第2話 思い出した、前世。
私と、ディオン公子との(一方的な)婚約破棄は、またたく間に世間に広まっていった。
一連の騒動を聞いた、祖国の兄王からは、即刻帰国してこいっ!!と怒りの手紙が届いた。
貴賤結婚をするため捨てられた。
庶民の娘に劣る王女。
そんなウワサもたっているらしい。
兄として心配してくれているのもあるのだろうけど、国のメンツとして、許せない部分もあるのだろう。妹王女をここまでコケにするのなら、フィリツィエとの友好もここまでだ。兄の手紙にはそう書いてあった。
しかし。
今さら私が国に帰ってどうなるのだろう。下手をすれば恥さらしとばかりに、修道院に送られる。それに、せっかく整いかけたフィリツィエとの友好が水泡に帰してしまう。
私のウワサより、そちらのほうが一大事よ。国のためにも、この結婚をなかったことにはできない。
幸いにして、婚約者が交代したけれど、結婚話自体はなくなっていない。
だから、国のためにも、私はこのままフィリツィエに嫁ぐ。
そう、兄王にはお伝えした。
けど、本心は…。
(こんな国、出て行ってやりたい…)
国だけじゃない。消えてなくなりたいほどのショックを受けてる。
私、今まで何のために頑張ってきたんだろうって気分。
ディオン公子の妻となり、彼を支えるため、立派な公妃になるために努力してきた。
言葉も覚え、経済や政治、歴史についても学んだ。
女性として、誰にも恥じないだけの教養もマナーも身につけた。
いつか妻となる日を夢見て、己を磨き、その時を待っていた。
帰ってこない公子に宛てて、せっせと手紙も書いていた。
愛してます――。
お帰りをお待ちしてます――。
ああ、もう。
思い出すだけで腹が立ってくる。
公子からの手紙の冒頭。
――愛しいエセル。
あの言葉が、どれほどむかつくか。
――会える日を楽しみにしているよ。
その言葉を、何度胸に刻んだか。
(私、バカみたいじゃない…)
社交辞令でしかないその文面に、胸ときめかせていたなんて。
私が、手紙一つにウットリしている間に、あの公子は、リリアーナ…⁉ その女を抱いてたんだよ、きっと。
「ほら、あの婚約者さまから、お手紙がきてますわ」
「ああ、そのへんに置いといてくれ」
「お返事、差し上げなくてもよろしいの⁉」
「かまわないさ。私が大切に思うのは、君との時間だ、リリアーナ」
「まあ、いけない人ね。フフフ…」
的なことをさ。きっとやってたんだよ。
女を愛する片手間に書いた手紙に、浮かれきってた私。
バカだ。バカすぎる。
おめでたくって、涙すらわいてこない。
そして二年も待たされた挙句、いらないからポイッ…ってかんじで、弟に譲り渡された。
そのリリアーナとの熱愛。
身分も地位も捨てて、婚約者すらも投げうって。ひたすらに貫く純愛。
はたから見れば、何かのラブロマンス小説のようにステキに見えるんでしょうけど。それに巻き込まれた登場人物として、これほど屈辱的で惨めなものはないわ。
私、物語なら完璧に悪役の立場じゃない。このままいけば、そのリリアーナとディオン公子の間を邪魔する存在。弟公子の妻になっても、ズルズルとディオンを愛し、ひたすら嫉妬し妨害する悪女。物語の最後で、きっと断罪されるのね、私。
………バカバカしい。
誰がそんなことするのよ。
……って、アレ!?
なんだろう。
一瞬、頭のなかで、何かが重なる。
――いけない人ね。彼女の気持ちに気づいてるんでしょ⁉
――別に、俺はやってくれって頼んでないさ。勝手に彼女が頑張ってるだけで。
――好かれてるって、夢見させたままで⁉ そういうのを悪い人って言うのよ。
――勘違いするほうが悪いんだよ。
何かしら、これ。
今いる場所とは全然違う。硬質な印象の空間。
私、扉のむこうで繰り広げられてる会話を聞いてる…。
――これからも、利用するつもり!?
――おそらくはね。仕事、任せられるの、アイツしかいないし。アイツなら、いつも通りに完璧にこなしてくれるからな。
――まあ。
――今日もどうせ、データをまとめるのを頑張ってくれてるんだろうさ。俺が喜ぶだろって、必死になってさ。
――あらあら。じゃあ、少しはいたわってあげなきゃダメじゃない。
――ああ、これが終わったら、ちょっと顔を出してやるよっ。
――あっ、ああんっ。ホントにっ、イケナイ人だわっ、んっ‼
聞いちゃいけない。聞きたくなかった。
男と女。小さな密室で、いけないことをしながらの会話。
彼らの会話に出てくる「彼女」。それは、私のことで…。
私、憧れの人に利用されてた―――。
真実を知った私は、その場から走り出す。
視界がぼやける。どこをどう走ったかわからない。カンカンと甲高い音をヒールが鳴らす。もっと早く逃げるように走りたいのに、タイトスカートがそれを許さない。
ビルを抜け出し、そのまま街のなかへ。
走って走って。
そして―――。
(あ………)
視界いっぱいに広がったヘッドライトの灯りに、額を押さえる。
(これ、私の前世だ…)
メチャクチャに走ったせいで、ヒールのかかとが折れた。ズタボロになって、よろけ倒れた私に近づいてきた一台の車。
強烈な痛みと、甲高いブレーキ音。
覚えてるのはそこまで。
身体がバラバラになったような衝撃を最後に、記憶が途切れてる。
(多分、そこで死んだのね)
だから、それ以上の記憶がない。踏んだり蹴ったりな、人生の終わり方。
(そこで、この世界に転生した。そういうことかしら)
あちらの世界で聞いたことのある。
――異世界転生――
多分、それ。
こうやって前世の記憶を思い出すのも、そういう物語のテッパン展開だし。
(にしても、イヤな前世を思い出すものね)
前世に残してきた友だちとか、両親とかの記憶ならよかったのに。よりによって、あんな場面を思い出すなんて。
(サイテー…)
ハハハッ…。もう笑うしかない。
私、前世でも好きな人にいいように使われてた。彼のためにした努力だったのに、その恋心を相手に利用されていた。相手の男は、私を利用しながら、他の女を愛していた。
一緒だ。
今も前世も変わらない。
私は、いつでも男に捨てられる運命なんだろうか。