3.
「でっか……」
リュウグウノツカイの模型の前で、思わず声を上げてしまった。
花村さんの気が済むまでメンダコの映像を眺めた後、ゆっくりと順路を回って俺たちは深海生物エリアの奥まで来ていた。
館内のマップを確認した感じでは半分くらい見て回っただろう。リュウグウノツカイはこのエリアのトリを飾っているらしい。確かに見応えはあった。
目の前の標本は、どう見ても俺の身長の倍以上は長さがある。照明が薄暗いせいで若干青っぽい色味に見えるが、おそらく体色は白なのだろう。遠目ではパッと見、龍のように見えるのに、鱗はない。そして近寄るとその顔は明らかに魚なので、どうにもモヤモヤしてしまう。ありがたいんだか、ありがたくないんだか。いや、滅多に拝めない希少な生物なのだからやっぱりありがたいのか……?
「シーサーペントのモデルのひとつなんだって」
俺の隣で標本を見下ろしながら花村さんがぽつりとこぼす。
「……シーサーペント?」
「神話や伝説に登場する大海蛇。中世の世界地図では海の部分によく描かれてたみたい」
「あー……ゲームとかで見たことがあるかも?」
花村さんはさすが、普段からよく本を読んでいるだけあって詳しい。訊けば俺の知らないことをするすると教えてくれる。
言われてみれば目の前の標本はそういった架空の生物に間違われてもおかしくないような見た目をしている。海中で泳いでいる姿を遠目から眺めれば、やはり巨大で神秘的な恐ろしい生き物に見えたのだろう。
「あと、日本では人魚に間違われてたらしいよ」
「人魚?」
続いて飛び出た思わぬ単語に、俺は驚いて目を丸くした。人魚って、あれだろ?
王子様と結ばれなくて最後は海の泡になる、童話の主人公だろ? ヨーロッパの伝承じゃなかったのか。
「いたの? 日本に?」
「日本にも、中国にも、人魚の伝説はあるよ」
「知らなかった……」
何というか、びっくりだ。いや、知らなかったからどうということでもないんだろうけどさ。でも、似たような伝説がそんなにあっちこっち点在してるなんて思わないじゃん、普通。世界って広いな……。いや、狭いのか?
(それにしても、これが人魚の正体ね……)
俺は改めてこの大きな、そして不思議な深海魚を見る。そこにはもちろん、人間らしい特徴なんてどこにもない。人面魚ですらない。昔の人はこれのどこに人間性を見いだしたのだろうか。
「じゃあ俺は今、人魚を見てるってことになるのかな……。何かちょっと夢が壊れた気分」
「アンデルセンの童話のせいで儚いイメージがあるからじゃない? 実際には嵐を呼んだり船を難破させる逸話の方が多いけど」
「それは怖いな。海に行ったら人魚に出くわさないように気をつけなくちゃ」
「そうだよ。小山くん、人が好いんだから十分気をつけないと。油断してるとさらわれちゃうよ」
俺が軽口を言うと花村さんも軽口で返してきた。少し驚いたが、距離が縮まったようで何だか嬉しい。少しは気を許してくれているのだろうか、相変わらずの無表情だけど。
「それを言うなら花村さんもだよ。人魚って男もいるんでしょ?」
「わたしは大丈夫。人魚だから」
「何だそれ」
今度はさっきよりずっと解りやすい冗談だった。俺は小さく笑って花村さんを見る。
「じゃあ、泳ぐのは得意なんだ?」
「そうだね。水泳の時間とか、結構驚かれることが多いよ」
「へぇ。今度一緒に海水浴にでも行く?」
「機会があったらそれもいいかも。でも、その前にわたしは海に帰ってるかもしれないけど」
「は、はは……」
最後の冗談にもう一度笑おうとして、だけど今度は上手く笑えなかった。さっき花村さんが自分のことを宇宙人だと言った時の言葉を思い出してしまったからだ。
――もうすぐ宇宙に帰ることになってるの。
(「帰る」? 帰るって、どこに……?)