1.
水族館をひと通り巡り終え、時計を見ればもう一時を回っていた。再び駅前のほぼシャッター街な商店街まで戻ったところで開いている喫茶店を見つけ、ひとまずそこで昼食をとろうということになった。
ドアを押し開けると同時に、頭上に吊り下げられているベルが、カランカランと硬質な音を立てる。辺りにふわりと漂うコーヒーとバターの香り。茶色を貴重としたクラシックな模様の壁紙に囲まれ、上品な木製のテーブルセットが並んでいる。おそらく古い店なのだろうが、予想していたタバコ臭さがちっともない。それどころか、カウンター席のないこぢんまりとした店内は綺麗で、こういうのを昭和レトロと呼ぶのだろうか。とにかく恐ろしく雰囲気がいい。
まさかこんな寂れた通りにこんなお洒落な店があると思っていなかった俺は、一瞬気後れしてしまった。いい意味で非常に大人な雰囲気の店なのだが、こんな高校生が入ってしまっても大丈夫なのだろうか。場違いじゃないか?
「いらっしゃいませ。空いてるのでお好きな席へどうぞ」
奥から出てきた初老の女性に声を掛けられ、ようやく俺は恐る恐る店内に足を踏み入れた。女性の言う通り、店内に他の客の姿はなく、少し拍子抜けした気分になる。多少時間がズレているとはいえ、昼時だからもっと混んでいるだろうと思っていたのだ。
「ありがとうございます」
人の良さそうな笑顔に押され、俺は通りから見えなさそうな奥のテーブルに向かうと、花村さんを壁際のソファ席に座らせた。荷物を置いて腰を下ろすと、先ほどの女性がお冷やのグラスやおしぼりと一緒にメニューを持ってくる。
「はいどうぞ。この時間はまだランチもやってますからね」
それは嬉しい情報だ。こういう喫茶店なので、軽食くらいしか食事メニューはないだろうと思っていた。ありがたくメニューを受け取ってページをめくれば、ハンバーグやパスタなどの本格的なランチメニューが写真つきで並んでいる。値段も良心的というか、こういう店にしては少し安いくらいだった。栄えている町中だと絶対にもっとお高いはずだ。
「……決まった?」
見ていたメニューをテーブルに置いて、ほんのりとレモンの風味のするお冷やをちびちびと飲んでいると、花村さんが顔を上げた。
「うん。このシーフードフライのセットにしようかなって」
俺はフライの皿が映った写真をとんとんと指さした。レタスにポテトサラダ、タルタルソースが添えられたエビや魚のフライは、こんがりとした狐色で写真だけで食欲をそそる。さっきまで魚を見ていたせいか、いつも以上に美味しそうに見える。因みにタルタルソースは自家製らしい。もうこれ、期待しかなくない?
「花村さんは? もう決まった?」
「うん、わたしはシーフードドリアにしようかなって」
どうやら花村さんもシーフードの気分らしい。何だかちょっと嬉しくなる。
「ランチセットでいい?」
「うーん……」
セットには日替わりケーキとドリンクがついてくるらしい。今日のケーキはオレンジソースのレアチーズケーキだそうだ。ケーキメニューの方に写真が載っていたが、こちらもすごく美味しそうだった。
金額的にもセットの方が断然お得だと思うが、花村さんは眉根を寄せて考え込み始めた。あまりにも真剣な表情に俺は「悪いな」と思いながらもちょっと笑ってしまう。
「そんなに悩む?」
「だって……ケーキは食べたいけど、量が多そうだなって」
「じゃあセットでいいじゃん。多かったら俺が食べるよ」
「えっ?」
「すみませーん!」
目を丸くする花村さんを余所に、俺は手を上げて先ほどの女性を呼ぶ。女性は伝票を持ってすぐにこちらへ来てくれた。
「シーフードドリアとシーフードフライをひとつずつ。どっちもランチセットでお願いします」
「はい、シーフードドリアとシーフードフライね。ライスは無料で大盛りに変更できますけどどうしますか?」
「じゃあフライの方は大盛りでお願いします」
「はい、シーフードフライはライス大盛りね。ドリアはどうします? うちのドリアは、お嬢さんにはちょっと量が多めだと思うんだけど……」
女性の言葉に、花村さんははっとしたように瞬きした。
「あっ……じゃあ、あの……少な目でお願いします」
「はい、ドリアはライス少なめね。お飲物はどうしますか?」
「ジンジャーエルをひとつと……花村さんはどうする?」
「アイスティーをお願いします」
「はい、ジンジャーエールとアイスティーをひとつずつね。お飲物は食後? それとも一緒に持ってきましょうか?」
「一緒でお願いします」
「わたしも一緒で」
「はい、かしこまりました。しばらくお待ちくださいね」
女性は足早に厨房の方へ戻っていく。オーダーを伝える声が聞こえたのでちらりと振り返ってみると、パリッとした服装のロマンスグレーの男性の姿が見えた。あの人がマスターなのだろう。夫婦でこの店を経営しているらしい。店の雰囲気に似合う、感じのいい二人だ。
俺はおしぼりを手に取った。広げると、ミントのような仄かに甘い爽やかな香りが鼻先をかすめた。感じのいい店は、おしぼりまで感じがいい。
「いいお店が見つかって良かったね」
向かいの席で同じように手を拭いている花村さんに話しかけると、彼女はこっくりと頷いた。真一文字に結ばれた唇の両端がほんの少しだけ上がっているように見えるのは、きっと気のせいではない。と、思う。
「そういえばあのぬいぐるみ、買わなかったけど本当に良かったの? 欲しかったんでしょ?」
「うん。荷物になっちゃうし」
水族館の売店コーナーは思いの外充実していた。文房具や雑貨品、大手メーカーの水族館限定菓子。スペースは大きな施設と比べるとやはりかなり狭かったが、品揃えはなかなかのものだった。キーホルダーやマグカップなんかは「一体誰が使うんだ」とツッコみたくなるようなユニークなデザインのものもあったし、壁際にはクレーンゲームが設置されていたりもして、思わず館内の展示並にじっくり見てしまっていた。
結局、何だかんだ言いながら土産物をしっかり買った俺と対照的に、花村さんは何も買わなかった。しかし売店で気になる商品を見つけたのは花村さんも一緒だったようで、彼女がぬいぐるみコーナーでずっとメンダコのぬいぐるみを見つめていたことに俺は気づいていた。館内でもモニターの前でしばらく佇んでいたので、余程あのメンダコの映像を気に入ったのだろう。
花村さんはメンダコのぬいぐるみを手に取ってみたり、値札を確認して考え込んだりとかなり真剣に悩んだ後、名残惜しそうにそっと元の位置に戻していた。
会計に寄る前にさりげなく値段を確認してみたところ、そこそこの値段ではあったものの、決して買えないほどではなかった。一瞬迷ったが、かと言って高校生が人へのプレゼントとして買うにはやはり勇気がいる価格だ。花村さんからしても理由もないのにいきなりそんなものをプレゼントされては困るだろうな、と判断し俺も買うのを止めた。
「小山くんは何を買ったの? 色々見てたみたいだけど」
花村さんが、俺の隣の椅子に置かれた水族館の紙袋をちらりと見やる。
「柿の種とクッキー。うちの親父、甘いのも辛いのも好きなんだよ」
「そういえばあったね。パッケージが結構可愛かった気がする」
「うん、そこも気に入るかなって思って」
「小山くんのお父さん、かわいいものが好きなの?」
「あれは好きってレベルじゃないなあ。何せ「人生かわいく」がモットーだって言ってたし。俺、時々親父のこと、本当に「親父」って呼んでいいのかわからなくなるもん」
「何それ」
俺の言葉に花村さんはくすくすと笑う。今朝までと比べると大分打ち解けてきたせいか、無表情意外の表情を見せてくれるようになったのは嬉しい。しかし笑い事ではなく、俺としてはかなり真剣な悩みだったりする。
花村さんの反応は親父の実体を知らないからこそなのだろうが、大抵の人は親父のことを「父です」と言って紹介するとかなりびっくりするし、ドン引きしてそのまま縁が切れる人もいる。実際俺はそれで何人か友達を失くしてきた。小さかった頃はあまりの理不尽さに怒りもしたが、今はそれでいいと思っている。
そりゃあうちの親父は世間一般の父親像からは随分かけ離れているだろうけど、面倒見はいいし、言動もまともだし、その辺の同年代の男性と比べればよっぽど冷静で勇気もあるし、何より根っからの善人だ。それをろくに会話もしないで外見だけで判断して嫌がるのは、どう考えても相手の方に問題がある。そんな人間はこちらからお断りしたい。どうせそういう奴とムリに人間関係を維持しようとしたところで、こちらが後々嫌な思いをするだけなのだ。
(……花村さんは、親父と会ったらどんな反応するかな)
話題が親父のことになったせいだろうか。ふいにそんなことが気になった。これも加納さんと話していた時には一切考えなかったことだ。
花村さんはいい子だと思う。俺といる時は無表情なことが多いし、素直じゃないことを言ったりもする。でも、俺なんかよりよっぽど博識だし、頭もいいし、教師から頼まれた仕事も文句を言わず真面目にこなすし、時々慣れない冗談を言ったりもする。それに物事の好いところを見ようとする。きっと花村さんだったら、親父と会っても、驚きはするけど意味もなく嫌悪したりしないと思う。そういう人だ。
だけどそう冷静に考えられる一方で、ざらざらとした妙な不安感がある。もし花村さんが俺の親父と会って、今まで縁の切れた他の友人たちみたいに俺から離れていったとしたら……勝手な話だけど、俺はかなり失望すると思う。めちゃくちゃ落ち込むだろうし、裏切られた気分になるかもしれない。
(それは……嫌、だな……)
そもそも花村さんが俺の親父と会うなんてことあるはずもないのに、考えていても仕方のないことなんだけど。
「はい、お待たせいたしました。ランチセットのシーフードフライのお客様」
らしくもないことを考えて沈みそうになった気分を切り替えてくれたのは、できあがった料理を運んできた先程の女性だった。
「あ、はい! フライはこっちです」
「はい。前を失礼しますね」
「ありがとうございます」
「シーフードドリアもすぐに持ってきますからね」
フライセットが乗ったトレーを俺の目の前に置き、女性はすぐに厨房へ戻った。そして今度はドリアセットのトレーを持ってこちらへやってくる。
「お待たせしました。熱いので気をつけてくださいね」
お冷やのグラスを端に避けた花村さんの前に、今度は湯気の立つドリアが置かれる。チーズの香ばしい匂いが俺の方にも漂ってきて、とても美味しそうだ。ついつい「ドリアでも良かったなぁ」などと思ってしまう。
「ありがとうございます」
「どうぞごゆっくり……あら」
お礼とともに小さく頭を下げた花村さんににっこり微笑んだ女性は、立ち去ろうとする間際、俺の隣に鎮座している紙袋に目を留めた。
「まあまあ。あそこの水族館に行ってきたの?」
「はい。学校が夏休みに入ったので」
「もしかしてデートかしら? いいわねぇ」
頷いた俺に、女性はキラキラと目を輝かせる。その言葉に何と答えていいかわからなくて曖昧に微笑んだ。
俺はデートだと思っている。いや、思いたい。しかし花村さんにとっては、これはデートではないらしい。立川や花村さんにはきっぱりとデートだと断言できたのに、今それができないのは、第三者の目の前で本気で拒絶されたら怖いからだ。友達の前とか二人きりなら冗談や軽口ということで流せるけど、この場ではそうはいかない。俺は結構な臆病者だ。
「私も若い頃は主人とあそこでデートしたのよ。そういえば最近、全然行ってないわねぇ。今どうなってるのかしら?」
そんな葛藤があることを知らない女性は、懐かしそうに目を細めた。
「あの頃はこの商店街も賑わっていたし、他にこの辺で遊びに行けるところなんてなかったでしょ。今の若い人は買い物は市街へ出かけちゃうし、遊園地だってできたからみんなそちらへ行っちゃうけど、あそこの水族館も、当時は人気のデートスポットだったのよ。でもほら、何駅か向こうに新しい水族館ができちゃったから、この辺もますます人が遠のいちゃってねぇ。あそこも随分と静かだったでしょう」
「そうですね。でも、お陰でゆっくり見て回れました」
「あら、それは良かったわ。確かに混んでいるとなかなかゆっくりと見られないものね。それにしても若いっていいわねぇ。うらやましいわ。私も昔みたいに主人とデートに行ってこようかしら」
どこかこちらをからかうような口調で、女性はふふふと小さく笑った。嫌な感じは全くなく、非常にかわいらしく見える。何より花村さんとそういう風にからかわれるのは満更でもない気分だ。花村さんはどうかわからないけど。
そこで俺は、ふと、先ほどから花村さんが静かなことに気がついた。思えば何だかおかしなことだ。水族館での立川に対するやり取りを考えても、花村さんなら最初に「デート?」と訊かれた時点ですかさず「違います」と否定していそうなものなのに。
どうしたのだろう、と正面の席を見やり、俺の心臓は思いがけず跳ねた。
花村さんは真っ赤な顔で俯いていた。両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、困ったように眉根を寄せ唇を噛みしめているのが、俺の角度からでも僅かに見えた。もしかして照れているのだろうか。あの無愛想な無表情か、不機嫌そうに顰められた顔しか想像していなかった俺は、予想外の反応に思わず固まる。どうしよう。かわいい。そして真っ赤になっている花村さんに触発され、こちらも今更になって恥ずかしくなってくる。じわじわと頬が熱を帯びていくのが自分でもわかり、いたたまれない気分だ。
「あら、嫌だわ私ったら。ついつい余計なおしゃべりをしちゃって、これじゃあお料理が冷めちゃうわね。それでは、どうぞごゆっくり」
お互い顔を赤くしてしまった俺たちを置いて、女性はにこにこと笑顔のまま厨房の方へと戻っていった。こうなると二人きりの沈黙が気まずい。
「ええと……頂きます」
「……頂きます」
何とか場の空気を変えようととりあえず両手を合わせて食前の挨拶をした俺に、花村さんもようやく我に返ったようだった。同じように手を合わせて小さく呟いた後、スプーンを手に取ってドリアを掬う。チーズとソースがたっぷりと絡んだライスにふうふうと息を吹きかけている花村さんはやっぱりかわいらしい。
花村さんがゆっくりとした動作でスプーンを口に含むのを眺めながら、俺はエビフライにタルタルソースを乗せて頭からかじりついた。
さっくりとした衣とともに肉厚の身がぶつんと口の中で噛み切れる。ぷりぷりと食感の良いエビをそのまましゃくしゃくと咀嚼すると、ソースに使われているピクルスの酸味と玉子のまろやかさ、粗挽きの胡椒のぴりりとした刺激が舌の上に広がる。めちゃくちゃ美味い。フライの揚げ具合はもちろん、自家製というだけあってタルタルソースの味付けも絶妙だ。思わず白米を口の中に掻き込みたくなるのを、ぐっと堪える。食べ方が汚いと思われたくない。代わりに時間をかけて何度も咀嚼し、エビのうま味とそれに絡むタルタルソースの味わいを堪能する。
ちらりと向かい側を見ると、花村さんは眉間にきゅっと皺を寄せて口元を手で隠していた。その目が若干潤んでいる。
「熱い?」
訊ねると何度もこくこくと頷いて返される。その姿があまりにも必死で、思わず笑いが漏れてしまった。
「笑うなんてひどい」
どうにかドリアを飲み込んだらしい花村さんは開口一番文句を言った。
「ごめんごめん。一生懸命食べてるのがかわいくてつい」
「ちょっと、からかわないでよ」
「ごめんて」
謝りながらも笑いが抑えられない。くつくつと喉を鳴らし続ける俺を、花村さんは責めるように睨む。はっきり言って全然怖くない。というか、かえってますますかわいらしく見える。だけどそれを指摘すると更に怒られそうなので、それは思うに留めて話題を変える。
「ドリア、美味しい?」
「……美味しい。チーズの塩気が丁度いいの。ベシャメルソースの優しい味にすごく合ってる」
「やっぱりね。こっちも美味しい」
言いながら箸の先でポテトサラダを掬い、口の中へ運ぶ。ジャガイモのほくほくとした食感と人参の甘さ、玉ねぎのぴりりとした辛みが程良く、こちらも絶品だった。
しばらく二人でそれぞれが頼んだメニューの感想を言い合いながら舌鼓を打つ。思えばこうしてゆっくり料理を味わって食べるのは初めてのような気がする。いつも飯は「美味いか」「まずいか」しか判断せず、詰め込むようにして食べていた。こうしてじっくりと咀嚼すると、素材の食感や味がよくわかる。
そういえば以前、親父に「折角手の込んだおかずを作ってもいつも一瞬でなくなる。全然味わってくれない」と盛大に嘆かれたことがあったな。確かにもったいなかった。今度からもっとちゃんと味わって食べよう。
そんなことを考えながら、ふわふわとやわらかい白身魚のフライの、最後のひと口を噛みしめていると、話が途切れたタイミングでふいに花村さんが謝罪の言葉を口にする。
「あの……ごめんね」
一体何に対する「ごめん」なのかわからない。俺はきょとんとして花村さんを見、慌ててフライを飲み込んだ。
「何が?」
「……さっき。お店の人に誤解されちゃったみたいだから」
ぽそぽそとそう言った花村さんに、しばらく考え込んでから、俺はようやく心当たりを見つける。きっと先ほどの女性に「若いっていい。デートなんてうらやましい」とからかわれたことを言ってるのだろう。
「別に全然気にしてないよ。俺はもともとデートのつもりだったし、年頃の男女が一緒に出かけてたらつき合ってると思われるのは普通じゃん?」
「でも、小山くんは加納さんのことが好きでしょう。わたしとそういう風に間違われるのは、やっぱり嫌じゃない?」
「……うーん」
何とも答え辛い指摘だ。確かに俺は今朝まで花村さんとのデートに気乗りしていなかったし、このことが加納さんの耳に入ったらどう思われるだろうかと気にしていた。
でも、今はこうして花村さんと遊びに来られて良かったと思っている。つまらないと思っていた水族館は何だかんだで楽しめたし、無愛想だと思っていた花村さんは実はすごくかわいい。今朝会った時も、いつもと違う雰囲気の私服姿を見てかわいいと思った。立川も、今日の花村さんのことを「かわいい」と言っていたので、これは俺の主観じゃなく客観的な事実だと思う、思い出すとちょっとムカつくけど。とにかく花村さんは容姿もかわいい。
だけどそれだけじゃなく、仕草やちょっとした言動なんかも、一緒にいるにつれて段々「かわいい」と思うことが増えてきた。今の俺だったらたとえこの間のように無表情でペットボトルを押しつけられても「かわいい」と思うかもしれない。
我ながら朝までの自分とえらい違いようだ。だけどデートをして半日、花村さんの無表情、無愛想はおそらく彼女なりの精一杯の照れ隠しなのだろうと、俺も薄々だが気づいている。花村さんがとてもいい子だということも。
花村さんとだったら、恋人に間違われることも今の俺は嫌じゃない。それを面と向かって伝える勇気はないけれど。
「まあ、でもそれは終わった話だよ。そもそも俺はフられてるわけだし。加納さんも他に好きな人がいるって言ってたしさ」
余計なことを言っても仕方ないので、俺は事実だけを端的に告げた。花村さんは眉間に皺を寄せる。
「そんなの、加納さんの片思いかもしれないでしょう。加納さんが失恋したら、小山くんにもチャンスはあるかもしれないじゃない」
「俺は、加納さんの恋が上手くいけばいいと思ってるよ」
「は……?」
俺の言葉に花村さんは唖然としたような声を上げた。
「ちょっと。本気でそれ言ってるの?」
「え? そうだけど……。だって好きな人には幸せになってほしいじゃん。加納さんが加納さんの好きな人と上手くいってくれれば、それが加納さんにとっての幸せじゃない? 俺の出る幕はどこにもないよ」
「信じられない……!!」
花村さんは吐き捨てるようにそう言って、アイスティーのストローを口に含む。なみなみと満たされていたグラスの中身が、一気に半分くらいまで減った。
……何だか、ものすごく不機嫌そうに見える。もしかして、いやもしかしなくても、俺は今、花村さんを怒らせたのだろうか。何か余計な事でも言ったか?
「……わたしだったら」
ほっそりとした白い指がデザート用のフォークを握る。花村さんがいつになく強いまなざしでこちらを睨んだ。その瞳の奥に、仄かに見え隠れする暗い色に、ぞくりとしたものが背筋を走った。
「わたしだったら、絶対にそんな風に割り切れない。好きな人が自分以外の人のことを見ていたら嫉妬するし、失恋したら悲しくて少なくともひと晩は泣きはらす。その人が失恋したらラッキーって思うし、自分にもまだつけ込む隙があるんじゃないかって頑張って気を惹こうとする。だって恋ってそういうものでしょ? 簡単に諦められないからみんな苦しい思いをするんじゃない。あっさり納得して身を引けるなんてどう考えてもおかしい。そんなのが恋だったら百人一首は存在しないし、世の中の文学作品はもっと貧相になってる」
そう早口でまくし立てられ、俺は返す言葉がなかった。言いたいことをひと息に言い切ったはずの花村さんは酷く悔しそうに、それでいて少しだけ泣き出しそうにも見えた。
(もしかして、花村さんも失恋したのか……?)
それでも諦められなくて、だから今も苦しい思いをしているのだろうか。そう考えが至った瞬間、ずん、と鳩尾の辺りが急に重たくなった気がした。先ほどまでの楽しかった気分がみるみる萎んでいく。それは多分、花村さんに俺の恋心が否定されたからではない。と思う。じゃあ何でなのかと問われると、自分でも答えに困るのだが。
花村さんが辛いと感じていることが、俺にとっても辛いのだろうか。それとも彼女の語る辛さに全くといっていいほど共感できないことが辛いのだろうか。ただ、花村さんが最近失恋したのかもしれないということが、どうしようもなく気になった。
戸惑うばかりの俺に、花村さんはチーズケーキを切り分けながら訊ねる。
「小山くんって、本当に加納さんのことが好きなの?」
フォークがタルト生地を砕く、ザクリ、という音が、やけに大きく聞こえた気がした。













