッ!!!
「うわっ……!!?」
一際大きな衝撃が、俺を突き上げた。
床の感触が消え、身体全体が上へ吹き上げられた様な感覚を覚える。
それと同時に、今度は辺り一面が一瞬で光に包まれたのだ。
「眩しい……何も、見えない…………一体、どう、なっ……て…………」
奇妙な浮遊感を味わいながら、次第に両手両足が動かなくなる。
感触も無くなり、次第に思考も鈍くなってくる。
立て続けに起こる不可思議な現象に、俺は恐怖を感じる間もなく、全てが光に飲み込まれ、消えていく。
「(……鈴姉…………透……しょう…………ま………………――――)」
そして、最後に親しい人々の事を案じながら――
――俺の意識はそこで途絶えた。
※冗長過ぎた部分を書き直し(それに合わせて5話まで一部調整)