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愛ゆえに狂う  作者: ルノア
第一章 『Story Begins-物語の始まり-』
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1-4.『夢』

 予想通りの最悪の一日だった。


 起こるべくして起こった災厄。失われた命。ジャックはゴラドーン帝国の一兵士として命を繋ぐ役でありながら、己の無力さを手痛く実感させられた。


 守るはずだった隊商(キャラバン)は半数を超える資産を失いながらも、新たな護衛とともに再びクロスロードを目指し、既にこの場を発っている。彼らの絶望に沈んだ顔は、もはや死人と変わりなかった。残された少ない元手で彼らが得られるのは、果たしてどれほどの物になるのだろうか。


 両手で抱えた頭が鉛のように重たい。荒野の岩肌に腰かけた体も、石と同化してしまったかのように動かせなくなってしまった。


 血臭い哀愁漂う現場で、多くの帝国兵が後処理に追われている。だが彼らの声も、軍靴の足音さえもジャックの耳には届かず、まるでひとりだけ無音の世界に取り残されてしまったかのように思えた。


 あの時、ハンターのふたりが助けに来てくれなかったら、いまごろはもうひとつ(・・・)の死体として布の下で眠っていたのだろう。考えるだけでも、ゾッとする。


 むごたらしい最期を遂げた三人。うち二人はいけ好かない連中であったことは確かだが、なにも死を望むほどではなかった。彼らの死は、果たして避けられないものだったのだろうか?


 死体を乗せた担架が目の前を通り過ぎたとき、ひらりと何かが足元に落ちてきた。


 一枚の……写真だ。


 愛らしい満面の笑みを浮かべた、幼い女の子の写真。おもむろに拾い上げ、良く見てみる。


 ――彼女には、ティムの面影があった。


「あ、あぁ……」


 途端、自分でも意図していなかった大粒の涙が頬を流れ落ちる。堪えきれず、嗚咽が漏れ出てしまった。


 ティムとの付き合いはほんの数時間だったが、それでもこんなに胸が痛むのは、写真の少女と自分とを重ねて見てしまったからなのかもしれない。


 ジャックの父もまた、別れの挨拶を交わすことなくこの世を去ってしまっているのだ。


 この少女は、これからどうやって生きていくのだろうか。いずれ成長し、父を求める時期が必ず来るだろう。その時、彼女は父の死をどう受け止めるのか。


 彼の死は、本当に必要だったのか。守ることはできなかったのだろうか。


 強大な敵を前に腰を砕き、挙句(あげく)の果てに助けを乞うた、自らの不甲斐なさ、情けなさにジャックは拳を握りしめ、混濁する自分の頭を打ち付ける。


 異様な行動に唖然として、足を止める帝国兵たち。


 いくつもの視線が集中しても、叩くのはやめなかった。なんともし難いこの気持ちを、とにかく痛みで誤魔化したかったから。


 とめどない涙を流していると、誰かがぽんと肩に手を置いた。


「大丈夫か、ジャック」


 心配そうな表情で覗き込んだのは、上官のスタンだ。


「スタンさん、俺……」


「良い。何も言うな。後は任せておけ」自分でも何を言っていいものか分からないジャックを、スタンは優しく包み込む。「無事でいてくれて、本当に良かった」


 そう言うや、頭を下げた。


「そして、すまなかった。お前を危ない目に合わせてしまった。これは俺のミスだ」


「スタンさん……」


 護送計画の最終的な決断を下したのは確かに彼だ。だが、決してスタンだけが悪いわけではない。それまでにはたくさんの過程があったはずなのだ。


 それに最低でも十人必要なところを、半数にも満たない四人で積み荷を運ぼうとした。思えば、喰人蟲(マンイーター)の標的になるのは至極当然のことだったのではないか。そもそもの計画に無理があったのは、分かりきっていたことだ。


 帝国軍にも、ハンターのようにひとりで喰人蟲数体を相手にできるベテランの兵士は確かにいる。帝国軍の頂点、”大将”ともなれば戦神(いくさがみ)と呼ばれ、数千匹をも駆逐できるとさえいわれているのだ。


 だから大将とまではいかずとも、スタンの要望もそういった実力者を期待してのことだったはず。


 しかし、実際に送られてきた者達はベテランとはほど遠い、名ばかりの堕落者や弱者だった。スタンとの約束通り、”本物”さえ派遣されていれば、こういう事態にはならなかったのかもしれない。


「スタァン!」薄汚れたダミ声で、誰かが怒号を飛ばした。「後の処理は任せるぞ。お前への処罰はおって知らせるからな」


 悪意を(はら)んだ苛立ちを隠そうともしない。悲しみに沈む場所には似つかわしくない声だった。


「はっ」


 軍人らしく敬礼して見せるスタンは、どこか苦い苦痛を押し隠している。


 処罰……? 何のことだ、とジャックの心は首を傾げた。


 持ち上げた視界の中に、風にたなびく黒いマント。無駄に豪奢な金の細工が施された特徴的な一品だった。着ているのは、禿げ上がった頭が光る小太りの軍人。顔には明らかな不快感を貼り付けている。


 帝国軍少佐、アーサー・マクグラフ。帝国軍の佐官で、以前ジャックが”無能狸”と揶揄した癖者。軍縮という名の無謀で見当違いな計画をイーストピーク支部に指示してきた張本人だ。


「まったく……。ただでさえクロスロードは無用な雑務ばかりで忙しいというのに、突然呼び出されたかと思えば、この有様。お前は何をやっとるんだ」


 上官にあるまじき、それは他人事のようなあんまりな言い草だった。


「申し訳ございません」


 スタンに、言い返すような素振りはない。


「お前の申し分どおり、熟練者を送ってやったんだぞ? それを、こうも無下にしおって」アーサーは小馬鹿にするように、鼻を鳴らした。「だからお前はいつまで経っても、”田舎の大将”止まりなんだ」


 鼻持ちならない態度にジャックの涙は当然のように止まり、代わりに立ち上ってきたのは静かな怒りの炎、その(くすぶ)り。


 こいつは一体何様なんだ。


 狸とは良く言い得たもので、アーサーという男は、持てる権力を(ほしいまま)に傲慢の限りを尽くしてきた卑劣漢として有名だった。上の者には媚び(へつら)い、上に昇るためには他者を蹴り落とし、切り捨てることをも(いと)わない性格に、彼を忌み嫌う者は後を絶たない。


 バックに”ある大物”が付いているという噂もあり、それがアーサーの傲慢さに拍車をかけている理由のひとつでもあるのだという。


「護送の時期に問題は無かったのか?」アーサーは煙草に火を付け、明らかな不満顔を見せつけてきた。「そもそも、そちらの人選にミスがあったんじゃないのか。んん?」


 その言葉に、頭を下げたままのスタンの表情が一瞬歪んだのをジャックは見逃さなかった。


 あまりに無責任。今回の落ち度は計画を承認した帝国本部、しいてははじめの指示を出したアーサー本人にもあって然りなはずだ。既に、罪を個人で背負おうなどというレベルではない。でなければ組織である意味がないのだ。


 それをこの狸は、責任を全て丸投げ。果てには失敗の原因はジャック自身の力不足だったのではないか、とまで平然と言ってのけるのだ。


 気づけばジャックの体は怒りに震え、すっくと立ち上がっていた。


 スタンが「堪えろ」と目配せしてくる。


「あげくハンターごときに手柄を取られるとは、まぬけもいいところだ。こんなことでは、イーストピークの今後が心配になるな。良くいままで生きてこられたものだ」アーサーの口から吐き出される煙が漂い、ジャックとスタンを嘲笑う。「これでは死んだ三人も浮かばれん」


 ジャックの怒りは、遂に沸点に達した。


 この野郎、この野郎……!


「ふざけるなよ、クソ狸! 三人はお前が殺したも同然だろう!」もはや立場などというしがらみは忘れ、思わずアーサーの胸倉に掴みかかる。「はじめから無理だったんだ、こんな計画!」


「な、何をする、無礼者!」


「やめろ、ジャック!」


 こぼれ落ちる煙草。止めに入るスタン。


「クズ野郎! 何が軍縮だ! お前達の身勝手なわがままで、俺は死んでしまうところだったんだぞ!」悔しくて、再び涙が流れた。「ティムだって……! 自分の娘を置いて、死ななくて済んだんだ……」


「離せ、馬鹿者! 自分の過ちを、人のせいにするな!」


 掴んだ手を激しく引っ叩かれ、振り払われると、ジャックはその場に崩れ落ちた。


「お前が……お前が代わりに死ねば良かったんだ……。うっ……くっ……」


「一体どういう教育をしているんだ、スタン!?」


 頭を茹でた蛸よろしく真っ赤にしたアーサーが乱れた襟元を正しながら怒鳴る。


「申し訳ありません。彼も今回のことで大きなショックを受け、動転してしまっています。どうかお許しください」


 スタンはジャックに寄り添いながら、答えた。


「黙れ! 与えられた任務を満足にこなせなかっただけでも許し難いというのに、その上この無礼、許されるわけがないだろう!」アーサーの怒りは収まりそうにない。連れてきていた衛兵に命じる。「お前達、こいつを引っ捕らえろ!」


「お待ちを! 彼も被害者なのですよ」


 戸惑いを見せながらもジャックに近づく衛兵たちを、スタンが制止する。


「ええい、うるさい! お前にも責任の一端はあるのだからな。覚悟しておけ!」


 怒りに血管を浮かばせて震える男に、ふと近づく赤い影。


「やめなよ、おっさん」


 赤いジャケットを着たレニと名乗ったハンター。ジャックの窮地を救った青年だった。


「ああ? ハンター風情が、口を挟むな! 誰なんだ、お前は」


 帝国軍とハンターが犬猿の仲であることはゴラドーンでは特に有名な話だが、その理由のひとつに、こういったアーサーのような男の高慢ちきな態度が関係しているであろうことは否めない。


「誰だろうと、関係ないだろ」レニは鋭い眼差しで、アーサーを睨む。「いまがどういう状況で、どうするべきなのか。大人になって、そんなことも分からないの」


「な、何を……」


 その言葉が的を得ていたからか、それともレニの後ろに腕を組んだカウボーイ姿の男と白衣の男、そして数人のハンター達が立っていたからなのか、アーサーは言葉に詰まり、しばらくは二の句を継げなかった。


「お、お前の息子か、ブリンク! どうりで(しつけ)がなっていないわけだ!」


 吐きどころを失くした怒りにぶるぶると揺れるアーサーは歯ぎしりひとつ、後ろのカウボーイ姿の男……ブリンクを()め付けた。


「お前も躾てやろうか?」そんな視線など知らぬ顔のブリンクは、冷ややかな眼差しでアーサーを突き刺す。「お前のオツムの弱さには、うんざりだからな」


 睨み合うふたりに、ジャックは彼らの間にある過去から続く確執のようなものを見た気がした。


「第一、あの隊商(キャラバン)はお前達ハンターの管轄ではなかろう。それを勝手にしゃしゃり出てきおって! 金か? 金が目的なら、一銭もやらんぞ!」


「少佐、それはさすがに……」


 アーサーの非礼に、スタンがすかさず言った。


「別にいらないさ。俺達はクロスロードの商人ギルドから、交易路の安全確保を依頼されていただけだ」ブリンクは大袈裟に肩を(すく)めてみせる。「たった四人で隊商の護送なんてやっているのを、たまたま見かけたもんでな。こんな馬鹿なこと思い付けるのは、お前くらいしかいないだろうと思ったよ」


「貴様……ぐぬぬ。ええい、どいつもこいつも!」


 しばらくの間、顔を赤く染めていたアーサーだったが、周りから注がれる男たちの冷たい視線にようやく気付くと反論の言葉も失い、ついには「覚えていろ!」というお決まりの捨て台詞とともに踵を返していった。


「大変お見苦しいところをお見せいたしました。まさか二度も助けていただくとは……」


 ひやりと静まり返る現場を最初に裂いたのは、スタンの謝罪だった。アーサーとは両極端の場所にいる彼の人当たりの良さは、ある意味帝国軍の良心とも言えるかもしれない。


「別に良いよ。俺達はただ仕事してるだけだからさ」


 レニの笑顔が、ジャックの身には良く染みた。こんな場所で、こんな青年から温かみを分け与えられるとは、思いもよらなかった。


「それじゃ、次があるから失礼っ」


 そう言って立ち去るレニ達ハンターの背中を見送り、ジャックはゆっくりと立ち上がった。心の中で敬礼するとともに、暗闇に一筋の光が見えていたことにようやく気付く。


 苦い思いはしたが、アーサーの言っていたことはあながち間違いではない。そう、自分は未熟で、力不足だ。人ひとり助けるどころか、自分の身ひとつ守れない。


 だからこそ、目指していた”夢”があったのではないか。


 それは、かつて父と交わした約束。父が成しえなかった夢の実現。ゴラドーンの未来を変え、人々を救うための力。


 そのためだけにジャックはいままでを生きてきたと言っても過言ではなかった。


 悲しみに暮れ、塞ぎこんでいる場合ではない。第二、第三のティムが現れてしまう前に、立ち上がり、抜け出さなければ。まずはイーストピーク支部という絶海の孤島のような狭い世界から。そして、目指すのだ。


<帝都アイアンウォール>を。

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