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【完結】グッバイ、アンノウン  作者: 観夕湊
第三章 宇宙人。人魚。それなら今度は
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2.

 その後、魚の解説を見ながらゆっくりと大水槽の中を観察した。花村さんはその間に何枚か写真を撮っていた。時々スマホを確認しながら満足そうな顔をしていたから、きっといい写真が撮れたのだろう。


「そろそろ行こうか?」

「そうだね」


 十分見て回れたろう頃合いを見計らって声を掛けると、花村さんは素直に頷いた。


「足下、気をつけてね」


 順路は大水槽の下をくぐるトンネルへと続いている。階段を降りながら念のため注意を促すと後ろから「大丈夫」という返事がきた。


「うわっ、暗いな……」


 階段を降りながら薄々気づいていたことだったが、それでも予想以上の暗さに思わず一瞬だけ足が止まった。水槽の下のトンネルと言っても、よく大きな水族館の写真で見るような頭上を全面的にガラスで覆ったドームとは違う。真っ暗な通路に時折、ぽつぽつと明かり取りのように填められたガラス窓から水槽の中を覗けるようにしてあるだけの、本当に何の変哲もないトンネルなのだ。窓の付近は水槽の照明で少し視界が確保できるが、それ意外の場所では自分の指先さえはっきりしない。


(暗所恐怖症の人は絶対通れないよな、ここ……)


 もうちょっと狭かったら俺もムリだったかもしれない。そんなことを思いながら、窓から水槽の様子を見上げる。残念ながら岩や水草が揺らめいている様が見えるだけで、物陰に潜む魚の姿はどこにもない。そのくせ、掃除がちゃんと行き届いていないのか、ガラスの四隅に苔のような汚れがへばりついているのはくっきりと見えるので、ムダに不衛生な印象を与えられるだけに終わった。

 本来の役目を全く果たしていないトンネルに、これは作られた意味があるのだろうかと疑問に思ってしまう。当然見ていて楽しい要素もなく、自分でも思っていた以上に足早に進んでいたらしい。あっという間に水槽の反対側に出てしまった。

 新しい通路の明かりに照らされた階段を昇ったところでふいに気づく。


「……花村さん?」


 振り向いても、さっきまで一緒にいた彼女の姿はそこにはなかった。俺の背後にはトンネルの暗い闇がぽっかりと口を開けているだけだ。どうやら俺は、彼女をトンネルの中に置いてきてしまったらしい。

 どの水槽も丁寧に見て回っていた花村さんだ。俺がつまらないと思ってさっさと素通りしてしまった小窓も、ひとつ一つちゃんと覗きながら中の様子を観察しているのかもしれない。いや、そうに決まっている。それなのに、この妙な不安感はなんだろう。どうしても思い出してしまうのは、彼女が戯れに放った言葉の数々だ。

――もうすぐ宇宙に帰ることになってるの。

――その前にわたしは海に帰ってるかもしれないけど。


「花村さん?」


 暗闇の中にもう一度だけ呼びかけた。俺の声は静かな通路に少しだけ反響して、吸い込まれるように消えてしまった。花村さんの返事はない。足下からじわじわと恐怖が忍び寄ってくるようだった。


(引き返して、もしいなくなってたらどうしよう)


 そんなわけはないのに、あり得ないはずの「もしも」をついつい空想してしまう。だって花村さんは時々、今にも俺の目の前から消えてしまいそうな言葉を口にしていた。


(確かめないと)

 ちゃんと花村さんがそこにいるのだと。消えていないのだと、確認しなければ。俺は小走りで引き返す。館内でマナー違反なのはわかっているが、他に客がいないので今ばかりは見逃してほしい。


   ◆ ◇ ◆


 そう長くはない距離の先。トンネルの入り口に一番近い窓の前に、花村さんは佇んでいた。窓から漏れる青白い光が花村さんの横顔をぼんやりと暗闇に浮かび上がらせている。そこで静かにじっと水槽を見上げている花村さんはとても綺麗だ。綺麗だけど、まるで幽霊のように儚く見えた。今目の前にいる彼女は本当に実体を持っているのだろうかと、再び馬鹿げた不安が過ぎる。


「花村さん……!」


 意識して少し大きめの声で呼びかけると、花村さんはようやく気づいたようにこちらを見た。


「……小山くん?」

「良かった、ここにいたんだ」


 不思議そうな顔をしている花村さんは、どうやら俺とはぐれていたことにさえ気づいていないようだった。俺は内心の焦燥を悟られないように、ムリに笑顔を張りつける。


「後ろを振り返ったら姿が見えないからびっくりしたよ」

「あ……ごめん。つい夢中になっちゃって」


 花村さんはどことなくばつが悪そうに俯いた。光量が少ないせいか、ただでさえ華奢な体が余計に小さく見えた。


「大丈夫だよ、俺が先を急ぎ過ぎただけだから。……何か珍しい魚でも見えた?」

「ううん、そういうわけじゃないの」


 その顔を覗き込むと、花村さんは小さく首を振った。


「ただ、ここから見ると、意外とこの水槽って広いんだなって思って」

「……ああ、本当だね」


 彼女の隣から同じようにして小窓を見上げると、壁際を泳いでいる魚がうんと遠くに見えた。大型のサメが泳いでいるせいか、それとも中にいる魚の個体数が多いせいか。この大水槽は外側から見ると、パンフレットの説明に記載されたサイズ程、大きくは見えない。しかしこうしてトンネルの小窓から見上げてみると、魚の一匹一匹が随分ゆったりしているように見える。さっきまでは退屈で窮屈そうにしか思えなかった水槽が、とても広い世界のように思える。


「花村さんってすごいね」

「え? 何?」

「ああいや、何でもないよ。ただの独り言だから」

「そう?」


 花村さんは色んなことによく気づく。きっとどんな些細なものでも丁寧に観察しているからだろう。花村さんと一緒だと、同じ景色なのにひとりで見ている時とはまるで違うもののように感じられるから不思議だ。でもそれを面と向かって伝える勇気が何となく持てなくて、俺は適当に自分の呟きをはぐらかした。

 どうもこの感動を言葉にするのは照れくさい。そしてさっきのように、また「バカじゃないの?」と冷ややかに返されるかもしれないと思うと素直に口にするのが怖い。


「ごめんね、つき合わせちゃって。そろそろ行こうか?」

「もういいの? まだゆっくり見てて大丈夫だよ」

「うん、ありがとう。でももう十分見たから」


 俺の言葉に再び首を振って、花村さんは暗い通路に一歩踏み出す。俺はとっさにその手を掴んだ。そのまま振り払われないようにぎゅっと強く握りしめ、それから慌てて痛くないように力加減を調節する。

 花村さんの手は驚くほどひやりとしていた。空調が大分効いているからそれで冷えてしまったのかも知れない。だけどやわらかな感触が確かに感じられて、俺はそのことにやっと安堵する。良かった。ちゃんと実体がある。


「なっ、何……?」


 花村さんは驚いて手を引っ込めようとした。その手を逃がさないようにしっかりと抑え込み、一方で俺は途方に暮れる。彼女の手を後先考えず掴んでしまったので、自分でもどうしたらいいのかわからなかった。咄嗟に思考を巡らせ、ぱっと思いついたのは、彼女が口にしていた冗談の数々だ。宇宙人。人魚。それなら今度は。


「花村さん」

「何?」

「幽霊、とか言い出さないよね」

「は?」


 言葉にしてから「失敗した」と思った。冗談のつもりだったのに、ついさっきまでの今にも消えそうな儚さが脳裏に過ぎって、思っていた以上に真剣な調子になってしまった。一体俺は何を言っているんだ。

 俺の突拍子もない質問に、花村さんは目を白黒させている。当然だ。いくらなんでも面と向かって「幽霊か」と聞いてくる人間はいないだろう。話の前後に何の脈絡もない上に、失礼極まりない。

 怒られるかな、と覚悟を決める。しかし次の瞬間、花村さんは破顔した。


「ふふふ。なあに、急に。おかしい」


 くすくすと声を立てて笑う彼女を、俺は呆然と見つめる。花村さんが笑ってくれた。俺の冗談で。失敗したと思ったのに、どうやら成功したようだ。

 笑う彼女は本当にかわいらしい。じわじわと喜びが膨れ上がる。


「幽霊か。うん、そうかもね。今日はちゃんと成仏するために誘ったの。小山くんは未練解消のための立役者ってとこ」


 花村さんは俺の言葉を肯定した。俺としては、そこは否定してほしかったし、花村さんの言葉の意味は相変わらず掴めない。それでも、楽しそうな彼女の姿に些末なことはどうでもよくなる。何より、だ。


「それって、俺が花村さんの役に立ててるって解釈でいいの?」

「うん、もちろん。ありがとう」


 どうやらそういうことらしい。そのひと言で十分に満たされてしまった。


「そっか」


 にこにことしている花村さんに、俺もにっこりと笑い返し、繋いだ手にきゅっと力を込める。何だか勝手に心が通じ合った気分になる。

 今、この場に俺たち以外に誰もいないのが残念だ。手を繋いでいる俺たちを誰かに見てもらいたいくらいには、俺の気分は高揚している。何だったら立川の後を追いかけて見せつけてやりたいくらいだ。我ながらよくわからない高揚の仕方だ。気持ちを言葉にする勇気はないが、こういう勇気はあるらしい。


「ちょ、ちょっと……!? 手、放してよ!」

「嫌だ」


 そのまま手を引っ張った俺に花村さんが抗議の声を上げるが、あえて無視する。取り合うつもりは毛頭ない。


「折角だからこのまま繋いでおこうと思って。また見失ったら嫌だし」

「だっ、大丈夫だよっ。もうはぐれないように気をつけるから」

「だーめ。ほら、もう行こう。ここ寒くない? 花村さん手、すっごい冷たくなってるじゃん」


 繋いだ手を引いて歩き出すと、後ろから渋々といった体で花村さんがついてくる。顔が俯きっぱなしだ。もしかして照れているのだろうか。だとしたらかわいい。思わずからかいたくなってしまう。


「こうして手を繋いで歩いていると、ちゃんとデートって感じがするね」

「……だから、デートじゃないってば」


 小さな声で反論してくる花村さんは、やはり怒っているというよりは照れているようだった。

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