1-3.『狩人』
食物連鎖とは、世界の理である。
このゴラドーンの地も例外ではない。人類を糧とする喰人蟲がいるように、喰人蟲を糧とする者達がいるのだ。
彼らのことを、<狩人>と呼ぶ。
とある純潔に輝くひとつの旗のもと、人類の天敵根絶を目的とし、それを生業としている強者達だ。そのひとりひとりが喰人蟲を超えるための個性的な能力を持ち、各地で人々の安全を守っている。
言うなれば、ゴラドーンに生きる人々にとってなくてはならない存在なのだ。
時は少しばかり遡り、油照りする荒野の真ん中で虎視眈々(こしたんたん)と次の獲物を狙っている、ふたりのハンターを追う。
「どうだ?」
身動きひとつせず、体を砂上に馴染ませるように寝そべった相棒が問いかけてくる。
「やっぱり出たよ、喰人蟲。ひとりやられた」
ハンターのひとり、レニ・ストーンハートは双眼鏡を持つ手を震わせながら、答えた。
それは丁度、ジャック含む帝国兵団お付きのキャラバンが、喰人蟲と遭遇した時のこと。辺りが一望できる高い岩山にふたりは陣取り、下界の様子を眺めていた。
「早く行こう。このままじゃみんな食われちゃうよ」
レニは逸る気持ちを抑えきれずにいた。すぐに助けに行かなければ、無駄な死がまた増えてしまう。
「まぁ、落ち着け。”ハンター”の基本は、まず相手を知ること」
高揚の無い言葉が、レニをとどまらせた。相棒は依然地に伏せたまま、愛武器である長銃の照準器を覗き込んでいる。
「何型だ?」
そして、そう再び問いかけた。
レニは焦る気持ちに戸を立てると、ため息を吐きながら再度双眼鏡を目に当てる。いままさに帝国兵のふたりめが無慈悲な黒い脚に押しつぶされたところだった。
悲惨な光景を前に一度は閉じた瞼をまた開き、答える。
「地面から出てきたし……」目に映る特徴から、過去の記憶を探った。「あの発達した前脚。――あれはケラ型だ」
喰人蟲という生物は、往々にして実在する虫を模した個体が多い。今回の場合、地中の生活に特化しているであろうことから、昆虫のケラに似た喰人蟲だと判断できる。
「ご名答。以前、相手にしたことはあるな?」
「ある」
「なら、注意するべきことも分かるな」
「分かってる」
もう待ちきれないとばかりに、レニは双眼鏡を置いた。そして代わりに手にとったのは……。
鈍色の微光を放つ、大岩の大剣だ。
それはあまりにも巨大で無骨。置けば地にめり込むほどの重量がある。だが、大の男が持ち上げることすら叶わぬその岩の塊を、レニはひょいと肩に担ぐほど軽く持ち上げてみせた。
「行け」
そして相棒の言葉を皮切りに、ようやく岩山を飛び立つ。
棘のように突起した岩場と岩場を繋ぐように跳び、急斜面の砂山を滑り降りるその身のこなしは飛ぶ鳥のように軽やかだ。とても巨大な岩を抱えているとは思えず、レニがただの怪力というだけでは説明できない、何か特別な力を持っているであろうことを窺わせる。
岩山を降り終えても、キャラバン到達にはまだ少し距離がある。直線に走ったとしても、喰人蟲の次の食事までに間に合うのかはちょっとばかり自信がない。
だからレニは地上に降り立つ寸前に大剣を両手で握りしめ、そして次に……。
大地を斬った。
轟音。噴出する土砂。揺れ、割れる大地。
レニは、大剣を軸にしてその反動で更に空へと跳躍。血生臭くなる向かい風を感じながらも、これ以上の血を流させないために空中を全力で駆け抜ける。
同様の跳躍を繰り返し、最短時間で辿り着いたのはケラ型の頭上。まさに四人目の帝国兵に食らいつかんとするところだった。
憎悪の炎を瞳に宿し、標的を見下ろすレニ。
ケラ型がこちらの敵意に気付く。だが、もう遅い。
天に向かって突き出されるレニの大剣。振り下ろされるはまさに落雷の如く。正義の雷が、ジオの悪魔を一撃のもとに打ち砕いた。
大剣はケラ型の頭部を粉砕し、木っ端微塵となった肉骨粉を地に叩き落とす。
平衡感覚を失い、ふらふらと揺れて倒れる巨体。舞い立つ砂埃。喰人蟲の体は、失った頭を探すかのように一頻り蠢いたあと、しばらくしてようやく絶命した。
「ふぅ」
レニは短く息を吐く。駆除完了だ。
「き、君は?」
目の前で連続して起こることに腰を抜かした帝国兵――ジャックが問うた。
「レニ。レニ・ストーンハート。”ハンター”だ」
レニは温かな微笑みを持って返す。周りに散乱する三人の死体に胸が痛むものの、それでも救えた命は尊い。
「は、ハンター……。来てくれたのか」
なんとか立ち上がろうとするジャック。砕けた腰はなかなか真っすぐにならないようで、支えが必要そうだ。
レニは手を差し出したが、周りの空気の変化に気づいてすぐにその手を引っ込めた。
「まだだ」
おもむろに大剣を構え直す。
「は?」
自力で立ちあがったジャックは首を傾げる。
刹那。再び揺れる大地。再び鳴らされる警鐘。事態がまだ終わってはいないことを告げる。
地面が裂け、また大口を開けた。ジャックの後ろ。その暗い穴から姿を露わにするのは、二匹目のケラ型喰人蟲。
地の底から湧き出てきた怒りの塊に、やはりとレニは目を細めた。
「も、もう一匹……?」
兵士も商人達も、もうこれ以上は耐えられないとばかりに悲鳴をあげる。
いや、違うぞ。
嫌な予感が頭を過ぎったレニは二匹目からは目を逸らし、そして後方を振り返った。
隊商の最後尾、暴れ狂う牛達の真下。新たな亀裂が走る。三度出現した穴から頭を出すのは、なんと三匹目のケラ型。
一同に絶望の戦慄が襲い掛かる。
「挟まれたか」
レニは歯を食いしばった。
一匹目はおそらく陽動。続く二匹目、三匹目で獲物を確実に囲い込むことが敵の目的なのだろう。
逃げる術なく、断末魔とともに吹き飛ぶ家畜達。
縄に引っ張られて三台目の荷馬車も横転すると、乗っていた商人達を外にはじき出してしまう。転がり出るのは、無情にも三匹目の目と鼻の先。
ジャックを狙う二匹目に、商人達を前に舌舐めずりする三匹目。
いかに超人的な力を持つレニといえど、とてもひとりだけでは対処しきれない。救えるのは、どちらか片方だけだ。
この最悪な状況下で、悩む時間などありはしなかった。自らが滑り降りてきた岩山を一瞬見やると、次には迷いを捨てて大地を蹴る。跳んだのは、三匹目のもと。二匹目には目もくれず、商人達を守るために大剣を強く握りしめる。
一匹目同様、頭部をもぎ取るべく、横に薙いだ。
レニの攻撃に反応し、動く巨体。先ほどとは違い、対面からの攻防。喰人蟲も黙ってはいない。頭を守るように、前に出る左脚。いかに力強い一撃といえども、鉄のように堅固な脚ならば防げる、敵はそう思ったのだろう。
だが……。
「甘い」
黒い装甲に阻まれるであろうはずの大剣だったが、喰人蟲にとってそれは大の誤算。横一閃に払われた剣の威力は、想像を絶する凄まじいものであった。
黒い鎧との衝突。飛び散る火花。固い壁を曲げる程度かとおもえば、それを渾身の一撃が突き破り、さらには脚を切断。そのまま頭部の鼻先を掠めていった。
失った片腕に半身を大きく傾けた喰人蟲は、ジィッとか細い呻きをあげたが、悪魔にかけられる慈悲などあろうはずがなかった。
レニは剣を逆手に持ち、切っ先をケラ型に向けると、躊躇なく振り下ろす。
岩に押しつぶされた頭部が爆散し、あたりに雨を降らせた。前のめりになった喰人蟲の体は一度衝撃で跳ね上がると、それ以降眠ったかのように静かになる。
「た、助けてくれ!」
地面から大剣を引き抜いたレニの耳に、先ほど助けた兵士ジャックの悲鳴が届く。
残っている二匹目がいままさに彼を食そうと、口を大きく開いていたところだった。
そこまでの距離はわずか。わずかだが、いくら素早く動いてもとても間に合う距離ではない。だから、その時をゆっくり待つことにした。死の鐘が鳴らされる、その時を。
恐怖に竦むジャックの奥に、食欲の唾液にまみれた牙。その凶牙が閉じられる、ほんの一瞬でのことだ。
――カン、とどこかで鐘が鳴る。
鐘の音を合図に、場の時間が止まった。
音は喰人蟲から。その汚れた口の奥からだ。二匹目のケラ型が何かを咥え込んだかのように口元をもごつかせていると、それから数秒後には瞳から紅い灯火を失っていた。
音を立てて横倒しになる喰人蟲。脚を数回ひくつかせたかと思うと、しばらくして完全にこと切れてしまった。
「な、なんなんだ?」
もう何が何だか訳がわからないとばかりに頭を抱え込んだジャックの肩を、レニが優しく叩く。
「あそこ」
そして、岩山の上を指差した。
「あ、あそこって……え?」
山の天辺に、きらりと煌めく星。
あれは照準器の反射光だ。キラキラと自らの存在を知らせるように何度も光る。
「俺の相棒は、狙撃手なんだ」
「狙撃? ……嘘だろ。あの上から?」ジャックは、信じられないとばかりに引きつった笑みを浮かべた。「そんな出鱈目な」
それもそのはず。レニが滑り降りてきた山は遥か遠く。距離でいえば優に千メートルを超えているからだ。その上、向こう側から見れば豆粒よりも小さい喰人蟲の口中を正確に射抜くともなれば、これはもう神がかりな業なのである。
無論、帝国軍の兵器のなかで、それ程優れた射程と精度をもつ銃は存在しない。帝国兵であるジャックが驚きを覚えるのも、無理はなかった。
レニの自慢の相棒、ブリンク・トゥルーエイムは、”神眼”を持つ男なのだ。
「おうおう、こりゃまた派手にやってくれたな、レニ坊」薄汚れた白衣を着た男が、無精髭を蓄えた顎をさすりながら、腐敗した喰人蟲の前に屈んで言った。「お前はもっと綺麗にやれんのかい」
「これでかい?」レニは自分の愛武器を指差して、にこりと無邪気な微笑みを浮かべる。「無茶言うなよ、ジム爺」
黒い血にまみれた大岩の大剣を呆れた目で見て、白衣の男ジムはため息をつく。
ジムは、目的をともにするハンターたちが一堂に会する組織、<狩人の集い>に所属する喰人蟲専門の研究員だ。喰人蟲の生態やその構造についての知識、そして新たな発見を得るため、ハンターの仕事が終わるとこうして虫の死骸を求めて出張ってくることがある。この日もたまたまクロスロードからイーストピークへ向かう途中だったそうだ。
ハンター達が安心して狩りを行い、喰人蟲との戦いにおいて優位に立つことができるのは、ひとえに彼らの知恵によるところが大きい。
「少しは親を見習え」
苦笑したジムが言う親とは、相棒であるブリンクのことだ。
「ジム。あんまりこいつをいじめないでやってくれ。単細胞のこいつに銃の扱いなんて到底無理な話だ」
ブリンクは手をひらひらと振って、鼻を鳴らした。
「誰が単細胞だ、この時代遅れ。いまだにそんな格好してる奴なんて、見たことないよ」
レニも相棒のうんざりする服装を見て、毒づき返す。
「何だと。このイカしたファッションセンスが、お前にはまだ分からんだけだ」
人差し指でぐいとあげたつば付き帽子の下から、不機嫌な顔がのぞいた。
そのセンスが絶望的なのだ、とレニは思い切り肩をすくめてやる。
そう思われるのも無理はない。時代遅れの一言だけでは表現しきれない、牛飼いの格好をしているのだから。
キャトルマンと呼ばれるカウボーイハットに、こげ茶色のダスターコート。ジーンズの裾もとには乗馬装具のチャップスまではめていて、大層な細工装飾までされたブーツを履くという徹底ぶり。つまりゴラドーンで十数年ほど前に流行っていたカウボーイ劇の真似事を、いまもなおこの男は恥ずかしげもなくやっているのだ。はまったものにはとことんはまる。それがブリンクの性格だった。
それが自分の親だというのだから、隣にいるだけでも恥ずかしくて暑苦しいのに、当の本人は平然としていて、レニとしては文句の一つも言いたくはなる。
「親子喧嘩はよそでやれや」ジムが頭を掻くと、不潔なふけを飛ばした。「あちらさんはそれどころじゃねぇ」
ジムが指差した向こうで、ハンターのふたりにジャックと名乗った帝国の兵士が荒野の岩の上で丸まっているのが見えた。不穏な空気漂うなか、周りの騒音は耳に入っていないようで、何もない一点を見つめたまま固まっている。
そばには怒れるキャラバンの商人達。それにジャックの上司、スタン。そして無駄に豪奢な金細工の黒いマントを纏った軍人がもうひとり、青筋を立てて何ごとかを喚き散らしているところだった。見た目から察するに軍部のお偉いであることは分かるが、レニの目にはその男の態度が醜い傲慢さに溢れているように映ってならなかった。
もっとも、特に気になったのはその奥。喰人蟲に荒らされた、数人の死体だった。処理に勤しむ多数の軍人達によって申し訳程度の目隠しこそかけられていたものの、吐き気を催す異様な光景はレニの瞳の奥にまだ焼き付いたままだ。
もう見慣れたことではあったし、職業柄、逆に見ない日などはない。なのに、毎回こんなに胸が痛むのは、何故なのだろう。
「もっと早く、多くを助けられたかもしれない。そう思ってるんだろ」
ブリンクが愛用の銃を背中にからい直し、レニのそばに立つ。
「どうなんだろう……」
「間違っちゃあいない。少し早ければ、もしかしたら三人目の犠牲は出なかったのかもな」
あの時、ブリンクは逸るレニを制止し、敵を良く知ることが大事だと諭した。ハンターとして、それは当然のことだったからだ。
知識は最大の武器。危険極まりない敵との戦いにおいて、たったひと欠片の油断で命を落とすこともある。この日も敵がケラ型だと確信した時、奴らの習性として潜伏している別の個体がいるであろうことを大方予想することができた。
もしもそのような知識が無ければ、二匹目、三匹目の不意打ちによって死んでいたかもしれない。事前に情報を得ることは、己の身を護ることにつながるのだ。
狩人といえども、万能ではない。だからこそ、ハンターは二人一組が常であり、互いに支えあっていかなければならない。お互いの身すら守れなければ、他人など救えはしないのだ。
「言いたいことは分かってる。分かってるよ、ブリンク」
親として、相棒として、ブリンクのことは尊敬しているし、絶対に失いたくない家族であることに間違いはない。
「分かっているなら良い。行くぞ」
それはブリンク自身、同じことを想ってくれている。感情や思考をあまり表に出さない父親だが、息子であるレニには彼が何を考えているのかはなんとなく分かっているつもりだ。
「うん」
いつか必ず、この星から喰人蟲の脅威を根絶させ、人々が安心して暮らせる世の中にするため、いまは苦い思いを胸の奥にそっとため込むレニだった。
「あぁ。待て、お前達」次の狩場に向かおうとするふたりをジムが止める。「何のためにわざわざ俺が来てやったと思ってるんだ」
「なんだ、ジム。趣味の死体いじり以外に、何かあるのか?」
ブリンクがわざとらしく笑う。
「馬鹿言え」ジムが眉間に皺を寄せて言った。「本部から招集がかかってんだよ。ナンバーテンまでの幹部、全員にな」
ジムはおどけるように言ったが、聞いたブリンクの表情が次第に強張っていくのを感じて、レニはその招集の話がいかに重大な案件であるかを悟った。
すっと真顔に戻ったジムが続ける。
「次の山は、デカイぞ」




