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【完結】グッバイ、アンノウン  作者: 観夕湊
第一章 かわいいものには釣られろ
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3.

「チケットお願いします。学生二枚で」

「かしこまりました、学生証をお願いいたします」

「はい」

「ありがとうございます、学生二名様ですね」


 受付の女性に、俺は自分の学生証と、一時的に預かっていた花村さんの学生証を提示した。女性は学生証を確認し、手元の電卓を弾いて金額をこちらに見せる。


「千四百円になります」

「これで」

「千五百円お預かりいたします。……百円のお返しです。こちら、入館チケットとパンフレットになります」

「ありがとうございます」


 トレーに乗せられたお釣りと、二枚のチケットとパンフレットを受け取って軽く頭を下げる。踵を返すと、背後から「いってらっしゃいませ」という、感じの良い見送りの言葉がかけられた。

 水族館周辺は、商店街と同じく人気がなく静かだ。そして水族館のくせに商店街よりも植木が多い。蝉の声が駅周辺よりも煩く聞こえるのは気のせいではないだろう。

 花村さんが待っている入場口まで駆け足で向かう。いくら日陰とはいえ、暑い中いつまでも彼女を待たせるわけにはいかない。そもそも一度待たせてしまってるわけだし。

 急いで戻ると、色とりどりの魚が描かれた古びた看板の下、ガラス扉の前で、花村さんはぼんやりと所在なさげに佇んでいた。その表情がどこか途方に暮れたような、迷子になった子どものようなそれで、思わず俺は一瞬足を止める。さっきまでの無表情はどこにも見当たらない。こうして遠目から見た彼女は、どことなく寂しそうに見えた。

 やはりこの間花村さんが切羽詰まっていたように見えたのは、俺の気のせいなんかではなかったのだ。どんな事情があるのかは知らないが、彼女は何か理由があって、今日この水族館に来たのだろう。

 付き添いが俺であった必要性は定かではないが、どうせ乗りかかった船だ。今日はとことん、気が済むまでつき合ってやろう。「かわいいものには釣られろ」とは親父の格言だ。かわいいと言っても、失恋した俺を脅した相手なんだけど。


「花村さん」


 俺は花村さんに近寄ると、彼女の異変に気づかなかったフリをして声を掛けた。花村さんの肩が一瞬だけびくりと跳ねた。しかしこちらを見上げた顔は、さっきまでの心細そうな様子が嘘のようにいつもの無表情に戻っていた。


「お待たせ。チケット買ってきたよ」

「ありがとう。いくらだった?」

「気にしないでいいよ。学割効いたし」


 財布を出そうとした花村さんをやんわりと止める。ここで花村さんにお金を払わせようものなら親父に怒られてしまう。今朝、部活がないのに珍しく早起きした俺を見た親父は、根掘り葉掘りと質問責めにし、女の子と水族館に行くことを聞き出した挙げ句、嬉々として俺に一万円札を握らせてきた。

 ご丁寧に「絶対にデートで彼女に金を払わせるんじゃない‼」という忠言つきで。


「ごめん親父。今日一緒に行くのは女の子だけど、彼女じゃないんだ」とは、あまりにも嬉しそうにによによしている親父を前にはさすがに言えなかった。人間「息子に彼女ができた」と勘違いしてあんなにはしゃいでいる大人を見ると、気恥ずかしさよりも先に申し訳なさが先に立つんだな。

 とはいえ、高校生で臨時小遣い一万円はかなりの破格だ。親父からの折角の餞別なので、ここは言われた通り俺が出そうと決意を固める。こつこつ貯めていた貯金も念のためおろしてきたし。


「ダメ! ちゃんと払うよ。小山くんを無理矢理つき合わせてるのはわたしの方なんだから」


 俺の言葉に花村さんは少し焦ったようだった。急いで財布から千円札を取り出すと俺の手に押しつけようとするので、俺は慌ててチケットと学生証を持った両手を上げる。我ながら若干間抜けな格好だがやむを得ない。


「ホントに気にしなくていいって。俺も気晴らしになるし」

「そういうわけにはいかないでしょ!」

「いいから、それしまって。じゃないと花村さんの学生証返さないよ? チケットも渡さない」

「!?」


 花村さんは一瞬目を見開いて瞬きした。彼女はどうも驚いた時に瞬きの回数が増えるらしい。しかし俺が一向に学生証とチケットを渡そうとする気配がないので、渋々といった様子でお金をしまう。


(おっ、悔しそうな顔……)


 また彼女の無表情を崩せたことで、俺はちょっと嬉しくなる。不機嫌そうに小さく唇をとがらせているのが、見ていて何だかかわいらしい。


(笑うと、きっともっとかわいいんだろうな)


 残念ながら俺は花村さんの笑ったところを見た記憶がない。よし、今日の目標は彼女を笑わせることにしよう。なんて思いつきに、我ながら苦笑してしまう。

 さっきまであんなに気重だったのに、どうやら俺は思っていた以上に花村さんとのデートを楽しんでいるらしい。失恋したばっかだってのに脳天気だなあ、俺。


「もう二度と小山くんと二人では遊びに行かない」

 受付でもらったチケットとパンフレット、それから学生証をようやく手渡すと、俯いた花村さんが小さな声でぽそりと呟いた。

 怒らせてしまったかと思ったが、顔を覗き込んですぐにそうでないと知る。花村さんの眉間には確かに皺が寄っていたが、眉尻はきゅっと下がっていて、何というか、俺の告白を断った時の加納さんと全く同じ表情をしていた。

 花村さんは真面目だ。きっと自分の用事につき合わせた俺にお金を出させるのが申し訳ないと思っているのだろう。

 こうして明らかに遠慮されているのを見ると、何だか一抹の寂しさを覚える。そこで俺は初めて、彼女の遠慮ない振る舞いやはっきりしすぎるほど容赦ない物言いに好感を抱いていたのだと気づいた。先日の彼女の態度は、下手な慰めの言葉よりよっぽど俺を労ってくれたらしい。


「酷いな。こういう時は素直に「ありがとう」って言ってよ。ついでに笑顔のひとつでも見せてくれるともっと嬉しいな」


 だから俺は、わざとらしく肩を竦めて、軽口を叩くことにした。ついでにそのほっぺたもつんつんと突っつく。


(うわっ、やわらか……)


 自分から触ったくせに、花村さんのほっぺたが思いの外やわらかすぎて思わず硬直しそうになった。再び心臓がどくどくと音を立て始める。

 つーか今我に返ったけど、調子に乗りすぎじゃない俺⁉ 女の子のほっぺた勝手につっつくとか何やってんの!?


「ほら、早く中に入ろう」


 ぎくしゃくと音を立てそうな腕を無理矢理に動かして、俺は何事もなかったように振る舞おうとガラス扉を開けて中に入る。ひんやりとした冷気が火照った頬を撫でて、ますます顔が熱くなった気がした。何だかめちゃくちゃ照れくさい。加納さんと話しててもこんなに照れたことなんてなかったのに。

 どうしよう、花村さんの顔がまともに見られない。だけど、


「ありがとう、小山くん……」


 背後から小さく聞こえた声に、俺の口元は思わず緩んでしまうのだった。

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