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愛ゆえに狂う  作者: ルノア
第一章 『Story Begins-物語の始まり-』
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1-6.『紅の女王』

 王都バグラガムの中心は山のように地形が盛り上がっていて、そこに下界を見守るようにして国王の宮殿が建っている。


 街から伸びる長い階段を上がると、宮殿の巨大で荘厳(そうごん)な風格が露わになる。上空から俯瞰(ふかん)すると真四角なその建物は砂の色一色に染まっているものの、周りの民家の青い屋根が華やかな彩りを添えることで、一段と映えて見えた。


 広大な敷地は王家の権力を表し、角から角へ歩くのにはおよそ十分はかかる。各部屋から別の部屋までの距離があまりにも長いため、侍者のほとんどが早歩きか、もしくは走って移動しているくらいだ。そのせいで、中は少しばかり慌ただしい。


 人が往来するように、通路や部屋のいたるところを無限回廊のような水路が縦横無尽に駆け巡り、街とはまた違った厳格な涼しさを保っている。


 寛大な国王の計らいによって全ての民に向けて開放されたこの場所は、格別な避暑地として愛されていた。


 そう、ほんの一年前までは。


 いまでは愛すべき民の姿はひとつもなく、代わりに気取った礼服に身を包んだ貴族達が、すれ違いざまに申し訳程度の会釈を交わす姿しか残されていなかった。


 戦を終えたミューネと大将軍クロウスがまず向かうのは、玉座の間だ。


 階段を上り終えたミューネは、我が家とも言える建物を前にして、胸の奥底から湧き上がる感情に吐き気を催した。


 入り口を守る若い兵士ふたりには覇気が欠けているようだったが、ミューネと挨拶を交わした途端に、ぱっと表情が明るくなる。


 それがせめてもの救いだった。


 長い回廊を歩き、中庭を経た先、宮殿の最奥に目的の部屋はある。


 ここまでの道のりをふたりは無言で歩き続けた。出来ることならこの長い廊下が永遠に終わらなければ良いのに、とさえミューネは思う。


 しかし現実とは無情なもので、中庭までの時間はあっという間に感じられた。


 クロウスは立ち止まったミューネが再び動き出すのを、辛抱強く待ってくれている。


「殿下! 兄上!」


 宮殿を揺るがすような、力強い男の声が上がった。


 ふたりを追うように駆け寄ってきたのは、クロウスとは対照的で筋肉質な体格の偉丈夫と、優しい笑顔を携えた聡明そうな老紳士だ。


「ラルゴ! キューズ!」


 緊張に凍りついていたミューネの顔が崩れ、明るく輝く。


「殿下、ご無事で」


 言うなり、キューズと呼ばれた老人は片膝を折り、ミューネの前で頭を垂れる。


 大男のラルゴもこれに習い、膝をついた。


「ふたりとも、怪我はないですか?」


 王女とはいえ、それらしく扱われることを嫌うミューネは、早々にふたりを立ち上がらせる。


「東門にはおよそ五百のアリが攻めてきましたが、死者なくこれを駆逐いたしました」


 ラルゴは幾分か誇らしく報告すると、キューズに視線を送って次を譲る。


「西門も同様です。敵の数五百に対して死者は無し。ですが、蓄積した疲労による怪我人は後を絶ちません」


 穏やかでいつまででも聞いていたくなる優しい声だが、語尾には薄らと漂う哀しみが混じっているように聞こえた。


「どこも同じ状況。先日怪我をしたコルースも、薬が足らずに死んでしまった」


 悔しさを滲ませたラルゴは、口を一文字にして拳を握りしめた。


「あのコルースが……」明るい笑顔が特徴的だった好青年の顔を思い出し、ミューネは唇を噛んだ。「では彼の家には私が参り、報告しましょう」


 それまで黙っていたクロウスが、はっとしたように顔を上げる。


「なりません、姫。これからのことを考えると、一時でもお休みにならねばあなたの身も危ない」


「兄上の言う通りだ。我ら兵士は交代で休息を取れますが、殿下の代わりなどおりはしませぬ。そういった役目は我らにお任せを」


 ラルゴも丸太のような腕を組んで、兄の意見に賛同した。


「いいえ、王女として……」


「僭越ながら、殿下。ひとりで全ての責任を抱え込まれることはございません。貴方にプロト国王女としての責務があるように、我らにもやらねばならぬことがあります。こういう時にこそ、我らが殿下をお支えせずして何が将軍でしょうか」


 ミューネの言葉を遮った老紳士のキューズが言う。


「キューズ……」


「それに多くを語らずとも、戦場に(おもむ)く殿下の背中から、その強い意志は兵士、並びに国民にも良く伝わっております」


 キューズの言葉ひとつひとつが、心にじんと染み渡る不思議な温かさを纏っていた。


「姫、貴方はひとりではない。いつ何時でも、我ら三人がお仕えしていることをお忘れなきよう」


 普段と変わらぬ、無表情だが実直なクロウスの顔が、潤む王女の瞳へと真っ直ぐに向けられる。


 ラルゴもそれに大きく頷いた。


「皆……、ありがとう」


 必死に隠そうとしていた涙だったが、堪えきれずにじわりと溢れ出てしまう。


「さ、殿下。これから内なる敵との対面でございます。敵の前で弱みを見せてはなりません」


 声を潜めたキューズが、懐から取り出したハンカチーフを差し出す。


「えぇ。参りましょう」


 ミューネはそれを大事に受け取り、弱い自分を拭い捨てると、再び王女としての勇敢な兜を心に被った。




 かつてミューネの父、アルツ国王が威厳を持って座していた玉座の間には、いまや白々しい下衆な笑いだけが漂っていた。粛々としていながらも、皆が国のためにと輝いていた懐かしい日々は、もうそこにはない。


 扉を開け、中に入ると、まず玉座に真っ直ぐ伸びた紅い豪奢(ごうしゃ)絨毯(じゅうたん)が目に入る。天井からは紅に塗られた国旗が垂れ下がり、絨毯の脇にはこれもまた紅の礼服を着た貴族達の顔が並んでいる。


 部屋の中でひそひそと交わされる形のない言葉の数々を避けながら、踏んだ心地のしないふわふわとした絨毯の上を歩き、ミューネ一行は部屋の奥を目指した。


 紅の道が続く先には、ふたつの玉座。国王と、女王のものだ。そして国王の席は空いている。この時、部屋を支配するのは女王ひとり、この部屋以上に一際赤く輝く女性だった。


 絶世の美女とは彼女のためにある言葉なのであろう。組んだ生脚は光を受けて煌めくように艶やかで、開けた大きな胸元は男達の本能をくすぐる。彫刻のように端正な顔立ちは若々しさに満ち溢れながらも、釣りあがった目尻からは成熟した女の魅惑が匂い立っていた。注がれる羨望の眼差しを豊満なその身体で一身に受けると、女王は色気の混じった雰囲気を漏らした。


 そして何よりも彼女を引き立てていたのが、身を包み込む真っ赤なドレスだ。造形美に満ちた体にピタリと密着し、その形を惜しげもなく曝け出す、一見して裸となんら変わりないとも言えるそのドレスは、彼女を<紅の女王>と言わしめる要素のひとつであった。


「大変お待たせいたしました」


 女王の前で一礼したミューネは、そのまま女王の座の隣に立つ。


 ミューネも女王に負けず劣らず素晴らしい身体付きの女性ではあったが、紅の女王の前ではすべてが霞んで見えた。


「あら、その薄汚れた服装は何かしら」


 女王は側に立つ王女には一目もくれず、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「申し訳ございません」ミューネも女王とは目を合わさない。「お急ぎの御用かと思い、戦場から直接参りました」


 そうしてしばらく険悪な雰囲気が部屋を充満するようにして広がる。いつもの流れ、いつもの光景だ。

 女王はミューネに対して、明らかな敵意を抱いている。どこから湧いてくるものなのかははっきりとはしていないが、若くして女性としての美貌を手に入れようとしているミューネに、対抗意識を持っているのであろう、というのが周りの者の意見だった。


 女王は女王であるが故に、常に人の上に立たねばならない。そんな極端に歪んだ思想からか、何か一言でも自分が勝ることを口にしないと気が済まないのだろう。


 ミューネにしてみれば、それはこの上なく興味の無い話で、とても愚かしいことであった。そんなことよりも、もっと密に話し合わなければならない大事なことがいくつも山積みになっているのだから。


「本日は、大事な客人をお迎えするのです。少しはマシな衣装に着替えなさいな」


 そう言ってほくそ笑む女王の顔は、やはりミューネを向いてはいなかった。


「お客……?」


 ミューネは目を細めた。王都はいまや黒蟲達に完全に包囲されているといっても過言ではない。故にプロト大陸各国の領主たちも安易に手が出せないのが現状だ。そんな中、渦中に自ら身を投じようとする者がいるというのか。


 誰なのかと考えるミューネに、女王は胸元から取り出した一枚の紙切れを差し出した。顔は正面を見据えたまま、紙を挟んだ人差し指と中指だけがこちらを向いている。


 憎らしいその態度に、紙切れを力をこめて奪い取ろうかとも思ったが、高ぶる気持ちを抑え込んで丁寧に受け取った。


 およそ一、二文しか入らないであろう紙は伝書鳩で運ばれてきたものらしい。その差出人を見て、ミューネは更に顔をしかめた。


「大将軍クロウス。外の状況はいかに?」


 ミューネの反応を待たずして、女王は妖艶な眼差しをクロウスに向けた。


 当てられたクロウスは膝を降り、視線を床に落として返事をする。


「はっ。依然として外は黒蟲で溢れております。断続的な襲撃により我が兵は……」


「兵のことなど、聞いてはおらぬ」女王はぴしゃりとクロウスの言葉を遮った。「客人が参るというのだ。道は空いておるのかと聞いておる」


「どなたかは存じ上げませぬが、いかな軍隊を従えていようとも、いまの状況で王都に入られるのはいささか無謀であると思われます」


 一瞬の間を置いて、クロウスは言った。表情は下を向いていて、分からない。


 だが、隣に立つラルゴの顔面には怒りの筋がはっきりと浮かんでいた。


「それをどうにかするのが、王国軍最上位であるあなたの責務ではなくて?」


 その無責任な言葉の先に、クロウスの身体は強張ったかのように思えた。床に向けられた視線は上を向こうとはしない。


「この一年、あなたの軍は何をやっていたのかしら。同じ日々をただ漠然と繰り返し、現状を打破しようともしない。いつかそのうち、と来るのかも分からぬ終結を時の手に委ねるだけ。黒蟲の巣も見つけられず、ましてや王都から出ようとすらしない。あなた達を含め、兵士達には国のためにと命を捧げる自己犠牲の精神が欠如しているのでは?」


 反論が出ないことをいいことに、女王のまくしたてるような発言が、ねっとりとした意地の悪さを伴って将軍たちの頭に浴びせられる。


 ミューネはぎゅっと両の拳を握りしめた。紙切れがぐしゃりと潰れる。


 女王の言い分にも一理あるところはあるが、そう簡単にいかない複雑な理由がいくつもあるのだ。言うは易し。王宮から一歩も出ずに何不自由ない生活を送っている女王に、危機感を抱けというのがそもそも無理な話なのだ。


 外の世界では将軍達を含めた兵士達が、文字通り心身を削りながらも街に被害が及ばぬよう努力している。それを間近に見てきたミューネだからこそ、心ない批判に怒りは爆発寸前だった。


 しかし代わりに怒りを吐き出したのは、ラルゴだ。


「兵はいまや傷付き、病にも侵されようとしている! いかに屈強な戦士達とはいえ、十分な食事や休息が無い環境では限界というものがある! 誰が来るのか知らんが、いまはそんなものに付き合っている余裕などない!」


 短気なラルゴの憤怒は火の山のようにして部屋中に飛び散った。


 部屋の空気ががらりと変わり、赤い貴族達の口は餌を待つ魚のように開いたり閉じたりした。そしてまたひそひそと何事かを交わしあい始める。


 女王はしかしそんなラルゴの怒りなど少しも気にしている様子など無かった。寛大なわけではない。ラルゴの反論や兵の状態などがいかなものであろうとも、何とも感じていないのだ。口の端を上げ、不気味な笑みを浮かべると、細くなった瞳がまた一段と黒く輝いた。


「ラルゴ!」ミューネはラルゴを叱責した。「女王陛下に向かって、何たる無礼か!」


 ラルゴの唖然とした瞳がこちらを向いた。


「で、殿下……」そして、ミューネの意図を汲み取った彼はすぐに頭を下げ、詫びた。「も、申し訳ございません」


 歯を食いしばった口元に、紅潮した顔面には冷めぬ怒りが浮いていたが、キューズが前に出て縮まったラルゴの大きな体を背に隠した。


「無礼をお詫びいたします、イシュベル女王陛下。ラルゴ将軍は情に厚い男ゆえ、兵士達を想う心が強すぎるきらいがあります。後程良く言い聞かせますので、どうかご慈悲を」


 女王を前にして物怖じしないキューズの静かな言動は、騒がしくなる場をやんわりと静まらせた。


「どうでも良い」女王イシュベルは笑った。「それよりも(わらわ)が聞きたいのは、客人を迎え入れる準備ができるのか、ということだ」


「どうにかして、準備はいたしましょう」もはや有無を言わせぬその言葉に、クロウスが答えた。「して、その客人とは……?」


 その問いかけに、イシュベルはようやくミューネの顔に視線を向けた。


 妖しく光るその瞳に見つめられると、ミューネの心はぐっと締め付けられるような感覚に溺れてしまう。長く覗き込んでいると、体の全てを奪われるようなそんな嫌な気さえする。これ以上見つめられないよう、ミューネは視線を上げたクロウスに向かって言った。


「ユーロドス卿です」


 まるで重なる不幸に絶望するかのように、三将軍の瞳はぎゅっと縮まった。


 そしてミューネもまた、唇を強く噛み締め、痛みで感情を消した。

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― 新着の感想 ―
[一言] まさに悪役、という感じの女王! これは、ユーロドス卿受け入れに悪感情増大ももりもり……
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