1-24.『暗雲』
此度のブラッドハーバー防衛戦において、ハンターズリーグが誇る十名の強者達、”ナンバーズ”はその評判に違わぬ活躍ぶりを見せた。
彼らが居なければ、タイタン起動までの作戦は実現しなかったであろうし、そうでなければブラッドハーバーという港町も地図から名を消していたと言っても過言では無い。
中でも、ナンバーシックスであるトバイアス・ワイルドランナーは、相棒の白虎アイシャとともに、持ち前の機動力を活かして様々な役割をこなしていった。
時には遊撃隊の先頭を担い、時にはジャックを含めたタイタン操縦手達の護送も難なくこなす。タイタン起動後は、街の外に残るマジロ型達を完膚なきまでに叩きのめす力技も見せつけた。
悔やまれるのは、そうした彼の能力をもってしても、喰人蟲の進撃を止められなかったことだろう。
そして彼はいま、ブラッドハーバー防衛戦終結の後味の悪さを引きずりながら、街の壁に寄りかかったままの巨大な生物を見上げている。
「トバイアスさん。これ、どうします」
同行している二人のハンターのうちひとりが、困惑した顔で問うた。彼も熟練したハンターのひとりで、ナンバーも二桁と歴戦の勇士である。そんな彼でさえ、ここまで巨大な喰人蟲を見るのは初であったに違いない。
かく言うトバイアスも、そうであった。これだけ大きな身体で、いままでどこに隠れていたのだろうか。
喰人蟲研究の第一人者であるジムのじいさんが見たら歓喜のあまりぶっ倒れるだろうな、などと下らないことを考える。
「どうにかしなきゃいかんねぇ」トバイアスは鼻をつまむ。「放っておいたら、臭いそうだ」
もはや浅く間隔の長い呼吸を続けるだけの”山”の外殻を、ポンポンと叩いた。無論、何の反応も返ってこない。
お前達は一体何のために、そんなに必死だったんだ? 触れた手から何かを感じ取れるかとも思ったが、目ぼしい情報は何も伝わってこない。
しかし、だ。岩盤よりも厚いであろう装甲を身にまとい、阻止不能とまで思われたこの巨体……少なくとも、トバイアスにはそう思えた。そんな強大な敵に、”あの親子”は立ち向かい、そして致命傷を負わせたというのか。
恐れ入るよ、まったく。トバイアスは、心の中で肩をすくめたのだった。
さて、どうするか。処分しようにも、方法を思いつかず。ようやくレニの開いたであろう脇腹の斬り裂き跡を見つけたトバイアスだったが、この時静かなる殺意が迫っていようとは、思いもしなかった。
白い影が視界の端で踊ったかと思うと、次の瞬間にはトバイアスの身体は後方に吹き飛ばされていたのだ。
「……っ!」
咄嗟に浮いた体を制御し、どうにか着地する。
トバイアスに体当たりを仕掛けたのは、相棒であるアイシャだった。警戒を眼に光らせた彼女が唸りをひとつあげ、次の瞬間。
トバイアスが先程までいた、まさにその場所に、あの”黒の塊”が降り注いだ。
着地の衝撃が大地を抉り、砂礫を撒き散らすと、舞い降りてきた漆黒の騎士は、不気味に光る紅の眼光を解き放った。
「人型……!」
激しい負の波動に、トバイアスの体は総毛だった。
ショアライン盆地で見た人型の喰人蟲。初めて目にした時は未知の脅威に戦場が荒れたが、以降戦いの中では見かけなかった。それがまさかこの瞬間、この場に現れるとはトバイアスにも予測できようはずがない。
人型は、あの時と変わらず並々ならぬ憎悪に満ち溢れていて、抑えきれぬ殺意がその身体を覆い尽くしているようだった。
しかし、人一倍五感に優れているトバイアスだが、その気配にはまるで気がつけなかった。これほどまでに禍々しい殺気を放っているというのに、何故だ。
それは他のハンター二人も同じだったに違いない。そうでなければ、人型の飛来とともに繰り出された斬撃に、反応出来なかった理由が見つからない。
彼らは武器に手をかける間もなく、人型の両爪に斬り裂かれた。身体を両断された二人は声も上げず絶命し、その場に崩れ落ちたのだ。
「おいおい……、勘弁しろよ」
トバイアスには信じられなかった。自慢の五感が全く役に立たなかったこと、それに二桁のベテランハンターが瞬きひとつの間に殺されてしまったこと。アイシャが居てくれていなければ、自らも地に伏していただろう。
そして、次の人型の”言葉”に、トバイアスは目を丸くする。
「ほう。なかなか良い下僕を従えているな」
喰人蟲が……喋った。
人型は、鎧を身に纏った騎士風の姿形だけではなく、言語や喋り方、身の素振り、何から何まで、人間そっくりの動きを見せたのだ。
唯一違うのは、獅子を模した兜のような頭部。鋭い牙の並ぶ口が、不敵な笑みを浮かべていた。
「貴様はにじり潰してやろうかと思ったが」
「何者だ。どうして俺たちの言葉を話せる」
問いに、人型は鼻で嘲笑った。
「話せる、ではない。お前達の下等な文明に合わせて話して”やっている”のだ」
明らかなる敵意に、侮蔑の眼差し。それから僅かな時間だけ、睨み合いが続いた。
しかし、トバイアスにはそれがほとんど一方的な気がしてならなかった。まさに蛇に睨まれた蛙。トバイアスは一歩も動けずにいる。
先に痺れを切らしたのは、人型だった。
「人間の力、少しばかり甘く見すぎていたようだ。まさかこれほどの抵抗を見せるとは」”山”を見上げ、人型は顎をひと撫でする。「あの軟弱な砦は一瞬だったのだがな」
砦とは、先に陥落してしまったカームグラス砦のことを言っているのだろう。おそらく、この人型は物理的な力とは別に、優秀な頭脳も持ち合わせている。喰人蟲の頭となり指揮を取っていたのだとすれば、猛将と名高いミリアム少佐がいたあの砦があっさり陥されてしまったという話も、もはや疑いようがない。
ともなれば、トバイアスの中で燻っていた好奇心は大きく膨れ上がる。
「何が目的で街を狙った」
マジロ型達の動きは、明らかにその習性とは異なるものだった。増えすぎた種が食料を求めて大移動をしたのかと思いきや、全くもってそうではなかった。
奴らが行ったのは、虐殺に他ならない。
「特に理由は無い。殺したかったから、殺しただけだ」
「ふざけるな」
とてもそれだけとは思えない曖昧すぎる返答に、トバイアスはアイシャとともに吠えた。
「ふざけてなどいない。それに、お前達も我々に同じことを行っているではないか」
屁理屈を、と歯を噛み締めたトバイアスには、もう一度試してみたいことがあった。
その一連の動きは目では追えぬような速さで、そして流れるように行われた。
矢筒から矢を引き抜き、弓に当てがい、弓弦を大きく引っ張り、狙いを定め、そして放つ。わずか一秒ほどの神速であった。
戦場では、驚くことにこの必殺の一撃が軽々と受け止められた。神の手を持つとまで言われたナンバーシックスの一矢を、である。本人にはそれが信じられなかった。だから、この二発目で自らの実力に偽りがないことを証明するつもりだったのだ。
だが……。
二度目の本気も虚しく、人型の体にその剛弓の矢が突き立つことはなかった。
あの時と同じように、矢は敵の手のひらの中に収まってしまったのだ。
「貴様、一度ならず二度までも……」
人型の瞳の奥で静かに燃えていた憎悪の炎に燃料が投下され、怒り猛々しく燃え盛った。
まいったね、こりゃ……。トバイアスは人智を越えたその能力を間近にして、打つ手を失った。これだけの至近距離で放たれた矢を片手で受け止めるとして、並外れた反射神経を持つだけではこうはならない。指二本で超速の矢の勢いを殺すとは、やはりこいつの実力は本物だ。
敵わぬことを知ったトバイアスは一歩退き、アイシャが庇うように前に出る。しかし、耳を倒したままの彼女自身も本能で相手との力量の差を感じているようだった。
「あら。ひとりで楽しんでるなんて、イケない子ね、トバイアス」
突然、背後で声が上がる。人型に全神経を集中していたせいか、男がひとり接近していたことにまるで気がつかなかった。
背中に背負った二対の剣を抜き放ち、敵に対峙するナンバースリー、イリーンの姿がそこにあった。
「イリーン……」
「こういうのは、みんなで楽しまなきゃ、ねぇ?」
そう言うと同時に、辺りの雰囲気ががらりと変わった。空気が震え、触れる肌を痺れさせる。
目の前に、紫電が走った。風を切り裂き、突風を伴って出現したのは、ナンバーエイトのエリィだ。何もなかったはずの空間に、突如として姿を現す。
「お前か、レニ様を悲しませるケダモノはぁっ!」
その両目は真っ赤に血走り、特徴的で可愛らしいツインテールの髪も怒りのあまりに逆立ってしまっている。誰もが知る可憐な少女の姿はそこには無かった。愛する人が悲しむ姿を見て、感情を抑えきれなくなったか。
人型の放つ殺気とはまた別の殺意に挟まれ、トバイアスは身の毛もよだつ思いをした。
感情の制御を失ったエリィは危険だ。
「イリーン、またえらいのを連れてきたもんだな」
援軍に胸を撫で下ろすも、それでも人型の脅威が拭えるわけでもなく。トバイアスは嫌な汗を流した。
何より、怒りに身を任せたままのエリィが危険極まりないことは、ナンバーズならば誰もが知る事実であったはずだ。
「連れてきたわけじゃないわ。この子が自分で嗅ぎつけてきちゃったのよ」イリーンは白々しい台詞を吐く。「愛の力って、すごいのねぇ」
しらばっくれるようなイリーンの態度に、トバイアスはため息を漏らした。
そんなやり取りをしながらも、三人が互いに目配せをすることは決して無かった。その視線は人型をしっかりと捉えていなければならなかったからだ。一瞬でも視線を切れば、その間に首を刎ねられかねない。
三人ならば、互角に戦えるのだろうか。いや、”ナンバーズ”が三人もいるのだ。そうでなくては困る。
だが、勝機を見いだそうとするこちらの思いを嘲笑うかのように、人型は”山”に手を置くと不気味に笑った。何が可笑しいのか。
激しい怒りの中にあって戦意を見せない人型に、トバイアスとイリーンは拍子抜けした。
なんと敵を目の前にして、人型は背を向けたのである。そして、想像もつかぬほどの重量を持つであろう”山”の体を軽々と持ち上げて見せたのだった。
「どこへ行くっ!」
エリィは怒りに怒りを重ね、瞳の中の火花を迸らせた。
彼女が動いたのは、文字通り一瞬だった。その間、エリィの姿はこの空間から消えたのだ。稲妻のように鋭い眼光と、足跡だけをその場に残して。
そして、彼女が居た場所から、凄まじい量の雷が四方八方に放たれた。
近くにいたイリーンやトバイアスをも巻き込みながら、その電撃は巨大な矢の如く人型に迫った。
「くっ、無茶しやがる……!」
トバイアスは咄嗟に弓を放り投げ、イリーンは剣を地面に突き立てて襲い来る雷撃を地面に逃した。
そして、それ以上の威力を伴った電撃……エリィそのものが、人型の背に衝突する。
……かに思われた。
そうして吹き飛んだのは人型の身体ではなく、なんとエリィであったのだ。
彼女は進行方向から直角に弾き飛ばされ、遠い地面の上を抉りながら倒れ込んでしまった。
信じられない。
トバイアスが横目に見たイリーンの表情には、自らと同じ戸惑いの様子が浮かんでいた。
あの速度の攻撃を見切り、反撃したというのか。しかも、背中越しに。
「とんだ化け物ね」
イリーンが呟く。生唾を飲む音が、トバイアスにも聞こえた。
「それは、お前達のことだろう」
帯電したままの拳を振り、そう言い残した人型は、雨の降り出した暗雲の空に向かって高く飛んだ。”山”を抱えたまま。
そうして、飛び去ったあとには黒い憎悪の炎が尾を引くように続いたのだった。
「エリィ……!」
呪縛から解き放たれたトバイアスの身体は、弾けるように倒れた仲間の元へと走り出した。
とんでもない奴が敵として現れたものだと内心困惑を隠せないでいる。並外れた力と智力、そして身も凍るようなあの眼差し。何もかもが未知の世界のもののようだった。
またいつか対峙することになるのだろう。その時に奴が本気で仕掛けてきたならば、人類になすすべなどあるのだろうか。
土砂降りに変わりつつある雨の粒が、傷ついたエリィを介抱するトバイアスの背に重く降り注いだ。




