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愛ゆえに狂う  作者: ルノア
第一章 『Story Begins-物語の始まり-』
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1-5.『王女の苦悩』

 ゴラドーン大陸より西。偉大な海(グレート・シー)を隔てたその先に、ジオ第二の大陸<プロト大陸>は広がっている。面積はゴラドーンに比べていくらか広く感じられるが、それは土地のほとんどを”白い砂”が占めているからだろう。実際にはゴラドーンのほうが遥かに広い。


 不毛な大地に咲く一輪の花のように、プロト国の王都<バグラガム>は砂漠の中心で繁栄を極めている。豊満な水源を持つオアシスを求めて人が集まったことが起源とされるこの王都には、幾重にも枝分かれして走る水路が随所に設けられ、一年のほとんどが猛暑日であるこの場所に居て比較的快適に過ごすことのできるよう、先人の知恵が張り巡らされている。


 また長い年月をかけて育てられた木々は人々に穏やかな(かげ)を与え、白や青を基調として建ち並ぶ石造りの建造物の数々が、見る者の熱を冷ます。街の中心では王都のシンボルでもある巨大な噴水が水飛沫をあげ、普段であれば大勢の人々で賑わいを見せることも多い。


 バグラガムは、プロト人にとって楽園とも言える街であった。


 しかしその理想郷がいま、黒一色に塗りつぶさんとする未曾有の脅威に曝されている。


 王都の門外。緑と砂との境がはっきりと分かる大地の上。こぼれたタールのような黒染みが点々と続き、あたり一面に漂うのはむせ返るような悪臭。ツンと鼻を突き刺す、腐敗した肉のようなひどい臭いだ。


 そこは、ほんの数分前まで白と黒とが入り乱れていた戦場の跡だった。


「状況を各戦士長に報告! 負傷者はただちに手当てを」


 白地に青いラインが走る軍服姿の男達に交じって、白馬に乗ったひとりの少女が兵士達に指示を飛ばす。


 少女は体格に似合わぬぶかぶかの白ローブを(まと)い、中は乗馬用のぴっちりとした服装に身を包んでいた。悪戯好きな風が、時折彼女のローブを煽ると、隠れていた美しい体貌が露わになる。張りのある脚、丸みを帯びた臀部(でんぶ)、若い樹木のように細くくびれのある腰、そして未成熟ながら山のある胸。肌は透き通るような白さで輝いていた。この年、十七ともなる少女の身体は、大人の女性へと変化する途中にある。


 彼女の名前は、ミューネ・フォン・ドゥラレンス。戦場に咲く唯一の花であり、その真の姿はプロト王国の王女である。


 一国の王女が率先して戦場に立つなど由々しきことだが、これにはそれなりの理由があった。


 王都バグラガムはこの一年、相次ぐ厄介ごとに頭を抱えていた。そのひとつが、黒い魔物の群れである。プロト人の間で黒蟲(グアンズ)と呼ばれ、古来より疎まれてきた存在。ゴラドーンでいう喰人蟲(マンイーター)と同種のものの襲撃が、断続的に行われているのだ。


 この日も三千を超える大群の侵攻に遭い、多くの兵士が疲労の色を濃くさせていた。それでもひとりの死者も出なかったのは、ひとえに彼らの鍛えられた肉体と精神、それに”プロト人特有の優れた能力”があったからであろう。


「殿下」戦士長のひとりがミューネの足元で膝をつく。「負傷者の搬送が完了。各隊とも城内へ帰還いたします」


「ご苦労でした。次がいつ来るとも分かりません。十分な休息を取るよう、皆に伝えてください」


「あり難きお言葉」


 深く長く頭を下げた戦士長は静まり返った戦場に背を向け、南を向いた王都の正門へと走り出す。その表情は度重なる戦いによる影響か、生の煌めきを失っていたようにも見えた。


 嘆かわしい……。


 兵士といえど、彼ら自身も守るべき民であることに変わりはない。しかしながら、いまのところは彼らに頼る他に(すべ)のないミューネは、王女としてこの問題を打破できない自らの力不足を情けなく感じていた。


 部隊が撤収した後に残されたのはミューネと、数人の兵士だけ。熱気に満ちていた時は過ぎ去り、なんとも後味の悪い不穏な空気だけが残っている。


 それにしても……。


 ミューネは傍らで山積みとなった”黒い山”を訝しげに眺めて、唸った。


 人と同じくらいに巨大な、アリの形を成した異形の者達。見上げるほどに(おびただ)しい数が折り重なっている。数匹はまだ死への途上か、脚をびくつかせているものの、濁りきった紅の眼はもう何者をも見ていない。


 黒蟲(グアンズ)の襲撃は、これで一体何度目になるだろうか。一年という短いようで長い期間で、既に指では数え切れぬほどの執拗さである。


 奴らにとっての”水と食料”がここにあるのだから、その理由は分かる。いままでの数を思えば、近くの巣で異常繁殖が発生していることも容易に窺い知れる。


 だが不思議なのは、幾度も寄せる大波のように奴らがいまだに諦めていないことと、その数が一向に減らぬことだ。まるで兵士達の休息を妨害するかのような間隔で攻め込み、こちらの戦力に合わせたとも思える敵の数。その数すら底が見えず、未知数だ。


 特に致命的なのが、外界との隔離である。降りかかる火の粉こそ払うものの、王都の周辺にはそれ以外にも無数の黒蟲(グアンズ)(うごめ)いているという。当然のことながら、商人達も危険な海に飛び込むわけにはいかず、他の領土間での食料や物資の流れは滞っている。このままでは、王都内で飢餓が起こるのも時間の問題となるだろう。


 巣を見つけて叩こうにも、場所は分からぬ、兵力は割けぬで、こうなると悪循環に陥るほかない。

 極めつけは、この黒蟲の死骸だ。


 黒蟲には、死後ほんの数時間でその外骨格も肉も血液すらも自然の大地に還っていくという不思議な特性がある。自然の摂理に反した、なんとも理解しがたい現象ではあるが、唯一その悪臭までは時間をかけねば消えなかった。鼻が曲がるような強烈な臭いが継続的に王都内に蔓延すれば、さすがの住人達も精神や体調に異常をきたしてしまうだろう。


 これではまるで篭城戦で、兵糧攻めにあっているかのような、そんな感覚だった。


 これには、何か意図的な力が働いているのではないかとさえ思えてくる。それとも、奴らにもそれほどの知力があるというのだろうか。


「いつ、終わるんだろう……」


 兵士達の視線が無くなったいま、ミューネは押し隠していた幼い少女の顔を覗かせる。


 この時、ミューネは気づいていなかった。黒の山で(うごめ)く一匹の生き残りに。もぞもぞと身をよじって顔を出し、その機会をうかがっていたのだ。


 瞑目し、いつか来るであろう終わりを懇願する少女に視線を置いたまま、アリ型の喰人蟲は隠蓑(かくれみの)から身を吐き出した。六本の脚を器用に動かし、静かに、素早く近づく。


 いまだ狙われていることに気づかないミューネの真後ろで、アリ型は(つるぎ)のような牙を剥き出しにした。唾液に(まみ)れた黒い毒牙が、ぎらつく陽の光でぬらりと笑うように光る。


 ひたすらに祈りを捧げるミューネ。そこに……。


「姫!」


 突如後方であがった男の怒声。ミューネとアリ型を振り返らせる。


 開いた王都の正門から、馬に乗って猛進してくる軍服の男がひとり。遠くからでも分かる力強い気迫。眉根を寄せ、怒りに顔面を赤く染まらせた男は、王女の命を狙うアリ型の姿を凄まじい剣幕で睨みつけている。


「グ、黒蟲(グアンズ)……!」


 伏兵の存在にようやく気付いたミューネに、しかし容赦ないアリ型は再び牙を剥く。


 王女の危機に駆けつけるべく、風を切り裂かんとするほどの速さで馬蹄の響きが近付くが、距離的に間に合いそうにない。


 いまこの状況で動くべきは、自分だ。


 腰に下げた剣を抜くよりも先に、ミューネが意識を集中させたのは自らの”額”だった。銀色の長髪に隠されていた額が、優しい碧の光を放ち始める。ふわりと舞い上がる前髪の奥に隠されていた物……。

 それは親指大の綺麗な”宝石”だった。


 その大きさから計り知れる硬度の高さ。不純物が見当たらないほどの明澄(めいちょう)度。最高の職人が研磨したかのような滑らかな曲線。まさに至高の宝玉とも言っていいほどのものが、ミューネの額には埋め込まれている。


 徐々に増す宝石の煌き。呼応するかのように、周りの空間が一瞬歪んだ。


 何もない上空の一点から、突如垂れ降りて来る深緑色の幕。流れ落ちるカーテンがきらりと光ってミューネとその馬を包み込むと、まるで巨大なシャボン玉のような球体を保った。


 迫る危険を傍に感じながらも、ミューネは身じろぎひとつしなかった。そして彼女の馬も、主人に同調するかのように(いなな)きひとつあげず、じっと静かに佇んでいる。


 こうして外界との接触を断ったミューネの不思議な自信を感じたのか、わずかな躊躇(ためら)いを見せるアリ型。だが、三度(みたび)牙を構え直すと今度こそはと少女の腹に向けて顎を突き出し、そして飛んだ。


 宝石の力によって作られた膜に、黒い槍が衝突する。


 攻撃を防ぐにはあまりに薄く、頼りなく感じる膜の中でミューネは目を見開き、アリ型の姿を捉えて離さない。


 バリン、と割れる音が響く。


 負けたのは……なんとアリ型の牙だった。それも一本ではなく、二本。


 ひとりの少女が作り上げたたった紙切れ一枚程度の厚さしかない壁が、硬い喰人蟲(マンイーター)の外骨格をいともあっさりとへし折ってしまったのだ。


 これは何の偶然でもなく、運でもなく、当たり前で必然のことだった。


 ミューネの額で光る宝石こそ、まさにプロト人であることの証。そしてそれらが作り出す壁……”宝盾(バルジェ)”こそ、彼らが誇る強さの源なのである。


 牙を失って驚愕の色を見せたアリ型は、勢いに乗ったままの身体を無傷で鋼鉄のような膜に激突させてしまう。ギギッと一声弱く呻くと、そのまま地面に身を転がす。


 怒りを運んできた馬蹄が、この一瞬の過程のうちに間近に迫った。


 王都の正門からここまでを駆け抜けてきた男はその銀色の短髪を逆立てるほどに憤慨し、馬を飛び降りると己の拳を強く握りしめた。


 男の両手に光るのは、青い鉱石を埋め込んだ対の籠手。手を覆うほどの大きさ。ミューネを包んでいた緑の幕と同じような淡い光が、その右手にも宿る。


 ――そして男の額にも、ミューネと同様の”輝く宝石”。


「失せろ」


 冷たく燃え盛る眼光を放った男を前に、アリ型は本能で危機を感じ取ったのか身震いした。


 敵の間合いへ、男の右足が力強い一歩を踏み込む。大地を踏みつけた右足に、全てを引き込む引力が発生したかのような錯覚。


 意図に反して引き摺られていく自らの体に、アリ型は必死に抵抗した。


 腰の回転力に勢いをつけ、男が突き出したのは剣でも槍でもない、右の”拳”ひとつだった。男のすらりとした長身からは想像も出来ないほどに豪快で、目にも止まらぬ速さの一撃が繰り出される。


 ひねりを加えた拳が、音の壁を破壊した。世界を揺らし、身体を痺れさせるような衝撃を放つ、とてつもない威力。


 光に包まれた拳がアリ型の腹部に突き刺さると、それは黒い鎧にあっさりと食い込み、そして粉々にした。


 紅い瞳からは生気が欠け、重い鎧を纏ったアリ型の身体はその場から数十メートルは空を舞った。遠くで砂に埋もれる音が静かに鳴った後、続けて音が動くことはなかった。


「姫。戦場において、油断は禁物です」


 敵を吹き飛ばしてすっきりしたのか、ミューネを助けることができてほっとしているのか。それとも両方か、男の顔からはすっと赤みが落ち、いつもの無表情な顔が戻った。


「ごめんなさい、大将軍(シャラル)クロウス」


 額の光が落ち着くと同時に、ミューネを包んでいた幕もすっと消え落ちていく。


 ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。


 クロウスはプロト王国軍の最高位にあたる大将軍であり、ミューネにとっては幼い頃から兄のように慕ってきた男だった。ミューネが心から頼ることのできる数少ない人間のひとりだ。


「少し、お疲れなのではないですか。しばらく、戦場から離れてはいかがです」


 少し遠慮がちにクロウスが問う。


「あなた達が命を張って王都を守っているというのに、私だけが楽をできるものですか」


「しかし、姫。あなたにもしものことがあると、軍全体の士気に関わります」


「あなたの軍はそこまでやわではないでしょう?」ミューネはにこりと悪戯な笑みを浮かべる。「私だって、伊達に”鋼鉄の戦乙女”と呼ばれているわけではないのだから」


 ひとつのため息を挟めて、クロウスが返事をする。


「いくつになっても頑固なお方だ。その意志すらも”鋼鉄”でできているのではないですか」


「ふふ」


 言われて、ミューネは可愛らしく微笑んだ。クロウスとの間柄だからこそ見せる少女の素顔が、そこにはあった。


 常に無表情で笑うことのない、冷たいイメージのあるクロウスでさえ、彼女の前では口の端を多少あげるくらいには微笑する。


「それはそうと」馬に乗り直し、真顔に戻ったクロウスが恐縮したように言う。「イシュベル女王陛下がお呼びなのですが……」


 その名前を聞いた途端、遠くに避けていた現実が一気に押し寄せてきた気がした。いつの間にか隣に居て、嘲笑うかのようにミューネの体にずしりと重たくのし掛かってくる。


「そうですか……」


 悩み多き王女は表情に、荒れたこの戦場のような淀みを滲ませる。


 ”ふたつ目の厄介ごと”だ。


 それから、眉をハの字にして心配してくれているクロウスを見つめ、軽く頷いた。


「分かりました。参りましょう」


「姫。これ以上、無理をなされることもありますまい。陛下には私のほうから献言いたしましょう」クロウスは哀れみ混じりに言う。「王女にも、休息は必要です」


「いいえ、これも王女である私の責務。あなたの手を煩わせるわけにはいきません」


 これから先待ち受けるであろう苦痛の時間を想像したのか、しばらくの無言を挟んだクロウスだったが、嘆息ひとつで踏ん切りをつけると落ちていた視線を再び上げた。


「行きましょう。ここに居ると、鼻が曲がってしまう」


「ええ」


 頷いて返事をしたミューネは十七歳の少女の素顔を隠すように、再びプロト王国王女という仮面を強く、きつく剥がれないように貼り付けた。

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