3.
てっきり泊まっていくものだと思っていた立川は、うちで夕飯を食べた後あっさり帰って行った。我が家には本当に一時的避難所として来ただけらしい。
……いや、あいつのことだから、みのりさんに気を遣って帰った線も捨てきれないな。無神経そうに見えて意外と人のことを考えているやつだから。
みのりさんは親父としばらく話をした後、二階の部屋へ戻って行ったようだ。俺が風呂から上がって戻ってくると、キッチンには親父だけだった。皿洗いの音が響いている。
「タカシちゃん、悪いけどお皿拭いてしまってくれる?」
冷蔵庫を開けて麦茶を出そうとする俺に親父が声をかけてきた。
「これ飲んでからでいい?」
「もちろん」
俺は自分のマグカップに注いだ麦茶をひと息に飲み干すと乾いた布巾を手に取る。
「コージちゃんから聞いたわよぉ? 明後日ダブルデートなんですって? カホちゃんが一緒なんですって?」
「っ……!」
皿を拭き始めてしばらくしてから唐突にそう話しかけられ、俺の手が思わず滑る。何とか落とさずに済んだ皿に内心ほっとしつつ、どうにか平静を装って答える。
「まあね」
「あらヤダ、この子ったらすましちゃって。つまんないわぁ。もっと照れるとか、そういう初々しい反応ないのかしら」
「あのね、親父。この前は否定しそびれたけど、俺と花村さんはそんなんじゃないから。ただのクラスメイトだから」
「でも好きなんでしょ?」
「すっ……!」
俺の手から落ちたお椀がカランと音を立てて床にぶつかった。失敗したと思った時には既に遅し。親父は「してやったり」とでも言いたげににやにやしながらそれを拾い上げて洗い直す。
「だってあーんなにかわいい子だものねぇ。素直だし、真面目でしっかりしてるし。そりゃあ好きになっちゃうわよねぇ」
「……どうせ親父からしてみたら大体の女の子はかわいいんだろ」
「あら当たり前じゃないの」
見透かされた悔しさで突っかかってみるが、親父はからからと笑うばかりだ。
「女の子に限らず、大抵の人はみんなどこかしらかわいらしい一面があるものよ。まあ中には例外もいるけどね」
「例外……?」
親父がぽろっとこぼしたひと言に思わず首を傾げる。今まで親父が誰かの文句や悪口を言っているところなど、ほとんど見たことがなかったからだ。そんな親父が「例外」と言うくらいなのだ。きっと余程の人物なのだろう。
好奇心が勝り、思わず訊ねる。
「たとえば?」
「決まってるでしょ! アキラさんよ‼」
即答で返ってきた。予想外だが親父らしい回答に俺はぷっと吹き出してしまう。
「親父、それ俺の母さんなんだけど」
「そうよ! アンタの母親で、アタシの姉よ!」
いつの間にか皿を全て洗い終えていた親父は、流しのゴミをまとめ始めていた。何かのスイッチが入ったらしく、ゴミをぎゅうぎゅうに詰め込みながら立て板に水のように母さんの文句を言い始める。
「霊感商法に捕まるわ、変な男に引っかかるわ、何やらかすかわからないわ、いつもトラブルばかりだったんだから! その度に尻拭いさせられるのアタシなのよ!? それなのに本人は「大丈夫」とか「何とかなる」とか言ってヘラヘラ笑ってるだけなんだから! ああぁー、思い出しただけで腹が立つ!!」
(そんなことがあったのか……)
そういえば親父は俺に対してもだが、母さんに対してもやたら過保護だった気がする。まず、外出する時は必ず三人。俺と母さんの二人だけでは絶対に外出させてくれなかった。無用な揉め事を避けるためだと思っていたが、今の話を聞く限り、母さんの存在自体をトラブルメーカーと認識していたのかもしれない。三人で外出した時も、思い返してみれば俺がはぐれないように手を繋ぐ一方で、母さんが勝手にふらふらとどっか行かないよう目を光らせていた気がする。きっと目を離すと何をしでかすかわからないと思っていたのだろう。
確かに母さんは息子の俺から見てもちょっと、いや、結構型破りな人だった。「こんなに暑かったら死人だってたまったもんじゃない!」とか言い出して、仏間で宿題をしていた俺に突如水鉄砲を噴射し始めたり、「割ったスイカは美味しくない」という理由でスイカ割の棒の先に包丁を括りつけようとして親父に怒られていた(あんなに怒っていた親父は後にも先にも見たことがない)。俺が学校に行っている間に家をお化け屋敷に改造していたこともある(それがあまりにもリアルで怖すぎたので、それ以来俺はお化け屋敷に入れなくなった)。良くも悪くも子どものような人だったことは確かだ。
「アンタが常識のあるまともな子に育ってくれて本当に良かったわー」
親父は袋の口を固く結ぶとゴミ箱にドサリと捨てた。
今でこそこうして何だかんだ母さんの悪口を言っている親父だが、自分の幸せを後回しにして俺たちのことをずっと守ってきてくれたのは他ならぬ親父だ。母さんの葬儀の後に、ひとりでこっそり大号泣していたことも知っている。俺がまともな人間になれたのだとしたら、それは親父が必死で母さんのことを支えてくれていたからであり、俺のことを大切に育ててくれていたからだ。
「親父には頭が上がらないなぁ……」
「えっ、ヤダ、なになにー? どうしたの急に?」
ぽつんとこぼした俺の言葉を、親父は聞き逃さなかった。手を洗いながら器用に肘で俺の脇腹を小突いてくる。おい、皿落とすからやめろ。
「別に。ただ、いつか恩返ししなきゃなって……」
「あら、ホントにヤダわ! 何水くさいこと言い出すのよ」
濡れた手が、ぺちん、と軽く俺の額を叩いて行った。
「子育ては親の義務。で、それに甘えるのがアンタの仕事。いい? 絶対に余計なこと考えるんじゃないわよ。……でもそうね、恩返ししてくれるって言うなら、明日の仕込みと買い出し、手伝ってもらいたいわねぇ」
親父はニヤリと笑って腰に手を当てる。
「日給五千円なんだけど、どう?」
「それ、恩返しじゃなくてただの雇用じゃん」
ていうか臨時小遣いを渡す口実じゃん! 親父はちょっと、俺を甘やかしすぎだと思う。













