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【完結】グッバイ、アンノウン  作者: 観夕湊
第一章 かわいいものには釣られろ
3/23

2.

(何やってるんだろうなぁ、俺……)


 私鉄の、いつもと何ら変わり映えのしない景色をぼんやり眺めながら、俺は「あーあ」とため息をついた。

 平日のせいか、もともと朝晩のラッシュ時にしかほとんど利用者のいない電車内は、薄暗くがらんとしている。お陰で窓から射し込んでくる陽光がやたら眩しい。

 結局あの後、花村さんに押し切られた俺は渋々了承の返事をして待ち合わせの約束をした。今は水族館の最寄り駅に向かっているところだ。

正直言って、あまり気乗りはしない。


(女の子と二人で出かけるって、つまりはデートだよな……?)


 脅されたとはいえ、好きな子にフられた直後に別の女の子とデート。何だか不誠実じゃないだろうか。加納さんが聞いたらどう思うだろう。きっといい気持ちはしないはずだ。もしかしたら軽蔑されるかもしれない。他に好きな人がいるとは言ってたけどさ。でも女子って「それでもいい。あなたの気持ちがこちらを向いてくれるまでいつまでも待ち続ける」みたいな一途で誠実な男が好きなんじゃないか?

 まあこれはただの偏見だし、俺はそんなことひと言も言ってないけども。


(やっぱ断れば良かったな)


 実際のところ、加納さんとのやり取りを盾に取られたところで、いくらでも断りようはあった。部活があるからとか、塾があるからとか、既に友達と出かける約束をしているとか、家の用事があるとか、どうにでも言い逃れできたはずだ。嘘をつくのは忍びないが、その後で実際に友達と遊びに行く約束をしてしまえば嘘にもならない。

しかしそれができなかったのは、花村さんの様子が驚くほど切羽詰まっていたことに気づいてしまったからだった。

 あの時の花村さんは確かに無表情だった。言葉も歯に衣着せぬようなつっけんどんなものだったし、彼女らしくなく(いや、俺は彼女のことをよく知らないんだけど)俺の失恋を持ち出して脅すという卑怯な手段を使ってきた。だけど真っ直ぐに俺を見上げる目の奥には、何というか、こちらに縋るような、それでいて覚悟を決めたような、そんな不思議な光が宿っているような気がして、彼女の言葉を無碍にできない気にさせられたのだ。……俺のただの気のせいかもしれないけど。

 電車のアナウンスが次の到着駅を知らせる。待ち合わせの駅はもうすぐだ。俺はスマホに表示されている時間をちらりと確認した。約束の時間よりも少し早い。重い腰をのろのろと上げ、出入り口付近に立つ。


(外、めちゃくちゃ暑そうだな……)


 電車から降りたくないと思ってしまうのは、単純に冷房の効いた車内が恋しいだけではないだろう。


   ◆ ◇ ◆


(うお、眩し)


 駅から出た瞬間、あまりの陽射しの強さに、思わず目を細めて庇うように右手を翳した。街路樹なんて申し訳程度にしか植えられていないのに、それでもじーじーしゅわしゅわと喧しく鳴く蝉の声が耳につく。おまけに電車から降りて間もないというのに既にTシャツが汗で背中に貼りついていた。

 ついこの前までは鬱陶しいばかりのじめじめとした天気だったのに、もうすっかり夏真っ盛りだ。このままでは干からびて死ぬ。水分を確保しなければ。


「小山くん」


 降って湧いた危機感に、とりあえず自販機へと小銭を投入したところで声をかけられた。高くもないが低くもない、ちょっと落ち着いた女の子の声だ。このタイミングで俺に声を掛ける女の子なんてひとりしか思い浮かばない。


「おは――」


 おはよう、と言い掛けた俺の声は途中で切れた。振り返った先にいたのは確かに間違いなく花村さんだった。だけど予想していなかったその装いに、俺は戸惑いを隠せない。

 腰元できゅっと結ばれたリボンが愛らしい、ふくらはぎまでをふんわりと覆った淡いグレーのワンピース。踵に厚みのある淡いピンクのサンダルに、それと同じ色合いの革飾りがついた、ベージュのちょっと大きめのハンドバッグ。いつもは耳の下でツインテールにしている黒髪は、今日はそのまま背中に流されている。被っている麦わら帽子がまた、彼女のそそとした印象を際立てていた。

 はっきり言うと、ものすごくかわいい。そして大人っぽい。綺麗だ。

 対する俺はいつも着ているTシャツにジーンズという何の変哲もないラフな格好。

 あ、やばい。隣に並ぶのが恥ずかしい。と狼狽えたのも束の間、花村さんの表情が相変わらず無であることに気づいた俺は、すん、と正気に戻った。危ない、うっかり見惚れるところだった。


「おはよう」

「お、おはよう花村さん……」


 花村さんは相変わらず愛想がない。これで笑顔のひとつでも浮かべれば完璧だろうに、今日も唇をきゅっと引き結んだままこちらを見上げている。しかしふと目に入った彼女の白い首筋がしっとりと汗で濡れていることに気づいてしまい、俺はそっと目を離した。

 どうしよう、すごくドキドキするんだが⁉ 初恋の子にフられて数日のうちに違う女の子を見てドキドキするなんて俺めちゃくちゃ不誠実じゃないか⁉ もしかして俺、実は浮気者なんだろうか……?

 自分で自分にショックを受けながら、どうにか会話を試みようと話題を探す。


「もしかして、待った……?」

「ううん、今来たところ」

(嘘だな……)


 なぜなら車内に俺以外の乗客はいなかったからだ。丁度同時に停車した反対車線からも、降りてくる人影はなかった。

 ここの鉄道は、利用者の少ない地元のローカル線の割には本数が多い。とはいえ十分から十五分間隔の運行なので、それを考えれば花村さんは少なくとも十分以上前からここで俺を待っていたことになる。この暑い中どんな苦行だ。

 俺は自販機にもう十円追加で投入すると、小さいサイズのミルクティーのボタンを押した。本当は大きいサイズが良かったのだが、ミルクティーはこのサイズしかないのでしょうがない。


「はい」


 差し出すと、花村さんは驚いたように瞬きした。いつもの無表情が崩れたのを見て、俺はちょっと気分が良くなる。


「この前のお礼。好きなんでしょ?」

「でも……」

「言っとくけど俺、ミルクティー飲めないよ。一度飲んだことあるけど後から気持ち悪くなっちゃってさ。もう買っちゃったから、花村さんがもらってくれないと困るんだけど」


 少し卑怯な言い方だろうか。でも俺がミルクティーを飲めないのは事実だ。それに花村さんも似たような言い分で俺にジュースをくれたのだからおあいこだろう。


「……ありがとう」


 先日の強引さはどこへ行ったのか、花村さんはおずおずと小さなペットボトルを受け取ってくれた。良かった、素直にもらってくれて。でなきゃ百三十円がムダになるところだった。

 密かにほっとしながらもう一度自販機に小銭を投入して、今度こそ自分の分の飲み物を買う。この間花村さんがくれた炭酸飲料だ。

 がこん、と音を立てた自販機からペットボトルを取り出し、蓋を開ける。炭酸の抜ける、プシュ、という音。一口含むと痛いような刺激と爽やかな甘みが口一杯に広がる。


「それじゃあ、少し早いけど行こうか」


 ペットボトルの蓋を閉めながら、目の前に広がる寂れた商店街を指さした。ほとんどシャッター街となっている、活気も何もないアーケード通りだ。祭りの時は多少なりとも盛り上がるらしいが、それ以外は大体人の気配がない。少し不気味なくらいだ。目的の水族館は、この静かな商店街を抜けた先にひっそりとある。

 まだミルクティーのボトルを握りしめたままの花村さんは、俺の言葉に無言でこくりと頷いた。

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