3.
「うわ、マジでトマトばっかだ」
親父の「夕飯できたわよー!」という呼び声に二人でダイニングへ降りてみれば、テーブルの上をびっしりとトマト料理が埋め尽くしていた。トマトとツナを和えたそうめんに、和風だしの冷静トマトスープ、青野菜に角切りの豆腐とトマトを散らしたサラダ、トマトと玉子の中華炒め、トマトだれがこんもりとかかった唐揚げ。
……唐揚げ!?
「……親父」
俺は思わずじとりと親父を睨みつけた。
「俺、余計なことするなって言ったはずだけど」
「だから何よ、余計なことって。ほらほら、いつまでもそんなとこに突っ立ってないで二人とも座って座って」
俺の視線もどこ吹く風な親父に促され、しぶしぶと席に着くことにする。花村さんが「ありがとうございます」と言って隣の椅子をひく気配がした。
「久しぶりのお客様だからはりきっちゃったわ。特に今夜の唐揚げは会心のできね! カホちゃん、よければ一個だけ食べてみて!」
大皿に盛られた唐揚げをにこにこと小皿にひとつとりわけて花村さんに差し出す親父に、俺は苦虫を噛み潰したような気分になる。
「だーかーらー! 俺の友達に飯食わせる度にいちいち好き嫌い克服させようとするのやめろって! 花村さん、ムリに食べなくていいから」
「ええと、でも……」
おそらく反射的にだろう。差し出された小皿を受け取ってしまった花村さんは、戸惑った顔で俺と親父と目の前の唐揚げを交互に見やる。我が家で初めて食卓を囲んだ友達はみんなこういう反応をする。言わずもがな親父の今日のような行動のせいだ。
どうも親父は人の好き嫌い、それも特に食わず嫌いを知るとどうにかしてそれを克服させようとする節がある。「食べられる物が増えれば世界はそれだけ広がるのよ! 食わず嫌いは人生の損よ!」というのが親父の言い分らしい。
お陰で俺は特に好き嫌いもなく何でも美味しく食べられる人間に育ったが、自分の子どもの躾ならともかく、他人様に強制することではない。
幸か不幸か、今のところそれによって苦情が来たことはなく、寧ろ「美味しく食べられるようになった!」と喜ばれることしかなかったため本人は良かれと思ってやっているが、毎度毎度このやり取りを見せられる俺としてはウザすぎるお節介としか言いようがない。
「大丈夫よカホちゃん、味の保証はするわ! とりあえず騙されたと思って食べてみて。一口食べてもしマズかったらアタシのこと一発殴っていいわよ!!」
「え!?」
あろうことか親父は、テーブルの向こうからずいと身を乗り出すようにして、困惑を隠せない花村さんと顔をつき合わせた。俺は「いい加減にしろよ」とその顔を手で押しやる。
「そうやって相手に迫るのはやめろ。怖がってるだろ。花村さん、そのお皿ちょうだい。俺が食べるから」
「えぇ……」
花村さんは俺と親父の間に挟まれて悩むように唐揚げを見つめた。真面目だからたとえ苦手なものでも、出されたものを残すということに葛藤があるのかもしれない。やがて意を決したように顔を上げる。
「あの、折角なので、まずはひと口だけ頂いてみます。もし食べられなかったら、小山くん食べてもらっていい?」
「それは全然かまわないけど……大丈夫? 本当にムリしなくていいんだよ?」
「大丈夫。……頂きます」
花村さんはぎゅっと目を瞑ると、トマトだれと一緒にぱくりと唐揚げにかじりついた。恐る恐るといったようにゆっくりと咀嚼する花村さんが心配で、親父と二人して様子を見守る。しかし俺の心配は杞憂だったようで、何回か噛みしめた後、花村さんはぱぁっと顔をほころばせた。
「美味しい……!」
「やった! ね! そうでしょ? 美味しいでしょ!? 今日の自信作よ!!」
「はい、本当に美味しいです。味付けは濃いめなのに、トマトで後味がさっぱりしていて……! 鶏肉をこんなに美味しく食べられる日がくるなんて思ってもみませんでした」
ほれみたことかとでも言いたげに、親父が勝ち誇ったように俺を見る。その顔、ものすごく腹が立つな! しかし本当に幸せそうな顔で、美味しそうに唐揚げの残りを頬張る花村さんの姿を見せられては、俺は何も文句を言えなかった。
◆ ◇ ◆
お喋り好きな親父は案の定よく喋った。油断しているとすぐに俺の小さい頃のエピソードを花村さんに聞かせようとするので、話を逸らすのが大変だった。花村さんも花村さんでどうしてあんなに聞きたがったのか。勘弁してくれ。恥ずかしいことこの上ない。しかし花村さんは親父とすぐに打ち解けたようで、俺以外のことでも大分話が盛り上がっていた。
「今日は珍しくデザートがあるのよ」
食事もそろそろ終わろうかというタイミングで、親父がにんまりと言った。確かに我が家でデザートは滅多に出ない。出るとしたら店に出す試作品くらいのものだ。
何かと期待してみたら当然のようにトマトのゼリーが出てきた。まさかというか、やはりというか、そんなところまでって感じだ。いや、確かに美味かった。美味かったけど、正直なところ俺としてはちょっとうんざりという感じだ。花村さんは嬉しそうににこにこしながら食べていたけど。どうやらトマトが好きというのは本当だったみたいだ。
何だかんだで、夕飯は賑やかなうちに終わった。
「今日はありがとうございました。お邪魔しました」
「いいのよ、またいつでも遊びに来てちょうだい」
玄関先で互いに挨拶し合う花村さんと親父のやりとりを聞きながら、俺は何となくジーンズのポケットを探る。使い慣れたスマホの感触が手に当たった瞬間、ふとあるものを忘れていることに気づいた。スマホさえあればいいかと思っていたが、全くそんなことはなかった。
「ごめん、ちょっとカバン取ってくる」
慌てて二階の自室へ駆け込み、今日一日持ち歩いていたカバンをひっつかむ。念のためカバンの中身を覗き、目的の物がきちんとあるか確認も忘れない。
(よし、大丈夫だ)
もう一度玄関まで戻ると、花村さんと親父が待っていた。
「お待たせ」
「支度は大丈夫?」
「うん大丈夫。それじゃ親父、花村さん送ってくるから」
「いってらっしゃい。二人とも気を付けるのよ。またね。カホちゃん」
「はい、ありがとうございました」
手を振る親父に見送られて外へ出る。空はまだ完全には暗くなっていないが、もう陽はとっくに沈んでいた。
「ごめんね、わざわざ送ってもらっちゃって」
「気にしなくていいよ」
家へ送る道中、花村さんが申し訳なさそうにそう謝るので、俺は慌てて首を振った。この辺はそこまで治安は悪くないが、男として夜道を女の子ひとりで歩かせるわけにはいかない。
「それよりこっちこそごめんね、夕飯。鶏肉苦手だって言ってたのに。嫌がらせじゃなくてさ、うちの親父、俺が友達連れてくるといつもああなんだよ。本人は良かれと思ってやってるのが質が悪いというか……あれやって一度も「まずい」って言われたことがないから余計に調子にのってるっていうか……」
「ううん、全然気にしてない。ご飯、本当に美味しかった。帰ったら小山くんのお父さんにもよろしく言っておいて。唐揚げのレシピまで書いてもらっちゃったし」
「花村さんの口に合ったようで何よりだよ」
スーパーの前を通り過ぎ、駅の北口に着く。花村さんの家はここから東へ真っ直ぐらしい。
「うちの親父、変わってるからびっくりしたでしょ」
「確かにちょっと驚いたけど……でも、凄く美人で、ああいう格好も似合ってたし、言葉遣いも乱暴じゃなくてわたしは素敵だと思う。やわらかくて攻撃的じゃないところ、小山くんとそっくり」
「……そんな風に言われたのは初めてだな」
「明るくて楽しくて家族思いの、いいお父さんだね。小山くんのこと、大事にしてるんだなって思った」
何だろう、めちゃくちゃそわそわする。普段あまりそういう風に家族を褒められたことがないせいだろうか。
それにしても花村さん、何か誤解してないか? 俺としては俺も親父もどちらかと言えば結構攻撃的な方だと思ってるんだけど。特に親父なんかは、キレるとそりゃあもう怖い。
でも、親父が俺を大事にしてくれているのは本当だ。そもそも親父があの格好や言葉遣いになったのも、俺が親父をビビって泣くから、という理由だったらしいし。いや、赤ん坊が大人の人相を強面かどうか判断できるわけないと思うんだが、少なくとも親父と母さんは俺の反応を見てそう解釈したそうだ。だからってあれはちょっとやりすぎだと思うけど……。でも、そのやりすぎるくらいの愛情に、俺は確かに助けられてきた。俺は親父のことが好きだし、尊敬している。親父の息子で良かったと思う。本人の前では絶対に言えないが、親父は俺の自慢なのだ。だから花村さんの言葉は純粋に嬉しい。胸がほわほわする。
「ありがとう、ここで大丈夫」
花村さんは十階建てのマンションの前で立ち止まった。駅から徒歩で約五分という好立地。そしてやはりというか何というか、俺の家と思っていた以上に近い。
「今日は本当にありがとう。楽しかった」
「俺も楽しかったよ。また今度どこか遊びに行こう」
「そうだね。わたしもまた小山くんと一緒にどこか行きたい」
「都合がついたら連絡するよ」
「うん、わかった。じゃあ、またね」
「あっ、待って! ……赤と青、どっちが好き?」
マンションの中に入っていこうとする花村さんを引き止め、俺はカバンの中からストラップをふたつ取り出して花村さんに見せた。それぞれ色違いで小さいメンダコのぬいぐるみがついている。水族館の土産物売場にあったクレーンゲームを試しに一回やってみたら、偶然ふたつ取れてしまったのだ。もともと取れたら花村さんにあげるつもりだったのだが、どうせなら好きな色の方がいいだろう。
「えっ? いいの?」
「うん。俺とお揃いになるけど、それが嫌じゃなかったら」
「……ありがとう」
花村さんは赤いメンダコを手に取った。手の中のぬいぐるみを眺め、小さく「ふふふっ」と笑う。
「かわいい。大事にするね」
「う、うん」
その笑顔の破壊力たるや。無表情ばかり見慣れていたせいか、花村さんが俺に笑いかけてくれる度に「今日一番の笑顔」と思っていたが、間違いない、今のが絶対に今日一番の笑顔だった。
何この子、天使か。めちゃくちゃかわいい。めっちゃくちゃかわいい‼ 抱きしめたくなるのを理性を総動員してぐっと耐える。何だこれ。ドキドキするだけじゃなく、胸の奥がきゅうっとなって苦しい。
「じゃあね」とこちらに手を振って今度こそマンションの中へ入っていく花村さんを見ながら、まだ離れたくないなぁなんて思ってしまう。花村さんの姿が完全に見えなくなってから、俺は思わずその場でうずくまった。とうとう気づいてしまったのだ。
俺、多分花村さんのこと好きだわ。













