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愛ゆえに狂う  作者: ルノア
第一章 『Story Begins-物語の始まり-』
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1-19.『現れる大山』

 ショアライン盆地で死闘が繰り広げられる前の晩のこと。ハンターのキャンプを訪れた帝国兵ジャック・エンバースミスが、ひとつの提案を引っ提げてやってきた。


 しかし、来るタイミングがあまり良くはなかった。直前にはゴラドーンいちの嫌われ者である帝国軍少佐アーサー・マクグラフが悪態をついたおかげで、軍全体の心象が普段にも増して悪くなってしまったからだ。


 元々、軍嫌いの人間が集まる<狩人の集い(ハンターズ・リーグ)>では、当然のことながらジャックの来訪もはじめはあまり歓迎されたものでは無かった。


「ブリンクさん、それにレニ・ストーンハート君。先日は危ないところを助けて頂き、ありがとうございました」


 痛いほどの視線に多少なりと物怖じしながらも、深々と頭を下げるジャック。アーサーとは対象的なその誠実な態度は、張り詰めた場の空気を少しくらいは和らげたのではないだろうか。


 そこで、レニだけは心配の目を向けた。


「もう大丈夫なんですか? その、あんなことがあった後なのに……」


 心身を気遣うと、ジャックは明るい笑顔を作って返した。


「ありがとう。でも、いつまでも立ち止まってるわけにはいかなくてね」


「……?」


 初めて会った時の彼は、状況も相まって恐怖に怯え、怒りに震えていた。喰人蟲(マンイーター)との接触が、癒えぬ傷となってしまう者も少なくはない。彼もそのひとりになり得るだろうと思ったのだが……。


「随分と吹っ切れた顔をしてるな」


 ブリンクにもそう見えたらしい。彼の表情が、逆に生き生きしていると。


「はい。おかげさまで、やるべきことを思い出しました」


 今宵の星空のような彼の瞳は、何かしらの決意を秘めているようだ。


「やるべきこと?」


 レニは首を傾げた。


「そう。昔、大切な人と約束した、叶えたい夢があるんだ」


 少し照れ臭そうに言ったジャックだったが、「青臭いことを言うな」と白けさせるような野暮なハンターはひとりとして居なかった。何故か。それはレニ自身もそうだったが、多くの者が各々の”夢”を背負ってハンターになったからだ。


「夢、ね」ブリンクが、ジャックの顔を凝視する。その夢とやらがどれほどのものなのか、見定めているかのようだ。「それで、頼みというのは」


 よろしいですか、と集中する関心に応えたジャックは近くのテーブルを借り、持参してきた紙の束を広げた。


「明日の防衛戦なのですが……。これについて、悪いお知らせと、その対抗策をお話したいと思います。先程マクグラフ少佐が来られたということは、今回の作戦でタイタンが投入されない旨は皆さんもうご存知でしょう。そして、タイタンに代わる新兵器が用意されているということも」


「伝えに来た、というよりは、放り投げていったって感じだったよ」


 やり取りを思い出したらしいトバイアスが、表情を歪める。


 同感だとばかりに頷くハンターたちに、「そうですね」と返すジャック。


「少佐には元々、兵器の類に関する知識はありませんから。興味も無い。まあ、それ以外もさっぱりですが……。それでありながら、その立場を利用し、兵器開発に莫大な資金を流しているとも言われています」


「インペリアル・インダストリーか」


 とある社名を口にしたブリンクには、元軍人として何か思い当たる節があるらしい。


「それって、あのタイタンを製造してる?」


 まだ十分とは言えないレニの人生の中でも、その企業の名前は幼い頃から耳の奥に残っている。


 軍と共同で兵器を開発していることはもちろん、生活必需品である家庭用機器の製造や、建物の建築・整備など、その他あらゆる面で人々の生活に多大な影響を及ぼしている会社だ。あの帝都のそびえ立つ防壁も、インペリアル・インダストリー製なのだという。いまやゴラドーン大陸に深く根を張り、人々の暮らしに直結する、切っても切り離すことのできない存在なのである。


「その通り」ジャックは人差し指を立てる。「少佐が狸と呼ばれる所以(ゆえん)は、バックにインペリアル・インダストリーが付いているからだとも言われているんだ」


「なるほど。まさに虎の威を借る……おや?」


 そこまで言って、バッシュは何かに気付いたが……。


「良いんです、狸で。狐と呼ぶにはあまりにずんぐりむっくりで、死ぬほど憎たらしいので」


 と、ジャックはすかさず答えた。


「それで、この資料は?」


 そう言ったブリンクとともに、レニはテーブルに広げられた二種類の紙束を覗き込んだ。


 パラパラと捲られていくその内容は、どれも数値の羅列ばかりで、レニの頭ではそれが何を意味しているのかは瞬時に理解出来なかった。


 そして、あるページにたどり着いた時……。


「これは……」ブリンクの手が止まる。「新兵器か」


 そのページには数字ではなく、いくつかの角度から描写された、新兵器と思しき大砲のような絵が載っていた。どうやら、設計図の一部らしい。スリムな砲身には運搬用の車輪がふたつ付いており、傍らには大砲とは対照的に巨大なタンクが描かれている。


「インペリアル・インダストリーの新作です。正式名称はまだですが、仮に”蒸気砲”と呼んで話を進めます」ジャックは少し怒り気味に、鼻息を荒くした。「この蒸気砲は蒸気の圧力を用いて(いかり)型の槍”アンカー”を敵部隊の中枢に送り込み、時間差でアンカーに仕込まれた爆薬を起爆、敵を爆破するという単純ながらも非常に強力な兵器です。あ、どれくらい強力かというと、兵士が使う手榴弾の殺傷範囲が十メートル程度だとすると、この蒸気砲で使われる爆薬は……」


 後半になるにつれてジャックの話は熱を帯び、早口になったかと思うと、その視線はどこか誰にでもないところへと向き始めていく。この時の様子から、彼は前線で戦う一兵士というよりは、どこか研究者然としているような気がするハンターたちだった。


 兎にも角にも、唖然とする周囲を置き去りに、遂にはこの場の誰にも理解できない専門的なことを話し始めたものだから、当然ブリンクが話を遮った。


「ジャック。……ジャック」


「はっ。すみません。つい、熱くなってしまいました」


 我に返ったジャックは、恥ずかしそうに縮こまる。


「資料に話を戻すぞ。見たところ内容は同じに見えるが、ところどころで数値が違うようだな」


 ブリンクの指摘は確かだ。一見、全く同じものの写しにも見えるが、実際には二枚の間で数値の相違がある。


「これは、導入前の蒸気砲の実験データです。耐久力、正確性、威力、その他諸々の情報を、実験を繰り返して数値化していきます。そうして信頼に足る商品になったうえで、基本は実戦に導入するわけですが」そう言って、ジャックは落胆で肩を落とした。「どうやら、軍内部で不正が行われているようです」


「不正?」


 トバイアスが眉をひそめる。


「はい。この資料は、ひとつが本物で、もう片方は不正に数値を操作した偽の情報です。言わずもがな、改ざんされた資料は先程の数値が不自然なほど完璧に近く、実戦に耐え得る兵器であることを証明しています」


「だが実際は安全の基準すら満たしていない」


 ジャックの説明に、ブリンクはふたつの資料を見比べながら言った。


「さすがはブリンクさん。軍経験者なら、この違いは一目瞭然ですね」ジャックは頷く。「第一に、ゴラドーンはまだ蒸気を完全には制御出来ていません。帝都では日常的に爆発音が鳴ったり、蒸気が漏れ出る光景を良く目にしますが、それこそ未だコントロールが不完全である証拠です。家庭用だからその程度で済みますが、これほどの爆薬を載せたものが暴走するとなると、その被害は容易に想像できます」


「諸刃の剣だな、それは」


 バッシュが太い腕を組んで唸る。


「自爆装置ですよ」ジャックは忌々しげに吐き捨てた。「こんなもの、兵器とは呼べません。蒸気を利用しないタイタンを初めから投入すれば、そんな最悪の事態も起こり得ません。ですが、軍幹部は目先の利益とタイタン運用のコストとを秤にかけて、利益を優先しているのです。タイタンの整備にはそれなりの費用と労力が必要ですから」


「それで軍縮とばかりに商隊(キャラバン)を四人で護送してたのか。必要なものを省いて、不要なものを増やす……無能狸の考えそうなことだ」


 ブリンクはここには居ない者を嘲笑しながらも、その被害者となったジャックには哀れみの眼差しを向けることを忘れなかった。


「インペリアル・インダストリーとしても、既存のタイタンを使い回されるよりも、新兵器を大量に売り捌いた方が儲けになるってことだな」


 トバイアスが言った。


「そうですね。それに、この国の法はあって無いようなものですから。安全であるかどうかなどは二の次で、失敗したら下の責任です。今回の作戦も私のような実戦経験の乏しい者が集められ、数こそ膨大ではあっても、その(じつ)烏合の衆でしかありません。蒸気砲が暴走してしまった時のための、使い捨てです。そのデータを元にして、更なる改良を行う算段でしょう。そんなことの為に命を散らすつもりはないので、タイタンを配備してもらえないか上に申し入れもしましたが、当然の如く梨の礫でした」


 ジャックは彼なりに様々な試みでどうにかしようとしたに違いない。その悔しさが表情を辛く厳しくさせ、強く握りしめられた拳を赤く燃え上がらせた。


「でもさ、わざわざ蒸気砲なんてもの作らなくても、タイタンを量産すれば良いんじゃない?」


 レニは素朴な疑問をぶつける。蒸気砲などという危ない橋を渡るくらいなら、実績のあるタイタンを作り続ければ、インペリアル・インダストリーにとっても悪くない話だと思ったからだ。


「そうなんだけどね……」急にジャックの瞳が霞んだ気がした。「タイタンの一部はブラックボックス化しているんだ」


「ブラックボックス?」


「うん。タイタンの中心部には動力源となるコアがあるんだけど、このコアを作れる人間はひとりしかいないんだ。だけど、その人物は既にこの世にはいない。だから作り方を誰も知らないし、分解してみても誰もその仕組みを理解できなかった。コア以外の整備なら誰でもできるんだけどね」


「じゃあ、新しいタイタンはもう作れないってこと?」


「そうなるね……」


 当然、そんな話をレニは初めて聞いた。万能だと思われていたものにも、欠点はあるということか。それもあってインペリアル・インダストリーは、自社で製造可能なタイタンを超える兵器を産み出そうとしているのだろう。


 しかしそれ以上に気になったのは、ジャックのどこか哀しそうな表情だった。タイタンの秘密に、彼は何か関係があるのだろうか。


「一応、作戦についてお前さんの考えを聞いておこうか」


 ブリンクが話の路線を戻す。


「私の考えは単純です。ブラッドハーバーの軍港に眠っているタイタン数機を動かすだけ。やるべきであったことをやり、作戦を修正します。それだけで戦局は大きく変わり、何人もの命を救えるはずです」


 簡素で当たり前のようなその提案は、しかし”タイタン”という言葉ひとつで確実性を増し、何よりも最善の策であることを皆に納得させた。それほどにタイタンの持つ力は強大であるというこだ。


「ごもっともだ。……では、ひとつ聞きたい。この資料はどこで手に入れたものだ。見たところ、お前さんは兵器開発部門の人間では無いようだが」


 ブリンクの瞳が鋭く光る。それは嘘の一切通用せぬ厳しい眼差しだった。


 軍内部には兵器の製造を担当する部がある。タイタンを含む多くの兵器は、インペリアル工業と軍の兵器開発部門との共同作業で作られているのだ。


「それは……」急に言葉を失い、俯くジャック。「言えません」


「軍は秘密主義者が多いねぇ」


 ハンターズ・リーグ本部でのアーサーの話を思い出したのだろう。トバイアスは小さなため息を漏らした。


「すみません。言えば危険な目に合う人がいるので……。ただ、この資料が本物であることに間違いはありません」


 そうして、しばらくの沈黙が流れる。誰も言葉を発しないまま、夜の闇の中で梟が一鳴きするまでそれは続いた。


 この場での決定権はナンバーツーが握っている。皆がその決断に従うつもりだった。


「申し訳ないことだがな。この話を信用するにも、まだ俺達はお前さんのことを良く知らない。アーサーとは違う人種であることくらいは理解できるが、それでも帝国軍側の人間だ。信じるには、まだ十分とは言えない」


「いまは信用されなくても構いません。ただ、明日になれば否が応でもそうせざるを得ない状況になるはずです。そうでなければ、小物の戯言に時間を無駄にしたと思ってください」


「分かった。なら、その時になってから判断することにする。それで良いか」


「お願いいたします」


 そうしてジャックは再び深く頭を下げたが、顔をあげるまでには長い時間を費やした。彼からしてみれば、ここが最後の希望だったのだろう。ティムのように再び誰かが家族を失うような悲劇が起きないよう、そして彼自身が抱いている夢を果たすために必死なのだと思う。


「ちょっと待て」テントを去ろうとする帝国兵の背中に、最後に声をかけたのはブリンクだった。「お前の言う、夢とはなんだ」


 振り向いたジャックの眼差しは、その夢の行く先を明確に捉えているかのように、真っ直ぐだった。


 レニがハンターとして大きな夢を持つように、彼にも目指すべき大きな何かがある。そう思えるような力強い意志の塊を感じる。


 一呼吸置いたジャックは、確固たる自信とともにこう言い放った。


「中からぶっ壊してやるんです。帝国軍を」







 そうして、ジャックの言う通りとなった。


 雨雲を被った彼方の山々に沈み行く空に、血の滲んだような赤と黒がわっと燃え上がったのだ。


 兵士達を束ねる立場のハロルド中尉は運悪く隊から分断され、指揮官のアーサー・マクグラフ少佐はあろうことか一時劣勢と見るや否や、一目散に戦場を離脱してしまった。自らの部下を残して。


 結局は残されたハンターたちが場を維持し、なかでも従軍経験のあるブリンクが以降の指揮を取らざるを得なくなった。そうでもしなければ、帝国軍は一瞬にして荒野の塵と化していたに違いない。


 そして、ジャックの提案した作戦を決行するに至る。軍を常に優位に導いてきた無敵の兵器<タイタン>を動かすのだ。


「後ろから追って来るぞ」


 馬を駆るブリンクは、振り返らずに気配だけで敵を察知したようだ。


 現に後ろについているジャックの僅か後方で、目隠しのような砂の幕がもうもうと迫ってきている。


 数匹のマジロ型だ。


 ショアライン盆地の戦場を離脱し、ブラッドハーバーへと向かうレニたちを行かせまいとするかのように、凄まじい勢いで追いかけてきている。


「レニ、やれるか」


「大丈夫、任せて」


 手綱を握る父に代わり、追跡者を迎え撃つ。レニは馬の上で身体を反転させ、後ろを向くと石の大剣を右手に構え、閃かせた。


 高速で前方へと流れ行く景色を横目に、敵の数を確認する。砂煙を上げながら驚くような速度で転がってくるマジロ型は、全部で四匹。馬の脚を遥かに凌ぐ速さで、あっという間に追いついた。


 転がるマジロ型は触れるだけでも危険極まりないが、だからこそ一匹足りともブラッドハーバーに近づかせるわけにはいかない。そこに住まう人々は、抗う術を持たないからだ。


「ジャックさん、先へ」ジャックを先に行かせ、敵との間に割り込む。「俺がやります」


「すまない、頼む!」


 この作戦で最も重要なのは、ジャックを生かすことにある。ブリンクやバッシュのような敵を抑え込む力も必要だが、そもそもこの戦場でタイタンを動かせるのがジャックを含む数名の技術者だけしかいないのだから、彼らを失えば作戦は失敗に終わり、依然として苦戦を強いられることになる。


 一匹のマジロ型が左側面についた。しばらく並走した後、機を見てそれは空中に舞い上がった。地面に生えた岩の突起を利用して、馬の真上へと跳んだのだ。


 そのまま上から押し潰さんとする敵を、レニは石の剣で横に薙ぎ払った。


 やはり、重い。剣を介して伝わる、その硬さ。まるで水中で剣を振るっているかのように、レニの動きは普段の軽快さを失った。


 それでもレニは馬上という不安定な場所であるにも関わらず、その一匹目を力任せに地面へと叩き落とすことに成功した。


 続けて仕掛けてくる三匹も、ブリンクの巧みな馬術で翻弄し、レニの強力な一撃をもって叩き潰す。


「ブリンク、まだ来るよ!」


 四匹の後に、更なる後続を見たレニは叫んだ。


「慌てるな。そろそろだ」


 妙に落ち着き払ったブリンクの言葉とは裏腹に、必死の追跡を見せるマジロ型は数を倍にして追いかけてきている。


 なんとか数匹をいなしてはみる。残りの数匹も、レニにはまだ余力があった。


 しかし、ここまできて馬の走りに違和感が生じた。これまでの風のように流れる走りから打って変わって、ふらふらとした足取りに背が大きく揺れ動く。自らの身の上で行われている人智を越えた戦いに、無理が続いたのだろう。これ以上の戦闘は脚を壊しかねない。


「このままじゃ、ブラッドハーバーまで馬がもたないよ!」


 レニは叫んだ。


 言われなくとも、それはブリンクも十分に理解しているだろう。それでも、父の顔にはまだ薄らと余裕が張り付いているように見えた。


 間を置かずして再び追いついてきたマジロ型が、ふらつく馬の脚を狙って体当たりをしかけてきた。もはや馬を捨てて行く覚悟すら決めたレニだったが……。


 その時、風を大きく切り裂くような羽音が駆け抜け、遅れて突風がレニの体を通り抜けていった。自慢の赤いダウンジャケットがふわりと踊る。


 そして体当たりを試みたマジロ型が寸前で動きを止めたかと思うと、いきなりもんどりうって地面を元来た道へと暴れるかのように転がっていった。


 その体は、一本の矢に貫かれていた。


「よっ、カウボーイ。約束の時間には間に合ったかな?」


 戦闘に夢中で気付かなかった。レニのすぐ右側の視界。砂の煙幕を切り裂いて、トバイアスが率いる十数人の騎馬隊が現れていたのだ。


「ああ。ばっちりだ」


 ブリンクは嬉しそうに笑った。彼はこの時を待っていたのだろう。トバイアスとの間で結ばれた揺らぎない絆が、そこに見えたような気がする。


 これも父の作戦のうちなのだと思う。ショアライン盆地にバッシュとクラウンを残したのも、トバイアスを遊撃隊に任命し、後にブラッドハーバー防衛に合流させたのも、すべてはブリンクが立案した詳細な作戦の一部なのだ。そしてその作戦を全て覚えきれそうになかったレニに、彼は「お前は俺のそばについているだけで良い」とだけ言ったのだった。


「じゃ、さっさと終わらせようかね」


 そう言ってトバイアスは手にしたロングボウを力一杯に引き、残るマジロ型に必殺の一矢を放つ。


 常人では弓を引くことすら難しいとされる長弓(ロングボウ)を、トバイアスは馬上で引き絞り、弦をぴんと張った。その弓勢(ゆんぜい)たるや、飛んで行った矢がまるで吸い込まれるかのようにして敵の硬い体へとめり込んでいくほど。強弓からの矢はマジロ型の装甲などいとも容易く貫くほどの力を披露した。その正確さと力強さは、さすがはナンバーズの六番手と言ったところだ。


 再び次の標的に狙いを定め、背の矢筒から矢を引き抜くトバイアスに、その隙を狙ったマジロ型が一匹。


 その後ろから、今度は白い影が飛び出した。


「アイシャ!」


 トバイアスが呼ぶと、飛び出してきた白虎は主人にあだなす不届き者の殻を鋭い牙で食い破り、露出した内蔵を爪で抉り出した。


「良し良し、いいぞ」


 二匹目に矢を撃ち込んで仕留めたトバイアスが白き従者を褒めると、彼女は嬉しそうに一啼きした。


 残った敵も騎馬隊のハンター達が各々の武器を使い、迅速に迎撃していく。手並みの鮮やかな者もいれば、豪快に敵を屠って()せる者もいる。誰もがレニよりはナンバーが高く、そしてより洗練、卓越した動きを見せた。その全てがレニにとっては眩しく輝く。


「奴さんも、俺達を行かせまいと必死だなぁ」


 馬は全力で走らせながらも、自身はゆっくりとした物言いのトバイアスは、しかし厳しい表情をブリンクに向けた。


喰人蟲(マンイーター)に知恵がつくなんて、誰が想像できた。しかも奴らのほうがまだ何枚も上手だ。さっさと終わらせないと、いずれ奴らの策にすっぽりとはまりかねん」


 ブリンクの表情は彼のカウボーイハットの下に隠れていたが、その声は警戒の色一色に染まっていた。父のそんな様子をレニはほとんど見たことが無い。それほどまでに此度の敵は動きが予測しづらく、故に危険極まりないことを物語っていた。


「頭の良い虫ってのは、恐ろしいもんだねぇ」


 ふたりの会話がここで途端に途切れ、しんとした静けさの荒野に、馬蹄の響きだけが流れ行く。


「……待て」


 それまで前方から視線を外さなかったブリンクが、何か(・・)を察して後ろを振り向いた。


 その時、レニを含む全てのハンターが、背中を引き裂かれるような悪寒を感じたに違いない。じっとりとまとわりつく冷や汗に、全身の毛が総毛立つのが分かった。


 まさか、人型か。……いや、違う。


 間を置かずして始まった地震のような大地の揺れが、何者かの到来を予期させる。


 何か、来る。


 それはいままでのマジロ型の追跡よりも、遥かに強大な敵意の塊。


 更に一際大きな地鳴りが馬の足元をぐらつかせた。


 揺れる大地。地面には幾本もの大蛇のような亀裂がうねりを見せ、やがて大地が抜け落ちた。


「おいおい、冗談じゃないぞ」


 トバイアスが驚くのも無理はない。実際この場にいたハンター全員が同じことを思っただろう。


 地獄への口のような穴から、鼓膜を破るような叫びとともに現れたのは、一匹のマジロ型だった。しかしそれは山のような巨体を誇り、通常のものの二倍……いや四、五倍は大きい。全身を覆う外殻はまるで鋼鉄のような鈍い輝きを放ち、地中に眠る岩盤のようにぶ厚い。背中には他のマジロ型を数匹乗せ、無数の脚で這うその姿はまさに移動する要塞のようだった。


 誰もがこの巨大マジロを初めて目にしたに違いなかった。レニだけではなく、他のハンターもまるで時間が止まってしまったかのように、馬の上で揺れ動くことしかできなかったからだ。


「トバイアス、お前たちで小さいのを頼む。ジャックはとにかく走れ」


 どうにか気を取り戻したブリンクが指示を飛ばす。


「レニ、あのデカブツはなんとしても止めるぞ。あんなものが街の防壁に突っ込んだら、ひとたまりもない」


 想像して背筋が凍った。あの巨体が丸くなれば、ブラッドハーバーの防壁の高さに届くほどの大きさになるに違いない。そうでなくとも奴が壁を破壊することくらい、造作もないだろう。そうなればあの巨大マジロ型だけでなく、他の喰人蟲も街の中へと流れ込んでいってしまう。


 街はあっという間に全滅だ。賑やかだった市場の熱気も、そこに住まう人々の生活も、何もかも消えて無くなってしまう。……ヨシとミノリ、ふたりの笑顔も。


 こいつだけは、街に近づけちゃいけない。


「止めなきゃ!」


 これほどに巨大な敵を、どう止めるのか。しかし、いまのレニにその方法を思いつくほどの力は無かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 腐っていると分かっていても、下っ端じゃなかなか物事を動かすのは難しい…… なんて思ってたら、とんでもないのが出てきた!(≧◇≦*)
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