リルナの民の星がえし
ひかる ながれ星 はしる はしる 尾をひいて
おいで おいで ここへ
歌おう 星ぼしの歌
目をつむれば ここに
かなでよう 銀のたてごと 金の鈴
みちびいてあげる
海のかなた 空の国
――リルナ古謡『星がえし』より――
◆◇◆
昔、わたしたちは星だったんだよ、というのが祖母の口ぐせだった。
五十人にも満たない一族のなかで、祖母は語り部と呼ばれていた。
黒い髪に黒い瞳、赤銅色の肌のリルナの民――ひとつ所に定住したりはしない、わたしたちの。
リルナは国をもたない。家をもたない。親戚同士で大きな幌馬車に乗り合わせて旅をする。それこそ星空の下、馬車が家代わりだ。
いま、リルナに幌馬車は五つ。
わたしは、そのなかで一番ちいさな馬車の末子だった。
足腰が不自由な祖母は、他のみんなのような「ふつう」の仕事はできない。
伯父さんや従兄弟たちが体を鍛え、悪い盗賊や狼からみんなを守るため、すすんで武器をとるように。
伯母さんや従姉妹たちがうつくしく装い、街角で披露する歌や楽の音、舞の技を磨くように。
祖母は赤茶色の土で染めた毛織りのケープをすっぽりと頭から被り、日がな縄を編んだり、わたしが山野で採ってきた草や木の実を仕分けして、食事の下ごしらえをしてくれた。
その日、夕暮れには少し早い時刻。
次の街に入るにはあと二日かかる山のなかのことだった。
祖母は石を組んだかまどでコトコトと山羊乳と野草、雑穀の粥を煮ていた。ときどき木匙で混ぜては鍋を覗きこみ、香りを嗅いでいる。岩塩を、ぱらり。
各地を渡り歩くわたしたちは、ちょっとした商売もする。塩や香辛料なんかは保存しやすく、場所によっては確実に売れる。いい品だった。
祖母は、まるで『あと少しで夕食だよ』と言うみたいに、そっとわたしの名を口にした。
「セーニャ。お前が星をかえす日も近い。たんと食べて大きくおなり」
「星をかえす? どういうこと?」
「言葉どおりさ」
木椀をとり、粥をよそう。
はい、とわたしにくれる。
わたしは、途方にくれた。
「おばあさま?」
「お前のその髪。その目。それは、あたしと同じ。でもお前は舞える。歌える。楽をかなでられる。きっと、星は『道』を見いだすだろう」
「道……?」
すっかり煙に巻かれた様子のわたしに、祖母はちいさな体をゆらして笑った。
赤茶色の被り布から真っ白な髪がのぞく。若いころは、つやのある銀色だったそうだ。
瞳はとろりとしたハチミツを思わせる金色。
黒髪黒目の一族で時おり産まれるという、祖母やわたしのような者を、リルナは『語り部』と呼んで匿うように大事に養ってくれた。街では、ぜったいに人前に出てはならないと、厳しく言いつけられて。
わたしは、それでも従姉妹たちに混ざってリルナの女らしく芸を学んだ。歌や舞は好きだ。
けれど、みんなの役にはたてない。
そんな歯がゆさを、ずっと抱えていた。
――星をかえす。
その言葉の意味を知ったのは、翌日。
人里に出るまで、もうちょっとだった。眠るように息をひきとった祖母を、みんなで泣きながら弔った。そのあとだった。
「何、これ……?」
亡骸は星が見える森のなかに。
古くからの言い伝えどおり、山のなかの木々がひらけた場所を見つけ、人ひとりが入れる穴を掘った。とっておきの白いまじない布にくるんだ祖母を横たえる。みんなで祈りを捧げた。そのとき。
真新しい土の上、摘んだ花を手向けたあたりに、ふわりと何かが動いた。
(綿毛? 鳥の羽? 違う。たしかに炎みたいに形を変える……ちいさな光が)
わたしは、首をかしげた。
まだ昼間だ。ましてや、ここは陽の光が差すところ。とまどうように視線をゆらしていると、大きな幌馬車を率いるガレッタさんが立ち上がり、みんなに声をかけた。
「偉大なる語り部、先代の巫女クァランの伽を。街は目の前だが、今夜はここで過ごそう」
ぽん、と、肩を叩かれ、驚きに目をみはる。
「!?」
「――祝おう。クァランの後継者、セーニャの初舞台だ」
◆◇◆
山を迂回するため、なだらかな曲線をえがいて敷かれた街道の脇に馬車を停めている。
もちろん、男衆が交代で守ってくれている。
それ以外の民は木々の深い山に分け入り、祖母を埋葬した野辺を整え、またたく間に宴の準備を整えた。
篝火を。心づくしの馳走を。
必要なだけ楽人を。
歌は? 舞い手は?
――それはセーニャ、あなたよと言い含められ、女衆によってたかって飾り付けられた。
十四にして初めて袖を通した舞装束は、白絹に銀糸の星模様がうつくしい膝下丈。編み上げひもで膝下まで結わえるサンダルはあつらえたようにぴったり。
被りものをはぎ取られ、あらわになった銀の髪は丁寧に梳られ、自分のものではないようだった。「じっとして」と真剣な顔のいちばん上の従姉妹に顎をとられ、何か、しっとりとする筆を唇に乗せられた。
さっきまで黄色っぽかった筆先が赤くなっている。これも、生まれて初めて。紅だった。
馴染んだ馬車のなかは、別世界のよう。
渡された手鏡にうつるのは、まごうかたなきリルナの舞姫。ただし、色彩はかなり違う。自分自身でしかない淡い異彩で――……
はっ、と息を飲んだ。
「姉さま。わたし、ひょっとして一人で舞うの……? 歌うの? 後継者って何? 『語り部』だって大したことは聞いてないわ。いったいどうしたら」
「あぁ、セーニャ」
とたんに黒曜石の瞳を和らげた従姉妹は、紅を拭き取った筆を化粧箱にしまうと、にこりと笑った。
「大丈夫よ。舞も歌も。巫女ならば、おのずとわかるのですって」
「巫女」
ぼんやりとオウム返しになるわたしを、見知った仲間のみんなが恭しく外へと導き出す。
ばさっ、と幌の掛け布がめくられた。
目を射る赤光。陽が傾いている。
笛の音。弦の震え。乾いた空気にこだまする軽やかな太鼓の響きが耳を打つ。
それらはたちまち意識を絡め取った。
(知ってる。これ。この歌)
一歩、二歩。気づくと足は進み、吸い寄せられるように、待ち受けるひとの輪のなかへ。
息を吸う。
声を、乗せた。
――ひかる ながれ星 はしる はしる 尾をひいて
トッ、トォォン!
哀切な曲調に澄んだ皮の音色。
――おいで おいで ここへ
――歌おう 星ぼしの歌
ロロロン、ロロン
一座いちばんの弾き手が弦をかき鳴らす。
見たことがない竪琴だった。象牙のように柔らかな白に銀の反響板。弦そのものも。
――目をつむれば ここに
――かなでよう 銀のたてごと 金の鈴
シャラン、シャラララ……
ひとの輪のなかで、何人かは手に鈴を掲げていた。
それらが風渡る草原のように音を靡かせてゆく。ひろがり、還る。
――みちびいてあげる
ポゥ、と浮かぶ蛍火があった。一つ、二つ……数え切れないほど。
日は沈み、あたりは闇へ。空は満天の星空へ。梢の天蓋を越えて、ふわふわと祖母の遺体のあたりに漂っていた光はまっすぐに飛んでゆく。
銀砂をまいたような天の河へ向けて。
――海のかなた 空の国……
光を追うように溶けた声の余韻を、ロロン、とひかえめな竪琴が引き受ける。繰り返しの旋律をつむぐ。
わたしは、ゆるりと舞い始めた。
瞳はここではない場所を見ていた。
目をつむる。祖母の笑顔に、知らない同族の顔も。
たぶん、かれらは祖母が「かえす」はずだった魂。星たちだ。
『……昔、わたしたちは星だったんだよ。だから、時がくれば帰してやらなきゃならない。それが、本当の婆のつとめなのさ』
(おばあさま)
最後に、頭を撫でてくれるようなやさしい風が吹き抜け、頬を髪がくすぐった。
まぶたの裏に、記憶にはないはずの両親のうれしそうな顔が見えて。
よくやったね、と褒めてもらえた気がした。
――――リルナは天からの迷い子の末裔。もとは、ながれ星。
そんな子守歌が『語り部』のわざの全てだなんて。
「もう……。口下手にもほどがあるわ。おばあさま」
あたたかな拍手に抑えようもなく何かがこみ上げて、わたしは中途半端な泣き笑いになった。
昨日まではなかった。
たしかな居場所を感じて空を仰ぐ。
(増えたのはあの星? それとも、もっと遠く……?)
きらり、きらり。仄かにまたたく星々に手を差しのべる。
――……おかえりなさい。ありがとう。
fin